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「保身のために規範を決め付けるな」コメント返信 [嘘と社会規範]

 さて、溜まったコメントへのお返事は、一気に記事の形で、って事で「保身のために規範を決め付けるな」へのコメントへのお返事をまとめてご紹介!

【トンデモブラウさん】
apjさんの『従って、法規制の延長上にあることがらについては、法的ペナルティが科されない場合であっても守った方がよいこと』
というのは、強制力を延長させるよ、と言っているのとはちょっと違う感じがしますので、Judgementさんの『法っていうのは「その強制力は特定の行為に対して限定的に行使される。」ものだから、延長しちゃいかんですよ。』
という返しは、ちょっと違うかも。
『守った方がよい』程度を強制力とは呼べないでしょう。

 私の「延長しちゃいかんですよ」がかかっているのは、「強制力」の方じゃなくて、「特定の行為に対して限定的に行使」の方デス。
 “特定の行為に限定”のはずなのに、延長しちゃダメよ、って事。


【zororiさん】
財物を交付させなければ、それは欺いたことにはならないのでは。つまり、「欺く」の中に「財物を交付させる」が含まれているのであって、「欺く」と「交付させる」がセットになった合わせ技ではないのでは。

 ん?頭の文と最後の文が辻褄あいませんねぇ。
  A 財物を交付させなければ、それは欺いたことにはならない
  B 「欺く」と「交付させる」がセットになった合わせ技

 何が辻褄合わないか分かる?
 Aは「α+財物交付=欺く」(αにzororiさんが何を置くつもりか不明)
 Bは「欺く+財物交付=詐欺(?)」
 α+財物交付×2=欺く×2-α=詐欺 となる。
 財物交付の2倍とか、欺くの2倍とかよーわからんぞ。

 ちなみに、条文は(書いておいたはずだけど...)「人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。」と、“欺く”と“財物を交付させる”を区別していますよ。
 で、それをして『「欺く」と「交付させる」がセットになった合わせ技』だという話も、私の記事に書いてあるのですが...
他の条文の行為も同様で、その行為だけなら罰せられません。その行為に関して「欺き」があれば罰せられるわけでしょう。法の精神としては、「行為」ではなくて「欺き」に問題があると考えていると思います。

 最初の一文は私もそう言っているんですが。
 で...あの...「欺き」は行為じゃないんですか?
ただ確かに、法律には「ウソ」そのものを禁止していません。どのような行為に関してウソが禁止されるかを列挙しているだけですから、規定のないウソは禁止されません。でも、それでもってapjさんの活動を批判するのは細かすぎてトンチンカンに思えます。

 zororiさんが言うように、法規範において、規定のないウソは禁止されないんですよね。それを私は言っています。

 うーん。さっきから、zororiさんは、私の言っている通りの事をトレースしつつ、結論だけナゼか飛躍する、という感じが....

 apjさんは法規範を持ち出しておきながら、規定云々を取っ払って、ざっくり『「ウソはいけない」は社会規範』と言っちゃっているわけですよね。
 私が細かいというよりも、apjさんが大雑把なだけではないでしょうか?

 トンチンカンって...揶揄にしては古典的すぎて、ちょっと萎える...
「ニセ科学はウソだから悪い」と言ってなにか問題があるのかということです。

 それが、「個人的なポリシー」を元にしていれば別に問題ないですよ。
 でも、その「個人的なポリシー」に箔を付けようとして、勝手に(ろくに考えないで)社会を使う、ってのは小ずるいやり方だよ、って言っているだけ。

 モチロン、そういう当人は「社会のために」って意識があるのは分かるよ。でも、社会っていうのはそういう気持ちで“支えるもの”であって、“個人の虚栄心のために利用するもの”ではないのだ。

 あと、学校の先生って、喧嘩をたしなめるとき、「社会規範」を持ち出すものなの?
 「人を傷つけるな。それは社会規範に反する」ってぇ?
 なんか冷たいねぇ。「オレは知らんが、社会が許さない」って言っているみたい。
 「俺はケンカなんて許さん。」の方が、責任ある大人の対応って感じ。
apjさんは、人間心理としてのウソがいけないなんて話はしていないとおもいます。

 私も、人間心理としてのウソの善し悪しの話はしてませんよ。
 単に既に概念が定められている「社会規範」という用語が示す範疇に「ウソはいけない」が含まれるのか、というお話をしているだけですよん。


【トンデモブラウさん】
 まぁ、既に答えを「問題点を示してみる」に書きましたが、少しズレてます。
とはいえ全くの的外れ、という事でも無くて、最初は確かに「キチンと理論武装しよう」という提言の意味合いもあったのよ。
 でも、その後の反応を見るにつれ、「理論武装どころか、無根拠じゃないか」に変わり、現時点では、「無根拠である事実を無視して、とにかく正しいと言い続ける、まるでニセ科学信者の対処じゃないか」という所まで行ってしまっているわけなのよ。


【bandicootさん】
「ニセ科学」の定義の話から、「ウソと社会規範」についての話で意見がくい違っただけかと思います。べつに活動の批判はしていないのではないでしょうか。

