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保身のために規範を決め付けるな [嘘と社会規範]

 さーて、明日は京都だぁ、とウキウキしていたら、なんとも下劣なコメントが目に入った。
 そのため、最後まで仕上げてからUPしようと思ったものを、途中までだけどUPして、心スッキリ京都に行きたいと思う。

 下劣な、は言い過ぎかもしれないけど、気になったのはapjさんとこの記事「ちょっとした印象なのだけれど……」のコメント
批判批判の人達はどこへ行ったのやら (by apj)
 「ニセ科学まとめ」を作って、社会規範の話にまで持っいったので、批判批判の人達がもっとあれこれ言ってくるかと思ったら、そうでもないんですよね。折角メタな議論をしてるのに、メタな議論の好きそうな人はほとんど来てくれない。個別のニセ科学の議論に比べて、メタな議論はなかなか進まないですねぇ。もしかして、批判批判の人達のメタな議論も、ニセ科学を問題にする側が取り上げなければ閑古鳥が鳴いて終わったのかも、と思わないでもないです。

 ホントに何だかなぁ、ですよ。

 うわぁ......
 こっちで言われた事は、あんな態度ですっかり投げ出しておいて、自分のお城ではこの言い草ですか...

 実は前の記事で匂わせていた『とある方のとある記事についての徹底検証も完成間近!』って、実はapjさんとこの「ニセ科学と社会規範」の記事の事だったのですね。

 完璧にまとめる前にアップするのはリスキーかもしれませんが(どうせ、反論できない話は無視して、部分的なアラ探しに終始されそうだから)、なんかapjさんって、相手の主張は無視しても、自分の主張を無視されるとすぐ勝利宣言を匂わせる誰かさんみたいな方のようですから、頑張って途中までは仕上げましたよ(明日早いのに...)。 

 本来、もうちょっと引用を入れておくべきところもあるけど、一応タイトルだけは揃えておいたので、apjさんの元の記事と対応させて読んでください。


【社会規範とは何か】
 『社会規範には、法規範、道徳規範、宗教規範、慣習規範がある(「サイエンス・オブ・ロー事始め」)。法規範は社会において強制力を伴う。「道徳規範は、個人の倫理観や道徳観が社会一般に共通するものに高められ、自然に社会規範として定着してくるもの」「宗教規範は、ある宗教上の教義が特定の信者に地してだけでなく一定の社会や地域に普及し、これが社会規範として尊重されるもの」「慣習規範は、社会のなかで長年にわたり繰り返し守られてきたことが社会的ルールとして意識され、遵守されるもの」とされている。』

 こういうまとめ自体に特に異論はないが、気になるのは次段で述べる
『社会規範とは、法規範も含めた、社会生活を送る上で守った方がスムーズにいくルールで、破ると一定のペナルティ(強制力のあるものから、クレームをつけられるといった強制力のないものまで)を科されるものである。

というapjさんの発言だ。

≪謎1≫

 まず、示された引用内容と、続けて述べるapjさんの発言が、実は関連性がない、という点を問題にしてみる。

 少なくとも、元の引用には「守ればどうなる(メリット)」とか「守らない場合どうする(加罰)」についての記述は無い。
 つまり「引用内容」と、次にapjさんの述べる2つの項目は無関係であるという事だ。

 ・ 社会規範とは「社会生活を送る上で守った方がスムーズにいくルール」
 ・ 社会規範とは「破ると一定のペナルティを科されるもの」


 モチロン、その項目について、「引用内容に対応したものである」とはひとことも言っていないわけだから、「単にマクラとして無関係に引用しただけ」という言い逃れは成り立つ。

 とはいえ、(わざとかどうかは分からないが)最初に「信頼できる情報」を提示する事で、続けて書いた(その情報と直接関係しない)自分の主張があたかもそれに関連した”信頼できるもの”と読み手の錯覚を促進させてしまう点で、あまり褒められた提示手法ではないだろう。

 ※ このような手法は、「まず脳トリビアを語るゲーム脳」や、「まず血液トリビアを語る血液型性格判断」で使われている。

≪謎2≫

 次に、「示された引用内容には書いていないかもしれないけれど、apjさんの発言は『社会規範』という概念に一致する」のか、という可能性について評価してみる。

 私の出典では、4分類ではないけれど比較的細かいのでまとめて示す(本文は「嘘と社会規範」参照)。
1 慣習
 生活上の必要に基づき反復される行動が自然に定着し,長期にわたって持続し成員が遵守している行動様式。
(1) 習俗:役に立つとか便利であるということで自然発生的に固定した行動様式。真実であるという信念が含まれており,規範とは意識されず制裁もおだやか。
(2) 因習:伝統的に形成され維持されているが,時代に合わない旧習や迷信,偏見が固定したもの。
(3) 習律:正しく真実であるという概念が強くなった行動様式。成員にも遵守することが強く要求されて違反に対する制裁も明確なものとなる。
2 道徳
 善―悪の判断基準という倫理的意味をもった規範体系であり,ドグマ化(独断的,閉鎖的なもの)されているものが多い。遵守に対しては高い人格評価,賞賛があり,違反に対しては非難や軽蔑などの制裁がある。
※ エートス:集団成員に共有されかつ個人のうちに内在化されているもの。個人を内側から規定するものであり,違反に対する制裁もゆるやか。
3 法
公的権力によって規定され,全成員に対して普遍的に適用される顕現的な規範。その強制力は特定の行為に対して限定的に行使される。

