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 「その看板は必要か?」コメント返信 [嘘と社会規範]

 「その看板は必要か?」における、 (2009-05-02 02:23)の私のコメント以降のコメントに対する返事について、色々今回の一連の動機や考えを明らかにする必要のものがあったので、あらためて記事としてあげげておく。
 一応「RETURN」や「 その看板は必要か?」の記事&コメント欄を参照してね。

【disraff さん】

>apjさんが「『人を騙してはいけない』は社会規範」と言う際の「騙し」は文脈無視、
>という解釈がどこから出て来たのか、率直に言って理解できません。
>その言が出て来た文脈はどこへうっちゃってしまったんですか?

 「『人を騙してはいけない』は社会規範」は”その言が出て来た文脈”が必要である点で、不十分という話もしていますけれど...。
 つまり、うっちゃってしまっているのは、むしろ「『人を騙してはいけない』は社会規範」という表現の方かと(まぁ、後にzororiさん宛てのコメントで、もうちょっと積極的な否定もしていますが、そこに踏み込む前に、まずはそこから分かってもらった方がいいかも)。

 何と言うか...
 「率直に言って理解できません。」
 は本当に素直なひと言なんだろうけど、
 自分が理解できないまま、あべこべの例えをしてしまったり
 自分が理解できない事を、他人のせいにするような事を言う暇があれば
 何故理解できないのか、説明してみてはどうか。


 ちなみに、科学においては「分からない」と言うのは「理由が無いから分からない」ではなく
 「分からない理由」があって初めて「分からない」と言える、と習った。


 あと、bandicootさん宛てのコメントですが、私が大嫌いなひと言が。
 「真剣に取り組んでいる人たちに対して失礼ではありませんか?」

 なんでしょうこれ?
 自分が真剣にやってさえいれば、自分を認めない相手はそれだけで「真剣でない」とでも言いたいのかな。それこそ、失礼であり、あなたの増上慢だろう。
 で、自分の感覚で「感覚違うな」と思ったくせに、「あなたの感覚」は否定ですか。

>もしJudgementさんの感覚が同様なんでしたら、
>確かにたとえばapjさんとは話が噛み合わないだろうな、と思います。

 自分が理解できない人の事を、自分が理解できない事を理由に勝手に憶測しないでね。


【apj さん】

 まだ十分な返事を書いていないのにあれこれ言うのは悪いので1点だけ。

>そのうち、ニセ科学批判まとめ、の自分用バージョンでも書こうかと思っているので、
>その時に参考にさせていただきます。

 おそらくは「まとめ」にはそう書かれていない事は事実としても、自分個人の定義にはやっぱり含まれているというお考えなのだと読み取ったのですが。
 勿論、個人活動としてやっている以上、そうする事は別に問題ではないと思いますから単なる確認です。
(そうでなければ「それで引っ込めるならやっぱ一派じゃない」になっちゃうだろうし...)


【zororiさん】

 私がこのテーマでの色々なやり取りを見て危惧したのは、「”自分の”一般常識感」で「一般常識」を判断してしまう事でした。それに囚われると、もう一歩も動けない。それに反する主張は「常識外れ」と断じて退けるだけのいわば「思考停止」になってしまう事です。
 そういう点で、いろいろご自分で考えていただけて非常に嬉しいデス。

 「一段さかのぼった規範で言えないのかということ」
 ご明察です。それは、私が言いたかった事の一つです。

 その上で私の考えを言わせていただければ、『「ウソはいけない」という社会規範』という事については、不正確、と言うよりも「そんなものは無い」と考えています。

 ただし、「ウソはいけない」は無いけれど、社会規範として「いけないウソ」は有るという事は言ってきたつもりです(なのに、『「ウソはいけない」という社会規範がある』、と言ってやまない人達が口々に言うのは、ほとんど「いけないウソ」の話ばかりなわけで、なんだかなぁ、という感じが正直な所)。