 うーむ、「意見の食い違い」って次元ではないんですけどね。
 相手が「社会規範」という概念を理解した上で適用を述べているとは思えん。

 「社会規範」という概念を理解していない人が「社会規範だ」、と言うのは「科学」という概念を理解していない人が「科学だ」というようなもの。
 後者を批判する者が、前者のような事をやらかしながら活動してはいかんでしょ。


【PseuDoctorさん】
 トンデモブラウさんに対しても書きましたが、最初の段階では確かに「活動そのもの」の批判ではなかったんですよね。
 でも、やりとりしていくうちに「活動そのもの」にも影響するような問題が見えてきてしまいました(だたし、私の批判の対象者に限っておこう)。
ですから彼らにとっては「批判批判」であれ「批判批判批判批判」であれ、それらが現実の批判活動に役立つ視点を提供してくれるかどうかという点を最も重視するのだろうと思います。

 「それはやらない方がいい、もっと考えた方がいい」なんていう忠告も、本来「役立つ」に含まれると私は思うけどね。
 批判されると「検討して役に立たせる」より前に、「検討しなくていい理由」をあれこれ考え出す人が結構いたので、本当に上のお話のような態度であるかってのは、ちょっと信じ難いデス。
その意味で、今回の「ウソと社会規範」の話は興味深いし重要な問題だとは思いますが、この議論をいくら深めても実際の批判活動に役立つ可能性は非常に少ないと思うのですね。お二人はその点に深い失望を覚えられたのではないでしょうか。

「自分には役立たない」なんて利己的な理由で勝手に失望していたのであれば、そんな二人に深く深く失望します。

 ところで、PseuDoctorさん。
 「この議論をいくら深めても」ってさ、相手は、ただ同じ次元で同じ事を繰り返し繰り返し言っているだけで、ちっとも深めもようもしていないんだけどね。
 その状態にもかかわらず「実際の批判活動に役立つ可能性は非常に少ない」って判断しちゃうのは、なんかPseuDoctorさんらしからぬ先走りじゃないかしらん。
例えば、技術開発者さんに対して「社会規範が存在する事を前提として話を展開している」という指摘がありましたが、それは御本人にとっては「当たり前」なのかもしれません。だって現に存在している問題に対応するのを最重要課題にしているのですから。

 そこなんですよ。そこそこ。

 「自分が当たり前」と思う事を「当たり前」と思うに至った自分の経験を元に「自分のポリシー」とし、「自分の当たり前」に反するものを批判する、ならばいいのよね。
 でも、そこで「自分が当たり前」と思う事を理由に、短絡的に『社会規範として当たり前』と主張するからダメなの(某A氏による、「心理学の定説」とかと同じ類)。

 それじゃ「科学を装う」と同じで、「社会を装う」って事になるよね。
しかし一方で「批判するのであれば、それは批判される側にとって役立つものであって欲しい」と期待するのは、それほど筋違いな事でも無い様に思います(実際、ニセ科学批判は、ニセ科学側から見て「役に立つ」指摘、つまりニセ科学がニセでなくなる為の指摘を沢山しています)。

 そういう意味では、私は、「ニセ科学批判におけるニセ人文的な部分」について、ニセでなくなる為に指摘をしました。
 これは、PseuDoctorさん的には「役立つ視点」カナ?
そういう観点からすると、私は「ウソと社会規範」の話にも興味はありますが、むしろ「批判者の行為は第三者から見てどの様に映るか」という話の方に、より強い興味を感じます。

 ここを意識しようとする方がいるから、まだ「ニセ科学批判」を前面排斥する気にはならないのよねぇ。
 もしも、そんな人もいなくなり、全員「悪いモノを悪いと言って何が悪い」、「俺たちは社会正義の執行者だ」的態度を取るのであれば、「ニセ科学批判」なんて消滅してもいいと思う(「じゃぁ、誰が水伝等の悪者を退治するんだ」と言うのであれば、「いや疑似科学批判は昔からあるし...」と答える)。


【zororiさん】
トンデモブラウさん、bandicootさん、 PseuDoctor さん、
ありがとうございます。
別のエントリーにもコメントしたのですが、どうも私の勘違いだったようですね。

 あなたが勘違いしている部分は確かにありますが、3人の視点も、必ずしも私と同じではありませんからね。念のため
ただ、「ニセ科学批判・批判への批判」という話だと、結局、ニセ科学批判活動とも関係するようで、釈然としないところもあります。

 まぁ、うだうだやってきた私がわるいんだけど
 ようやく、ニセ科学批判活動に関係する事の批判に入りました。


【トンデモブラウさん】
 私とのズレについては上に書きましたが
現場の人達が逆ギレ気味の過剰反応な気がしたので、なんだか非常に残念です。

 このあたりから「闇の一面」が見えてしまったのですね、私には。
私個人の意見では、「『ウソをつく』のは社会規範から逸脱する」でOKな立場ですけど。

 いや、社会規範は個人の意見では決まりませんから。
 “私個人の意見では、「『ウソをつく』のは全てダメ」でOKな立場”
 なら問題は無いデス。


【bandicootさん】
 むむむ。
 トンデモブラウさんもbandicootさんも、自分の解釈が正しい前提で話を進めないでぇぇぇ。

 それはそうとして
最近目にする「ニセ科学批判なるものは存在しない」を今回の「ニセ科学批判・批判への批判・批判」にざっくり当てはめてみますと。
「mzsmsさんの記事への批判(コメント)に対する批判」
となるのではないでしょうか。

