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「性格」評価モデル [かため(当社比)の話]

 えっと、いきなりですが、私の知識と経験と推測を元に、『「刺激」と「反応」に対する「性格」評価モデルを組んでみました。今後、ABOFANクンの「性格についての認識」を考察する前の、土台作りとして。
 もちろん、これで十分と言うつもりはまるでありませんが、これだけでも、様々な要因が絡み合っている事を認識できるし、『性格』をめぐる様々な課題や問題の考察のヒントになると思うので紹介します。


~ モデルの説明 ~

【刺激から反応まで】

 《環境》は、《自己》に対して外部からの『刺激』として作用します。
 それは、『自己の刺激認知』を経て(ただし、『自己の刺激認知』は『刺激』の全てをそのまま認知するわけではない)、『自動処理』か『思考』に振り分けられます。
 『自動処理』は、反射やくせのようなもので、特定の刺激に対し、決まった『行動(無意識)』を表出させます。
 『思考』では、認知された刺激に対する行動について『反応選択肢の想定』をおこなった上で、それらの選択肢から『嗜好』や『考察』や『経験』に基づいて、するべき『反応の選択』を行います。
 ただし、選択した反応について、行動に移せず(移したいけど)『とりやめ』になる場合もあります。そのような場合その行動ができる自分、という『理想像』を形成します。
 行動に移した場合でも、本人は選択した反応の通り『行動したつもり』でも、実際には『行動(成功)』の場合もあれば、『行動(失敗)』の場合があります。


【反応のフィードバック】

 いずれかの『行動』を行った後、《環境》が変化する場合があります(ただし、行動の影響か、単なる経時的変化は分からない)。
 その変化は、『環境の変化の認知』を経て(ただし、『環境の変化の認知』は『変化』の全てをそのまま認知するわけではない)、『学習』や『条件付け』が行われる場合があります。そして、『学習』は『経験』に、『条件付け』は『自動処理』にそれぞれフィードバックされ、それ以降の『刺激』への対応に影響を与えます。


【その他の行動に影響すると予測される要因】

 もう一つ想定される要因に『先天的影響』があります。
 これは、『自己の刺激認知』や『環境の変化の認知』において、外部刺激の選択や受け取り方に影響を与えるかもしれませんし、『学習』や『条件付け』の起こりやすさに影響を与えるかもしれません。また、『思考』において、『嗜好』や『考察』のパターンに影響を与えるかもしれません。
 ただし、実際には、どのような先天的要因でどのような影響が生じるか、現在のところ不明な部分が多い状況です。


【自己の性格認知】

 『自己の性格認知』のための『行動の自己認識』は、実際の行動ではなく、『行動したつもり』のものになりがちです。ただし、『行動(無意識)』や、『行動(失敗)』に“気付く”事があれば、それらも対象となります(『無意識行動の一部』と『行動の失敗の一部』)。
 『自己の性格認知』では、『行動の自己認識』に併せて『自己の刺激認知』・『思考』を俯瞰し、『自己の思考・行動傾向把握』をします。それで把握した傾向を『自己の性格概念』に照らし合わせ「○○な性格」といった『自己の性格規定』を行います(ただし、甘めの評価が下される傾向はあると思います)。
 また、その『自己の性格規定』が思考に影響し、合致する行動が選択されやすくなるといった『自己成就』現象が生じる場合もあります。


【他者の性格認知】
 
 『行動の他者認識』においては、実際に行った行動、つまり『行動(無意識)』、『行動(失敗)』、『行動(成功)』が等しく観察の対象になります(むしろ、他者から見てそれらの行動を区別する事は難しい)。
 『他者の性格評価』では、『行動の他者認識』の対象となる行動から、その『一部』を観察して『行動評価』をすると共に、その行動が生じた《環境》からの『刺激』を、評価者(他者)なりの解釈で『刺激評価』し、両者を俯瞰して『行動傾向の推測』をします。
 その『行動傾向の推測』を、その『他者の性格概念』(他者=評価者)に照らし合わせて「○○な性格」といった『対象の性格評価』を行います。


