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道徳論議の観戦記 [言論]

前回の記事はMORIXさんにはあまりお気にめさなかったもよう。
だけど、あれはかなり押さえたバージョンなんだよね。
実は昨年末の時点で、例の道徳論議の顛末をもっと詳細に書いたものができてた。
だけど、まだ私を知って日が浅い人にとって刺激的すぎる、と判断して封印してたの。
(私も時にはやさしい)

 だけど、前回の記事に対するコメントを見て、「ああ、深刻さがわかっていらっしゃらない」と思ったので、あえて封印を解く事にした。

 何の深刻さか、というと...
 「自分の文章が他者にどう受け取られているか」が見えていないまま、「自分の文章をどう受け取るべきか」ばかりに気が行ってしまい、そのせいで『対話』を困難にしている(と、私には見える)状態。
 
 私の”態度”を問題にするのなら、私もMORIXさんの態度を問題にさせてくれぃ

 偉そうに言えば、私程のレベルになるとそういった問題児と「上っ面の対話」をしてあげる事も可能だけど、MORIXさんは私の恋人でも親族でもない(多分)から、そこまで気を使うメリットは私には無い。また、どうもMORIXさんは私の事を過大に評価している節もあるので、私の人となりを知っていただくためにも、私としての「正直な」対応をしたいと思う。 

 で、封印していたのは、私はMORIXさんの話を読んでどう思ったか、を書いたものだ。
 「そう思われるのは心外だ」という反応が返ってくるだろうことは十分予測できるけどね。
 でも「どう思われているか」が分からなければ、
 「そう思われないためにはどうすればいいか」なんて考えないでしょ?

 モチロン、述べるのはあくまで「私個人の読み方」。
(万人がそうだ、なんて大それた事言わない)
 だけど、このブログに書く、と言う事は、少なからず私を意識していただいていると思うから、「私にどう読まれているか」というのは、気になる事のひとつのはず、でしょ?

 モチロン、「それでもどうもしたくない」なら、それは個人の自由。
 そうしても、私というちっぽけな個人に「そう思われ続ける」だけのコト。
 ただ、私のブログだから、私の見方は言わせてもらう、それだけ。
 MORIXさんの物の言い方を強制的に変えようとなんて思ってはいない
 (というのが適切かな、と最近は思い始めた)。
 礼儀正しい装いがMORIXさんのスタンスなら、不躾なのが私のスタンスなんだな。

 というわけで
 前回の記事と重複する部分もあるかもしれないけど、ご了承を。
 では、以下から「封印するはずだった記事」を紹介。


【はじめに】

 あとでがっかりさせても仕方がないので先に言っておく。
 今回のやり取りを見ていて、私が「それはちょっと...」と思ったのはMORIXさんの方だった。
 
 前回MORIXさんを褒めたにもかかわらず、今回これでは「Judgementって奴は、落とす前にワザと一回持ち上げて落差を楽しむ」と思われるだろうけど、それはまぁ仕方ない。
 「実はまだ完全には読み下せていない」段階で褒めちゃった私が悪い。

 「悪いと思うなら批判するなよ」とお思いかもしれんが、それとこれとは別。
 悪人、鬼、悪魔、人でなしと呼ばれても一向にかまわない(←むしろそう呼んで欲しぃ)。

 まぁ、罪悪感の分、あえて記事の投稿はクリスマス前後を外した。
 その日ぐらいは心穏やかに過ごして欲しいと思ったから。それで勘弁してくれ。
(※後日注 本当はコレを12/26頃UPしようとしたけど、やっぱり封印しようと思った)

 それに、この先をMORIXさんは読まない、という選択肢もアリだと思う。
 (だから最初に結論を述べておいた)
 これは挑発ではなくて、本心から。

 人にはそれぞれ「譲れないモノ」がある。
 今回、MORIXさんが私の「譲れないモノ」を踏んでしまったわけだけど、私が問題にするような事はMORIXさんにとっての「譲れないモノ」なのかもしれない。
 もしそうならば、どうせ変わらないのだろうし、変えろとも言えない。
 ならば、別に私の話を聞いて、わざわざ気分を害する必要も無いと思う。

 まぁ、読みたくないけど気になる、と言うのなら「エセカウンセラーの言い訳」あたりを一度読んでみれば、私のどんな「スイッチ」に触れたのかは、なんとなく分かるかもね。

>naokoさんへ
 申し訳ないけど、MORIXさんの問題を指摘しつつ、naokoさんの発言にも応答して、とやると異常に話が込み入ってくるから、今回はnaokoさんのコメントについては、話の流れを示すため引用だけさせてもらいます(私なりの解釈はさせてもらうけど)。添え物的な扱いでゴメンナサイ。


【フェイズ1~MORIXさん~】
高度な議論を展開されているJudgementさんやトンデモブラウさんの邪魔になってしまうかもしれませんが、また稚拙な提案をさせてください。
今回テーマになっている「大義名分」というのは「道徳」や「一般常識」や「正義」や「社会規範」と同じような物だと捉えてよろしいですよね?

 いや、私としては実はよろしくないんですよ(稚拙云々の問題ではなく)。

 「大義名分」というのは、自分が他者を批判したり否定したりする際、自分が正当である事について、「自分が良く考え、そして説明する」という行為をスキップしているにもかかわらず、「自分は正しい」と思い、そう主張するための『思い込み』。一方で、「道徳」というのは、基本的に自分が他者を批判したり否定したりするためのものではなく、自分が守るモノ、他人が守って欲しいと願うモノ...と私は捉えている。
 んで、「道徳」が「大義名分」に“利用される”事はあるけれど、それが「道徳」本来の使い道ではない。だから、私にとっては、両者は“同じような物”どころか「別物」。
(ただ、残る「一般常識」や「正義」の方は、「大義名分」と使い道は同じと捉えている)

 まぁ、MORIXさんとしては“同じモノ”なんだろうし、それなりの「同じ」根拠も有るんだろうから、そう捉えるのはダメとは言わないけど、「他の人も同じと考えるはず」とは考えない方がいい。
 そして、形だけ問いかけても、答えを待たずに話を進めるなら、問いかけても意味が無いと思うし、言っちゃわるいが“迷惑”だ。
 今回のように「同意を求められても同意できない」場合、さっき書いたような「同意できない理由」を説明しなきゃ、と思うわけ(でも、よく考えれば「同じ理由」が大して挙げられていないのに、なんでこっちばかりが...という気もする)。考えているうちにも、どんどん話が進むし、そうすると今更否定しにくくもなるし...と結構気を遣うのよ。
 「問う」という事は「答える」というワン・ステップを相手に強いる、って事を頭に入れておいて欲しい。

 別に「勝手な話をするな」って事を言いたいんじゃないからね。
 MORIXさんが私の記事に触発されて考えた事をコメントで書く、というのは、例え私の主旨と違っていても非常にありがたいと思うのよ。
 勝手に話を進めるなら、他人に何かを強いる事無く、「私は大義名分も道徳も同じだと思うので、道徳の話をする」とそのまま言えばいいだけじゃないかな。

 ...とお断りした上で、だからといって「だからこの話は無効」と言う気は無く、自分にとってはズレた話であるけども、それは置いておいて『道徳』についてどんな話になるのかな、と思い眺めていました。
だとすると「人殺しは何故いけない?」という問への私の答は、非常に子どもっぽい「多数決でそう決まったからだ」となります。本当に稚拙な結論ですみません。

 「人殺しはいけないのか」というのは、あくまで例題でして、そのあたりに深く突っ込むつもりはないのですが、それはおいておいて。

 「人殺しはいけないのか」という問いと、「人殺しは何故いけないのか」というの問いは90度くらい違う。
 前者は「人殺しの是非」が課題である一方で、後者は「人殺しは非」という前提の上で理由を求める課題。
 わたしとしては、どうも話がすり替わっているように思える。

 記事では、「人殺しはいけないのか」という一見常識的には答えが明らかに見える問いに関して「人殺しは本当にいけないのか」という、『反証追求型』のX君と、「人殺しはいけない」を前提に仕立て「いけない理由」を考える『確証追求型』のY君の対比を述べたつもり。
 で、私は、Y君を「悪い例」として挙げたつもりだけど、その記事へのコメントでまさにY君的な事を主張されると、困る。
ですが、「道徳」や「行動規範」を決定するのは、「科学」でも「個人(の主観)」でもなく、「多数決」なのではないですか? 前時代的には「宗教」や「伝統・慣習」や「為政者の権力」が社会の行動規範や大義名分を決めていたと思います。が、現在の日本では「多数決」が世論も法律をも決定しています。もちろん大衆の意にそぐわない法案も次々と可決されていますから、「国民の合意」と「法律」のベン図は重ならないところもあります。

 すっ飛ばし感がふたつ。

 ひとつ目。
 「道徳とは何か」、正確に言えば「MORIXさんが考える道徳とは何か」がよく見えないまま、「どうやって決まるか」が述べられている。何かわからないものについて、どう決まるかなんて、他人には何の話かすら分かりようがない。

 おそらく、MORIXさんは「大義名分≒道徳」と捉えているから、私の記事における「“当然皆が受け入れるべきもの”とされるもの」という「大義名分」の意味が、「道徳」にもあてはまるから飛ばしたのかもしれない。で、そういう解釈で行けば、MORIXさんが言いたいのは、「道徳」そのものではなく、「世間で“道徳”とされるもの」がどう決まるのかについて話そうとしているのかなぁ、という感じ。迂遠な解釈ではあるが。
 とはいえ、実際どうかは私ではなく、MORIXさんが一番知っている事。
 少なくとも、自分から持ち出した「道徳」の話なのだから、他者の迂遠な読解頼みにせず、最初から自分の言葉で明示しておくべきであろう。

 ふたつ目
 その「MORIXさんが考える道徳」が多数決で決まっているよね、と読者に問いかけるよりも先に、自分が何故“道徳”は多数決で決定されていると思うかを、読者に十分説明するべきだと思うのだけど。
 しかし、その先に呈示されるのは「宗教」や「伝統・慣習」の“多数決ではない”事例。そして「法律」という“反例がある事も分かっている”事例(ちなみに、「多数決」が「世論」という何かを決定するのではなく、「多数意見」を世論と言い換えているだけなので、ここで持ち出すのは適切ではないでしょう)。
 何より、おそらく“MORIXさんにとって”道徳に似ていると考えるものに関する例示ばかりで、肝心の「道徳」が多数決である事を示す話が全く出ない。
 これでは、『「多数決」なのではないですか?』と問われても、”既にそう思っている人”以外は同意しようが無い。
「道徳」も「大義名分」もその内実は、Judgementさんの指摘された「掲げる個人あるいは集団の自分勝手な“幻想”じゃないかな」で概ねよろしいかと思います(ただし、個人の"幻想"は「大義名分」や「道徳」には成り得ません。それは"ひとりよがり"と呼ぶべきものです。単純に周囲の合意(多数決)を得られてないからです)。

 なんだろう、ちょいイヤな感じ。「概ねよろしいかと思います」と認定したかと思えば「ただし、個人は違う」と断じてみたりと、まるで上から目線。あなたは私の先生じゃない。
 単に、MORIXさんの考えと私の考えで、同じ部分と違う部分があるだけだよね。

 それよりも、ものすごく気になるのは、この時点でいつのまにか既に「多数決で決められる」という事が道徳評価の“前提”になっているところ。私はまだ問いかけと、法律と世論の話しか聞いていないのだけど...。

 文句ばっかり言ってるのもあれなので、ここらですこし私の考えを述べる。

 「不確かだけど、信じたい」あるいは「正しいと思うけど、正しいと説明できない」人達はどうしがちだろうか、というモデルの話。
 Y君的な人は“確証”を求めるのだけど、その際に「同じ考えの他者の存在」も“正しい根拠”と錯覚する(その根底には「自分だけじゃない」という安心を得たい、という気持ちもあるかもね)。
 で、その人にとって「自分と同様の主張をする他者」が“確証”であると同様、その他者にとってもその人が“確証”のネタになる。そうして、「説明できない人達」が相互を拠り所とし、繋がり(相互の認め合い)を密接にしようとする。
 そういう集団が膨張し、構成員が増えれば、実際は誰も証明しえていなくても「こんなに支持者がいるからやっぱり正しい」という雰囲気が作り出される。
 構成員の視点で見れば、右を見ても左を見ても自分の同意見の人ばかりであるから(実際にはそうなるように集まった集団だから当然)、自分は多数派の一員だと錯覚する(本来は、集団内の人数だけなく、集団外の人数と比較しなくてはならない)。
 そういう人達にとって、「異なる意見を持つ他人」というのは安息を脅かす者であるけれど、その他者を説得できるような説明力も持たない(から群れる、というのもある)。そこで、「自分達が“多数派”である」、という錯覚を根拠として相手に押しつけようとするんじゃないかな。

 何を言いたいかと言うと、「多数か否か」という視点は、『本当に多数か確認する気もないくせに、多数とする事で自分の説明責任が免除されると都合良く感じる人達』が持ち出す、「邪な言い分」でしかない、という事。

 上の小難しい話をもっと分かりやすい身近な例として、「ゲーム機を欲しがる子供の言い分」がすぐ頭に浮かぶ。

「みんな持ってるんだよ。だから買ってよ」

 つまり自分がそれを所有するに正当な権利を持つ根拠として「みんな」を使う。しかし、その時の「みんな」とは大抵「ゲーム機を持っている友達」だけで構成されていて、実際の「みんな」、つまり友達全員を見るとゲーム機を持っている人はあまりいなかったりする。
 つまり、自分の主張に都合のいい確証だけを取り出し、反証を見落としているわけだ。

 『「多数決で決められる」と考える人』がいる、というのは一つの社会の側面として捉えておくべきとは思うけど、それだけで「多数決で決められている」と判断するほど私は単純では無い。
「多数決」により決定する「常識」や「社会規範」は、複数の集団の綱引きで決まる「相対的」な価値観であると言えるでしょう。「相対的」であるということは、絶対的ではなく変化もするということですが、それがトンデモブラウさんの言う「揺らぎ部分」「揺らぎがないもの」にあたるのかは、彼の文を咀嚼できない私にはわかりません。ただ「結論への近道へ導くための近似法的名分」というのとは違うと思います。同時にJudgementさんの『「大義名分」は「真理」と同じで、人間は近づく事はできても、手に入れる事はできない。そんな感じ。』も、私は"そんな感じ "には感じません。「多数決」はそんな大それたものではありません(が、威力は強い)。

 「多数決」を前提に語る問題は先に述べたとおり。
 また、「そんな感じ」は私の“そんな感じ”であり、MORIXさんが「"そんな感じ"には感じません」と言う事については、特に異は挟みません。