では、検討してみよう。

『社会規範は「社会生活を送る上で守った方がスムーズにいくルール」か?』

 明文化されているのは、慣習における「習俗」であるが、同じく慣習における「因習」は、そもそも「時代が合わない」のだから逆にスムーズにいかないルールと言えるだろう。
 だから、「社会規範」という枠組みについて、「社会生活を送る上で守った方がスムーズにいくルール」と一般化できるものではない(「スムーズに行くような社会規範がある」という事を否定するものではないが)。

『社会規範は「破ると一定のペナルティを科されるもの」か?』 

 一応、私の出典の方には「社会規範が成員に定着,個人の行動原理として内在化されて規範の存在が意識されなくなったとき,外的制裁の必要はなくなる。」とあったり、「因習」には「制裁の有無」は書いていない。とはいえ、前者で評価されているのは「”外的”制裁の必要性」のみであり、後者についても「制裁は無い」と書いていない。
 そのため「スムーズになる」については「因習」が積極的な否定の根拠となったものの、「ペナルティがある」については、否定するための根拠は薄い(つまり、社会規範について「違反にはペナルティがある」という仮定を設けても、特に問題はない)と私は判断する。
 何より、私が以前から問題にしているのは「それは社会規範なのか」という事であり、「ペナルティの軽重」については、「社会規範だ」と判断された後の事なので、現時点で詳細に吟味する必要性は今の私には無い。


【ニセ科学を問題とする場合の社会規範】
 ニセ科学の「ニセ」の部分を問題とする理由の1つに、「人を騙してはいけない」「確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範の存在がある。
 このことについて、道徳を押しつけるといった見当外れの意見が出てくるが、それは社会規範の意味を知らない、あるいは現状を把握していないことから生じている。

ほう、大きく出たね。
 「人を騙してはいけない(嘘をついてはいけない)」は法規範に含まれている。「人を騙してはいけない」という内容が法規範に含まれていることは、個別の条文からわかる。いくつか実例を挙げておく。

 ふむふむ。
 事例を検討する前に言っておけば、「法」とは「社会規範」の一部です。
 ですから、法で禁止されていれば、それは社会規範で禁止されていると言い換えられます。
 ただし、法とは「その強制力は”特定の行為”に対して限定的に行使される」ものです。そして、強制力を行使するには、法が示す”特定の行為”を完全に充足する必要があります。

 例えば、第246条で示される詐欺罪は「人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。」とあります。
 これを適用するには「人を欺く」という認定と「財物を交付させた」という認定が必要です。
 もし「人を欺いた場合」でも、「財物の交付」を前提としなければ成立しません(「財物の交付」が前提とされるならば、実際に交付に至らなくても「詐欺未遂」が成り立ちます)。つまり、「人を欺いた」だけでは詐欺罪は成立しないのです。

 というか、これをして『「人を騙してはいけない」という内容が法規範に含まれている』と言うのはあまりにも短絡的です(それが言えるのならば『「財物を交付させてはいけない」という内容が法規範に含まれている』とも言えてしまいます)。
 あくまで、この2条件が揃うという”特定の行為”が、法に反する(つまり社会規範に反する)と言えるのです。
 
 そのため第246条を元に「騙して財物を得てはならない」が規範である、とは言えるけれど、その条文は「財物を得るため以外の騙し」について禁じたものではない。

ちなみに、こちらの条文も見てみましょう。
第247条 人を恐喝して財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
第236条 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。

 これらは詐欺罪とあわせていわゆる「財産犯」って奴で、「不適切な方法で他人の財物を得てはいけない」って事なんですね。で、“財物を得るのに不適切な方法”の一様態として「騙す」が挙げられているにすぎないわけです。

 ちなみに、暴力団で無いのに「オレは暴力団だ」と“嘘をついて”脅し、金品を取った場合、詐欺罪ではなく、多分恐喝罪になりますね。つまり、「嘘であれ何でアレ」脅すのがいけないって事ですね。
第169条 法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処する。

 についても同様で、適用には「嘘」だけでなく、「法律により宣誓した証人」である事が必要です。
 コレに関して、以前「宣誓拒否」した人がいましたね。この場合、もし「嘘の陳述」をした場合でも、第169条では処罰できません。
第230条 公然と事実を摘示し、人の名誉を殿〔き〕損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁鋼又は五十万円以下の罰金に処する。

 名誉毀損の面白いところは、「公然性」と「事実の摘示」と「名誉毀損の事実」が認定されれば、“それが本当の事であっても”適用される、という事です。
 なお、私もそこまで専門でないので正しくないかもしれないけれど「事実の摘示」というのは、「それが事実であると提示する」という事で、「○○さんは不倫している」と言った事は「事実の摘示」になるけれど、「○○さんは不倫しているかもしれない」は「事実の摘時」にはならない、みたいな事だと思う。

 そして、対象が死者もしくは公務員又は公選による公務員の候補者、あるいは提示した内容が「公共の利害に関するもの」で、「その目的が専ら公益を図ることにあった」と認定された場合、初めてそれが「ホントか嘘か」を判断し、「真実であることの証明があった」場合は罰しないわけです。

 でも、「嘘」であっても、「公然性」と「事実の摘示」と「名誉毀損の事実」の認定が無ければ成立しません。
 また、「嘘の人物評」全てが適用されるとは限りません(例えば「嘘の褒め言葉」なんてのは、「名誉」を傷つけるわけではないので適用できない)。
第233条 虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を殿損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 これも、「流布」、「信用毀損か業務妨害」との合わせ技ね。