 ん?ゴメン、マジで良く分からない。
 「ニセ科学批判なるものは存在しない」
  =「mzsmsさんの記事への批判に対する批判」?
それが、知らず知らずのうちに「ニセ科学」とか「ニセ科学批判」とかっていう言葉に乗せられちゃったというか。
この言葉だと、どこに向けられた銃口かわからないので、みなさんがご自分の「批判活動」に対するものかと思ってしまったのではないかと思います。

 正直「ニセ科学批判者」をapjさんが“実体の無いもの”と否定してから、だんだんわけが分からなくなってきた気がしますね(というか、意識して記述しようとするとめんどくさい)。

 いや、「ニセ科学批判者」が一様でないのはわかるけど、色んな人の話を聞くと「ニセ科学」という意味すら一様ではないみたいじゃない(一時期はapjさんとPseuDoctorさんで定義の違いがあったし、zororiさんはまたそれとは違う見方をしていたりする)。
 そうなると、今度は“ニセ科学”だって“実体の無いもの”になっちゃうんじゃないかなぁ、と思ってみたり。

 ていうか、「ニセ科学批判者」も「ニセ科学」も単に“枠組み”の名前なんだから、枠組み自体には当然実体は無いけど、枠の中には実体が含まれるわけで、別にいいんじゃないって気もする。

 そもそも、見ていると「ニセ科学批判者と一括りにするな」と言っている人が「批判批判者は~」と一括りに語ってみたりして、釈然としなかったりもします。
 最近は意識して「個人HN」対象に批判をしとりますが、上のようなダブルスタンダードな人の要望に応える必要も無いかなと思ってみたり。

《そこで提案》
 「ニセ科学軍団」、「ニセ科学批判軍団」、「ニセ科学批判批判軍団」...って分け方はどうでしょうね。
 「軍団」内部は一様じゃなくて、様々な階級と、様々な兵器と、様々な参入動機があるわけですが、その集団の目指す所は同じはずですよね。


 ついでに、愚痴なんだけど...
 名指ししないと「思い当たる人」が黙って、「思い当たらない人」が意気揚々と文句を言う、というあまり望ましく無い状況になったりして、それはそれで困る。
 でも、名指ししているにもかかわらず、違う人が、名指し相手の代弁らしきものをする事が見受けられるけど、それが本当に名指し相手と同じ意見なのか保障されないわけで、そういう「○○さんの解釈合戦」みたいなのは不毛じゃないかな、と思う。
 というか、「人の意見を代弁する前に、まずは自分の意見を言え」って感じ。


【タカキさん】
ニセ科学の定義に『「人を騙してはいけない」は社会規範』を含んでいるが故に、対象をニセ科学というには「科学でなく」「科学を装っており」「装うことで人を騙し社会規範を犯している」ことを満たしていることを示す必要があるでしょう。
3つ目を満たしていることを説明出来なければ、それはニセ科学でなくただの疑似科学になるんじゃないですか?

 かなり近いけど、“ニセ科学の定義に含んでいるが故”って言うより、『「人を騙してはいけない」は社会規範』という主張自体を問題にしているんですね。最近は

 「装うことで人を騙し社会規範を犯している」については、例えばapjさんが述べたように「装うことで人を騙し」の具体的な状況や被害を吟味し、それが「法規範」に抵触する事をもって、「社会規範を犯している」と認定する事は可能です。
 
 しかし、apjさんが「ニセ科学を問題にするという行為そのものが法的裏付けを伴うわけではない」とおっしゃってます。で、法的裏付けの変わりに使おうとしているのが『「人を騙してはいけない」は社会規範』みたいなのです。
 
 だけど、そういうのは、まず「人を騙してはいけない」が“本当に社会規範に含まれているか”どうか確かめてからの話のはずですよね。


【FSMさん】
 お久しぶりです。なんというか、まぁ、色々大変でしょうが、私の分まで頑張ってくださいね。
しかし「現場」の文脈で見れば、「いけないウソをつくな」で全然おかしくないわけです。というか、おかしくないものに対して言っている。これは「批判」の現場を見れば、普通はわかるものなんだと思います。

 ワテも『「いけないウソをつくな」なら良い』と言ってまっせ(←どこの人?)。

 ちょっと言わせて欲しいのは、「現場」って言い方どうなんだろう、って感じです。
 じゃぁ、例えばここは『「批判」の現場』じゃないのかと。
 なんとなく、そこに「見下し」入っていません?
 でも実際はきっと、「現場」って、「お前のいない別のトコ」程度の意味しか持ち合わせていないんじゃないですか?
 そこに某A氏の「現実のデータ」的な恣意的な用法を感じ取るのですが...。