 勿論、私も、社会からの押し付けられる「道徳」というものはあると思います。
 ただし、それとは別に「個人の道徳観」もあると考えます。

 例えばzororiさんだって「ウソ」を付くときはあるでしょう。
 その時、常に「これはいけない事だ」と思います?
 「これぐらいのウソは言ってもかまわないだろう」と思う時だってあるはずです。
 その辺の裁量の細かい部分は「個人の道徳観」に帰すし
 最低限しちゃいけない部分として「社会から押し付ける道徳」も設定されている
 と考える方がすっきりするし、何より”自分のウソ”についても辻褄が合う解釈ができるはずです。
 
 apjさんが法の話を持ち出してましたが、古の法ならいざしらず、現代の法において「ウソ」や「騙し」自体を罰する法は無いはずです。

 例えば、詐欺にしてみても、「騙し」だけで罰するわけではありません(だったら、手品師は全員犯罪者です)、「錯誤」と「財物の交付もしくは財産上不法利益」のセットです。偽証罪なんてもありますが、これまた「法律により宣誓した証人」という条件付きです。

 民法においては、企業側に様々な「ウソ・大げさ・紛らわしい」を禁ずる様々な法律を課していますが、それもそれぞれ「どんなウソが悪いのか」をいちいち規定しています。
 つまり、「法」というのもこれまた「いけないウソ」を規定しているにすぎない。

 「法」には「いけないウソ」の話ばかり出てきます。
 (そりゃ当然、規制するためのものですから。)
 しかしそれは、「いいウソ」と「悪いウソ」があるからこそ、いちいち「悪いウソ」を規定しているわけです。

 それを考えれば「法」を参照して「ウソを規制しているから社会規範」とは言えません。
 法にはそもそも「規制しないウソについては、ほとんど書かれない」のだから。

 私としては、「法を参考にする」のは非常にいい事だと思うのですが、もしも
 『「法にはいけないウソ」の事しか出てこないから、やっぱり「ウソはいけない」のだろう』
 と思い込むのであれば、それこそ「法」の見方を見誤っているとしか言えません。
 

 ちなみに、apjさんの『法的思考(とそこに到達する前の割と入り口での規範についての思考)がほぼ完全に抜け落ちているんじゃないかという気がしてきました。』発言は正直ムッとしましたね。
 私がapjさんよりも法的思考を持っているかどうかは確かめようがないけれど、私が無いと何故言えるの?私が大学で何を学んだか、今の仕事で何をやっているかも知らないくせに。
 「法的思考を持つと自負する自分と意見が異なるから」、相手が法的思考を持たない、と判断するのは、申し訳ないが(先ほどdisraff さんの「真剣」発言同様)はっきりいって「増上慢」以外の何者でもないと思ったよ。


【PseuDoctorさん】

>但し、そうするとやっぱり、最初から批判対象を明確にしてくれていたらなぁ、と思ってしまいます。
>つまり「批判はなるべく個別具体的にしましょう」という事なんですよ。

 あ、ここはちょっと言わせてください。
 一応は元のエントリーでapjさんの「ニセ科学の定義と判定について考える」を挙げて話をしたのですが、それでは不足なのでしょうか?
 「その看板は必要か?」もその延長で書いたもので、apjさんの言う定義だとこうなる、という考えを述べただけであり、別に「ニセ科学批判全般がこうだ」という決め付けをした表現は無かったと思いますが(「UNDERSTAND」以降、安易なひと括りはダメだな、と気付いたので)。
 コメントのやり取りでも、あくまで個々人が個別の考えを持っているという事を前提として個々に対応していたつもりですが...。

 その一方で、私は「私の主張」を対象としてではなく、別の何者か(言うなれば「ニセ科学批判批判者のステレオタイプ」)を対象として、私が言ってもいない事、あるいは私が既に否定している事を批判されたりもした気がするのですが、どうでしょう?
 (あ、もちろん、そうでない人も多々いましたよ)

>ニセ科学を批判する人同士の間に、意見や態度の相違があるのは「当たり前」なのです。
>だからこそ「一派のようにみなす事は適当ではない」のです。

 多分PseuDoctorさんはそうだと思います。
 この流れのなかで、きっぱりと「定義ではない」と言える確かな考えを持っているわけですから。

 ただ、おそらくはPseuDoctorさんも薄々お感じかもしれませんが、「一派であろうとする人達」も実は存在しませんか?
 いっちゃぁなんだけど「幇間」の如く、誰かのコメントにくっつく事でしか存在をアピールできない人がそれ。