 民法に関してはあまり詳しいわけではないので、割愛しますが(でも、少なくとも「どんなウソもダメ」という規定は無いはずですよね)代わりに、軽犯罪として処罰される「ウソ」について補足しておきます。
15 官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者

 ニセ警官、学歴詐称はダメって事。
 ただし、「法令により定められた制服」であっても、本物であれば着用化なんだろうねぇ。まぁ、そういうのは他に処罰規定が設けられてそうだけど。
16 虚構の犯罪又は災害の事実を公務員に申し出た者

 ウソの110番・119番通報はダメって事。
 近所の奥さん(非公務員)に犯罪の作り話をするのは可。
17 質入又は古物の売買若しくは交換に関する帳簿に、法令により記載すべき氏名、住居、職業その他の事項につき虚偽の申立をして不実の記載をさせた者

 いわゆる、窃盗被害品売却防止ですね。
 中古ショップに売却する時に大抵名前を書かせるけど、その時偽名を使ってはならないって事。
34 公衆に対して物を販売し、若しくは頒布し、又は役務を提供するにあたり、人を欺き、又は誤解させるような事実を挙げて広告をした者

 これは「ニセ科学」に適用させられる可能性がある軽犯罪だね。
 ただし、「物の販売、物の頒布」を伴わなければダメ(口で言うだけでは適用できない)

 少なくとも刑法も民法も憲法も「嘘ならば無条件で罰する」事を示す条文はありません。
 あくまで、「特定の条件下」における「特定の嘘」を処罰の対象にしているだけです。
 裁判所で争われる場合、法が含んでいる「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」といった規範が道徳あるいは社会慣習に合わないという理由で、法の適用が問題になったりすることは起きていない。

 法には「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」といった事がそもそも盛り込まれていないのだから当然でしょうに。
 『法に触れない「嘘」』は「裁判所で争われる」事はないし、『法に触れる「嘘」』は事情により量刑で差が付くけど、少なくとも罪の認定は法律どおりにされる。

 司法ってそういう所でしょ(社会で習わなかった?)。
 司法は、法を適用するのが仕事だもん。「法に盛り込まれた規範」が現在の道徳あるいは社会慣習に合わないと判断される時、法を変えるか考えるのは立法の業務よね。
従って、法規制の延長上にあることがらについては、法的ペナルティが科されない場合であっても守った方がよいこと、としてこれらの規範を位置づけるのは、強制でも押しつけでもない。既に我々の社会はこの立場をとっていると考えるしかない。

 さらっと恐ろしい事を言うね、この人。
 法っていうのは「その強制力は特定の行為に対して限定的に行使される。」ものだから、延長しちゃいかんですよ。

 そもそも、見事な循環論法なんですけど....。
1 「嘘をついてはいけない」という社会規範は守るべき
2 その証拠に法にも盛り込まれている
3 法に盛り込まれた「嘘をついてはいけない」の延長上の事は守るべき。


【法と道徳の関係、その他の規範との関係】

 確かにそうだね。
 中国、漢の劉邦は最初「法は3章のみ」として最低限の道徳だけ示したけど、結局「社会を円滑に運営する」にはそれだけじゃダメなのは当然で、「税に関する法律」なんか、道徳関係ないし。

 でも、補足の事例については、あくまで当時あった「尊属殺重罰規定」という法を適用しただけであり、法に定められてない当時の社会道徳を裁判で適用させたわけじゃないんだなぁ。
 だからこれは、「道徳が法を含む」ために生じた問題ではなく、「法に道徳を含めすぎた」ために生じた問題なんだよ。

 戦後同様の事件があった際、「尊属殺重罰規定」は憲法の「法の下の平等」に反するといういわゆる「違憲問題」が争われ、1973年「違憲である」との判断がされましたが、すぐに法改正とはならず(司法判断と立法側の判断は独立)すったもんだあったのち1995年ようやく刑法から「尊属」が消えました(それまでの間の対処として、検察は尊属が適用できても、単なる殺人罪や傷害罪で起訴するよう通達を出したそうな)。

 ...なんだろう、apjさんは、「裁判」って、「法に規定されているか否か」お構いなしに「オレが法だ」的な裁判官が、自己の道徳観に則って判断する場と認識している気がする。
普通に考えて、法規範と道徳規範と宗教規範と慣習規範が相互に逆のことを主張するというのは、原則として有り得ない。

何故普通?何故原則?
 とまぁ、こういった決め付け的な言い方は良くないと思うけれど、道徳規範と宗教規範と慣習規範で互いに反するものが同じ社会に同時に“定着”するのは、さすがあまりないと思うけどね(ただし、それらの規範に反する法規範が押し付けられる事はある)。
例外としては、異なる道徳規範のどちを優先するかという問題が生じた場合に、矛盾が生じることはある。また、社会の変化に規範の変化が追いついていない場合には不合理な結果になったり、一時的に矛盾したりすることが起こりうる。

 多分apjさんは「社会規範は合理的である」という前提で考えているんだろうなぁ。
 実際は様々な社会規範が様々な目的や経緯で成立しているんだよね。
 他の規範と矛盾が生じてもしかるべきだし、当然不合理になったりする事もある。
 別に、「超越した存在」が社会規範が上手くできるよう調節しているわけじゃないんだからさ。
 まさに、apjさんが言うように、『社会規範は自然科学の法則ではない』わけで、「法則」と言えるような合理性を初めから前提にしていると、社会規範の評価を謝りますよ。
 

【社会規範の存在を想定してよい場合】

 という事で、ここまで長々とした講釈においても、未だ「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範が成立している事をapjさんは示せていないと思うのですがどうでしょう?