 あと、「普通は」もABOFANメソッドなので、かなり危険な臭いがしますよ。
 私的にはむしろ「無根拠な主張の正当化」の検出指標に成り下がってます(試しに某A氏のコメントに「普通・定説・一般的・常識」がどれだけ出てくるか調べてみてください)。


 で、それはそれとして、今回のレス特集でも、色んな方に同じような事を言っていますが、“おかしいと思った自分”を根拠に批判するのはいいんです。
 問題は、「自分がおかしくないと思った」からといって「それが社会規範だ」に飛躍させるな、と言う事なんですけどね。

例えば
・「人を騙してはいけない」は自分の信念であり、社会規範となって欲しい
・「人を騙してはいけない」は社会規範だ
 は全然違いますよね。
ところが、ある種の「批判批判」の人々(って大雑把なくくりですが)は、この「文脈」に乗らずに批判してくるわけですよね。たとえば、多くの人が見て「問題だろう」という「ウソ」を批判していたはずなのに、前提であった「多くの人が見て『問題だろう』」が抜けて、「ウソ」一般を「ニセ科学批判」の人々は批判しているかのように主張して、それを批判する。で、それに対して、「それは藁人形だ」などと返すわけです。

 うーん、批判批判側が批判側に都合の良い文脈に乗る義務はないのでは、というのが1点。
 むしろ、都合の良い文脈でしか見ていないから、致命的な欠点に気付かない、という事もあるでしょう。だから、違う視点で見られる事こそ価値があるのでは?。

 で、『多くの人が見て「問題だろう」という「ウソ」』というのは、ちょっとあてにならないけど(内集団では自分達の共通意見を過大評価しがち)。
 ただ、少なくともみなさんは『自分が見て「問題だろう」という「ウソ」』というのを批判しているわけですよね。
 再び言いますが、それならばいいんですよ、別に。
 
 今私が考えているのは『「人を騙してはいけない」は社会規範』というキャッチフレーズは、「ニセ科学」を批判するため、というよりも、「批判批判」対策の自己正当化のために用意したモノではないのかな、と思います(今のところ確信には至らないけど)。

 ただ、これが「批判批判」対策になるかというと、むしろ、急所になるようなものであるのがひとつの問題点。

 問題点はそれだけではないのよね。
 正常な“ニセ科学批判”とは、「問題意識が先にあり、その問題を解決するために批判する」というものだったかもしれない。
 だけど、この大義名分らしきものを「ニセ科学批判」に掲げる事で
 「批判するために、誰かが定めたターゲットのウソを指摘し、問題点をひねり出す」
 といった邪(よこしま)な「似非ニセ科学批判者」が、大手を振って「叩き」にいそしむ事になってやしないか危惧しています。
あるいはそう見せることができる-という「実験」をやってみせてくれたのが、今回の一連のJさんのエントリではなかったのかな、と思っています。

 残念ながら、そういった「対ニセ科学批判批判の仮想演習的な」なま暖かい「実験」のつもりはありません。あくまでも問題追及の手法としてやっています(詳細は、前の記事。あと、「文脈ずらし」に関しても触れておりますので、そちらを参照の事)。
もちろん、噛み合わせる必要があるのは実はそう多くなくて、それよりもROMの人が納得するような主張を展開する方が実り多い場合は多々あると思いますし、

 そうそう、そうなんですよ。
 で、「ROMの人が納得するような」をポイントにするならば「イノセント」であってはいけないわけで、そこで必要なのは「自分が当たり前と思っている事が、誰しも当たり前とは限らない」という意識なんですね。

 なのに、「自分にとって100%当たり前だから、それは前提にして話しても問題ないだろう」と考えちゃうと、どうなるか?
 結局は「その前提に賛同する人」ばかりしか周りに集まらないんですね。

 で、その集団内では、当然誰もが賛同するから、「“みんな”が認める当たり前の前提なんだ」って確信がどんどん強まる(実際は、そいうい人達が選択的に集まった事に由来する現象でしかない)。
 だけど、当然そういった前提に疑問を持つ人は出てくるわけですが、そういう意見に対し「みんなが認めているから正しい」を前提にしちゃっている人だと、話は延々と平行線をたどるんですね。

 ROMの人を納得させるには、まず自分が正しいと思う事に疑問を持たなくてはいけないでしょう。本気で疑問に思った上で、裏を取り、様々な意見を咀嚼して「やっぱり正しい」という結論が出たのであれば、その時初めて「自分が正しい」と言えばいいじゃないですか。
 (科学もそうですよね)

 何より、そのプロセスを経ることで、疑問に思っている人に的確な説明ができるようになるはずよ。


【zororiさん】
例え話をするとまた誤解を招くかもしれませんが、

 別に例えが全て悪い、ってわけじゃないけど、できればまず一通り本来の事について説明してから、その説明内容の個々の要因と、例えるモノの対応付けを明らかにして、それから例え話をすれば、誤解は減るんじゃないかしらね(某A氏のようなレアケース除く)。
 というか、あえて湾曲的にだけものを語るメリットは?
サッカーをしていてハンドの反則を指摘したら、外野から「ハンドがなぜ反則なんだ、野球では反則じゃないぞ」と言われたような気分だと思うんです。

(多分、この「気分」って、「zororiさんの気分」って事だよね)
 まぁ、そんな気分にさせたのは私の文才の無さだけど、そういうスタンスではないですよ。


【zororiさん】【トンデモブラウさん】【FSMさん】
 うーん、みんなサッカーの例えに乗っちゃっているけど、違いますよぉぉぉ
 サッカーに例えるのは難しいけど(あまり知らん)...