 ただ、「複数の集団の綱引き」というイメージがよく沸かない。
 おそらくは、議会政治の与野党間の駆け引きみたいな事を想定しているんだろうけど、『法律』のように「決定しなければ効力がない」ものならいざ知らす、そんなやり取りが「常識」や「社会規範」にまで援用されるものなのだろうか。例えば『特定の集団内で常識となっている』事があるとして、それを『常識』とはしない別な集団と争い、「綱引き(多数決)で負けたら、お前らも『常識』と言え」なんてやりとりがあるのかいな、という感じ。
 
 あと、ここまでで「多数決」の文脈で持ち出してきたものを、順に抜き出してみると、[大義名分/道徳/一般常識/正義/社会規範]→[道徳/行動規範]→[世論/法律]→[道徳/大義名分]→[常識/社会規範]となり、部分的な重合はあれど、視点がぶれまくり。
 正直なところ、MORIXさんは何について話をしたいのかよく分からない。
 分かるのは、MORIXさんが“その色々なもの”が「多数決で決まる」と考えているんだな、というだけで、「何故そう考えている」のかは、ちっとも示されていない。

 さっきも触れたけど、「先生口調」だよ。
 質問しても「そう決まっているんだから、そのとおり暗記すればいいんだ」と言われそう。

 そこに『対話』の余地は無い。
「殺人の是非」を「多数決」で説明しようとすると、非常に幼稚ですがシンプルな説明になります。今の日本社会でも「殺人をする少数派」はいます(これが揺らぎでしょうか?)けれど、「多数」の人は殺人を良くないと思っている。しかしこれが戦争などでパラダイムが転換すれば「殺人を善しとするのが多数派」となります(幼稚な喩えですみません)。

 まず、「殺人をする人」と「殺人を良しとする人」は別です。
 それはおいておいても、「殺人の是非を多数決で説明すればこうなるだろう」というのと「殺人の是非が多数決で決まっている」というのも別でしょう。
 何を“説明”したがっているのか分かりません。
そして次の説明が「ニセ科学」にあたると思うのですが、現行の日本でも「安楽死」や「脳死の人の臓器をとる殺人」などの問題は、「多数決」をもってしても決の分れるところです。「殺人」と一言で言っても、個々の事例では「是認される殺人」もあるかもしれないということです。「良いウソ」と「悪いウソ」があるのと同じですね。 で、実際それらの「脳死法案」なども国会で、要は代表制民主主義の「多数決」で可決されていくのです。「立法」にまで至らない「道徳観」なども、このような民衆の総意「多数決」で決まるものです。

 「立法」はそれでいいとして、何故そこからいきなり「道徳観もそうだ」になってしまうのかなぁ...。
そしてそれは以前Judgementさんが言った「主観うずまく社会」という不確かな人の心が生み出す"世論"……ようは"幻想"そのものです。前回力説してしまった通り「科学はツール」です。Judgementさんは確かに「科学的」な人だと思います。ですが、「気付いた方も多いだろうけど、X君のようなやり方は「科学」そのものだ」X君は「科学的思考をする人物」ではあるが「科学というツール」の使い方を間違えています。「多数決」は相対的なものですから、一見「科学という客観的ツール」が使えそうに見えます。が、所詮は小学生も大好きな「多数決」です。「主観うずまく社会」の「主観」を集めた「多数決」に、「科学的な客観的根拠」を見いだすことは不可能です。し、ふさわしくありません。

 間違えている、と言われても困るのだけど、X君が考えているのは「○○が本当に正しいのか」であって、「○○が正しいとどうやって決めたのか」じゃないし、ましてや、「○○が正しい事」に「科学的な客観的根拠」を見いだそうとして考えているわけでもない。

 というか、「客観的に判断する」の話なんて上に書いていないゾ。
 私が『X君のようなやり方』で「科学」そのものだと言ったのは、「確証で判断する」のではなく、「反証(とその棄却)」の繰り返しで、生き残っているモノを暫定的に正しいとする」という姿勢の事を示したつもりなんだけどね。

 まぁ、それが「科学」の「科学足りうるところ」と思っているのはあくまで私であって、MORIXさんは「客観性こそが科学だ」と思っても別にかまわないんだけどね。
 ただ、「客観性」を持ち出すのなら、『「多数決」に、「科学的な客観的根拠」を見いだすこと』は不可能だとしても、その前段階として『本当に多数決なのか』という事について、(「科学的」はおいておいて)客観的根拠を元に判断する必要があるんではないでしょうか。

 で、「多数決である」というMORIXさんの主張が受け入れられるほど、その根拠の説明を聞かせていただいてない私としては、それを前提として「間違っている」、「ふさわしくない」と言われても、適切とも不適切とも言えん状態なのである。

 また、X君が「人を殺してはいけないのか」を考えているのに、「そんな事多数決で決まった事なんだから、疑うなよ。ふさわしくないよ」と言うのは、Y君的言い分。

 それがダメだよ、と言うことを記事に書いたつもりの私としては、『自分の文章の訴求力もまだまだだな』と反省するしかないわけである。


【フェイズ1~naokoさん~】
「道徳」や「行動規範」は個人的なものだと思う。
そこに多数決を持ってくるのはちがうんじゃないかな。
みんながYesというから自分も、が道徳や行動規範にはなりえない。
さらには社会における観念的な「主観」の総体が、その社会における道徳や行動規範になるというのもしっくりこない。
そんな頭で考えた理屈の正義じゃなくて、もっと身体性を伴ったものじゃないかな。否応なく「身体」が拒絶するというような。
そうしたある種の身体性が、ある社会、ある文化の中で育てられるという意味では、その社会固有の特色が現れるのだろうとは思うけど。国民性とかね。
宗教が形而上というのも、それはどうなのかなあ。
そういう面が強いとは思うけど、やっぱり身体性を伴わなきゃ、なかなか「信仰」には至らないという気がするなあ。こう言うと誤解を受けるかもしれないけど…。だから、妄想は怖いとかね。(←それはまた別の話)
例えば、「胸が痛む(良心)」というのも、本当に痛まなきゃ、それは行動規範にはならないわけで。当人にとって、その痛みは妄想じゃない。
同時に痛みたいと思ったり、痛むべきだと思ったからといって、本当に痛むとは限らない。みんなが痛むから自分も痛むというのはあるのかなとも思いはするけど。それは、思考や感情がどこかのプロセスで身体性を獲得したということなのではないかな。

つまり、道徳が多数決になってしまう社会というのは、そうした個々の良心の身体性が容易には伝播しないという前提に立っている。
そこに違和感を感じるのです。
それが現実と言われてしまえばそれまでだけど。
どうしても頷けないものがあるなあ。


【フェイズ2~MORIXさん~】
また私の言葉が足りなかったようですね。
>「道徳」や「行動規範」は個人的なものだと思う。
>そこに多数決を持ってくるのはちがうんじゃないかな。
そうですね。私は「大義名分」も「一般常識」も「正義」も個人のものではなく、集団のものとしてだけ扱っていました。私の上の文の「道徳」と「行動規範」をそれぞれ全て「社会道徳」と「社会規範」に訂正させてください。

 ほら言わんこっちゃない、という感じ。
 最初にちゃんと説明しないから、ブレるんですよ。
 でも、実は悪いところはちっとも直っていない。
 言葉が加わっただけで、「社会道徳」とは何か、とか、「道徳」とは何が同じで何が違うのかは全く示さない。
 このような場当たり的な手当では、「道徳」をネタに『対話』しようと参加したnaokoさんもうかばれまい。
確かに個人の「道徳」と「行動規範」だけを考えるとnaokoさんのおっしゃる通り、『みんながYesというから自分も、が道徳や行動規範にはなりえない』というお気持ちになるのも判りますし、趨勢に流されない生き方も格好良いと思います。私は支持します。

 一見、naokoさんの主張を認めているようですが、「趨勢に流されない生き方も格好良い」という言い回しに、皮肉めいたモノを感じます。
 「私は支持します」も、「個人的には肯定してあげたいけど、事実は違う」という否定的なニュアンスが漂います。
 ここでも「まぁお前の気持ちも分かるけど、世の中なぁ...」と偉そうに語る『先生』を彷彿とさせます。
しかし人は子どもの頃から多くの「社会道徳」や「社会規範」を"しつけ"や"教育"という形で親や教師から押し付けられます。自分がYes/Noの判断もつかないウチに刷り込まれます。そしてその押し付けられる「社会道徳」や「社会規範」は、その時代の社会の総意であることが多いのではないでしょうか? お分かりだとは思うのですが、私は「多数決が良い」と主張しているのではないのです。私の好悪に関わらず「世の中は多数決で動いている」と認めざるを得ないという立場です。

 意地悪い事を言えば、少なくとも、MORIXさんは、道徳を「押し付けられたもの」と感じながら生育してきた事だけは分かった。

 でも、何故そこで「社会の総意」まで突っ走ってしまうのか。
 明らかに道徳に対する前提の異なるnaokoさんに対し、十分な説明も無いまま“そうではないでしょうか”と問い返す事で、いったい何を期待しているのでしょう。
 『MORIXさんが何故「世の中は多数決で動いている」と認めざるを得ないという立場にいるのか』、それはMORIXさんしか知らない事なのに。
naokoさんは「多数決」でしっくりこない理由として「頭で考えた理屈」と「身体性を伴う感情」の相克で説明されているようですが、私の読解力ではその論点がよくわかりません。ロゴスとパトスのようなものでしょうか? だとしたら「多数決」はパトス(感情)で決まることが多いものです。このことは次のエントリー「科学観」へのコメントで詳細を書くつもりですが、「多数決」は個人の勝手な「主観」で票が投じられるので感情に流されやすいし、印象操作も受けやすい。「多数決」はまったく論理的ではなく過ちも多い、歴代の独裁政治なども民主主義の賜物です。

 ロゴスとパトスを持ち出すのはいいんだけど、『「多数決」はパトス(感情)で決まることが多い』は、いったい誰の何に関係する記述なのだろう。
 naokoさんの論点は「パトスは多数決で決めるような事とは別」という話なのではないか。

 ちょいと、というかかなりずれている。

 それ以降の文もただ、MORIXさんの考える「多数決の実状と歴史」を述べただけ。
 『だから何だ』というのがやっぱり示されない。
それとも「それは、思考や感情がどこかのプロセスで身体性を獲得したということなのではないかな」というのは「感情」と「生理学的反応」の関係性についてのお話なのでしょうか。それでしたら心理学のJudgementさんの専門でしょうが、有名なジェームズ・ランゲ説などをgoogleしてみると面白いかもしれません。

 naokoさんの意見が分からないなら別に先取りしてわざわざ『ジェームズ・ランゲ説』というものを持ち出す必要が無いし、「そう分かった」と仮定した上で言うのならジェームズ・ランゲ説(悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる、だった...かな)が、naokoさんの考え方にどのような修正を与えるのか、と言うところまで述べるべき。
 
 わざわざ小難しい用語“だけ”を持ち出す意味はないと思う。


【フェイズ2~naokoさん~】
たとえば「頭でわかる」という言い方、「腹でわかる」という言い方があります。実感として違いがわかりますか?
頭でわかっているだけでは、場の状況で流されやすいし、印象操作も受けやすい。面倒なことは見てみぬふりもするかもしれない。しかし、腹でわかっていることに関しては、みすみす看過はできないでしょう。

これは、「生理学的反応」と結果として関係はあるでしょうが、言いたいことはそこじゃない。


【フェイズ3~MORIXさん~】
>たとえば「頭でわかる」という言い方、
>「腹でわかる」という言い方があります。
>実感として違いがわかりますか?
すみません。実感としての違いが分かりません。前の「胸が痛くなる」は実感として分かりますが、私の場合それは「涙が出る」や「嗚咽が起こる」のと同じ「生理学的反応」としてです。naokoさんはきっとそれ以上のことがおっしゃりたいのでしょう。だとすると、今の私には分からないのかもしれません。

 分からない事を「分からない」と言う、それができない人もいない中では立派。
 でも、「胸が痛くなる」はあくまで比喩で、「生理学的反応」じゃないでしょ。
 もし「生理学的反応」とすれば、それは心臓の疾患だ。

 naokoさんが「生理学的反応」以上の事を言おうとしているのではなく、MORIXさんの方が「生理学的反応」やら「ジェームズ・ランゲ説」やらを持ち出し、比喩以上の事を求めて話を混乱させているのではないかと“私には”見えてしまう。
 そう考えると、「分かろうとしているけれど分からない」のではなく、「分かろうとしないから、話を広げて分からない理由を探している」んではないかと勘ぐってしまう。

【フェイズ3~naokoさん~】
では、たとえば、もう十数年会っていない古い知り合いからその人の肉親の死による「忌中につき…」という儀礼的なはがきが届いたとします。
旧友の肉親の死という事実は誰でも理解します。
その時かすかにでも「胸に痛みを覚えた」人は、その痛みに促されるように、即座に、相手に手紙を書くでしょう。その手紙の内容はおそらく相手の気持ちを深く気遣うものになるでしょう。
しかし、そうした痛みを感じないなら、儀礼的に手紙を出さなければという意識は働いても、同時に面倒だという気持ちも生じる。なかなか身体が動かなかったり、通り一遍の手紙になってしまったりするでしょう。
「忙しくて返事が遅れました」とか書き添えて(笑)。

旧日本海軍将校の反省会の録音テープの中に、ミッドウェー海戦について、軍令部参謀だった人に対して、艦長として戦場に赴いた人物が詰問するシーンがあります。
「机上で作戦立案だけしていたあなたたちは、現場があれだけ決行を延ばしてくれと言ったのに、全く聞きませんでしたよね。あれでほんとに成功すると思っていたんですか?」
「いや、わたしも思っていなかった。だから、上司にせめて一月延ばしては、と進言したのだけど、聞いてくれなかった。」
「あんたね、何にもわかっちゃいないよ。」
「いや、わかってはいたんです。」
「頭でわかっているだけだ。本当に戦場で戦う一人一人の兵士がどんなものかちゃんと腹からわかっとったら、そんなんで済ませられるはずがない!」

このように、人に行動を促すものとして、「頭での理解」と「胸や腹での理解」という表現の使い分けがされます。

それとは逆に「泣きゃあいいと思っている」といわれる様に、全く当人の行動を促さない、単なる発散とか責任回避、あるいは自己撞着の涙もあります。

結果として両者とも「生理学的反応」ではありますが、質的には大きく異なります。
前者の身体性は、独立した個人の内面で、自我の欲求に反して人と人との結びつきを強く意識するよう促しますが、後者は自我の欲求に沿ってその結びつきを断つ方向に生じます。

わたしが‘身体性の伝播’を求める方向性として考えているのは、この前者の方です。


【フェイズ4~MORIXさん~】
大変よく分かりました。理解力のない私の為にわざわざ時間と労力を割いて下さって有り難うございました。naokoさんの論点は極めて人文学的な問題なのですね。そして『多数決の際には「理屈」や「科学的根拠」などではなく、個々の「感情」や「主観」の方が集票力につながる』と考える私と、何ら相反するものではないご意見だとも受け取りました。私は『多数決を科学というツールで切ってもしょうがない』と当初から主張している通りの考えです。