だから
「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範と重なった

と言うのは、未だ勝手な前提にすぎない。
そもそも、法を幾ら見ても以下の2点のどちらかであるか判断できないはずだもの。
・ 「嘘はダメ」という全般的な社会規範が前提にあり、それが反映されている

・ 「嘘はダメ」という全般的な社会規範はなく、単に特定条件と嘘の組み合わせ、
  という「食い合わせの悪さ」が規範に反するとされている

法規範が効力を発揮するのは、社会的評価の変動を引き起こしたり(名誉毀損)、財産的被害を発生させたりする場合である。刑法の詐欺罪を構成するところまでいかなくても、不実証広告を行って消費者に物を売りつけたりしたら、行政処分の対象になる。

これは「法規範」の範疇の話ですから同意。
ちなみに、軽犯罪法違反も成立可能です。
世の中に存在する「ニセ科学」の多くは、財産的被害を発生させる。実際、既に排除命令や行政処分の対象になったものとほとんど変わらない、あるいは相当似通ったやり方で商品宣伝をするケースが後を絶たない。商売に使われるニセ科学は、違法なものと重なっていたり、既に違法とされたものの周辺にあるといえる。

ここまでは同意
以下は不同意(というか、同意すべき根拠が未だ示されていないんだもの)
であるならば、法の適用の場合と同様に「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範が適用されることを前提として、

はいストップ!ストップ!ストォォォォップ!!
...だぁかぁらぁ、(特定の行為に対して限定的に行使される)法で規定された特定の“嘘”や“不確か”だけでなく、「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という全般的な社会規範が有る、という事を示さないと前提にできないでしょうに。

 「嘘をついてはいけない」という信念の元に、法から都合の良さそうな部分だけ恣意的に情報を選択して示しても、確証バイアスの強さは示せても、「そうである根拠」は示した事になりませんよ。
ニセ科学をこの社会で問題にしてもかまわない。

 社会の一員として疑問に思うのであれば、社会の一員として問題にすればいいじゃないのかなぁ。
 まぁ、そこを「社会の一員」としてのステージから一段上に行きたいと考え、社会規範という視点を持とうとするならば、「法」というのは説得力のある根拠となる踏み台だと思う。

 しかし、それでは飽きたらず、その上に「自分がある事を明確に示せない」さらに上位の社会規範の踏み台がある”つもり”で、自分達はそれに乗っている”つもり”になっているわけだ。

 それだけでも恥ずかしいが、「その踏み台は存在してないんじゃないの」という本質的な指摘に対し、「踏み台は存在している」事を前提とした話しかできないのは、何とも情けなや。


【現実のニセ科学について検討する】
結果として、法規範に馴染みやすいものがニセ科学として問題となり、法規範から遠いものが疑似科学として取り上げられているように見える。

 “疑似科学派”の私としては、「法規範から遠いものが疑似科学として取り上げられている」のではなく、どちらも疑似科学として取り上げられているが、その中で『法規範に馴染みやすいもの』を“ニセ科学派”も取り上げている、だけだと思うけど...

 で、まぁそういう意味では、欲求的にも戦略的にも「法」という確実な踏み台だけで十分だろうに。
 なんでそれより上の段に拘るのかなぁ...と思いきや


【違反の程度とペナルティのバランス】について
ニセ科学を問題にするという行為そのものが法的裏付けを伴うわけではないから、問題にするといっても、ウェブ等で批判的にとりあげるとか、場合によってはマスコミ等を通して批判的な内容を述べるといった対応に止まることになる。

 「それをいっちゃ身も蓋もない」事を平気で言う人だ。

 「ニセ科学を問題にするという行為そのものが法的裏付けを伴うわけではない」だなんて、結局それがしたいために、法的裏付けを伴わなくても批判するための『「嘘をついてはいけない」は社会規範』という(上手く存在を説明できない)虚構の大義名分を必死で堅持しているって事なのかな?

 そうなると、「法規範だなんだ」なんて言ってた事は、「その大義名分がある事をちゃんと説明できない」事を隠すための隠れ蓑に使われただけ、と邪推もしたくなっちゃうね。

 なんか、「正体見たり」って感じだなぁ。


【社会規範の部分を押しつけであるとすることの意味】
社会規範にこれらの特定の規範が含まれていることを問題としたり、規範を押しつけるということを問題とするのなら、同時に法規範の一部も否定する立場を取っていることになる。このことを自覚すべきである。

 私は全く法規範を否定する事無く(というか肯定しつつ)批判していますがね。念のため。
 法規範というのは、「社会規範」である、という事は受け入れてて、そこに記述されている「特定条件下」での「特定の嘘」は「社会規範に反する」と判断する事に異論は無い。

 問題にしているのは、そういった条件をとっぱらってしまって、「嘘そのもの」が基本的に社会規範に反していると言えるのか(言えないのではないか)という事なんですけどね。

 社会規範に「嘘はいけない」が含まれているという”前提”でしか話ができないのは、「自分(達?)がそうであると信じて疑わない」という程度の根拠しか持たないからだと思う。
 なのに、適切かどうか疑問を持ち、根拠を持って否定している人達に対し、はなから「分かっていない」扱いをしようとするのは、あまりにも粗雑なやり方だろう。

 それは「規範を押しつけ」と言うよりも「個人の信念の一方的な押し付け」であり、そうなっている事を、押し付けてる当人に自覚して欲しいところである。
だから、本気でこれら2つの規範を将来には無くすべきだと考えているのならば、今、道徳を押しつけるなという立場で否定することはその考えと矛盾しないだろう。しかし、そこまでの覚悟がないのに