 「ハンドは反則だからグーで殴って良いというルールがある」って言った人に
 「おいおい、そんなルールないぞ」とつっこんだ感じかな。
 でもその人はルールブックを確認せずに、
 「ハンドは反則なんだから、殴られて当然じゃないか。まったくルールの知らない奴は...」
 って言われちゃった感じ。
  そのくせ、他人には「ルールを勉強してね」と言ったりする。

 そのダブルスタンダードさ加減は、サッカーをあまり知らない人にも「ちょっと、この人の言う事は信用できんぞ」という疑念を抱かせるのではないでしょうか。


【MKさん】
批判方法として、ニセ社会学、ニセ倫理学、ニセ文化人類学が横行していること、

 いただきです!使わせてもらいました。
自分たちがやっていることとは全く無関係な「迷信で人が死ぬ」などの例を挙げて正当化しているところが、信頼性を損なっているんだなと思いましたね。

 まぁ、私はその現場を目の当たりにしていないので、仮定の上でしか言えないのですが、もし「風が吹けば桶屋が儲かる」的な無理矢理論法で正当化する人がいるとすれば、なんか「自分の正当化のため、という軽い理由で平気で死を語る」って感じで、邪よね。
「嘘は良くない」を定言命法にしたのはカントですが、私は自分が(ヤクザから、警察から、不良から)追われる立場になったとき、カントの家にも、これらの人々の家にも匿われたくはないなぁ。

 ああ、ちょうど最近カントの話読みました。
 例えばユダヤ人を匿っているところに、ナチが来て「ユダヤ人がいるか」と聞かれても、正直に答えるんですよね(そんなのやだなぁ)。

 ん?ならば、apjさんは平成のカントか?
 でも、カントぐらい考え抜いてカントぐらい極端な意味で「嘘は良くない」と言っていたのであれば、私のapjさんへの評価は180度変わるカモ。
しかし、ニセ科学批判にも効用はないわけではなく、ある種のブログにニセ科学的言明が見られたときに、フレームを引き起こし、そのブログ主に、批判者には逆らわないようにしようとの抑圧を植え付けることは出来そうです。

 うん、これも非常に危惧するところですね。
 「大義名分」があると錯覚すると、どう見てもフレーミングなのに、本人達は全く意識しないんですよね。
 「戦争は忌むべきものだが、これは正義のための聖戦だ」って感じ?
 (実は、その傾向を検証する試みを、密やかにしております)
 
以上、感想だけでした。

 あんたは私か、って感じのツボを突いた感想ありがとう。


【bandicootさん】
 まぁ、サッカーの例えの続きはおいておいて
「ニセ科学批判なるものは存在しない、そこには個々の批判があるだけ」という理屈で考えると、apjさんは水商売批判の視点、Judgementさんが血液型性格判断(ABOFAN)批判の視点からの話をしてるので、定義の話では微妙に食い違ったのではないかなと思います。
ニセ科学批判からの視点は存在しないわけですから。

 私は、「ニセ科学」を定義するって立場ではないので、「定義の話」で食い違う、って事は無いのですが、apjさんの発言に含まれる「人文系」の用語の用い方や、社会の把握の仕方については食い違いを感じますね。


【最後に】

 最後のbandicootさんのコメントの中で、私の「血液型性格判断(ABOFAN)批判の視点」という話が出てきましたけど、そのあたりと関連して。

 私は今まで散々ABOFANクンの知識不足、ロジック不足、姑息な戦略、そしてその裏に隠される自己欺瞞的意識について容赦なく批判してきたわけなんですね。
 しかし、ふと心強い味方と思っていた方々を見たら、その中にABOFANクンに似た挙動を見つけてしまったわけです。

 そこはそれ、「Jさん」という呼び名が徐々に好意的に(?)広がってきニセ科学批判界の中で心地よく過ごす為に、そういう事に気付かないフリをする方が、自分にとって楽な選択だったと思う。

 でも、全く個人的な感想として、と受け取ってもらっていいのですが、mzsmsさんにまつわる例のやりとりを見た時、我慢できない程の「嫌悪感」を感じたのよ。
(もしABOFANクン相手だったら、間違いなく徹底的に攻撃する程の)