【他者の性格評価の影響】

 他者による『対象の性格評価』が直接的・間接的に評価対象者に伝えられ、かつそれが対象者において『自己へ適用』が選択されると(評価者の信頼度が高いと選択されやすい)、『バイアス』が生じ、以降の『自己の思考・行動傾向把握』に影響を与える場合があります。
 ただし、その『バイアス』のかかりかたは、評価者からの『対象の性格評価』を自分の持つ『自己の性格概念』で解釈したものに即した形になります。
 

【ステレオタイプ】

 『ステレオタイプ』は、その『断片』(もしくは全体)を元に『他者の性格評価』や『自己の性格認知』に影響を与える場合があります(ただし、全ての人に同じ情報が与えられるとは限りません)。
 『自己の性格認知』への影響は、『自己へ適用』する事を受容すると(ステレオタイプの信頼度等)、『バイアス』が生じ、以降の『自己の思考・行動傾向把握』に影響を与える場合があります。ただし、その『バイアス』のかかりかたは、『ステレオタイプ』の『断片』を、『自己の性格概念』で解釈したものに即します。
 また、『他者の性格評価』も概ね同じで、『対象へ適用』する事を受容すると(ステレオタイプの信頼度等)、『バイアス』が生じ、以降の『行動傾向の推測』に影響を与える場合があります。ただし、その『バイアス』のかかりかたは、『ステレオタイプ』の『断片』を、『他者の性格概念』で解釈したものに即します。


【モデルの図示】

 今まで説明した関係性を、図に示しておきます。前記の内容をひととおり読んだ上で見ていただければ、大体の流れが把握できると思います。
 なお、画面表示の状況によっては縮小されて各文字が読めなるかもしれませんが、よく見たい方はなんとか画像を100%のサイズで見てください。
性格モデル.gif

~ モデルから考える諸問題 ~

【何故自己評価と他者評価は違うのか、あるいは同じなのか】

 まず、違う理由としては以下の事が挙げられます、
 1 『行動の自己認識』と『行動の他者認識』の範囲が異なる
 2 『行動の自己認識』は対象となる行動を概ね網羅するのに対し
   『行動の他者認識』は対象となる行動の一部しか観察できない
 3 『思考』の部分の認識の有無が違う
 4 『自己の刺激認知』と『刺激評価』で『刺激』の解釈の同一性が保証されない
 5 『自己の性格概念』と『他者の性格概念』の同一性が保証されない

 また、上記5番の理由から、自己と他者で「○○な性格」という評価が一致した場合でも、その言葉の意味するところは同じ事は保証されません。


~ モデルから考える諸問題 ~

【性格テストとの関係】

 性格テストは、「行動傾向」や「思考傾向」を聞く設問が多いため、回答者は『思考』及び『行動の自己認識』の記憶を辿り回答を選択する事になります。そのため、基本的には『自己の性格認知』の一次的なプロセスに類似すると言えます。

 性格テストは、我々が自分や他者の行動・思考傾向を「性格」と“呼び習わす”のと同様に、回答者の行動・思考傾向を「性格特性」と言うもので“呼び習わす”ものと言えます。
 個人的な自己評価や他者評価と異なるのは、それぞれの心の内に持つ、それぞれに異なる「性格概念」と照合するのではなく、テストを受ける誰もが、テストで設定された同じ定義の上で、設定された同じ方法により「性格特性」が表現されるため、個人間で相対的に比較可能となります。また、適切に標準化されたものは、自分の持つ「性格特性」の強さが、標準的な強さと比較してどのくらい違うか、を把握する事もできます。

 なお、 性格テストでは、あくまで回答者が認知する自身の思考・行動傾向を「性格」という形で表現するものです。
 他人に評価される事を意識してテストを受ける場合、実際の行動傾向ではなく自分の思い描く『理想像』に沿って答える場合も少なくありません。その場合、当然設問に忠実に解答した場合に得られる結果とは違う結果になります。また、性格テストをよく知っている人は自在に結果を操る事ができますし、とりあえず「はい」を選ぶ人、とりあえず「どちらでもない」を選ぶ人の結果も適切とは言えません。
 ただし、これらの問題は、性格テスト自体の問題と言うよりも「体重計の上で飛び跳ねると正確に測れません」と同じような、受ける人の問題だと考えられます。