 私の場合、「そんな規範無いよ」と言っているので、無いものを「将来無くすべき」と思う必要もないだろうね。
うわべやその場の気分で否定だけするのは、やはり思慮不足というものだろうし、無意味に社会を混乱させると非難されても仕方がない。

 そんな事をしているのが誰だかしらないが、私としては『「嘘をついてはいけない」は社会規範』である証拠を示せないくせに(法規範の拡大解釈は証拠にならんからね)、”前提になるはず”と安易に思い込んでしまう事こそ「思慮が浅い」のではないのかと思う。


 結局、apjさんが延々述べられているのは、「実際に機能している社会規範の話」ではなく、単なる「自分の社会規範に対する信念の話」のレベルのものでしかないでしょう。

 で、それが否定されたからといって「無意味に社会を混乱させる」たぁ、なんとも『自己中心的偏向』が強い人だなぁとしか言えない。


【ひとまず】

 というわけで、今回はここまで。
 続きはまた来週~


※ 5/17追記
 一応元記事TB送信を試みたけれど、相性が悪いのかエラーが出てだめですね。
 以前もそうで、そん時はコメント欄に手動TBを書き込んだけど、まぁ今回は暫くはやめておこうか。
 何せapjさんとこの記事「ちょっとした印象なのだけれど……」のコメントではまた
確かに詭弁ですねぇ (by apj)
 私が、Judgementさんのところで見切りを付けたのは、まさに、詭弁の特徴を見出したからでした。ニセ科学を問題にする際に、「嘘をついてはいけない」という社会規範の議論をするのなら、あくまでも、ニセ科学を問題にするという範囲で「嘘をついてはいけない」を前提にして良いか・何かまずいことが起きるとしたらどういう場合か、というのを切り分けないといけません。これとは別に、社会において「嘘をついてはいけない」が規範となるのはどういうことか、を考えることになります。
 ところが、向こうでは、意図的に「嘘をついてはいけない」の意味を拡大して反論しよとしたので、その時点で、詭弁で反論するつもりしなかないと判断しました。自分に嘘をつく云々の話と、社会規範としての「嘘をついてはいけない」を無自覚に同列に並べようとした時点で、こりゃお子様の議論にしかならない、と思ったわけでして。

 なんておっしゃっているようで、
 一生懸命自己正当化を頑張っているようですから、まともな反応は期待できそうにないし。

 自分の圧倒的有利な土俵でしか議論しない、というのは別にかまわないのですが、自分の土俵ではない話にさんざん噛み付いて暴れた後、いきなり自分の土俵に閉じこもり
 「あれはきっとすっぱい詭弁に違いない」
 と周りに言いふらすのは、なんともみっともないと思う。

 「意味を拡大して」とありますが、別に私は「ウソ」についてとんでもなく無茶な広げ方をしているわけでなく、「客観的に見て、こういうのもウソになるよね」という事を言っているだけ。
 このような事が「詭弁」と言うならば「apjさんが見ている”つもり”のモノ」を他人の視点から見た批判は、全て「詭弁」扱いされる、って事になるんでしょうか?(なんとも王様的な...)

 逆にapjさんが”ニセ科学を問題にするために”恣意的に「意味を縮小」しているのに、それを「社会規範だ」と拡大した言い方をする方が変ではないのかな。

 何より、この話題に対しする末期のapjさんの「相手に対する揶揄only(根拠を述べずネガティブな属性を決め付ける)」の数々は、それこそ「お子様のような反応」にしか見えず、最後も稚拙な捨て台詞を吐いて「後を濁しまくった」方が、自分のトコでは「こりゃお子様の議論にしかならない」なんて揶揄するところが、何ともやりきれない...
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トンデモブラウ

apjさんの『従って、法規制の延長上にあることがらについては、法的ペナルティが科されない場合であっても守った方がよいこと』
というのは、強制力を延長させるよ、と言っているのとはちょっと違う感じがしますので、
Judgementさんの『法っていうのは「その強制力は特定の行為に対して限定的に行使される。」ものだから、延長しちゃいかんですよ。』
という返しは、ちょっと違うかも。
『守った方がよい』程度を強制力とは呼べないでしょう。
apjさんの文章では、その延長に「ウソをついてはいけないは社会規範」があるように読めるのは、ちょっと違和感がありますけど。
まぁ私の読解力なので・・・
by トンデモブラウ (2009-05-16 14:18) 

zorori

>もし「人を欺いた場合」でも、「財物の交付」を前提としなければ成立しません(「財物の交付」が前提とされるならば、実際に交付に至らなくても「詐欺未遂」が成り立ちます)。つまり、「人を欺いた」だけでは詐欺罪は成立しないのです。

財物を交付させなければ、それは欺いたことにはならないのでは。つまり、「欺く」の中に「財物を交付させる」が含まれているのであって、「欺く」と「交付させる」がセットになった合わせ技ではないのでは。

他の条文の行為も同様で、その行為だけなら罰せられません。その行為に関して「欺き」があれば罰せられるわけでしょう。法の精神としては、「行為」ではなくて「欺き」に問題があると考えていると思います。

ただ確かに、法律には「ウソ」そのものを禁止していません。どのような行為に関してウソが禁止されるかを列挙しているだけですから、規定のないウソは禁止されません。でも、それでもってapjさんの活動を批判するのは細かすぎてトンチンカンに思えます。