 そして、「ニセ科学批判」に好意的な私ですらそんな気持ちを抱くなら、ニュートラルな人にはどれだけのものに映るのだろうか、と不安になるわけですね。

 だからといって、「ニセ科学批判改革を!」、なんて偉そうな事を考えたわけではない。

 私は「嫌悪感」を隠しながらうわべの和気藹々を愉しむ事に魅力を感じないし、何よりニュートラルな人に「Judgementなんて、ABOFANには偉そうな事言うけれど、仲間には目をつぶる御用論者だろ」なんて思われたくない。

 ...という全くの個人的な動機で、ABOFANクンに向けていたものと同じ批判の目を、「ニセ科学批判」というか「ニセ科学批判批判批判」に向けて批判しているわけですね。
(お前の個人的動機なんてどうでもいい、って言われちゃえばそれまでだけど、「ニセ科学批判」だって人それぞれの動機でしょ。そういう意味では立場は同じ)。

 別に「ニセ科学批判」をぶっつぶせ、と思っているわけではなく、「ニセ科学批判」からABOFAN的メソッドなりABOFAN的自意識が消えてくれれば(あるいは抑制できるようになれば)、少なくとも私が攻撃する理由はなくなるはずなんだけど....。

 apjさんは「「ニセ科学批判」総括、あるいは私の「ニセ科学批判批判」:批判は足りていたが非難が足りなかった」でも、相変わらず
社会には、「嘘をついてはいけない」「他人を騙してはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」といった社会規範がある。これが社会規範であるということは、「ニセ科学を問題にするとはどういうことか」で一応まとめてある。

 と「決め付けて」らっしゃる。
 ちなみに、「まとめてある」という部分とほぼ同じ内容のものについては、まさに上の記事で既に徹底的にダメ出ししているのだけど(あ、「続きはまた来週~」なんて書いてある。見なかった事にしよう) 、こちらかのTBが成功していないので、まだ気付いていないのだろう。
 ...という事にしておく

 ところで、apjさんは、なんか最近必要以上に「社会規範」に拘っているよね(そこまでニセ科学批判において重要な項目だったかしら)。
 その元凶の一つが私かも、とちょっと増長してみたりして。
 ただ、そこまで拘りたいなら、なんでもっとキチンと「社会規範」や「ウソ」について、調べようとしないのか謎(いつもいつも同じ決め付けのフレーズの繰り返ししかできないでいる事が、不安にならないのかなぁ....)。


 でも、色んな人を見る限り、少なくとも「自分はABOFANと同類にはなりたくない」という意識はあるみたいなのが救い。
 そういう意味では「ABOFANクン」は説得力のある反面教師として、すごくありがたい存在なのだな、と思う今日この頃だったりする。
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コメント 7

FSM

こんばんは。
リプライありがとうございます。自分のとこについてだけ、ちょっと補足させてください。

・「普通は」と「現場」の意味
曖昧な使い方でしたね。すいません。ここで言っている「普通は」の意味ですが、いつでも前提にしていいという意味ではないです。apjさんや技術開発者さんたちがきったはったの世界でやっている悪徳商法関係周辺を念頭に置いていました。ニセ科学批判をする文脈で、ってのはそういう意味で書いたつもりだったんですが、いま読み返したら、「ニセ科学批判」で何を想定しているか書いてないですね。すいません。
 で、そのあたりに範囲を絞ると、「騙す」というのは、社会的には明確に「被害者」がうみ出される「悪い」ものを指していると「多くの場合は」読み取る人が多いのだろうと思います。という意味で書きました。だから、そう読み取れないのはいかがなものか、とかそういうつもりではなくて、その周辺を観察したら、そう思ってる人が多数であるのではないかなあ、ということです(もちろんちゃんと分析したわけではありませんが、具体的な悪徳商法への批判の文脈で、それは悪だと規定することについて特に齟齬があったようにも見えませんし…って私が観察する限りですが)。
 で、そういうわけで、「現場」というのは上で書いたようなものを指しています。だから、

> でも実際はきっと、「現場」って、「お前のいない別のトコ」程度の意味しか持ち合わせていないんじゃないですか?

というのはその通りで、まさにその意味で書きました。誤解されそうですけど、見下すとかそういうことではなくて、前回の私のコメントがapjさんらを念頭に置いていましたので(明示してなかったのでアレなんですが)、彼らの「主戦場」という意味です。
 で、このことが、私が書いた「文脈」につながります。

・「文脈」で意味したこと

>  うーん、批判批判側が批判側に都合の良い文脈に乗る義務はないのでは、というのが1点。
>  むしろ、都合の良い文脈でしか見ていないから、致命的な欠点に気付かない、という事もあるでしょう。だから、違う視点で見られる事こそ価値があるのでは?。