 初めの頃、PseuDoctorさんも加わっている力作を貶すような事を言って非常に申し訳ありませんでしたが、あれを教条としてしまっている人もやっぱりいると考えます(それはPseuDoctorさんのあずかり知らぬ事ですが)。

 そのような人は、自分で考えずに「ニセ科学まとめ~」に書いてある事の受け売りでしか物が語れない。そこからはみ出した意見というのは、理解しようともせずに「ニセ科学が分かっていない」と拒絶する態度しか取れなくなってしまうわけです。
 それでは、対話は無く、単なる「セクト主義者」による排除としか読み取れません。
(そんな人達と”ちゃんと考えてやっている人”を区分する試みの一つが「RETURN」や「温故知新」です。まだ途中ですが)。

 それがほんの一部か、それとも結構多いのか、そこまでを判断するに至りませんが、少なくとも、そのような存在は、「ニセ科学に対する批判活動」の評価に悪い歪みを生じさせると感じます。
 
 私は「ニセ科学批判」に期待を寄せる者として、一時は「自浄作用」を期待していたのですが、「動機は人それぞれ」を掲げているため、そのような事は言いにくいのかもしれない、と思った末に、思い切って「ニセ科学批判批判批判批判」等を書き始めたのです。

 
 もう一つ。
 これは別にPseuDoctorさんへの批判ではありません。
 今私が考えている事を分別のある人に受け取って欲しい。

 ある集団を批判した時、その批判に値しない人は正々堂々「その批判は的外れだ」と声を挙げられる。一方で”批判に値する人”は「確かにそうだ」と正直に言うだろうか。
 もし、都合の悪い人が沈黙するとすれば、実際にはある集団における”批判に値する人”の方が大部分であっても、表に挙がるのは「その批判は的外れだ」という声ばかりになる。
 しかし、実は「的外れ」の方が例外である可能性もあるのではないか。

 ここから何が言いたいか、というと、そのあたりはまた後日まとめるつもりだけど
 何かを察して、それを発展させてくれれば幸い。


【bandicootさん】

あ、失敬失敬。
勝手に悪意を想定してしまった。修行が足りんね。スマヌ。

>ただ、説明のための説明の、その説明のための用語の定義とかになってしまって深みにはまって
>抜けれなくなると恐いなあ、と思って書きました。

深みに嵌るの、面白いと思いませんか?
どうせ、今日明日死ぬわけじゃなし。

 そういえば、他の所を色々見てみると、私のやっている事を「メタ」だ何だ言っている方がいましたが、「ニセ科学」を社会的視点で批判している時点で自分でも「メタ」な語りをしているくせに、自分に批判の矛先を向けられると「メタは云々」と文句を言うようでは、批判する資格は無いと思う。

麻雀の例え話ですが
「勝負は4人が一斉に水に顔を付けているようなものだ。顔を先に挙げたものが負ける」
なんてものがあります。

>本筋のまじめな議論のノイズと化してると感じています。

いやいや、どうぞバチバチやってください。
ブログ主が許可します。

というわけで、「bandicoot (2009-05-03 21:37)」以降の流れはしばらくお任せします。
あ、ただ、混乱しないよう、できれば同じコメント欄でお続けください。
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zorori

Jhdgemenntさん、返信ありがとうございます。

もともと、おまけの話なのでどんどん脱線します。

>例えばzororiさんだって「ウソ」を付くときはあるでしょう。
> その時、常に「これはいけない事だ」と思います?

もちろん、「ウソ」は常についているわけですが、その時の気持ちはあまり考えたことがなかったのでこの機会によく考えてみました。すると、「これはいけない事だ」と思っていたことは無かったということに気付きました。

先ず第一に後から考えると明らかに「ウソ」なのですが、その時は「ウソ」という自覚さえない場合が結構あります。
第二に、「ウソ」の自覚がある場合でも、「いけない「ウソ」」ではなくて、正当性のある「ウソ」だと自分に言い聞かせているようです。第二の場合をもう少し詳しく説明すると、最初はなんだか後ろめたいような気分があるのですが、なんとか理屈をつけて心の整理をしてから「ウソ」をついているようですね。無条件に「いけないことだ」と思いながら「ウソ」をつくことはどうも耐えられないようです。
by zorori (2009-05-04 07:32) 