「ニセ科学はウソだから悪い」と言ってなにか問題があるのかということです。ウソだからといってapjさんがSFを批判する心配があるのでしょうか?学校の先生が「ひとを傷つけるのはいけない」といって喧嘩をたしなめるのは、医者の手術も否定するすることになるから問題があるとはならないでしょう。確かに厳密に考えると先生の説教は大ざっぱです。人を傷つけることについて深く考察することも重要だと思います。でも先生を批判するのは事柄の目的に必要とされる精度を無視しているように思いますけど。

apjさんは、人間心理としてのウソがいけないなんて話はしていないとおもいます。

by zorori (2009-05-17 18:58) 

トンデモブラウ

zororiさん
>apjさんは、人間心理としてのウソがいけないなんて話はしていないとおもいます。

そういう話をしているなら、このようにこじれなかったんだと思います。

>「ニセ科学はウソだから悪い」と言ってなにか問題があるのかということです。ウソだからといってapjさんがSFを批判する心配があるのでしょうか?

問題ないと私は思いますし、Judgementさんも同じだと思います。
apjさんがSFを批判するのを心配しているのではなくて、前段の説明をしくじるとSF擁護と同様の理論でニセ科学擁護をされちゃうんじゃないか、と憂慮しているものと理解していました。

私の理解がかなり他の人とズレているので、最近はさっぱり自信がもてませんけど・・・
みなさん同じ場所で同じ反応ですので・・・・実に不安じゃ。

by トンデモブラウ (2009-05-17 20:45) 

bandicoot

zororiさん

>でも、それでもってapjさんの活動を批判するのは細かすぎてトンチンカンに思えます。

「ニセ科学」の定義の話から、「ウソと社会規範」についての話で意見がくい違っただけかと思います。べつに活動の批判はしていないのではないでしょうか。
もともとが、「ニセ科学批判」という活動についての言及ではなく、「ニセ科学批判・批判への批判」についての話ですし。
by bandicoot (2009-05-17 21:07) 

PseuDoctor

こんばんは。

bandicootさんの御指摘は重要なポイントと思います。Judgementさんは「活動そのもの」についての批判はしていないと思うのですね。そこが一番食い違ってこじれてしまったところではないでしょうか。

つまり、技術開発者さんやapjさんは元々「現実の社会に実在する問題としての、既に無視出来ない害悪をもたらしているところの『ニセ科学』に対する批判」というのが基本スタンスとしてある、と理解しています。
ですから彼らにとっては「批判批判」であれ「批判批判批判批判」であれ、それらが現実の批判活動に役立つ視点を提供してくれるかどうかという点を最も重視するのだろうと思います。
その意味で、今回の「ウソと社会規範」の話は興味深いし重要な問題だとは思いますが、この議論をいくら深めても実際の批判活動に役立つ可能性は非常に少ないと思うのですね。お二人はその点に深い失望を覚えられたのではないでしょうか。
例えば、技術開発者さんに対して「社会規範が存在する事を前提として話を展開している」という指摘がありましたが、それは御本人にとっては「当たり前」なのかもしれません。だって現に存在している問題に対応するのを最重要課題にしているのですから。

勿論「勝手に期待して勝手に失望しただけ」という言い分も成り立つでしょう。しかし一方で「批判するのであれば、それは批判される側にとって役立つものであって欲しい」と期待するのは、それほど筋違いな事でも無い様に思います(実際、ニセ科学批判は、ニセ科学側から見て「役に立つ」指摘、つまりニセ科学がニセでなくなる為の指摘を沢山しています)。

そういう観点からすると、私は「ウソと社会規範」の話にも興味はありますが、むしろ「批判者の行為は第三者から見てどの様に映るか」という話の方に、より強い興味を感じます。
by PseuDoctor (2009-05-17 23:42) 

zorori

トンデモブラウさん、bandicootさん、 PseuDoctor さん、

ありがとうございます。
別のエントリーにもコメントしたのですが、どうも私の勘違いだったようですね。ただ、「ニセ科学批判・批判への批判」という話だと、結局、ニセ科学批判活動とも関係するようで、釈然としないところもあります。




by zorori (2009-05-18 07:06) 

トンデモブラウ

ある意味、ニセ科学批判の瑕疵をなくしましょう、という趣旨だったと思います。
最前線でインチキと闘っている現場の人達にとって、「『ウソをついてはいけない』というのは社会規範」として活動するのが有効だった(しこれからも有効だと思っている)としても、表現を正確にしたほうがいいんじゃない、というアドバイス的意見に、現場の人達が逆ギレ気味の過剰反応な気がしたので、なんだか非常に残念です。
もっとましな対応ができる頭脳ばっかなのに。
私個人の意見では、「『ウソをつく』のは社会規範から逸脱する」でOKな立場ですけど。

釈然としないところは、きっとその社会規範としての瑕疵部分が、「(ニュートン力学で充分相関している範囲なのに)プランク定数程度なら誤差でいんじゃね?」と考えているからじゃないでしょうか。
私だけ?
by トンデモブラウ (2009-05-18 09:01) 

bandicoot

zorori さん

その釈然としないところは、きっと、「ニセ科学(批判)」という言葉が生んでしまったのではないかという気がします。
最近目にする「ニセ科学批判なるものは存在しない」を今回の「ニセ科学批判・批判への批判・批判」にざっくり当てはめてみますと。