まさにその通りで、というか、それを言いたかったのが前回の私のコメントです。(^^;;
 「文脈」というのは、私はapjさんたちが乗っかっている文脈、という意味で、つまり私のコメントは、apjさんたちからはどう見えているのか、ということを考えながら書いたものです。
 彼らから見ると、「騙すのは悪だ」というのが当然の前提に(ほぼ)なっているような所で必死になって闘っているわけです。そこで膨大な経験を積み、社会貢献でもあることをずっとやってきている。だから、彼らの発想は、まず「騙すのは悪」から始まることになる。というか、彼らが「これは悪だ、批判せねばならない」と思った連中は、たいがい人を騙すことで成り立ってるような連中なわけです(ここが、相対化して見ると、トートロジーになるところですよね)。
 ところが、それを批判する側がその文脈に乗る必要はない。いや、彼らに具体的に批判されている人々はそうではないと思いますよ。「騙している連中だ」というレッテルは強力ですから、騙す側も「騙してなんかいませんよ」というサインを送る。ただ、第三者はそうではない。
 そうすると、騙している「悪」を批判してきた人々にとっては、イキナリ文脈をズらされたと感じても不思議はないだろう、と私が思った、ということです。サッカーの話もそうです。これが、こんどは「実験」を言ったことにつながります。

・「実験」と言ったことについて
 私は、今回のことがJさんが意図して「実験」したのかどうかはわからないです。私が言いたかったのは、すぐ上で書いたように、自分がそれなりに必死になってたたかってきた「ニセ科学」なり悪徳商法とそれを取り巻く「文脈」というものが、そう簡単に一般化できるものではない、しかし往々にして我々はつい一般化してしまいたくなる、そこを衝いたJさんの一連のエントリが、ニセ科学を批判する者にとっての「実験」に値するものである、ということです。意図はどうあれ客観的にはそういう役割を果たしたのではないか、ということですね。


>  今私が考えているのは『「人を騙してはいけない」は社会規範』というキャッチフレーズは、「ニセ科学」を批判するため、というよりも、「批判批判」対策の自己正当化のために用意したモノではないのかな、と思います(今のところ確信には至らないけど)。

私も、そうなのではないかなあ、という気がしてきています。まあキャッチフレーズやスローガンというのは、どうしたって不正確にはなるもんですが、ちょっとこだわり過ぎな気はします。
 いいか悪いかは価値判断なので、アプリオリに決まっていることではないですよね。なんらかの集団内での合意で決まるものなので(というのも単純なんでしょうけど)。悪徳商法に注意を払っている(批判する人も儲けようとする人も)人々には通用する規範なのだ、というところを忘れてはいけないんだろうなあ、と思います。

ただ、裏を返せば、実際問題としては「騙すのは社会規範に反する」がとても有効なところがあるのだと思います。悪徳商法なんかはね。これが「水伝」になるとそうは単純にはいかないのは皆さんご存知の通りで(ってホントか?^^;;)、水伝の騙し方がどう悪質かを説明しないといけなくなる。

というわけで、全然ちょっとじゃないですが(スンマセン!)、たぶんJさんの言いたいことはそれなりに捉えられていると思うのですがいかがでしょうか。私とJさんの違いは、おそらく、『「人を騙してはいけない」は社会規範』というのがソレナリに有効である領域が結構広い(あーもしかしたらこれはそんなに違わないかもしれませんが)ということと、mzsmsさんの一件について、それほど嫌悪感を抱かなかったということでしょうか(mzsmsさんの過去エントリを幾つか見たのが大きいかなとは思いますが)。

***

某A氏については完全に卓袱台をひっくり返されてしまったのでどうしようか思案中ですが、それとは関係なく、古川竹二の古い文献を見せてもらう機会が最近あって面白かったので、しばらくは「血液型と性格」を追求するつもりです。我ながらマニアだなあと思うのですが。^^;;
by FSM (2009-05-23 22:57) 

zorori

「欺いて」という法文に関してはJudgementさんのおっしゃる通りでした。
何らかの被害を与えるということまで含むという思い込みがありました。

ついでですが、「欺いて、財物を交付させ」ても必ずしも罰せられるとは限りませんね。裁判では社会通念上とかいう修飾語がついて程度問題が斟酌されます。つまり、一つの条文だけみると例外は必ずあるわけで、だからこそ個別に裁判で審議するわけです。判断は一つの条文だけではできなくて、その法律の精神やら他の条文や法律との関係、さらには社会通念まで考慮する必要があるわけです。

社会規範も不完全な一つの条文みたいなものだろうと思います。
by zorori (2009-05-24 11:20) 

bandicoot

>トンデモブラウさんもbandicootさんも、自分の解釈が正しい前提で話を進めないでぇぇぇ。

ああ、なんだかすいません。
今回も個々に取り上げられた部分について説明を、といろいろ試みたのですが、読み返すとどれも、自分の解釈的な話ばかりに。。。
愚痴の部分も耳に痛い。猛省します。
ただ、《イノセント》の記事での田部勝也さんの前にしゃしゃり出たのは代弁とかではなく、田部勝也さんの設問の前提にひっかかりを僕は覚えたので、ほんとにそうなの?と田部勝也さんに、僕自身が問いかけたつもりです。具体例についても他のとこからリンク貼らんでも、いい例がここにあるやんという感じで使ったわけで。
それは、できるだけリンクとか他からの情報なしでコメントを完結させたかったからなんですが、ああ、ほんと紛らわしくてすいません。