 なんとなく、見下げた感があるなぁ。
 「人文学的な問題」って具体的にどういう観点の問題なのよ?
(※後日注 別の記事のコメントで説明らしきものはしていますが)

  『大変よく分かりました』って言うけれど、実際の所は「今まで分からなかった自分を正当化できる理由が分かりました」ってだけでしょう。

 多分、naokoさんの主張は相変わらず分かってないんじゃないかな。
 その証拠に、naokoさんの主張にはほとんど対応せず、単に「何ら相反するものではない」で終わり。
 結局のところMORIXさんにとって『自分の前提を押し通せればいい』だけで、その自分の欲求を押し通すための“邪魔な小石”を取り除けられればいい、ってぐらいの感覚じゃないのかな。
naokoさんは私の「多数決」という幼稚な用語を「頭でっかちの理屈で考えたこと」と受け取ってしまったのではないでしょうか。だとしたら私が使っている「多数決」という言葉を「世論」と置き換えて読み直して下さった方が意味の通りが良いかもしれません。実際「大義名分」や「社会規範」は「決」などとってはいないのですしね。もし、そのような「相対性」で決まるあやふやなものにJudgementさんが「客観的根拠」を求めても、「自然法の成立がほにゃららで、実定法や慣習法はなんたらで……」という苦しい説明をするのが精一杯でしょう。

 またブレた...。「多数決」→「世論」

 んで、「多数派の意見」という意味だけで使うのなら確かに「多数決」ではなく「世論」の方が良いだろうんr。
 ただし、「世論」とは単なる現状を示しているだけであり、「何かを決める」ものじゃない(モチロン、「世論」が物事を決める事があるけれど、物事を決めるために世論があるわけじゃない)。
 なのにやっぱり『「相対性」で決まる』なんて、また「決める」云々にまで踏み込もうと言うのならば、「多数決」を「世論」に“言い換えた”だけで、他に何か変わったのか、さっぱり分からん。
そして懸念されている「感情の身体性の伝播」について私の見解を述べさせてもらえば、「身体性」が伴おうが伴わなかろうが、十分に伝播していると思いますよ。naokoさんはフーコーをお読みの様ですから、彼の言うエピステーメーなどはその根拠ともなるでしょう。逆に今のメディア社会では伝わり過ぎて、「自分の気持ちが容易に他人に伝わると勘違いする輩がいる」とJudgementさんが憤慨されているほどです。確かにそちらの方がずっと問題とすべき「主観渦巻く社会」なんですよね。<次回に後述します>

 naokoさんは「身体性」こそが道徳に必要と考え、それが伝播して欲しいと言っているのだと思いますが、それに対して『「身体性」が伴おうが伴わなかろうが』は無いなぁ。
 『大変よく分かりました』の程度がよく分かる反応。

 あと、フーコーは振り子しか知らんし、エピステーメーという言葉を使ったフーコーがそのフーコーなのかも知らん。だから、エピステーメーも知らん。

 まぁ、MORIXさんとしては、naokoさんがフーコーを読んでいる事を前提に話しているとは思うんだけど、それでも言えることを言う。
 フーコーのエピステーメーとやらは、「感情の身体性の伝播」についての幾ばくかの視点を与えてくれるかもしれなけれど、「根拠」にはなりません。もし、それが「根拠」だというのならば、「フーコーが言っているから正しい」といった、何とも貧弱な前提に立っているんですね、としか言えない。

 あと、中途半端なメディア論をするぐらいならしない方が良い。
 その中途半端な言説の中に、私の名前も並べないで欲しい。


【フェイズ4~naokoさん~】
ここで言う「身体性を伴った感覚・感情・理念」の伝播は、コミュニケーションの根幹となるものです。
残念ながら、そうした伝達は、共同体の崩壊や共同体験の喪失によって、むしろ非常に困難になってきていると考えます。
そのため、MORIXさんのおっしゃる「主観渦巻く社会」、つまり人間同士がしっくり和合の取れない社会になっている。
単なる言葉での理解、MORIXさんのおっしゃる「頭でっかちの理解」はできても、本当のところはどうもちぐはぐになっている。
ちょうど、今、わたしとMORIXさんの間の相互理解がなかなか進まないようにね。
では言葉だけじゃなく、音声を加えたら、映像を加えたら、直接会ったらどうか?
そうした互いに伝えあえる情報がどんなに増えても、なおかつ相互理解はなかなか難しいでしょう。

その理由の一つは、わたしがコミュニケーションに使っているツールとMORIXさんの使っているツールの違いにあります。

MORIXさんは、「身体性を伴おうが伴わなかろうが、十分伝播している」とおっしゃいました。
ところが、先の大戦で現場司令官たちが、必死で作戦の延期を求めた要求は、身体性を伴っては司令部参謀達には伝播せず、多くの命が失われることになりました。
それが、現代の社会においては伝播しうるとお考えですか?

その辺の考察に、かなり雑なものを感じるのです。
MORIXさんは、そうしたコミュニケーションの困難さの根幹については、考察を拒絶しているように見えるのです。
それでは、わたしがMORIXさんを「頭でっかち」と感じたとしても、非難はされますまい?

そのへんは、Judgmentさんが、次の科学観のエントリーでおっしゃっていることと関係しているんじゃないかな。

さらに、フーコーの考える知の枠組みの捉え方からすると、例えば現在の日本(世界においても)において、エピステーメー(同時代の知の枠組み)は、かなり分裂したものとなっているのです。
それが価値観や尺度の多様化を生んでいます。

そのため生じる社会現象の卑近な一つが、「ニセ科学批判」vs「ニセ科学批判批判」だったりします。
そのほか、大局的には「近代」vs「反近代」
          「頭・精神の尊重」vs「身体の復権」
          「個人主義」vs「関係性の回復」
          「科学」vs「スピリチュアル」
          「原理主義」vs「寛容と相対主義」
だったりします。

たとえば、フーコーの「狂気の歴史」の考察法に則って、現代において何が‘正気’とされるのか、を考える手段として、逆に現代において何を狂気と考えるか、を考察します。
すると、それぞれの立ち位置によって、狂気と正気の境界線は、かなりブレて見えるでしょう。
そういう時代なのですね。

ちなみにわたしは上に挙げたどの位置にも立っておりませんが。
実は、こうした二項対立状況がうさんくさいと感じる立場です(笑)。


【フェイズ5~MORIXさん~】
毎日即座のご返答ありがとうございます。お話が「大義名分がどう決まるか」から枝分かれして、だいぶ末節の方へ進んでいる気がします。が、おかげ今度は、私とnaokoさんとの考え方の違いが明確にわかりました。話をさらに拡げてしまうことを避けるため、naokoさんのコメントに応答する形で、私の立ち位置を説明したいと思います。

 状況としては、「枝分かれして、だいぶ末節の方へ進んでいる」のは、次々と芯をブレさせながら、思いつくまま新規な単語を持ち出し、「色々アタリをつけてみる」ような問いかけを繰り返しているMORIXさんのせいだと思うんだけど、その自覚はあるのでしょうか。
>ここで言う「身体性を伴った感覚・感情・理念」の伝播は、
>コミュニケーションの根幹となるものです。
実はここで既に違うのです。私はコミュニケーションの根幹は「感覚・感情・理念」ではなく、「対話」にあると考えています。それは「感情」や「主観」を軽視するという意味ではありません。逆に自分だけでなく、相手のそれも尊重したいからこそ、「言葉の客観性」と「科学の客観性」の正しい用法にこだわるのです。

 言っている事は一見正論。
 でも、今までのMORIXさんのnaokoさんに対する対応を見る限り、素直に受け取れない。
 だって、MORIXさんこそ「対話」を忌避しているように見え続けているんだもの。

 「勝手な決めつけ」と言われる覚悟で、MORIXさんの心の底を読んでみる。
 多分、MORIXさんの主観の中には、「自分にとって主観的なつもりの事」と「自分では客観的なつもりの事」の2つがあって、後者については「それが客観的だ」という“無根拠な自負”がある。
 『「客観性」の正しい用法にこだわる』というのは、“客観的であるようにこだわっている”のではなく、単に“こだわっているから客観的なはずだ”という願望以上のものは無い。

 で、「自分では客観的なつもりの事」に一致しない意見は、話題から外したいんだ思う。
 ただ、「否定しない代わりに、相手にしない」ってな事を“尊重”と言っているだけ。
 一方で、「自分にとって主観的なつもりの事」も否定しないで“尊重しろ”、という思惑もある。

 それにより、「自分では客観的なつもりの事」を何の説明無く『前提』にし、その前提を疑うような事は「主観」扱いでやんわりと除外する。そのくせ、自分の主観は(否定させずに)大いに語る。
 つまり「他人そっちのけで、自分本位で話を進める」ための、都合のいい言い訳にしか聞こえない。

 少なくとも、これまでのMORIXさんの言動から見る限りはね。
>そうした伝達は、共同体の崩壊や共同体験の喪失によって、
>むしろ非常に困難になってきていると考えます。
私は昨日言いました通り、逆に容易に成り過ぎていると危惧しています。共同体が崩壊した後を「グローバリズム(子どもがマックの味を刷り込まれること)」と「ファスト風土化(各地方がファーストフード店、ブックオフ、TSUTAYAで同一風景になること)」の世界であると捉えるからです。換言すると共同体崩壊後の「超個人主義」と「新植民地主義(ナオミクライン)」の席巻を恐れています。感情の暴走と価値観の均一化ですね。

 新しげな言葉が沢山出てきたけど、どういう意味で言いたいのかさっぱり分からない。換言したところで、看板だけ差し替えただけで、さらに分からない。
 これで「言葉の客観性」の正しい用法にこだわると言われても...。

 まぁ、同じ味、同じ風景で「擬似的共体験」をするから「共感しやすい」という所までは深読みしてあげるとしても、naokoさんは、MORIXさんが提案した「道徳」の話に付き合っているんだよね。

 『感情の暴走と価値観の均一化』が、どう「道徳の伝搬しやすさ」につながるのか、しかもそれをどういった理由でMORIXさんが危惧せねばならんのかさっぱり説明が無い。

 話題を無秩序に広げているのは、やっぱりMORIXさんだろう。
>単なる言葉での理解、MORIXさんのおっしゃる「頭でっかちの理解」はできても、
>本当のところはどうもちぐはぐになっている。
>ちょうど、今、わたしとMORIXさんの間の相互理解がなかなか進まないようにね。
>[中略]
>その理由の一つは、わたしがコミュニケーションに使っているツールと
>MORIXさんの使っているツールの違いにあります。
私の使っているツールが「頭でっかちの言葉」だということでしょうか(違う場合はご指摘ください)? いずれにせよここで私たちが使っているのは「ネット上の言葉」という非常に表層的なツールですよね。そしていずれのツールを使うにせよ、人の『相互理解がなかなか進まない』ことを私は当然の前提としております。「何かのツールを使えば理解し合える」と考えることは非常に危険なことです。Judgementさんの嫌う「一方的な価値観の押しつけ」や私の嫌う「画一的な価値観」になる危険性があるからです。『他人の主観まで自分と同じでなきゃ気が済まないのカナ』明言です。違うからこそ語り合うのだし、歩み寄ろうとするのです。

 naokoさんは別に「何かのツールを使えば理解し合える」とは言っていないでしょ。
 だからあえて青筋たてて危険性を述べる必要はないんじゃないの、

 ただ、これまでのMORIXさんの発言への私の批判は、まとめると「それらしい言葉を並べて決めつけるだけの、上っ面なもの」にしか見えず、(naokoさんの意図とは違うかもしれないけど)「頭でっかちの言葉」と言いたくなる。

 でさ、確かに、「言葉の道具の限界」はあるんだけど、『相互理解がなかなか進まない』と言えるのは、できるだけ「自分の意見」を他人に分かるよう説明して、説明して、それでも限界を感じている人が言える事。

 語り合おうにも語り合い方を知らず、歩み寄ろうにも歩み寄り方を知らない人は
 「語り合うのだし、歩み寄ろうとするのです。」といくら言っても、実現はできない。

 そういう所が分からない人にイラつく私なので、ここで私の名前を使わないで欲しい。
>ところが、先の大戦で現場司令官たちが、必死で作戦の延期を求めた要求は、
>身体性を伴っては司令部参謀達には伝播せず、多くの命が失われることになりました。
>それが、現代の社会においては伝播しうるとお考えですか?
>その辺の考察に、かなり雑なものを感じるのです。
naoko さんが「雑」に感じたのも当然だと思います。それは私が『ミッドウェー開戦』の例を大変微妙な問題だと捉え、判断を記すことを避けたからです。『naokoさんの論点は極めて人文学的な問題なのですね。』とだけ言うに留めておきました。「腹で理解する」を説明するには判りやすい例だとは思いましたが、同時に大戦中の話は我々に特殊な感情を喚起してしまいます。その感情で「ミッドウェー海戦」の断片的な情報を元に『責任回避、あるいは自己撞着(正しくは自家撞着ですね)』という判断を下すのは簡単ですし、読者にも非常に訴える力を持ちます。が、それは上記で触れた「感情の暴走と価値観の均一化」につながります。本来「人文学的な問題」には幾つもの解釈があり、答があるのが健全な状態だと私は考えております。

 ここでも「分からない自分を正当化できる理由」をまず探している、と言わざるを得ない。

 読み返せばすぐ分かるように、『ミッドウェー開戦』の例というのは、MORIXさんが『「頭でわかる」と「腹でわかる」の意味が分からない』というのに答えて、naokoさんその「頭でわかる」と「腹でわかる」の違いの一例として挙げたもの。
 であれば、『「腹で理解する」を説明するには判りやすい例だとは思いました』だけで十分。

 なのに、そういった経緯を一切無視するかのように「大変微妙な問題」としたり顔をし、「人文学的な問題」と決めつけ「大戦中の話は我々に特殊な感情を喚起してしまいます。」と“全く関係ない話”をさももっともらしく言う。
 「人文学的な問題」には幾つもの解釈がある、というのは思考停止の言い訳であり、「人文学的な問題」だろうとなんだろうと、自分なりの一つの答が導けるのか導けないのか、という所を考えるべきではないかな。
 そういう自分の思考停止を、「naokoさんの論点は極めて人文学的な問題なのですね」という風に、naokoさんの論点にまつわる問題のように表現するのはアンフェアー。

 「雑」もなにも、naokoさんの言っている事を、何一つ受け取ろうとしていないんじゃないかな。
 単に「雑」と言われたのにムッときて、「判断しない自分」を正当化する理由を、経緯を無視して持ち出しているだけにしか見えない。

>それでは、わたしがMORIXさんを「頭でっかち」と感じたとしても、非難はされますまい?
本当に「コミュニケーションの困難さの根幹」と「相互理解」を大切にするならばこのような言説は避けるべきだと考えますので、私は返答を控えさせて頂きます。申し訳ありません。