トンデモブラウ

ネタやジョークに関しては、確かに「ウソ」をつくときに忸怩を感じませんが、そことに対するリアクションで自覚することはあるんじゃないでしょうか。
揺らぎのある主観的な道徳観が判断基準であることに異論はないんですが、その根幹はかなり基本的な道徳観に近いものだと思うので、この付近の規範で批判するのに抵抗は感じませんけど。
デフォルトでフィクションとされている小説などを、個人発信の情報と同次元で語るのは違う気がするなぁ。

by トンデモブラウ (2009-05-04 08:18) 

disraff

ご指摘、ありがとうございました。
確かに、冷静さを欠いていました。

「自分を認めろ」という主旨ではなかったつもりですが、裏を返せばそういうことなのかも知れません。

「理解できない」理由を説明してみますと。
人は、通常の生活において何かの標語に接する際に、(全く意味がわからない語の羅列とかでない限りは)どういう文脈で為されているのかを推し量って受け取るんじゃないかと思います。
漫才などで、そこをズらして笑いをとるやり方がありますが、それが笑いとして成立するということは、逆に言えば「ある程度の文脈」が共有されることが前提となっているのだと思います。もちろん通用する範囲はまちまちで、通用する中でも線引きは一意ではないでしょうけれども。
「人を騙してはいけない」というのは道徳規範、と言った時に、「じゃあ手品師はどうなんだ」という疑問が生じるほどに文脈が共有されない、とは考えられないんですよ。小学校じゃあるまいし。
…というあたりで、もやもやとしています。
by disraff (2009-05-04 10:50) 

apj

> 私がapjさんよりも法的思考を持っているかどうかは確かめようがないけれど、私が無いと何故言えるの?

 そのちょっと前あたりに書かれた内容(特に技術開発者さんへのコメントから)。

> 私がapjさんよりも法的思考を持っているかどうかは確かめようがないけれど、私が無いと何故言えるの?私が大学で何を学んだか、今の仕事で何をやっているかも知らないくせに。

 じゃあ、何やってるか明かせばいいだけのことだけど、明かしてませんよね?「知らないくせに」という、情報にならない余計なことなら書く手間をかけるくせに。こんなことを書くよりも、ストレートに「○○やってます」で済むはずだけどね。
 何をやっているか明かさないでいるのだから、書かれた内容だけで判断されても仕方がないのでは。

> ある集団を批判した時、その批判に値しない人は正々堂々「その批判は的外れだ」と声を挙げられる。一方で”批判に値する人”は「確かにそうだ」と正直に言うだろうか。
> もし、都合の悪い人が沈黙するとすれば、実際にはある集団における”批判に値する人”の方が大部分であっても、表に挙がるのは「その批判は的外れだ」という声ばかりになる。
> しかし、実は「的外れ」の方が例外である可能性もあるのではないか。

 ある集団を批判した時、

・批判に値する人が少数いたけどその人達は都合が悪いから黙っていた。
・批判にあてはまらない人の多数は、そんな議論に労力をかけたくない等の理由(他にも理由は人の数だけあるだろうけど)から黙っていた。
・批判にあてはまらない人のうち少数が声を上げた。

ということが起きていた場合、あなたの仰る『「的外れ」の方が例外』とどうすれば区別できるのかがわかりません。表に出てきた議論の様子を見ている限りは同じに見えるんじゃないですか?
by apj (2009-05-04 15:48) 

PseuDoctor

こんばんは。

なるほど、大分解ってきました。

>一応は元のエントリーでapjさんの「ニセ科学の定義と判定について考える」を挙げて話をしたのですが、それでは不足なのでしょうか?