「mzsmsさんの記事への批判(コメント)に対する批判」

となるのではないでしょうか。

それが、知らず知らずのうちに「ニセ科学」とか「ニセ科学批判」とかっていう言葉に乗せられちゃったというか。
この言葉だと、どこに向けられた銃口かわからないので、みなさんがご自分の「批判活動」に対するものかと思ってしまったのではないかと思います。


by bandicoot (2009-05-18 21:16) 

タカキ

zororiさん

ここの議論でzororiさんが考えているニセ科学批判とJudgementさんがここで対象としているニセ科学批判が異なっていると思われます。
別のエントリのコメントをみるとzororiさんが考えているニセ科学の定義には『「人を騙してはいけない」は社会規範』というものを含んでいない様に見えます。
Judgementさんがここで対象としているニセ科学にの定義には『「人を騙してはいけない」は社会規範』というものを含んでいます。
それゆえ、Judgementさんの批判を見ても釈然としないのでしょう。

ニセ科学の定義に『「人を騙してはいけない」は社会規範』を含んでいるが故に、対象をニセ科学というには「科学でなく」「科学を装っており」「装うことで人を騙し社会規範を犯している」ことを満たしていることを示す必要があるでしょう。
3つ目を満たしていることを説明出来なければ、それはニセ科学でなくただの疑似科学になるんじゃないですか?
おそらくJudgementさんはそういうスタンスで幾つもエントリを書いて説明していると思われます。

by タカキ (2009-05-18 22:05) 

FSM

こんばんは。無事お帰りになられたようでなによりです(って潜伏期間はまだありますが:p)。

ほとぼりも冷めてきたようですので、ちょっとだけ、Jさんの一連のエントリ及びその周辺での議論を見て考えていたことをコメントさせてください(たぶん、上のPseuDoctorさんのコメントと関係するのだろうと思っていますが)。

いままでニセ科学を批判する文脈で「人を騙してはいけない」と言うときは、そういう文脈があって言っているわけですよね。メタな視点で見れば、「いけないウソはいけないのである」というトートロジーになっているわけですが、しかし「現場」の文脈で見れば、「いけないウソをつくな」で全然おかしくないわけです。というか、おかしくないものに対して言っている。これは「批判」の現場を見れば、普通はわかるものなんだと思います。

ところが、ある種の「批判批判」の人々(って大雑把なくくりですが)は、この「文脈」に乗らずに批判してくるわけですよね。たとえば、多くの人が見て「問題だろう」という「ウソ」を批判していたはずなのに、前提であった「多くの人が見て『問題だろう』」が抜けて、「ウソ」一般を「ニセ科学批判」の人々は批判しているかのように主張して、それを批判する。で、それに対して、「それは藁人形だ」などと返すわけです。

それは大抵の場合必要な反応なんだと思いますが、しかし「世間」がいつも「我々」(一緒にすんな、って?^^;;)の「文脈」に乗ってきてくれるとは限らない。そして、異なる「文脈」で話をしていても、溝は絶対に埋まりはせず、むしろ限定された文脈で話をしている方が、まるで狭い自分勝手な議論をして周囲に自分たちの価値観を押しつけているように見える、あるいはそう見せることができる-という「実験」をやってみせてくれたのが、今回の一連のJさんのエントリではなかったのかな、と思っています。

「ニセ科学」ではなくて、「科学」について考えてみます。「科学批判」というのはある時期盛り上がったし、いまもあるし、また昔の「科学批判」の残党の末裔みたいなのが「エコでロハスな」人々の中でご活躍されてるんだと思いますがまあそれはおいといて。大抵の「科学批判」って、科学にとってはなんの役にも立たないですよね。しかも科学そのものになんらかの価値を勝手に付与して、そこへの批判を行う。それに対して、そんな批判は科学の役に立たない、だとか言っても噛み合うわけがないです。科学批判への批判は、結局科学の社会における役割みたいなものを、わかりやすく社会の構成員に納得するように広げるしかなかったんだと思います(もちろん科学自体の魅力を訴えることは必要ですが、それだって科学の役に立つわけじゃない)。

そういうわけで、意図的に(かどうかは別にして、かな)文脈をズラされた批判を受けた際に、ニセ科学を批判する側がどう自分の立ち位置を相対化して噛み合うように議論を展開していけるのか(そして、そこからどうこちらの土俵に持っていくのか)というあたりが課題なのかな、という気がしています。

もちろん、噛み合わせる必要があるのは実はそう多くなくて、それよりもROMの人が納得するような主張を展開する方が実り多い場合は多々あると思いますし、バッサリ切り捨てる方が有効な場合もあるでしょうし、「そんなことまで構っちゃいられない」というのも十分にありますが、状況に応じて臨機応変にやる必要が今後は多くなっていくのだろうな、という気がしています。

あまりまとまらない長文でスミマセン。

by FSM (2009-05-19 01:49) 

zorori

FSMさん、おはようございます。

例え話をするとまた誤解を招くかもしれませんが、

サッカーをしていてハンドの反則を指摘したら、外野から「ハンドがなぜ反則なんだ、野球では反則じゃないぞ」と言われたような気分だと思うんです。カレーライスの例え話もそんなつもりだったのですが。