 そうかなぁ。私は違うね。

 相互理解、というのは「上っ面だけの和気藹々な対応」ではないだろう。
 「相手の気持ちが分る」と言うと、”やさしさ”の文脈で捉えられるケド
 「分った上で、的確に踏みにじる」という選択も私はアリだと思う。

 んで、相手が自分をどう思っているのか、これも「相手の理解」には大事。
 避ける必要は無いはずで、むしろ私は「すごく欲しい」。
 それも、ネガティブな意見ほど欲しい(ポジティブなのは照れるので嫌)。
 避けようとするのは『自分に心地よい範囲での“相互理解”とやらしか求めていない』って事じゃないかな。

 何より、そういう自己主張を引っ付けた上で、「私は返答を控えさせて頂きます」という“返答”をわざわざつける所に、相手に対する「非難」の意図が読み取れる。
 結局「非難」を言葉に出すか、遠まわしな態度で示すかの違いしか無いんじゃない。
 個人的には、後者の方がむしろ「汚いやり方」に感じるけどね。

 そもそも、「このような」という表現をされるような酷いもの言いには私にゃ聞こえない(まぁ、私と比べたら誰だって酷くないだろうけど)。
>例えば現在の日本(世界においても)において、
>エピステーメー(同時代の知の枠組み)は、かなり分裂したものとなっているのです。
共同体が崩壊したのに、分裂しているという世界観には矛盾を感じますね。確かにかつての村社会の方が、その中での「身体性を伴う関係」や「共同体験」があったというnaokoさんの意見には賛同できます。が、その共同体が集合したものが国家、世界なのですから、大局的には『日本(世界においても)において』も昔の方が分裂していたはずでしょう。私は今の日本も世界も、やはりグローバリズムと工学により(不健康に)統合していると考えます。そして私が「身体性を伴おうが伴わなかろうが、十分伝播している」と言った根拠は、古くはマクルーハンから近年の東浩紀まで、原始化や動物化と呼ばれる現代人の直情型の行動が問題視されているからです。「すぐキレる若者」や「リストカットや猟奇事件の伝播」など身体性を伴うどころか身体そのものを伴った奇行、先ほどの『ミッドウェー開戦』の例ではありませんが「全米が泣いた」などの情動的なメディアとそれに流される民衆。これらはnaokoさんの意に反して「頭でっかち」ではなくその逆(知性の損失)を理由とするのが識者たちの見解です。naokoさんの懐古する「身体性の伝播」が実体を失いつつ肥大化し、昨今の「ムラ社会」から「プレカリアートの右翼化(永井俊哉)」などに繋がることの方がずっと心配なのです。(短い文で多くを説明しようとするとどうしても専門用語が増えてしまいます、ごめんなさいJudgementさん)

 まぁ、フーコーを知っている(はずの)両者が語りあっているわけだから、私が分からなくても仕方ないんだけど、バラバラに分布している事と「分裂」は違うんじゃないかなぁ、と疑問(言葉にこだわるならばね)。

 でね、「私は今の日本も世界も、」以降に関してだけど、専門用語が多い事よりも、ひとつひとつの説明が全く無い事の方が気にかかります。
 短い文、と言っても十分長いし、短い文にする必要も無いし、何より短い文に納めてかつ主張を理解させたいなら、すくなくともこのやり方は最悪の部類に入るでしょうね。
 悪いけど、「知っている言葉の羅列」にしか聞こえない。
 そもそも、識者って誰?で、識者が言っているから正しいのカナ

 こういうのを見ると、私は「ああ、この人は借り物の上っ面の知識を振り回す事しかできなくて、中身が無いんだろうなって思っちゃう。
 
 身の丈で語ろうよ。
 背伸びして見せても、私みたいな底意地の悪い人は、足下からまず見るんだから。
>それが価値観や尺度の多様化を生んでいます。
>そのため生じる社会現象の卑近な一つが、
>「ニセ科学批判」vs「ニセ科学批判批判」だったりします。
>[中略]
>実は、こうした二項対立状況がうさんくさいと感じる立場です(笑)
ですから『うさんくさい』どころか、私は「価値観の多様化」は大歓迎です。私は「ニセ科学批判」を「批判」するもう一つの目があることを健全だと思いますし、その目であるJudgementさんのされている事を否定するつもりはありません。二項対立よりも、三項、四項と別れて「対話」や「議論」の成立する方がずっと自然で住みやすい社会だと思います。この「多様化」を受け入れるかどうかに、私とnaokoさんの立ち位置の違いが大きく表れていたのですね。

 いや、naokoさんは「価値観の多様化」がダメっては言ってないって。
 「二項対立」がうさんくさいって言っているだけよね。
 むしろ「二項に限定する対立図式」こそ、「価値観の多様化」を否定する代物と捉えているんじゃないかな(naokoさんの真意はわからんけど)。

 むしろ、「価値観の多様化」は大歓迎と言っているMORIXさんが、勝手なこじつけを加え、あたかもnaokoさんが狭量であるかのように示して見せる事で彼女を見下そうとしているように見える。

 多分、「立ち位置の違い」が事実だとしても、MORIXさんが自分を起きたがっている立ち位置にnaokoさんがいて、MORIXさんがnaokoさんをそこに置いて見下したい立ち位置には、実は自分が立っているんじゃないのかな。


【フェイズ5~naokoさん~】
お返事ありがとうございます。
しかし、この『対話』は、こうして向き合っているわれわれはかなりしんどい状態ではありますが、客観的に見ると、大変面白いケース・スタディになっているのではないか、という気がします。

MORIXさんがおっしゃるように、わたしも『対話』は大切にしたいと考えております。せっかくですから率直でありたいと思うと同時に、どこまで踏み込むべきかと悩ましいところでもあります。

ぽつりぽつりといきましょう。
わたしはMORIXさんのおっしゃる「知性の損失」も「頭でっかち」も、同じ現象の裏表にすぎないと見ています。それを、「身体性の喪失」と捉えているわけです。
この身体性という言葉がまた、自分で言っていてかなりわかりにくいだろうとは思うのです。ここでは、それを『対話』をする上での相手の人間性に関する‘手ごたえ(触感)’とでもしてみましょう。

対話や議論が成立するためには、最低限の信頼関係の基盤となる「安心できる感触」を必要とするわけですが、その信頼感を支えるものをMORIXさんは「論理性」や「科学的思考法」に求めているわけですよね。
それは、わたしも大切な一面だと思っています。
そのほかに、もう一つ大事なものがあり、それが「互いの人間性への信頼」だとも思うわけですが、それはMORIXさんも同意されるでしょう。
ところが、この‘互いの人間性’の判断基準は極めて言語化が難しい。
それでも対話の中で、互いにそれを探り合うわけです。
その時、互いの心の中でどのようなツール(あるいは尺度)を用いて判断しようとしているか、そこが問題になるわけです。

人間を判断しようとする以上、そこに人間的な経験のストックが生かされることになります。(←このストックは身体性を伴うものでなければならないというのがわたしの主張。さもなければ、それは身勝手な妄想になってしまう。それをMORIXさんは「主観の暴走」と捉えているのではないかと。そして、それにはわたしも同意。そうした主観の檻にとらわれている場合には、(主観的な)知の枠組みは際限なく分化していき、MORIXさんのおっしゃるように、最後には無に帰すことで、画一化が達成されることになります。おそらく、現代はそういう地点にあるのかもしれませんね。)

ですから、MORIXさんは、その経験自体が「多様化」しているのだから、そうした経験知のストックは当てにならないという立場なのかな、と感じます。
一方、わたしは、いつの時代もどこの国でも、そうした人間的な知恵は通用すると考える。

もちろん「あなたはこういう人間だ」と決め付けるわけではなく、「この点はどうなのだろう?」と問いかけるわけです。
しかし、そうした問いかけそのものが、MORIXさんからすると、どうも大変居心地が悪いように見受けられます。

なぜなら、自分の認めていない尺度を用いて測ろうとする試み自体が、対話相手であるわたしが主観的で勝手な尺度による決め付けに向かっていると感じていらっしゃるのではないでしょうか?

‘ミッドウェー’は、単なる例示なのですが、それにまつわるわたしたちの認識のすれ違いは、かなりはなはだしいものがあります(笑)。

そこから、わたしは上に挙げたように感じ、考えたわけです。
こうした対話の齟齬は、どうもニセ科学批判VSニセ科学批判批判の場合にも似たような具合に起こっているのではないかな。


【フェイズ6~MORIXさん~】
大変申し訳ありません。
>MORIXさんは、その経験自体が「多様化」しているのだから、
最後に来て、私が上記したの正反対の結論になっているようです。

 「上記したの正反対の結論」も何も、読み取り方の指示もないアットランダム的な情報の羅列しかしてないのに、そりゃ無理だろう。神様でも無理。
>そうした経験知のストックは当てにならないという立場なのかな、
>と感じます。
私も「経験知のストック」は当てになると思いますが、「言葉」も大切です。発する時も、読み取る時ももう少し「正確」を心がけて頂けると有り難いです。「正反対の結論」にお答えしても、お話がそれる一方なので、まだ控えさせていただきます。

 大の大人が「分かってくれないからもうやめた」的な“拗ね”は見苦しいと思う。
 つまり、MORIXさんは「自分の発言を、(言ってない事まで)自分の意図通りに解釈してくれなければ話はできん」と言っているわけだ。

 まぁ、“拗ねる”まで行ってしまったら、話は終わりだろうね、とこの時点で思った。


【フェイズ6~naokoさん~】
おかしなことを言いますね。
わたしは「結論」を出しているわけではありませんよ。
「わたしはこのように感じるのですが?」、あるいは、「あなたはこう感じていらっしゃるのですか?」と、問いかけをしているだけです。
やはり、互いの経験値のストックをすり合わせる作業(‘手ごたえ’をはかる作業)が、どうもあなたは苦手なようだ。
とはいえ、だいたい予想どうりの展開です。(残念ながら)
このように、‘互いの人間性’に対する信頼関係を築いていく作業は、現代の日本ではなかなか至難の業なのですねえ。
とはいえ、いろいろ丁寧に付き合ってくれてありがとう、MORIXさん。
今度はまた別のアプローチを考えてみますね。
それから、場所を快く貸していただいて感謝します、Judgmentさん。
ではまた。


【フェイズ7~MORIXさん~】
 正直なところ、実に「見苦しい」。正視できない、と言ってもいい。

 「この書き込みで何を示そうとしているのですか」と問えば答えは一つ
 『自分は悪くない』、『あなたが悪い』という事を、延々言い訳しているだけだ。

 「蛇足」と本当に自覚しているなら何故書くのだろう。
 もうここに「他人の目(客観)の意識」はまるでない。
 あるのは「自分を自分で慰めたい」という欲求だけ。
 まさにマスターベーションであり、しかもそれを公然とやっている。
 そんな感じ。
結論ではなかったのですね。それでは私がその箇所を「誤読」したということになります。大変失礼申し上げました。私は筆者の意図通りに読めなかった場合を、自分の「誤読」と捉えるようにしています。それはたとえ原文が悪文だったとしてもです(naokoさんの文が悪文だと言いたいのではありませんよ、念のため)。ただ私は、これまでも主張し続けて来たように「言葉の客観的で正確な使用」には相当こだわっていますので、私の誤読の原因も説明させていただきます(大変見苦しい、蛇足となりますけどね)。

 これまでの経緯を見る限りにおいては、『「言葉の客観的で正確な使用」には相当こだわっています』なんていかほどのものか、という感じ。
 少なくとも、MORIXさん自身がコメントする時は特にこだわってないだろう。
 「自分にとってよく理解できない他人の文章は、主観的で不正確だ」って言いたいのかな。
naoko さんが「結論」ではく「問い掛け」だとおっしゃっている箇所、『ですから、MORIXさんは、その経験自体が「多様化」しているのだから、/そうした経験知のストックは当てにならないという立場なのかな、と感じます。』を、私はスラッシュまでが「断定」もしくは「前提」であると読み取ったのです。 naokoさんは「文全体が問い掛け」のおつもりだったのですね。これはテキストのみに頼らざるを得ない場合、よく起こる行き違いですね。

 「行き違い」という言葉回しが厭ですね。
 「私の読みが間違っていたかもしれないが、あなたの表現も紛らわしい」って事かな
しかし私はそのような行き違いを避けるために、必ず「文脈」も追いかけながら精読する姿勢を心掛けています。今回の場合はその直前の『そうした主観の檻にとらわれている場合には、(主観的な)知の枠組みは際限なく分化していき、MORIXさんのおっしゃるように、最後には無に帰すことで、画一化が達成されることになります』という文でした。ここでもnaokoさんは私の昨夜の書き込みとは逆のことを『MORIXさんのおっしゃるように』と記されているのです。それが私が「naokoさんに正確に読んでいただけなかった」と判断し、「正反対の結論にお答えしても、お話がそれる一方なので、まだ控えさせていただきます。」とお返事した理由です。

 「昨夜の書き込みとは逆のこと」と言うけれど、あの「それらしい単語の羅列」で、どう『正確に読む』事ができるのか、というのが大いに疑問。

 何より、naokoさんの発言は、それより前にMORIXさんが書いた『共同体崩壊後の「超個人主義」と「新植民地主義(ナオミクライン)」の席巻を恐れています。感情の暴走と価値観の均一化ですね。』を元にしていると思うのだけど、自分の「文脈」は読めているのだろうか。

 何より「行き違いを避けるため文脈を追いかけながら精読」と言い、「その直前の文章」を取り上げているから、その前段の「行き違い(誤読)」を正当化するための話をするのかと思いきや、単純に『ボクの気持ちを分かってくれない』レベルの判断しかせず、いつのまにか自分が拒絶的な返答をした事の理由説明になっている。

 文脈を無視する人が、他人の文脈を追って精読できるものなのか。
 結局言いたい事はこれだろう。
ですからnaokoさんは、現時点でも私の文を正確にはお読みになられていないように思えます。

 それがどうした。
 そういう事を言う前に、まず自分の文章について、『言葉の客観的で正確な使用』がされていて、『「文脈」も追いかけながら精読』すれば“正確に読める”代物なのか検討すべきだ。
確かに「グローバリズムと工学」以下のくだりは、前知識がないと相当読み取りにくい主張だと思います。ご要望であれば、詳細な説明もいたしますよ。ただそこが難しいにしても、「私は現代を「価値観の均一化」と捉え、それより「価値観が多様化し対話の成立する社会」が健全だと思っている」ということだけは伝わるように書いたつもりです。naokoさんはそれを「MORIXが現代を「分化・多様化あるいはその末に無に帰するもの」と捉えている」と誤読されているようでしたからね。