う~ん、そこからスタートしたというのは解るのですが、論点が拡散して一般論化した様に、私には思えたものですから。私の読解が甘いと言われればそれまでですが、例えば「社会規範が定義に含まれる」というのは、上記とは別のエントリでapjさんが書かれた事ですよね?引用元を明らかにして「apjさんはこう言ってるけど、おかしいと思う」と書いてくだされば、私も素直に同意できたと思います。
・・・という風に、個別の例を挙げて話をすれば議論は進むのですが、「一般論だ」「いや個別の違いを意識している」と抽象的に言い合うだけだと、なかなか話は進まないですよね。つまりはそういう事です。

>ただ、おそらくはPseuDoctorさんも薄々お感じかもしれませんが、「一派であろうとする人達」も実は存在しませんか?
>いっちゃぁなんだけど「幇間」の如く、誰かのコメントにくっつく事でしか存在をアピールできない人がそれ。

ふぅむ、要するにJudgementさんがしたいのは「そういう人達」をターゲットとした「批判批判批判批判」だという事なのでしょうか?確かに、そうだとすればかなり辻褄が合う様な気もします。その事が、後の部分の

>ある集団を批判した時、その批判に値しない人は正々堂々「その批判は的外れだ」と声を挙げられる。一方で”批判に値する人”は「確かにそうだ」と正直に言うだろうか。

という記述とも呼応していると考えれば良いのでしょうか。

>私は「ニセ科学批判」に期待を寄せる者として、一時は「自浄作用」を期待していたのですが、「動機は人それぞれ」を掲げているため、そのような事は言いにくいのかもしれない、と思った

これは難しいところですね。「動機は人それぞれ」と言っている背景には、全体主義的な思想統制みたいになってはまずいだろうというのもあるのですが、逆にそれが教条主義の元になってしまう様では本末転倒です。
という訳で、Wikiの「動機」の部分に追記しました。それぞれの人に、他からの借り物では無い自前の動機を考えて欲しいと思ったからです。

引用が前後しますが、

>初めの頃、PseuDoctorさんも加わっている力作を貶すような事を言って非常に申し訳ありませんでした

いや、別に謝る必要はありません。確かに良い気はしませんでしたが、ある程度まとまった文章を書いてネットに公開している以上、色々言われるのは覚悟しなければいけませんから。
そして、批判された場合に、
その批判が取るに足らないと思えば、とりあわないだけですし、
追加説明を要すると思えば(リソースの許す範囲で)説明しますし、
批判がもっともだと思えば、自分の方を修正するだけです。

>apjさん
横から失礼します。

>あなたの仰る『「的外れ」の方が例外』とどうすれば区別できるのかがわかりません。

好意的に解釈するならば、Judgementさんは「区別しよう」とは思っていないみたいです。何故なら、彼のこのメッセージは「的外れ」に対してではなく「批判に値する人」に対して向けられている様に思えるからです。
その人達が多数派かどうかが本質的な問題ではないらしいという事は、微妙に文脈が異なるものの、

>それがほんの一部か、それとも結構多いのか、そこまでを判断するに至りませんが、少なくとも、そのような存在は、「ニセ科学に対する批判活動」の評価に悪い歪みを生じさせると感じます。

という部分から推し量る事が出来ます。
「反論してこない相手だけを対象にするなんて、なんて無敵の論理!」と思われるかもしれませんが、もしかしたらJudgementさんは「批判に値する人」からの直接反論を密かに期待しているのかもしれません。
by PseuDoctor (2009-05-04 23:06) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>「人を騙してはいけない」というのは道徳規範、と言った時に、「じゃあ手品師はどうなんだ」という疑問が生じるほどに文脈が共有されない、とは考えられないんですよ。小学校じゃあるまいし。
>…というあたりで、もやもやとしています。

参考になるかどうか分からないけど、法学なんかでは「原則と例外」という整理をしますね。そして、原則には説明や証明を求めないけど、例外は説明や証明が求められる訳です。

例えば、「貸したお金は返さなくてはならない」が原則で、「不法な原因で給付されたお金は返さなくて良い」が例外なんですね。だから、なんであれ、お金の貸し借りの事実があると「返さなきゃ成らない」という方が先に立つわけですね。それに対して、「実はあの金は賭場で『お客さんいくらか回しましょうか?』と給付された金である」と例外要件が成り立つと「返さなくて良い」となる。このとき、「その貸借は不法原因給付である」と説明や証明する責任は例外を主張する方が出さなくてはならない訳です。