それで、「本当にサッカーをしているのか、それは確実か」という疑問もあるとは思います。カレーライスもそんな展開になりました。そこまで考えたら結論は出ないだろうと、そんな感じですね。いろいろ考えるのは面白いのですが。
by zorori (2009-05-19 07:02) 

zorori

連投、失礼します。

Judgementさんが「ハンドが反則のゲームばかりだとは限らない」とおっしゃっているのなら全く同感ですし、議論する人はいないでしょう。

で、今行っているゲーム(ニセ科学を批判している)でハンド反則ルールが問題があるというのならそれはややこしい議論になるでしょう。
サッカーだってゴールキーパーやスローインでは手を使います。

by zorori (2009-05-19 07:11) 

zorori

たびたび、すいません。

ニセ科学チームはサッカーをしているつもりですから、ハンド反則ルールは認めていますが、ハンドをしながらしていないと言い張っているわけです。そこで批判チームと議論になっているのだと思います。それを見ていた観客(批判批判者)が「ハンド反則ルールは正しいのか」と言っているという情景みたなかんじがします。
by zorori (2009-05-19 07:23) 

トンデモブラウ

私の解釈したものをサッカー・ルールで例えると、

ニセ科学批判側は、「防御側フィールド・プレイヤーが一人もいない敵陣で、そこにいる攻撃側プレイヤーが自軍後方(防御側フィールド・プレイヤーより後ろ側)から直接パスを受けたら、『オフサイド』の反則である。」と言っていることに対して、ニセ科学批判批判側が、「その言い方では、キーパーがゴール・マウス付近にいる前提じゃないか。キーパーもその攻撃プレイヤーより後方にいれば『オフサイド』ではない。」と主張する危険があるよ、という忠告だと思います。

こんな状況はほとんどないのですが、ホセ・カンポスやチラベルトならありうるし・・・
ちょっと違うかなぁ。
by トンデモブラウ (2009-05-19 09:17) 

FSM

おはようございます。

zororiさんのおっしゃることはもっともだと私も思います。
ただ、観客が「ハンド反則ルールは正しいのか」と言い出したときに、普通は「ルールを勉強してね」で問題ないはずなんですが、時々「困ったちゃん」がやってきて、「いやルールというものはだな…」みたいなことを言い出したときに、競技場の外にいるサッカーをあまり知らない人がどのように受け取るか、あるいは観客の「議論」のもっていきかたによっては悪意を植え付けることさえ可能である、ということを時々考えておいた方がいいのかもしれない、ということを一連の流れで思いました。「サッカーなんてもうなくてもいいんじゃね」みたいになりかねないし。

毎回やってたら疲れちゃいますけどね。(^^;;
言われた方が気分よくないのもとてもよくわかりますし。

なお、以上のことは、あくまでも私が感じたことですし、mzsmsさんにまつわる話からはもはや離れています(その件については私は特に問題があったとは思っていませんし)。
by FSM (2009-05-19 09:18) 

MK

はじめまして

感想だけ述べさせて下さい。

ニセ科学批判って何が問題なのか良く分からなかったのですが、
幾つかのブログの「コメント」を読む限りでは、
批判方法として、ニセ社会学、ニセ倫理学、ニセ文化人類学が
横行していること、自分たちがやっていることとは全く
無関係な「迷信で人が死ぬ」などの例を挙げて正当化している
ところが、信頼性を損なっているんだなと思いましたね。

水伝(やマイナスイオン)とエイズについてのニセ科学的迷信は
それが「ニセ科学的迷信」である以上の共通点を持っていないのに。

「嘘は良くない」を定言命法にしたのはカントですが、私は自分が
(ヤクザから、警察から、不良から)追われる立場になったとき、
カントの家にも、これらの人々の家にも匿われたくはないなぁ。

彼らの言いたいのは「良くない嘘は良くない」なんでしょうけれども。
トートロジーから行動規範を引き出すのは難しいだろうなぁ。

しかし、ニセ科学批判にも効用はないわけではなく、ある種のブログ
にニセ科学的言明が見られたときに、フレームを引き起こし、その
ブログ主に、批判者には逆らわないようにしようとの抑圧を植え付ける
ことは出来そうです。それは良いんですけれど、その結果、人文系
トンデモの温床になるのは困るな。

以上、感想だけでした。
by MK (2009-05-19 13:06) 

bandicoot

問題は、サッカーの試合はもう全国ネットで中継されてますよ、ってことだと思います。

「ハンドで反則はわかるけど、これはよってたかって責めすぎじゃない?」
と、言った観客に、別の観客からは野次が、プレイヤーさんからは、
「ルールを勉強してから出直して」
って、言われてるとこまで中継されてしまいました。

・・・それってどうよ、って話ではないでしょうか。


むしろプレイヤーさんが、「自分たちに対する批判」→「ハンド反則への批判」→「連中はルールにすら難癖つけてる」という思考の流れになっていないかが心配です。
「自分たちに対する批判」はプレイに対する批判じゃないんですけどね。
まあ、「出直して来い」って言われてカッとなった観客が売り言葉に買い言葉でルールの話をはじめて自滅するのも、何度か見たり聞いたりしたような気もしますが。



コアなファンがいて、分かってる人だけが見てたらいいっていう競技ならそれでもいいんだと思うんです。それならスラッシュトークもビッグマウスも、フーリガンを見てすらも楽しめる通だけで完結。

でも、全国ネットをはじめちゃったんですよね、たぶん。
まだ知らない、気づいてない人に、たくさんの人に知ってもらいたくて。



カレー話にひきつづき、たとえ話を引き伸ばしてしまいました。



「ニセ科学批判なるものは存在しない、そこには個々の批判があるだけ」という理屈で考えると、apjさんは水商売批判の視点、Judgementさんが血液型性格判断(ABOFAN)批判の視点からの話をしてるので、定義の話では微妙に食い違ったのではないかなと思います。
ニセ科学批判からの視点は存在しないわけですから。
by bandicoot (2009-05-19 21:51) 

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