 「書いたつもり」と言われても「つもりはあっても、そうなっているとは限らん」としかいえない。
 念のため、もう一度「グローバリズムと工学」以下のくだりをレジメ風にまとめよう
1.グローバリズムと工学により(不健康に)統合していると考える
2.「身体性を伴おうが伴わなかろうが、十分伝播している」と言った根拠
 (1)原始化や動物化と呼ばれる現代人の直情型の行動が問題視されている
 (2)身体性を伴うどころか身体そのものを伴った奇行
 (3)情動的なメディアとそれに流される民衆(「全米が泣いた」)。
3.識者たちの見解=知性の損失が理由→naokoさんの言う「頭でっかち」の逆
4.「身体性の伝播(=naokoさんの懐古)」→実体を失いつつ肥大化
→(自分は)「ムラ社会」から「プレカリアートの右翼化(永井俊哉)」などに繋がることが心配


 まず、「頭でっかち」について。
 『naokoさんの言う』と言っているけれど、実際は『MORIXさんのイメージする』だよね。
 だって、naokoさんは「知性」の話はしていない。むしろ「表層的な知識で判断する」事を「頭でっかち」と言っているんだろうから、2-(3)あたりは、naokoさんの逆などころか、まさに彼女が危惧している通り。

 で、そもそもnaokoさんが何の‘身体性の伝播’を問題にしているかといえば、それこど“MORIXさんが言いだした”『道徳』のはずでしょ。
 なのに、MORIXさんは「何の話か」という『最も大きな文脈』を無視して、‘身体性の伝播’という部分的な言葉だけを切り出して反応している。
 だから、naokoさんは「身体性を伴わない伝播でいいのか」という話に対し、「身体性を伴おうが伴わなかろうが、十分伝播している」というあさってな返答をするのだし、2-(1)(2)なんか、『道徳が十分伝播する』話どころか、むしろ『道徳が伝播するわきゃない』事例の羅列に見える。

 「何の話をしているか」とか「相手が何を言っているか」を無視して話を混乱させているのはやっぱりMORIXさんだよ。「私の文を正確にはお読みになられていない」という以前に、naokoさんの文を正確にはお読みになられていないところが問題なのではないかな。

 で、どういう自負があれば、この文章について
『私は現代を「価値観の均一化」と捉え、それより「価値観が多様化し対話の成立する社会」が健全だと思っているということだけは伝わるように書いたつもりです。』
 何て大それた事言えるのだろう。
私も誤字・脱字は多い人間ですが、言葉には気をつけたいと常に思っています。そしてnaokoさんのおっしゃるような「経験知」や言外で伝わる「心象」や「相手の人間性に関する‘手ごたえ(触感)」についても自分ではわかっているつもりです。

 「誤字・脱字」なんて、単語レベルのミス。
 んなのどうでもいい。
 問題は、「人に何かを伝えるための文章になっているか」。気をつけるべきはそこ。
だからこそ失礼にも Judgementさんに「人格攻撃はやめましょう」と諫言しているぐらいです。naokoさんのおっしゃった『対話や議論が成立するためには、最低限の信頼関係の基盤となる「安心できる感触」を必要とする』『もう一つ大事なものがあり、それが「互いの人間性への信頼」だとも思うわけですが、』『ところが、この‘互いの人間性’の判断基準は極めて言語化が難しい。』などの言葉にはまったくもって賛同しますし、そのような態度も立派だと感じます。


 「人格攻撃はやめましょう」と言うのはご立派。しかし、MORIXさんの文章には「人を小馬鹿にした感じ」、正確に言えば、「人を小馬鹿にしたい感じ」に満ちあふれている。
 小難しい言葉をこれでもかとまくし立てるのもそう。
 そういうのも言外で伝わる「心象」なんだな。
 
実際、このようなネット上だけのやりとりをしながらもnaokoさんのお人柄や背景など余計なことまでをも想像しながら、あなたの行間にそれを求める自分がいます (ストーカーじみて気持ち悪いと思われるかもしれませんが)。いくらネットだとはいえ、生きている人間がコミュニケーションしているのですからそれは当然のことでしょう。

 それは、ここで言う事?
そしてネット上だからこそ、今回の『やはり、互いの経験値のストックをすり合わせる作業が、どうもあなたは苦手なようだ。とはいえ、だいたい予想どうりの展開です』とか、前回の『それでは、わたしがMORIXさんを「頭でっかち」と感じたとしても、非難はされますまい?』などの言葉には、 naokoさんの大切にする「お互いの人間性への信頼」との矛盾を感じずにはいられないのです。

 答えは簡単。
 naokoさんが、MORIXさんに「人間性への信頼」を見出せなかった。それだけ。
(って、勝手に決め付けてゴメンなさい>naokoさん)

 それとも、相手を無視して暴走するMORIXさんにいつまでもやさしい言葉を投げかける、というのがMORIXさんからnaokoさんに求める「人間性」とやらなんでしょうか。
もちろん人は日々の気分でも大きく変化する生き物ですし、それで引導を渡しているわけでもありませんけどね。私の方としましては、naokoさんが昨日の私の書き込みを正しく読解してくだされば、その先の議論へも進みたい所存です。

 MORIXさんは「引導を渡せる」立場に無いと思うよ。どちらかといえば「渡される側」

 『私の書き込みを正しく読解してくだされば、その先の議論へも進みたい所存です。』
 あの代物を「正しい読解(=MORIXさんの表現力では全然表せないもの)」しなければ、先に進めないとは、なんとも高いハードル。
 というか、相手が理解できないでどんどん脇道にそれ、しまいには「わかってくれない」と拗ねて見せる。

 そんな人が何で「議論の進行」に口出しできるのだろう。


【フェイズ7~naokoさん~】

 naokoさんの大人なあしらいがひときわ輝いて見える。
 (※後日注 「あしらい」は彼女の本意ではない表現です)
なるほど!
では、わたしとMORIXさんの論理の相違点は、社会の現状の認識をどう表現するか?という点にあったのかもしれません。

端的に言えば、MORIXさんは現状を画一化の方向性で捉えている。おそらくそれはある面で正しいのでしょう。なんらかのネットワークの内にある構成員同士は、一種の画一化されたコミュニケーション様式(表現形態)に頼る傾向があるのは確かだと思います。カルト、ネットウヨク(左翼も)、オタク文化、ブログ言論などにもそうした傾向は見られますね。
表現形式・内容に逸脱があまり見られないことは、集団内の個人の内面も似通っていることを予想させます。 しかし、一方そうした集団内における人間同士の親密度・交流の深さは、わたしの経験からすると、どうもあまり当てにならない。相手の内面に対する関心よりも、むしろ孤独を恐れるあまり、時にはむやみに一体感を求める傾向すら感じます。(←これが、MORIXさんのおっしゃる「主観の暴走」の背景にあるのではないだろうか?そうなった場合には、集団内で排除の論理が強く働き、異なる価値観への許容度は極端に低くなる。それをMORIXさんは案じていらっしゃる?←問いかけです・笑)

とはいえ、集団の構成員同士の内面(主観)は、意外とバラバラなのではないか、という気がするのです。 ただ、‘個として立つ’自信がないために、しかたなく集団に属している人も多いのではないか、と思います。 そのため離合集散が起こり易く、それを悲哀として経験した人々は、ますます確固とした共同体への依存を希求するようになる。
それは「自由への恐れ」のようなものかとも思います。

と、ここまではそれこそ、わたし自身「頭で」考えたことです。
わたしとしては、そうした現状の背後に、他人を信じない、あるいは個と個としての結びつきが薄く、長く信頼関係を保てない「人間のあり方」の問題を感じるのです。
それは究極的には他人の主観も自分自身の主観も信じ得ないニヒリズムへ向かうのではないか、という意味を込めて、‘主観が無に帰す’と表現したかったのです。
わたしが危惧しているのは、そうしたニヒリズムへの志向性にあります。

ちょっと言葉使いが不正確で荒っぽかったせいで、いらぬ誤解をさせてしまったかもしれません。

ところで、わたしはもともと言葉は荒っぽいのです。というか、だいたいいつも直球勝負です。内面と裏腹な言葉などは、あまり持ち合わせておりません。たとえ嫌われても馬鹿正直にいくのが信条です。
MORIXさんに対しては、ずいぶん失礼な物言いをしているのかな、とも思うのですが、今のところ、MORIXさんに対して、皮肉や嘲笑といった感情はありません。(←あったら対話できませんよね。)

しかし、わたしは怒りや失望の感情はよく抱きます。(←そして表現してしまいますので、根には持ちません) MORIXさんにしっかり向き合おうとしている姿勢の一部と考えていただけると幸いです。

↑自分で書いていて、ずいぶん都合の良い言い回しだな、と反省。
わたしの表現が、MORIXさんに‘感情の牙’と感じられたとしたなら、それはやはりわたしの問題です。
反省します。

ごめんなさい。

ところで、一方ではMORIXさんの書き方にもちょっとわたしの神経をさかなでしていた部分があるのですよ。 たとえば、「身体性をともなおうがともなわなかろうが伝播する」という部分。
これはかなり聞き捨てならないところだったので、それに対するわたしの返答が「腹でわかる」にまつわるミッドウェーの例示。(←身体性をともなっては伝播しなかった例)
ここでわたしはMORIXさんを「頭でっかち」と批評(←これがわたしのいけないところ)
そして、理由はどうあれ、MORIXさんは一時それに回答を拒否された。(これがわたしには肩透かしと感じられました。)
そして、MORIXさんは「わたしの懐古する身体性」と表現。(これがまた、皮肉に聞こえたのです。)
これもまた聞き捨てならなかったのですが、ともかく自分の考えに対して相手の理解を深めてもらうことが先決と考え、身体性を対話の触感(手ごたえ)と表現してみる。
わたしとしてはこうした触感(身体性の一部)が懐古するしかないものであるなら、異なる価値観は決して融合せず、際限なく分化していくだけだろうという考えから、MORIXさんの主張を理解できなかったのです。

そこで、かなり丁寧な説明を心がけ、自分なりに推測を交えて問いかけてみたところ、「結論」が間違っていると言われて、根本的にかみ合わないと思い対話を断念する。
そうした結果に終わることはよくあるので、「まあ、いたしかたないかな」と、思っていたところでした。
そこに、MORIXさんの丁寧な返答をいただいて、望外のことと、感謝しております。

互いにかなりギクシャクはしましたが、結果オーライということで、先に行きましょうか?



【フェイズ8~MORIXさん~】
ありがとうございます。
『互いにかなりギクシャクはしましたが、結果オーライということで、先に行きましょうか?』
この言葉をお聞きして、ほっと胸を撫で下ろしました。そして私の言葉や表現、そして返答の仕方にも至らないところがあった事にも気づかされました。謝罪したいと思います。ごめんなさい。(本当はもっときちんと感謝と謝辞を書きたいところなのですが、あまり「いわゆる馴れ合い」のような言葉をやりとりしてしまいますと、私の「身体性」がくすぐったくなってしまう気質なので、短い言葉で失礼します)ただ、naokoさんの潔いコメントには、本当に敬意を表します。

 どうでもいいけど、「短い言葉で失礼します」と言っておきながら、「短い言葉である事についての言い訳」が長い。
ところで我々の話も「大義名分」というタイトルから大分外れてきたようですので、場を次の「私の科学観?」の方へ移しませんか? PseuDoctorさんが次にと予告されているコメントが下へ下へと先送りになってしまうことが、ずっと気掛かりでした。これも私の勝手な憶測ですが、エントリーに関連することはJudgementさんとしても同一スレッドにまとめられたいと思い、ここで私たち二人だけのやりとりを続けさせて頂いていたのですが、もうそろそろ潮時かな、と思います。

 いや、それを言うなら「最初から外れている」んだよね。私としては。
 ただ、ブログ主はそれを指摘せずにやりとりを眺めていたんだから、それは気にしなくてもいい。
 それに、結果的にはMORIXさんの挙動も十分「エントリーに関連すること」と言えるし。

 でさ、PseuDoctorさんの件に関してはさ、悪いけど、それを20近くやりとりした後に言われても...という感じ。しかも、それ自体は悪い事では無いんだけど、人一倍長文書いてきたわけだから、今更やめようがやめまいが五十歩百歩。

 っていうか、本当に気がかりだったなら、「知識の羅列」で冗長にせずに、簡潔になうよう「自分の言葉」で工夫すればいいんだし、ましてやこの前のコメントのように「頭から尻尾まで自己弁護にまみれた長文」をわざわざ投下しないって。無駄にコメント欄を縦長にしといて、今更ねぇ...

 何より、自分がやりとりを中途半端で終える理由にされてしまうのは、PseuDoctorさんも望むまい。
 
 結局、「そろそろ潮時かな(=自分がもう飽きた、限界を感じた)」というのをまた「他のせい」にしようとしている。

 現状としては、naokoさんがハシゴを外された感があるね
私が「科学観」の方で(また勝手に)提案したいことは、「科学的価値観」と「人文的価値観」を分けましょうということです。要は「客観的事実」と「相対的価値」を仕分けしなければ、「ニセ科学批判」vs「ニセ科学批判批判」の議論が進展しないのではないかという提案です。なのでJudgementさんの「科学観」を書いて頂き、私の科学観を1〜5の箇条書きでまとめました。そこで「科学的価値観=客観的事実」の線引きをした後は、「人文的価値観=相対的価値」の方に議論が移ることが予想されますし、私自身はそちらの議論をしたいと希望しております。

 自分で「道徳」の話を振っておきながら『自分の気持ちが害された』りして、「気分良く話す状況」でなくなったからって、『私自身はそちらの議論をしたいと希望しております』とは、なんとも勝手な
今我々が取り上げている「身体性」の話も「価値観の均一化・多様化」の話もあちらの方がふさわしい気がします。

 少なくともnaokoさんが取り上げている「身体性」の話なんてちっとも分かって無いくせに、どっちが相応しいかなんて、分かりっこない。
そして今回 naokoさんが「問い掛け」て下さった『これが、MORIXさんのおっしゃる「主観の暴走」の背景にあるのではないだろうか?そうなった場合には、集団内で排除の論理が強く働き、異なる価値観への許容度は極端に低くなる。それをMORIXさんは案じていらっしゃる?』は、そうです。まさしくその通りです。お汲み取り頂きありがとうございます。

 だったら最初に自分でそう言え。
 汲み取ってもらう事で、お礼を言わなきゃならんような文章書くな。
おそらくJudgementさんが「ニセ科学批判×4」をされる要因の一つもそこにあると思います。しかし、またnaokoさんがその後でお書きになった『それは究極的には他人の主観も自分自身の主観も信じ得ないニヒリズムへ向かうのではないか、という意味を込めて、‘主観が無に帰す’と表現したかったのです。』という言葉は私には無かった発想ですので、そういう方との対話こそ、私がこの場に望むものです。勉強になります。今後も意見の「相違」もあれば「同意」もあるかと思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。

 他人を語ったり、他人の言葉を語ったりするのはもういいから
 いいかげん自分の言葉を語れ。


【最後に】

 なんと言えばいいのかな...
「どう見られたいのか」っていうイメージだけはハッキリしている。
 で、「見られたい自分」として捉えてくれないと、拗ねる。怒る。機嫌を悪くする。
 すぐに頭に浮かぶ言葉は「そんなつもりはない」じゃない?