まずは自分の意見を。
僕自身は「ニセ科学批判」を「きくちさんの言う『ニセ科学』という言葉を、優先順位はともかく理由のひとつとして使い批判すること」と考えています。この場合、ニセ科学の定義はどうでもよく、ニセ科学という言葉を使うかどうかを問題にしています。
そういう意味で「ニセ科学批判」なるものは存在してると思ってます。

ニセ科学の定義については「ニセ科学批判まとめ %作成中」に(ちゃんと読み取れているかは別にして)賛成です。定義のなかに、「社会規範」や「法」についての記述がないところもです。

by bandicoot (2009-05-25 22:15) 

トンデモブラウ

>『法っていうのは「その強制力は特定の行為に対して限定的に行使される。」ものだから、延長しちゃいかんですよ。』
>私の「延長しちゃいかんですよ」がかかっているのは、「強制力」の方じゃなくて、「特定の行為に対して限定的に行使」の方デス。

あれ?
述語(「特定の行為に対して限定的に行使される」)を延長すると、主語(「強制力」)もセットで延長されるんじゃないの。
「法的ペナルティが科されない場合であっても守った方がよいこと」は、「法的ペナルティが科されない場合」なので、限定的行使の対象外という意味ではないのかなぁ。
法自体を延長しているという風には読み取れませんでした。
まぁ二割打者なので、芯外してるかもしれませんけど。

ズレに関しては、理解しました。
社会規範の軽重といった感覚と「ウソはいかん」の軽重の感覚の相違ですね。
社会規範の逸脱が鉄拳制裁とは思わなかったので。(*^^*)v
私の感覚では、忸怩というかやましささえ感じればいいじゃん、程度。

でも、自分の解釈が正しいという前提以外で、コメントはなかなか書けないし。
自分の主張を入れるとこうなってしまうのは、二割バッターの性よのぉ。
まぁ長~い眼で生暖かく見てください。(一_一)
by トンデモブラウ (2009-05-26 10:30) 

zorori

こんばんは、今回は繰り返しではない内容です。

>「人を傷つけるな。それは社会規範に反する」ってぇ?
 なんか冷たいねぇ。「オレは知らんが、社会が許さない」って言っているみたい。
 「俺はケンカなんて許さん。」の方が、責任ある大人の対応って感じ。

まさに、前者のごとく考えています。「ケンカはいかん」は社会的規範ゆえに尊重しています。約束事だから守るべきという考えであって、個人的ポリシーではありません。約束事は状況次第で変わるものと思っていますので、規範が変わればそれに従います。私の個人的ポリシーは「自分と子孫の損得を考えろ」です。社会的規範は善悪ですが、それより個人的ポリシーの損得を優先します。大抵の場合は社会的規範に従うことが得になるのですが、そうでない場合もあります。

もっとも、社会的規範は子供のころから教え込まれ、ほとんど内面化しますから個人的ポリシーのようになってしまいます。特に宗教的規範などでは。ところが、社会的変化が起きて社会的規範も変化し、内面化したポリシーとの齟齬が悲劇を生むということが、文学の一つのテーマではないでしょうか。実話でも「ヤミ米は食わん」と言って餓死した裁判官がいますね。
by zorori (2009-05-26 20:44) 

タカキ

Judgementさんの差し当っての焦点が掴み辛くなってきました。
「人を騙してはいけない」が社会規範に含まれるか否かか、「人を騙してはいけない」が社会規範に含まれると云っている人にその根拠があるのかのドチラを問題視しているのでしょう?
私への回答での批判の裏付けに使用する云々が批判対象なら前者が焦点で、別の方への回答しているダブルスタンダードが批判対象なら後者が焦点になると考えます。

他の方のコメント見ていると論点ズレしているというか反論になってないというか、これがニセ科学批判の周辺にいる人かとおもうと少し悲しいです。
まぁ、私も掴み切れていないのでドッチモドッチかと。
by タカキ (2009-05-30 17:42) 

Judgement

えー、更新や返事さぼってますが
インフルでどうにかなっているわけではないのでご安心を
(誰も心配してないか)

で、まぁ重要と思われるのでタカキさんのコメントに先に返事をしておきますね。

一番最初は
『ホントに”ウソはいけない”のか』
ですね。

すると、「社会規範」を持ち出してきた人がいたので
『”ウソはいけない”が社会規範に含まれているか』
を、反証込みで話をしたりしました。

しかし、返ってくる反応の殆どが
「社会規範に含まれる前提」にした話ばかりされたりするので
(中には、一方的に罵倒して終わりだったり....)
『「”ウソはいけない”は社会規範」というのは根拠がある主張なのか』
と言いたくならざるを得なくなっているわけです。

「ドチラを問題視しているのか」
というよりも、対話を重ねるたびに、問題が深化しているといった感じカナ

例えば某Aクンみたいな人が「心理学の定説」といって正当化してみればおそらくは、「何を根拠に」とツッこむであろう人達が
自分では、裏付けもなく平気で「社会規範」を正当化に使ってしまう、っていうのはやっぱ「ダブルスタンダート」、というか「敵はダメだけど、自分は良い」って感じで、なんともなぁ、って感じがあります。
by Judgement (2009-05-30 22:18) 

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