【性格とは何か】

 さて、先に示したモデルの中に、『性格』という項目をねじ込むとして、どこにどうねじ込んだら良いでしょう?あるいは、モデルの特定の箇所を円で囲んでそこを『性格』として呼ぶとすれば、どこを囲めばいいのでしょう。
 
 むしろ、「性格」について、何かそれ自体がどこかに存在するもの、と考えるよりも、単に「評価」と考える方が適切ではないのかな、と思います。

 料理の例えを使うのは誰かさんのようで嫌なのですが...
 例えば、あなたがラーメンを食べて「おいしい」と感じます。その時、目の前の友人が「おいしそうだな」と言ったとします。その時、あなたが感じている「おいしさ」と、友人が想像する「おいしさ」は違うかもしれません。でも、友人がそう言う事で、あなたにとっての「おいしさ」が上がったりします。
 「おいしさ」には材料や調理方法が関与しますが、それらの、あるいはそれらの組み合わせの中に実在するわけではありません。「おいしさ」は、それらを総合して、何かに照らし合わせて評価した結果という“別のもの”なのです。

 同じように、「性格」は実在ではなく評価だ、という考え方が、『性格』を捉える上で一番すっきりすると考えられます。


【本当の性格とは?】

 逆に聞きたい
 「本当の性格」とか言っている人は、「性格」を何かから抽出しうる「実在」として捉えているのだと思いますが、では「性格」とは何か、キチンと枠組みを明らかにして説明できるのか?という事を。

 単に、自分の求めるものを崇高としたいだけで「本当の性格」と言っていないか?
 自分で好き勝手に言いたいから「本当の性格」という曖昧な表現に逃げていないか?
 性格心理学を否定したい動機で、安易に思いつきの対案を出しているのではないか?

 それ以前に、「性格」という事を“ろくに考えていない”からこそ、「本当の性格」といった明確さに欠ける言葉を平気で振り回せるのではないだろうか。

 それと「自己申告よりも他者評価の方が客観的だ」とか、「誰それの性格評価こそ正しい」とか言う人はいったい、何を根拠にそういう事が言えるのだろうか?(どうせ”直感”とか”経験”とかいった、大した理由じゃないだろう)


 などなど
 東京の地下鉄路線図を描くような込み入ったモデルを組み立てている時、そんな事を考えました。


 これを一番聞きたいのは、ABOFANクンだけどね。
 でも、今までの実績を考慮すれば、こういった込み入って、かつ長い話はまずまともに読み下せない。
 せいぜい、さらっと読んで、目に付いた所にちょこちょこいちゃもんつけて、『せいかくしんりがくではそうでなないはずです』とか、『それならばせいかくしんりがくを完全否定する事になるはずです』とか、その『せいかくしんりがく』とやらをどれだけキチンと理解しているか示しもせずに、「はずです」、「はずです」と憶測ばかりを並び立てるのは分かりきっているのだが...
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トンデモブラウ

ということで、『性格の認知』は非常に難しいと。
実態はあるけど掴めない、観測はできるようなできないような、みたいな?
不確定性原理みたいですな。
by トンデモブラウ (2008-12-12 11:33) 

Judgement

『性格の認知』というと、『性格』というものがあって、それを観測するようなニュアンスが出てしまうので、ちょっと伝わりにくかったかも。
私の考えでは、『性格』とはつまるところ”反応の要約”であって、データ群に対する平均値のようなもの。
『性格』という実態があるのではなく、反応から導出される代表値という位置付けです。
ただし、自己でも他者でも、反応の観測範囲には限度があるので、「実際の反応」に即した『性格』という要約が作るのが難しい、という見方をしています。
by Judgement (2008-12-12 23:07) 

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