 でも、もしホントにそんなつもりが無いとすれば
 MORIXさんに欠けているのは、「どうやったらそう見られるか」を考える事。
 (あるいは、「どうやったらそうじゃなく見られるか」とか)
 まさに、イノセント。

 「あなたらしければそれでいい」
 あいだみつをとか、最近の歌詞にはそんな言葉が散りばめられているけれど
 そんな事を言ってくれるのは、肉親か恋人ぐらい。
(しかも実はそこにはちょっとした軽蔑と諦めが込められているんだよね)


 例えば、酒を飲んで運転して人を轢き殺した人がこう言う
 「人を殺すつもりはなかった」
 そんなの当たり前。
 その結果が「自分の飲酒運転」にあるから、問題になっているのだ。

 「自分の事を分って欲しい」それは誰でも持っている欲求、それは分る。
 でも、エサをねだるヒナのように、口を開けて待っているだけではダメなのよ。
 「他人」は「自分の目線じゃない目線で自分を見ている」という所に気が付かないと『対話』は満足にできないんじゃないかな。

 こういうと、「そういうお前はどうなんだ」と言われそうだけど
 私は別に「いい人」に思われようとは思っていない。

 「他人が心地よくあるように」と思うどころか、
 「どうすればダメージでかいか」を考えるような人
 そうする事で、自分も同様の事をされるリスクはあるんだけど
 そういう「刺すか刺されるか」的なスリリングな『対話』を求めている。


 紳士・淑女ヅラしてやる生ぬるい『対話』が好きな人もいるだろうけど
 私は、そうじゃないんだな。
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naoko

観戦過程に違和感はありません。

ただ、今のMORIXさんに内容を消化できうるとも思えない。
その辺が、Judgementさんが投下をためらった理由だろうとも感じました。

わたしとしても、当初、この対話を一つのテキストとして残したいという意図があったのも確かではあるんですが…。

同時に、対話相手であったわたしにとっては、MORIXさんにそれなりに思い入れが生じてもいました。

judgementさんとしても、先の彼のコメントがなければ、投下しようとは思わなかったでしょうし。

しかたがありません。
by naoko (2010-01-11 04:53) 

MORIX

私が前のコメントをしたその日のウチに、こんな長文がエントリーされていて、驚いてしまいました。以前から書きしたためられていた部分もおありのようですが、即座の対応に感謝いたします。私はこの長さに相応するお返事を書く時間的許容量がありませんので、Judgementさんの区切られたフェーズごとにお返事していきたいと思います。

このエントリー全体にお答えを出来ない理由はまだ他にもあって、そちらも先にご説明します。その理由とは、上でJudgementさんがお書きになっている内容に同意できる部分もあれば、出来ない部分もあって、その2つがあまりにも複雑に絡みあってしまっているからです。そこをほどいてお返事することが困難だからです。

たとえば、Judgementさんがご自身の「道徳観」や「多数決」に対しての私見を述べられている箇所は、私も大いに同意できる部分が多いのです。もちろん私の意見とズレる箇所も少しはございますが、ぜひ今後とも(そちらが嫌でなければ)やりとりを続けたい内容です。しかし昨日申し上げた通り、Judgementさんが私MORIXへの人格攻撃をしている箇所については、私から見ればストローマン。つまり私が考えてもいなかったことを、私の本心や真意としてJudgementさんが創作なさって批判されているように見えます。

このエントリーを読み始めた最初、フェーズ1の頃は、論理の部分と人格攻撃の部分とに分けて、お返事しようかなと考えていたのですが、読み進めていくうちにどんどん私のストローマンが大きくなっていしまい、それが叶わなくなりました。ですので、まず今回は最初のフェーズ1にだけお答えしながら、複雑に絡んだ糸を解きほぐして行かせて頂きたいと思います。ゆっくりとした進行になってしまうと思いますが、お許しください。


【フェーズ1】
この段階ですでに、私のストローマンがうっすらと姿を現わしているように感じました。

まず、私が最初に『今回テーマになっている「大義名分」というのは「道徳」や「一般常識」や「正義」や「社会規範」と同じような物だと捉えてよろしいですよね?』と問い掛けたことを、Judgementさんはずいぶんご批判されていますね。『形だけ問いかけても、答えを待たずに話を進めるなら、問いかけても意味が無いと思うし、言っちゃわるいが“迷惑”だ。』と、また『「問う」という事は「答える」というワン・ステップを相手に強いる、って事を頭に入れておいて欲しい。』とおっしゃり、『勝手に話を進めるなら、他人に何かを強いる事無く、「私は大義名分も道徳も同じだと思うので、道徳の話をする」とそのまま言えばいいだけじゃないかな。』と非難されています。

しかし、私の主観からの言い分を書かせてもらえば、Judgementさんからの上記のような非難を、書き込みから今や4週間も経って言われても……今さらどうしようもありません、としか答えられません。まず『勝手に話を進めるなら』と言われましても、あの時点での私はnaokoさんとのやりとりが15回以上も進む事を予想すらできませんでした。そして、Judgementさんが『大義名分』と『道徳』を一緒に扱うことにそれほど不都合を感じられていたことも知りようがありませんでした。『勝手に話を進めるなら』と言われましても、私が『大義名分』と『道徳』を一緒に扱うことがそんなに『勝手』だったとはここまで知りようがなかったのです。そして『他人に何かを強いる事無く』とも非難されていますが、私のあの文が何かを『強いる』ような文だとは思えません。逆に「多数決ではないですか?」と提案させて頂いている文のはずです。Judgementさんが『勝手に話を進めるなら』とおっしゃってるのが、もしかするとあの15回以上のやりとりではなく、あの書き込み1回きりを指しているというコトもあり得ますが、私は冒頭でことわっている通り、あの文全体が「提案」の文のつもりでした。いずれにせよ、私が前提の段階から間違っていたのならいくらでもご指摘できたはずです。

また、『形だけの問いかけ』『答えるというワンステップを相手に強いる』というご批判に対して。あの時点での私は実際に問い掛けをしていたのです。『答えるというワンステップを相手に強いる』と言われましても、そのやりとりが手軽に出来るのがネットの利点だと思っていました。今でも思っています。もちろんどうでも良い事を問い掛けて、相手に答を強いるのは失礼でしょう。しかし私は、私の意見を書かせて頂く上で大前提としなければいけない重要な事項を、『「大義名分」というのは「道徳」や「一般常識」や「正義」や「社会規範」と同じような物だと捉えてよろしいですよね?』と、最初にお断りさせていただいているのです。Judgementさんがそれをお望みでなかったのなら、即日とは言わないまでも、数日のうちに『私はそれらを一緒にしたくない』或は『一緒にするならその根拠が欲しい』と1行ででもおっしゃって頂ければ良かったはずです(長い文を書こうとして躊躇されていたようですが、今になってこんな展開になるよりは1行でも書いていただいた方がずっとましでした)。その翌日にあれだけ長文の『私の科学観』についてのエントリーを書かれる手間の、ほんの一部を割いていただけたら嬉しかったです。そうすれば私は必ずそれに対応したはずです(あの頃の私はずっとJudgementさんからの反応を心待ちにしていましたから)。そのことは、それまでの私のこちらでのふるまいを見ても予想はつくはずです。

今になって私がこの「大義名分」「道徳」「一般常識」「正義」「社会規範」などをひとまとめにすることを皆さんにお訊きした理由を申し上げますと、それはもちろん言葉を客観的に使いたかったからです。これらの言葉はそれぞれの方の主観により、捉え方の異なる可能性も大きいけど、その区分もはっきりとつけられないような性質を持っていますよね。もちろんJudgementさんが言うように問いかけなどしないで書き始めることもできたし、まったく触れもしないで書く事もできたでしょう。しかし私は、ネットは本のような一方通行のメディアではないのですから、問い掛けた方が良いと思ったのです。あの頃は皆さん連日活発に書き込みをされていましたし、そこで何の異論も出てこなかったので、ひとまとめにしても良いんだと思っていました。それで、あの定義のままで私がnaokoさんとやりとりを続けたのです。

しかしこうなるともう「ニワトリが先か?……」のようになってしまいます。私はあれらの言葉を一括りにしたいからこそ、Judgementさんが『順に抜き出してみると、[大義名分/道徳/一般常識/正義/社会規範]→[道徳/行動規範]→[世論/法律]→[道徳/大義名分]→[常識/社会規範]となり、部分的な重合はあれど、視点がぶれまくり』と非難されている箇所で、それぞれの用語を意図的にスクランブルさせながら書いたのです。ところが、「大義名分」と「道徳」を一緒にしたくないと強く思うJudgementさんからは、『自分で言っておきながら言葉の客観的使用などまるで出来てていないMORIX』というストローマンが生まれつつあったようですね。Judgementさんの本意はもちろん私には分かりませんが、結果、今回の記事をお読みになった方にも、MORIXは『視点がぶれまくる』ヤツで、『"迷惑"』『勝手に議論を進め』『何かを他人に強いる』ヤツだという印象を与えてしまうことでしょう。




そして次のステップでは、ストローマンの姿がさらにはっきりとしてしまいます。

Judgementさんが『上から目線』『あなたは私の先生じゃない』と非難される箇所について、お話しします。ここがなぜ「上から目線」に読めるのか私には全くわかりませんし、そんな「上から目線」な気持ちは微塵もありませんでした(私の内心のことは証明のしようがありませんが)。Judgementさんは『「概ねよろしいかと思います」と認定したかと思えば「ただし、個人は違う」と断じてみたりと』いう説明で『上から目線』だとおっしゃっていますが、認定したり断じてみたりするのがいけないのでしょうか? それとも私の言葉遣いがいけなかったのでしょうか。この箇所について正直に言えば、私はどうしてこういう表現を選んだのか、今ではもう覚えていません。ですからこちらは私の「本心」を見せることは本当にできません。きっと私としては「Judgementさんにほぼ同意しているが、少しだけ意見が違う」ことを伝えたかっただけなのだと思います。

もしかすると「あなたはほぼ合ってますよ、正解ですよ」なんて言うだけでも、それは「認定」だ。「上から目線だ」と非難する人はいるかもしれません(よっぽど狭量だと思いますが)。しかし、「概ねよろしいかと思います」という謙譲表現を選んだ私は、そういう誤解を避けようとしていたのだと推測します。当時の気持ちは思い出せませんが、私はJudgementさんに『上からの目線』の感情など、一度も持ったことがありませんよ。これだけは確実に言えます。先日から攻撃され初めて大変残念な気持ちにはなっていますが、今でも私はJudgementさんの方が知識においても、思考力に於いても上だと思っています。少し話がズレてしまいましたが、あるいはその後に『ただし、個人の"幻想"は「大義名分」や「道徳」には成り得ません。』と断じてる部分がお気に召さないのでしょうか。

確かに私の行為を「認定して断じる」という風に捉えれば、これを読んでいる皆さんにもMORIXの印象は良くないですよね。しかし私はあそこでただ『概ね同意して、少しだけ反論する(というか訂正する)』という書き方しかしてないと思うのです。決してよくJudgementさん口にする『持ち上げておいて落とす』なんて行為はしていません。



また同じ『上から目線』で言えば、その後の『さっきも触れたけど「先生口調」だよ』『質問しても「そう決まっているんだから、そのとおり暗記すればいいんだ」と言われそう。』『そこに『対話』の余地は無い。』と批判されている部分。こちらに至っては、私のどこが「先生口調」なのか、見当もつかないのです。

分からないので、「口調」とおっしゃっていることから、原因は文脈よりも表現なのかなぁと推測するしかありません。しかし、口調は特に語尾に表れるものなので、その指摘される部分の私の語尾を集めてみようとしても『価値観であると言えるでしょう。』『彼の文を咀嚼できない私にはわかりません』『違うと思います。』『私は"そんな感じ "には感じません。』『そんな大それたものではありません(が、威力は強い)。』と書いてあるだけです。

私にはこういった口調のどこが『先生口調』なのかわかりませんし、『質問しても「そう決まっているんだから、そのとおり暗記すればいいんだ」と言われそう。』という判断になるのか分かりません。『そこに『対話』の余地は無い。』ように読めてしまうのですか?

それとも語尾ではなく、文脈に戻して考えてみても、この直前でJudgementさんは私の『視点ぶれまくり』を非難され、「多数決」で決まるという根拠が分からないとおっしゃっているだけです。分からなければ人格攻撃をする前に、質問をされることをお願いしたいです。私はそれまでのやりとりでも、皆さんの質問にはできるだけ答え、話題を振られただけのことについてもお返事を差し上げてきたはずです。『対話の余地がない』ような振る舞いも、口調もしていない自負はあります。質問しても「そう決まっているんだ」などと答えるのは、私ではなく、MORIXのストローマンだと断言できます。


……と、すみません。この後で今度は「道徳観」や「多数決」についてのお話をしたいと思っていたのですが、「人格攻撃の無意味」について書いているだけで、こんなに長くなってしまいました。また論点がぼやけるのを避ける為にも、今回はこちらのストローマンの話だけで終わりにします。私が冒頭から困惑している上記の事項に、お答え頂ければ嬉しいです。
by MORIX (2010-01-11 18:39) 

naoko

>MORIXさん
ちょっときつい言い方しますけど、他意はないので、冷静に聞いてくださいね。

上のコメントの冒頭でMORIXさんが書かれている「以前から書きしたためられていた部分もおありのようですが」という程度のいいかげんなテキストの読み方では「さすがにちょっと」Judgmentさんも返答する気が起きないと思いますよ。
上のエントリーそのものは、文中にあるようにほぼ‘全文(最初の導入部と途中の()付の但し書き数行を除いて)’クリスマス以前にすでに書かれていたものです。

それが、『以前から書きしたためられていた部分もあるようですが』と書かれては、「この人本当にまともに読んでいるの?」と思われるか、下手をすると、「『クリスマス以前には書いていた』と述べている自分の言説を真っ向から疑っているのかね?」と疑問に思われるのがおちです。

それが、そう思われることは百も承知で『自分が相手を軽んじていること』を暗に示すMORIXさん流の皮肉な表現のつもりなのなら何も申しません。
助言は無駄だからです。
しかし、無意識にやってしまっている表現なら、この助言を有効に活用することを願います。

というのも、MORIXさんの表記表現にはそうした不用意な「相手への侮辱」と取れる表現がみられることが多いからです。
特に、そうした表現は、相手のストレートな非難の後に、必ずMORIXさんの記述に顔を覗かせます。それが読むものには「拗ねている」という感を抱かせます。
そうしたことはJudgmrntさんも上のエントリーで何度も述べていることでもあります。ところが、その直後の記述にも同じ特徴が現れる。
そうした現象一つとっても、MORIXさんの「相手の言説から自らを省みる能力」の有無に、周囲は疑いを抱いてしまうのです。

それが、MORIXさんの言説が、全てその場の取り繕いにすぎないと見えてしまう理由のひとつです。
by naoko (2010-01-12 06:41) 

