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文系、理系、そして... [文系のたわごと]

 えっと、TAKASANさんやdlitさんが「文系と理系」の話に乗ってくださり、今までに既にご自分のブログで取り上げていた関連内容をまとめてくだすったりしていて、それを見て思った事が2点。
 
 一点は、そんなに目新しい視点じゃなかったのね、ちくしょー、と言う事。
 
 もう一点は、やっかいなパンドラの箱を開けちゃったかも、という不安感。

 自分で興味を持って開けてはみたものの、実は優秀な論者が既に言及している時点で箱の中身は残り少なく、しかも開けてからも彼らが改めて論を重ねてきて、箱の中身がどんどん私の手の中から離れて行っている状態....
 果たして、最後に私に残されるものはあるのだろうか?
 「開けてみたけど、いいもの全部取られてました~」で終わる気がしてならない。
 
 でも、後出しジャンケンで総取り、というアメリカンドリームを期待して(卑怯)、せっかくの皆様の意見を大いに参考にして(喰い散らかして?)頑張ります。

 で、そんなしたたかな気持ちで他のブログを舐め回していると(嫌な表現だ)、目に付いたのは「理系でも文系でもない人」という属性についてです。
 多分これを、理系側は、文系側に押しつけているから、話がややこしくなっているのでしょう。

 私の個人的認識ではありますが、小中学校は「知識を受け入れる方法」を、高校では「知識を整理する方法」を、そして大学では「知識を創造する方法」を学ぶと考えています。

 しかし、学歴社会の現在、大学で何を学ぶか、よりも、とりあえず大学に入ることが目的になっている部分も多いと考えられます。そのような目的の方々にとっては、大学とは小・中・高の延長で「専門的な知識を増やす場」になっています(偉そうに言ってますが、実は私も大学在籍当時はある程度そういう認識でした)。
 
 むしろ、現在においては、こういった考えの方があたりまえになってきていますよね。大学側としても、昨今は教養学部のようなものを設置し、積極的にそのようなニーズの受け皿になろうとしていますし。

 で、「知識を創造する方法」を学びたい人にとって、理系・文系かかわらず「論理」は必須なはずなんです。しかし、「知識の蓄積」が目的の方々は、「誰かが確立した高度な知識」が頭に入ればOKなので、推論に必要な「論理」は特に必要無いわけです。

 このような人が、自分を「文系」と称するから、いろいろとややこしくなるわけで(まぁ、ややこしく感じているのは、私みたいな人ぐらいだろうけど)、学問の目的を「知識の創造」と「知識の蓄積」の2分化するのはどうでしょう。
 で、後者を「教養系」という文系・理系と別な呼び方を与えてしまうんです。

 「知識の蓄積」が目的で学問を研鑽している人は、今後それを自覚してもらって
 「私は教養系なので論理的ではないかもしれません」
 と言ってもらえれば有り難いですね(誰が?)。

参照
http://d.hatena.ne.jp/dlit/20080218/1203329002
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8c5d.html


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