法律の適用においては、この「原則と例外」は厳密でして、apjさんにも時々説明したこととして、刑法第230条「名誉毀損罪」の方が原則で刑法第230条の2「公共の利益のための特例」が例外なんですね。そのため、apjさんのように「この浄水器の宣伝文句は科学的では無い」とやっていると常に原則である「名誉毀損罪」の成立の危険性にサラされることになる訳です。そのため、apjさんはその書き込みにおいて、常に例外であるところの「公共の利益のための特例」が成り立つようにしておく必要があるし、実際に心がけておられる訳です。

法律から離れた、いわゆる社会規範においても、この「原則と例外」は常につきまとうのだろうと考えています。「嘘をついてはいけない」という原則があるので「それは嘘だよ、良くないよ」は説明や証明をさほど必要としない様に文化が構築されているのだろうと思うわけです。そして、その原則の中で、「物語(フィクション)なので構わない」という例外が成り立たせるためには、例外であると言う方が「フィクションである事の明示があり、社会通念的に事実と信じ込むことは稀である」とかの説明や証明が必要とされるという風に文化が構築されているのじゃないかと思います。


by 技術開発者 (2009-05-07 11:13) 

Judgement

【zorori さん】
そのように捉えられるようになったなら、
ぜひ『嘘と社会規範』で紹介したプロの記述を読んでみてください。
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08
多分私の説明よりもよく分かり、かつもっと世界が広いです。


【トンデモブラウさん】
そういった「違う気がする」に対しては
『BERSERK』の【全般的な話】あたりを読んでみてください。
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08-3
ん、なんだか今回は新記事の宣伝ばかりだなぁ...


【disraff さん】
disraff さんも『BERSERK』の【はじめに】や【全般的な話】あたりを読んでみてください。
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08-3

ちなみに、「小学校」つながりで余談を。
人はいくつから嘘をつきはじめると思います?

「ウソ発見-犯人と記憶のかけらを探して-北大路書房」からの引用

念のためにいっておくが,子どもは成長するとウソをつけるようになるのである。成長するとよい子になるので(?)ウソをつかなくなるのではない。多くの研究者の見解でも一致しているように,子どもは,おそらく2歳ごろからウソつきの片りんを見せ始め,小学校にあがるころには,ほぼりっぱなウソつきになっている(大人にはまだまだかなわないが)。これは大変喜ばしいことで,アスティントンも述べているように,ウソをつけるということは,自分の心や人の心を理解するようになった結果なのである。


【PseuDoctor さん】

>例えば「社会規範が定義に含まれる」というのは、上記とは別のエントリでapjさんが書かれた事
ああ、今確認したらそうでした。すいません。

まぁ、それとは別の話で、「apjさんは、apjさんは」って言うと個人攻撃みたいで嫌なんですけど、どうなんですかね?

まぁ、今回『BERSERK』では、PseuDoctor さんのおっしゃる事に従って、個人攻撃的にやってみましたので、それでapjさんがカンカンになったら責任とってください(嘘ですよ)。

>ふぅむ、要するにJudgementさんがしたいのは「そういう人達」をターゲットとした
>「批判批判批判批判」だという事なのでしょうか?
>確かに、そうだとすればかなり辻褄が合う様な気もします。その事が、後の部分の
>という記述とも呼応していると考えれば良いのでしょうか。

その通りです(少なくとも当初はそのつもりでした)
んもう、さすが「まとめ功者」と呼ばせていただきますわん。

あと、apjさんへの指摘、ありがとうございます。
私が言いたいことを殆ど網羅しています。
また、私の口から皮肉めいた口調で指摘するより、きっと分かりやすいでしょう。

>もしかしたらJudgementさんは「批判に値する人」からの直接反論を
>密かに期待しているのかもしれません。

ここに関しては、そうでもなくて
「イノセント」で言いたかった事のひとつは「自分を客観的に見る」事の必要性で
私みたいな人がいう事に、少しでもグサッときた人が
例え、口に出して反論や反省をしなくても
それにより、少しでも自分の事を客観的に見ようとすることにより
ニセ科学界隈で「批判に値するような事」が減ればそれでいいかな、って感じデス。
by Judgement (2009-05-08 23:25) 

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