MORIX

naokoさん、ご指摘ありがとうございます。私の方もストローマンの不快をこちらから書き連ねるだけでなく、naokoさんのアドバイスを自省の材料として考えながら、Judgementさんのご返答を(来ないかもしれませんが)お待ちしたいという気持ちになりました。
by MORIX (2010-01-12 18:48) 

タカキ

naokoさんはMORIXさんと云う方をつかめて居ないのでは?
MORIXさんはそういった細々した表現より論旨を重視して居られるご様子。
こういった立場からJudgmrntさん風にnaokoさんのコメントを読むと、「私の言説に反論したいが、表現にしか反論すること出来ない勘定論丸出しの人」に見えることでしょう。
そう見えたとしても人格批判は不毛だとか人格否定は無意味は公言してる彼のことですから、そんなコメントはしないでしょうが(:-p

と書いてるうちに彼のコメントが…、出遅れた。

by タカキ (2010-01-12 19:04) 

naoko

>タカキさん
なるほど、「人格否定は無意味」という主張の裏には、自分の人格・内実などは瑣末な問題という意識が根底にあって、その結果でてきた発想なわけですね。

ははは、それでは対話は成立しない訳だ。

>MORIXさん
では、聞いてみよう。
実際のところ、「以前から書きしたためていた部分もあるようですが」は、無意識に書いているのですか、それとも皮肉の意図があったのですか?
by naoko (2010-01-13 00:16) 

タカキ

あ、誤字><。
勘定論丸出し → 感情論丸出し


> 自分の人格・内実などは瑣末な問題という意識が根底にあって、その結果でてきた発想なわけですね。

議論上での論者の人格否定の話ですよ、念のため。
論理を否定するために論者の人格否定したってその論理が揺らぐ事はありませんからね。
by タカキ (2010-01-13 00:37) 

naoko

>タカキさん
そうすると、‘対話を重視する’というMORIXさんの言動の意味がよくわからなくなりますね。
意図的であろうと、無意識であろうと、自分が為す相手への皮肉や当てこすりは許されるべきものとし(瑣末な事柄として片付けてしまい)、その上で‘互いの人間としての信頼関係’をベースにした議論を望むと主張するというのは、虫がよすぎる話ではありませんか?
by naoko (2010-01-13 01:38) 

Judgement

 ああ、こういう状態の時、他にしたい事があっても、眠くてもとにかく何か反応しておかないと、「後になってそんなこと言われても」って文句を言われるはめになるんだろうなぁ。
 ...と、嫌味をいいつつ、とりあえずMORIXさんへ真っ先に返事らしきものを書いておく。

【MORIXさんへ】
 書いてある事の読解と、私なりの十分な検討は終わって、今はどのように説明をすればいいか考えている段階です。
 ただ、非常に申し訳有りませんが、書くべき事が山ほどありまして、私の足りない頭では、最低限のものを書くためには時間が必要です。MORIXさんは「早急な対応」がご希望のようですが、誠に勝手ながら私としては「適切な対応」の方を優先させたいと思います。
 身勝手な言い分で誠に申し訳ありませんが、もう暫く時間的なご猶予をいただければと希望いたします。
 
 ところで、ふと思ったのですが、MORIXさんの問いに答えたとして、おそらく「答えがもらえた」事については喜んでいただけるとは思うのですが、それからどうなるのでしょう?
 誠に失礼な予想ではありますが、MORIXさんが知りたいのは、「どの文章が批判されるのか」つまり、どこについて「自分の視点で実はこういう理由でこう言った」という言い訳すればいいのか、ではないでしょうか。
 私の視点での「どんな理由でどんな批判しているのか」という事なんかは、MORIXさんの「自己による正当化」の前では、ゴミくず程度の価値も無いものなのかな、と最近のMORIXさんの発言を見ていると、そう思えてしかたありません。
 もし万一そうであれば、私が「何が問題なのか」を分かりやすく説明する事に頭を悩ます事なんて、MORIXさんにとっては全く無駄な労力となるでしょう。
 ですから、「問いに答えたとしてどうなるだろう」という疑問が沸き起こった次第です。

 まぁ、色々言ってる手前、この疑問に答えろとは申しませんし、答えがあろうが無かろうが、返事は書かせていただきます。当然、「答えさせた以上こうしろ」と要求もしません。
 ただ、疑問に思った...それだけに留めておきます。
 また、MORIXさんの「自分の思惑」を延々と語られても面倒ですので。


【naokoさんへ】

まぁ、確かに今のMORIXさんに内容を消化できうるとは思っていなくて
じゃぁ、なんで書くのと言えば、私の性としか言えない。

そこを留まるのがnaokoさんの「気遣い」なのかもしれませんが
あるいはブログ主とビジターの差であるのかもしれません。

まぁ、MORIXさんにそれなりに思い入れが生じているnaokoさんにとっては聞き苦しい点もあるかと思いますが、ご勘弁を。

>いいかげんなテキストの読み方では「さすがにちょっと」
>Judgmentさんも返答する気が起きないと思いますよ。

いえいえ、いいかげんな読み方だと、かえって火がついたりします。

 「軽蔑的な表現」の話は、私ですらそう聞こえて批判したりしてもいるわけですが、直接的に投げかけられた当人は、もっと敏感に感じ取っているのでしょうね。でも、まぁそれを言っても『アドバイスを自省の材料として考えながら』なんて反応で、「前向きに検討します」、「しかるべき善処をします」と同様の感覚なんだろうなぁと思ったりもしますので、無くなるとは思えませんけどね。

 あとは...自分で撒いたタネの刈り取りは任せましたからね。
 というか、ザクザク刈り取ってください。
 
 
【タカキさん】

 というわけで、基本的にnaokoさんとのからみはどうぞnaokoさんと進めてて欲しいんですが、一つだけ物申す。

 「Judgmrntさん」って誰?って細かい突っ込みは冗談として(自分でもミスるし)
 『Judgement風』を振り回すのは、当人も感心するほど完コピできる自信があるとき以外、ちょっと控えてくれぃ。何か、モヤモヤして殺意を抱いてしまいそうだ。
 って言うか、自分の言葉で語ればよろし。
by Judgement (2010-01-13 01:41) 

MORIX

【naokoさん】
まず、naokoさんの質問に、正直にお答えします。該当する箇所を私は最初「大部分は以前から書きしたためられていたようですが」と書きました。しかし投稿前に読み返した際に「これでは、せっかくの長文への感謝をしたいのに、手抜きだと非難しているように受け取られてしまうかもしれない」と思い直し、あのように書き直したのでした。すると今度は、Judgementさんの本エントリーをしっかり読まれてないと受け取られてしまう可能性が出てしまうことにまでには考えがまわりませんでした。私の拙いところです。


【naokoさん・タカキさん】
『人格・内実などは瑣末な問題』であるかという事に関して私は、「人格も内実も重要な問題ではあるけれども、それを根拠に攻撃をするのは無意味であり、議論にとっては害ともなる」と考えております。タカキさんがお汲み取り頂いた考えに近いと思います。

その根拠は、私が慎重になる『人文学的問題』の捉え方と同じ理由からのものです。基本的に私は「人は他者の考え方や内心や本心を正確に把握するのは不可能だ」と考えています。限られた言葉のやりとりしかできないネット上ではなおさらですし、長年暮らしをともにしている家族や伴侶であっても、果ては自分のことを自分で正確に把握する事も困難だと思っています。そんな中で「あなたはこういう人だ」と判断を下し、それを攻撃するのはとても危険なことだと思います。人は他者の人格をいくら捉えようとしても、自らの範疇を超えて捉えることはできません。私が以前『人は主観の檻に閉じ込められている』と表現したのはこのことです。

もちろん人の言動の端々から、「こういう人だ」と伺い知れることもあるでしょう。しかし、その相手は自分では伺い知れないような人生経験を持ち、自分の知らないような悲しみや怒りや喜びや愛を生きてきた可能性もあります。その結果、自分では想像できない考え方や感性や言語感覚を持っているとしてもそれは当然です。自分の経験や他から得た知識は有限であり、その自分の物差しを他者の言動にあてはめてみても、その実自分の内情を曝け出してしまう危険性の方が高い……という観点です。

しかしそれは、相手や自分の『人格・内実などは瑣末な問題』と無碍にすることではありません。逆です。私は「人文学的問題」や「人の心」にこそ興味があります。以前も気持ち悪く言いましたが、naokoさんにしても、Judgementさんにしても、どのような方なのかを常々想像しながらやりとりをさせて頂いてます。Judgementさんは、ご自分で「邪悪」とおっしゃいますが、私の目はずっと優しい人であるように評価していたりするものですよ。しかし、決して分かったつもりにもならないように心掛けています。議論の相手が善人でも悪人でも偽善者であっても、その人が発する意見の正当性はそれとはまた別問題だと考えるからです。

意見は意見で、人格攻撃を抜きにして、ぶつけあう方が良い。タカキさんも同様の事をおっしゃっていますが、人格攻撃で勝ったとしても、それは議論に勝ったことにはなりません。Judgementさんは、「人を攻撃すれば自分も攻撃されるリスクのあるスリリングな「対話」を求めている」と上記でおっしゃっています。しかし敢えて悪い言い方をすれば、それは「口ゲンカ」に他なりません。私には、意見と意見だけをぶつけ合う方がよほど鍛錬になり、スリリングで有意義になると思えます。負けた時にも、口ゲンカの後のような悪感情より、自らの及ばない大いなる知と出会った爽快感が残ります。勝ち負けよりも、アウフヘーベン(議論の結果、お互いの知見が上がること)の方が重要です。

では、naokoさんが疑問視されている『‘対話を重視する’というMORIXさんの言動の意味』を述べさせて頂きます。この問題は、これまでにも多数の方から挙げられている「自分の文が伝わらないのは、相手の読み方が悪い」「相手の文が読めないのは、相手の書き方が悪い」という永遠に循環するしかない両者の姿勢にあると思っています。「お互いに歩み寄る」だけで解決する問題だと思います。どんなプロの文筆家が書いた名文であっても、悪意で捉えればいくらでもその揚げ足を取ることはできます(文の趣旨全体には反論しにくいものですけど)。またどんな拙い文を書く人であっても、読み手が懇意になれば、その意見を斟酌できることもあります。例えば先ほど私が使った「Judgementさんを評価しています」という「評価」という表現も「上から目線」だと捉えることはできます。しかし、人格攻撃を旨とした議論の場でなければ、そんな言葉の用法は問題にならないはずです。

もちろん上記のような考え方全体も、悪意の目からみれば、自分の文責を放棄するための方便のように聞こえることでしょう。しかし「お互いに歩み寄る」というのは、読む側だけが努力することではありません。書く側も、自分の意見を正確に相手に伝える努力を怠ってはいけないと(自戒の意味も込めて)私は思っています。もちろん今後私がどんなミスも犯さないことまではお約束できませんが、昨日のnaokoさんからのような指摘を受ける度に、自分の糧にしようと思います。また、本エントリーのJudgementさんのご指摘の中にも反省させられる箇所は多々ありました。『自分の考えが相手にそのまま伝わると思うのは甘えだ』というご意見ももっともだと思います。姿勢は「正確に相手に伝えよう、そして正確に相手を汲み取ろう」という「歩み寄り」を心掛けつつ、理論の中身は徹底的に論じ合う……というのが私の理想とする「対話」です。理論までも「そうだよね、そうだよね」と摺り合わせていたら、それは単なる馴れ合いになってしまいますからね。ましてや、「相手の文を悪意で読み取り」「それを攻撃する文を書く」という態度では、いかなる「対話」も成立しないと考えています。


【Judgementさん】
すみません「それからどうなるのでしょう?」というご質問の意味が、何度読んでも汲み取れないのですが、「私がそれからどうしたいと思っているのか?」についてお答えすれば良いのでしょうか? そう(勝手ですが)解釈してお答えします。

私がしたいのはまずあの「フェイズ1」の、『視点がぶれまくる』『"迷惑"』『勝手に議論を進め』『何かを他人に強いる』『上から目線』『あなたは私の先生じゃない』『さっきも触れたけど「先生口調」だよ』『質問しても「そう決まっているんだから、そのとおり暗記すればいいんだ」と言われそう。』『そこに『対話』の余地は無い。』などの、私への非難が妥当であったのかどうかの検証です。

もちろん私が間違っていて、Judgementさんの批判が正しいこともあり得るのですが、私としてはまず私への誤解を皆さんからもJudgementさんからも解いて頂きたいと切に願っています。ですからそれは、Judgementさんの言われるとおりの「自己正当化」にあたる要求だと思います。

そして最終的にその誤解を訂正して私がこの場でやりたいことは、Judgementさんとの仲直りと「ニセ科学批判のあり方」についての「対話」です。

お時間はいくらでもお待ちします。即日や数日内なんて要求しません。前に書きましたとおり、「3週間に1回よりもう少し早い」だけでけっこうです。これもその時にお書きしましたが、くれぐれも「私生活に影響が出ない範囲で」お願いします。Judgementさんを寝不足にさせてしまうのは申し訳なさすぎます。


by MORIX (2010-01-13 18:18) 

タカキ

> naokoさん

自分の論理を伝えたいが誤解される。誤解を解くには対話しなきゃならない。
自分の論理に穴があるが自分では気付いていない。それを他人から指摘してもらながらい本当に穴があるのか確認する。
これも対話でしょう。
ここに論者の人格否定は関係ないですよね。

彼にとって「互いの人間としての信頼関係」をベースにした議論とは意図的な皮肉やあてこすりの存在しないもので、
存在しないが故、表現のあやで皮肉やあてこすりに読める物はサラッと流せる関係だったりするのではないだろうか。
自分が人格批判を無意味と考えているが故に、自分の文章の表現に無頓着であるのかもしれません。


と、本人が書いた後で書いてもなぁ…、早い、早いよ!MORIXさん。

> Judgementさん
名前の間違い申し訳ありません

「○○風」と云う表現がJudgementさんはこう読むと読めたのかな。
私の意図としては、「MORIXさんの立場からJudgementさんのいう『心理学者は心を読む』をつかって読むとこう読めることでしょう」の意で書いています。
お気に召さなかったようですので、以後控えさせていただきます。

by タカキ (2010-01-13 19:53) 

naoko

>タカキさん
意図的ではなく無意識で書いたのであれば、それも大きな問題を感じると言いたいのですけどね。
それは人格否定ではなく、普通の人間関係で、ごくあたりまえの指摘です。

それから、なんとか風というのは、誰が見ても一種の当てこすりでしょ。
「論理に反駁できないから人格否定に走るとかどうとか」というのも、誰が見てもこき下ろしだわな。
論理以前に「ふざけんなよ!」と思うのが普通でしょ。
お気に召す人間があったら知りたいもんだ。

あまりの物分りの悪さに疲れてきたので、ちょっと本音で話させてもらうけど、
相手の内心を推測する手法をつかうというのなら、
『naokoさんは、論理的反駁ができないから人格攻撃に走っているのですか?』とストレートに聞かれたほうが、まだしもきもちわるくないっつうの。
答えはNo!だけどね。

そういうふうに、いい子面してさりげなく毒吐かれるとね、
こっちの誠実な姿勢も、なかなか維持できなくなるわけだ。
つまり、時に相手に殺意を抱かせながら、論理論理とのたまうのはどうかと思うよと言ってるだけなんだよね。

言ってることと、やってることが、まるっきり違いますよ!とね。
by naoko (2010-01-14 02:37) 

トンデモブラウ

えぇっ、naokoさんが、Judgementさんになってしまった。
君子豹変す?

>NORIXさん
>『人文学的問題』の捉え方

というのがよく解りません。
自分の本心だって正確に把握できないのに、他人ができるのか?という疑問であれば、以前にJudgementさんが書かれていましたよ。
これも絶対的な物差しで測るわけではないので、相対的な観測でしかないわけですが、相対的な観測データも数が揃えば傾向は見えてくるわけです。
私の足りない解釈でざっくり言うと、ほぼ近似的な「その人の本心の把握」もできる、いやむしろ客観的な把握のが本心である、というような趣旨だったような・・・たぶん。

いずれにしても、文章長いよぉ。
迂遠な装飾で本心を隠そうとしている、的に感じる。(←私の主観のみ。)
お互いに歩み寄って議論をする合わせる気持ちあるなら、もっと本音をストレートに語りましょうよ。(←私の主観では、そう感じないので。)

私の主観では、Judgementさんが自分のことを邪悪だの鬼畜だの究極のサディストだのと称するのも、ストレートに表現しますよというエクスキューズだと思っているので、本当のJudgementさんはそのような性格の歪んだクソ野郎なわけではなく、素敵なレディだと思っています。
おぉっと、ドSというのは客観的に観察された性格でした。(失礼。)
by トンデモブラウ (2010-01-14 09:05) 

タカキ

ええ、MORIXさん対策をアドバイスしながら皮肉ってますよ、naokoさんを。
しかし皮肉を気に入られなかったと書いたつもりはありません。
○○風という表現がJudgementさんの持つ概念と異なり、結果としてヘボ物真似になった事に謝意を示しただけです。


> 『naokoさんは、論理的反駁ができないから人格攻撃に走っているのですか?』

ソウ見えましたが確証がなかったので回りくどく確認しました。
最初から「MORIXさんの言説が、全てその場の取り繕いにすぎないと見えてしまう理由のひとつです」の一文を問題視しています。
これは他の理由を挙げられなければ、「MORIXさんの言説がその場限り」という理由が沢山ある印象を与える印象操作です。
そこで「MORIXさんの言説がその場限り」という他の理由があるのか確認するためコメントしたのですが、聞き出せませんでした。
naokoさんは私が問題視していた文が主題ではなく表現の指摘・注意にあったようです。


あと無意識での表現のはなし。
「2009年のしめくくり?」のコメントで書きましたが、人を傷つける表現を無意識でやっても罪は罪だと考えていますし、それを注意することは普通だと思いますよ。
ただ、私が考えていたたMORIXさんの議論では注意にリソースを使うより議論を進める方が有益だというだけです。

> いい子面してさりげなく毒吐かれる

さりげなく毒吐くのは芸ですが。
私はMORIXさんの流儀に従う理由もありませんし従っても居ません。
彼に対しては彼の流儀は尊重したいと考えているだけです。
そしてnaokoさんに対し論理のみで対話しようとはしていません。

by タカキ (2010-01-14 19:31) 

Judgement

【タカキさん】

 「結果としてヘボ物真似になった」って、「完コピする気」が最初から無ければ、そんなの「結果として」じゃないよ。
 ヘボ物真似になるのは結果が出る前に分からなきゃいけない事。

 で、それが私のいない所での陰口なら別にいいのよ。ヘボでもなんでも。
 問題は、それを本人の目の前で披露したところなの。

 「中途半端なコピー」を見せられる、というのも気分悪いけど、それよりもオリジナルの横に平気で粗悪品を並べるセンスが残念だったのよね。

 あ、言い訳に怒っているわけじゃないから。
 その辺分かって欲しいんだナァ、という感じの念押しデス。

 ついでにnaokoさんとのやりとりに嘴突っ込む気も余裕も今は無いけど、非常に気になったことを1点だけ指摘させて。
 「確証がなかったので回りくどく確認しました。」
 こりゃ絶対ダメよ。
 本当に「確証が無いための確認」ならば、それこそ「ストレート」に言わないといけないでしょうに。
 回りくどくするのは「相手の確認を避ける」ため”逃げ”であり、確認とは真逆の行為ですぞ。


【トンデモブラウさん】

 ん?何か言いたい放題言われた気がするが...
 ただ、「鬼畜」だけは許さん!
 「畜生」とはなんと失礼な...「鬼」と呼べ。

 んで
>自分の本心だって正確に把握できないのに、他人ができるのか?
>という疑問であれば、以前にJudgementさんが書かれていましたよ。

 私もそんな気がするけど、今更どこに書いたか確認する気がおきない。
 (まぁ、トンデモブラウさんがそういうのだから、そうだという事にしよう)
 ただ、自分で確認しようとも思わない過去の記事を参照させるのも心苦しいので新たにMORIXさん用に起こし直そうと思ってたんだけど、トンデモブラウさんの以下の要約(?)部分が、その書こうと思っていた事に非常に近似していて、正直びっくりした。

 さすが、常連!しかも「不動の」一位なだけはある(←あら?)
 いやホント、たま~に特大ホームランを打つから侮れないのよね。
 (たまにね、た・ま・に)

 まぁ、近似って事で、100点じゃなくて、80点ぐらいかな。
 残り20点分を加えて、そのうちまとめますわ。
by Judgement (2010-01-15 01:46) 

naoko

>タカキさん
さりげなく毒を吐くのが的を得ていたら芸にもなるけどねえ…。

道徳とは何か、という問題について議論している最中に、的を得てないくだらない毒を吐かれるのは非常に迷惑だね。

>MORIXさん
誰も悪意であなたの文を読み取ったり、それを攻撃してるわけじゃない。
だが、あなたはそれを疑っている訳だ。
事実は全くそうじゃないのだが、そうなるだろうと予測していたから、
「MORIXさんには、このエントリーのレベルの内容に関して理解能力はないだろう」とわたしはJudgementさんに告げたし、「それは分かっているが、これも性だ」とJudgementさんも答えた。
第一、わたしはJudgementさんの知り合いでも友人でもないし、えこひいきしてMORIXさんに悪意を抱く理由はなにもないでしょ。
だとしたら、わたしとのやりとりを通じて、自分の書いた物そのものに問題があるという可能性を真剣に考慮すべきだとは思わないか?
論理の勧め方、受け答え、さらには相手の文章の理解の仕方、その他もろもろ。

わたしとしては、MORIXさんの心配するような
「異なる意見に対するカルト的な拒絶をする人」も、
逆に、「純然たる個人の主観すらも、カルトの第一歩と恐れて、主観を排除した議論を意図しつつ、なぜか当人自身のおかしな主観が駄々漏れするような文を書く人」も、
五十歩百歩というか、表裏一体に見えるんだよね。
つまり、ストレートに言うと、MORIXさんがそのように見えるということ、わたしからはね。

そして、そういう人(とこっちが勝手に感じてるんだけどね)と議論するのは、精神疲労がはなはだしいの、正直言って。
論理的に議論するだけなら、苦労は何もないのよ。
でも、知らん振りして論理的な話だけを続ける修行僧のような艱難辛苦を、あなたは想像できてないのだよ。
それはわたしなりの誠意と言うより「思いやり」だったつもり。
誠実さと言うなら、今のこの文章の方が、嘘がないんだよ。
by naoko (2010-01-15 01:47) 

naoko

>タカキさん
そうそう、いまさら印象操作がどうたらこうたら言うということは、タカキさんにとって、MORIXさんの文章に関する上のJudgementさんのエントリーは違和感ありまくりということなわけだ。
だったらまず、それを最初に表明することが、まともな対話をする上での第一歩でしょうが?
こっちは最初に上のエントリーに違和感ないと表明してるんだ。
それを前提に話を進めている。
印象操作もへったくれもない。

そうした立ち居地の表明もなしに、さりげなく毒吐いたあげく、
「助言と皮肉を織り交ぜてみました、わたしの芸です」
という流儀じゃあ、相手しきれないね。

>MORIXさん
「悪意」というのはね、こういうタカキさんのような物言いを言うんだよ。
by naoko (2010-01-15 02:49) 

MORIX

【トンデモブラウさん】
>いずれにしても、文章長いよぉ。
短くなるよう努力します。

>相対的な観測データも数が揃えば傾向は見えてくるわけです。
>私の足りない解釈でざっくり言うと、ほぼ近似的な「その人の本心の把握」もできる、
>いやむしろ客観的な把握のが本心である、というような趣旨
私もそう思います。心理学はまさにそのような学問だと思います。……と、言いつつ詳しくはないのですが、心理学者たちは「相対的な観測データ」や「ほぼ近似的なその人の本心の把握」をする為に、綿密な研究や診断やカウンセリングを行っているはずです。「議論における人格攻撃」の際には、そのような慎重な手続きが介在しているようには思えないのです。

【naokoさん】
>わたしとのやりとりを通じて、自分の書いた物そのものに問題があるという
>可能性を真剣に考慮すべきだとは思わないか?
考慮すべきだと思います。その為に【フェイズ1】からの検討を願い出ています。もちろん「私の書いた物そのものに問題がある」可能性もありますし、「歩み寄ろうとしない態度」に問題がある可能性もあります。それはJudgementさんからのお答を頂いて、考えていこうと思います。
by MORIX (2010-01-15 19:01) 

naoko

>MORIXさん
あのねえ、Judgementさんと「仲直り」とか、不思議で意味のないことを考える前に、もし本当にそういう結末にたどり着きたいなら、まずは、まともに喧嘩したらどうだろうか?
なぜって、喧嘩もしないで仲直りはできないだろう?
by naoko (2010-01-16 02:09) 

MORIX

【naokoさん】
naokoさんも、喧嘩や人格攻撃ではなく、刑死前のソクラテスのような「対話」を求めているのではないですか。私は、(一時の事だったのかもしれませんが)naokoさんと和解出来たことを心から嬉しく思っておりましたし、naokoさんには是非「ニヒリズム」についてのお話をして頂きたいと今でも思っております。もちろん議論となれば、容赦なく徹底的に論じ合うつもりですが、感情的な喧嘩までする必要はないと思います。
by MORIX (2010-01-18 17:54) 

タカキ

naokoさんはJudgementさんのエントリはMORIXさんの言説がその場限りだという趣旨と読んでいたのですね。
件の一文をJudgementさんのエントリ以外にも上記の理由があるという意図で書き、「印象操作では」というのは私の邪推だったようです。

by タカキ (2010-01-18 21:07) 

naoko

>MORIXさん
そもそもですね、相手の内心・主観に対して突っ込むこと、自分が相手の文を読んで感じたことを相手に伝えることを、わたしは相手の人格への攻撃とは考えていないのです。
そうした感情も含めて相手にできるだけストレートに伝えることは、むしろ対話の大切な一部であり、論争相手への誠実さでもありえるのじゃないかな。
感情的な喧嘩の最中でも、相手への信頼は生まれうるし、局面によっては、そこで喧嘩しなければ相互信頼への突破口が見つからないときもある。
これはコミュニケーションスキルの作法のちがいでもあるんだけど…。
それ以上に、個人の意識やお互いの交流の重層性を意識するかどうか、ってなんかかんでるなあ(笑)。

>タカキさん
丁寧なご返事痛み入ります。(←わたしの乱暴な言葉に対して)
それにしても、タカキさんも奇妙な読み取り方をする人だなあ(笑)。
わたしもJudgementさんのエントリーも、MORIXさんのコメントが、当人の意図としてその場限りのつもりで書いたものだ、とは断言はしていない。
結果として「そのように見えてしまう書き方をしている(こちらからはそのように読めてしまう)」と言っているだけです。
それはどこまでいっても「なぜ、このような書き方をするのだろう?」という疑問です。しかし、その疑問を表明しても、それに対するMORIXさんの返答がまた、「???」というわたしの疑問をふくらませる…。

ともかく、タカキさん、それを伝えたかっただけなのですよ。
by naoko (2010-01-18 23:30) 

naoko

>MORIXさん
喧嘩にも、「いい喧嘩」と「きたない喧嘩」があると思うんだ。
もちろん、いい喧嘩というのは、現代ではなかなか難しい。
ネット上でなくともね。
(これは、身体性の喪失と深く関わる現象だと主張したい。)

だけど、Judgementさんはそんな良い喧嘩ができる、現代ではかなり希少な人のひとりだと思う。
もちろん相手にもよる。相手が喧嘩が下手だと、当然うまくかみ合わない。
それで、『悪名も高くなる?』かもしれない。
しかし、それはJudgementさんのせいではない。
判る人には解かっているのだと思う。

喧嘩の上手な人というのは、相手をやり込めるのが上手と言う意味ではもちろんないよ。(←そんなのは下衆の喧嘩だ。)
『良い喧嘩の出来る人』というのは、自分自身と相手の内心・主観に深い関心を持ち、自分の内心・主観を伝えたいと思うと同時に、相手の主観・内心を受け止める準備をして向き合える人という意味。

だから、わたしはMORIXさんに喧嘩を勧めた。
いわば、喧嘩の手ほどきを受けてはどうか、というお誘いのつもりだったんだけど。
そういうニュアンスは、MORIXさんにはなかなか伝わらないんだなあ。

その辺に、「自分の主観・内心を疎んじ、他者の主観・内心を信頼できないMORIXさんのニヒリズム」を感じるんだ。
公平を期すために言うと、タカキさんにはもっと強く感じる(笑)。
さらに言うと、多くのニセ科学批判者の論客から感じたことでもある。
poohさんとか、技術開発者さんとかね。

つまりね、現代というのは、「相互信頼に基づいた身体性〝からだ〟の喪失が、【主観を軽蔑するニヒリズム】の染み付いた孤立した身体性〝からだ〟を生み出している」地点なんじゃないか、というのがわたしの主張なんだ。(←MORIXさんのリクエストに答えた・笑)

そして、それをMORIXさん含め、多くのニセ科学批判者の言動が証明しているように見えるわけ。

と言っても、通じないんだろうなあ…。

もっと言うと、わたしは【論にはそれほど興味がない】んだ。その論を述べたいと思う当人の意図や、感じ方、つまりは当人の人格および主観の方にこそ興味がある。

それが、人間に興味があるってことでしょ?
by naoko (2010-01-20 03:29) 

MORIX


【naokoさん】
>感情的な喧嘩の最中でも、相手への信頼は生まれうるし、局面によっては、
>そこで喧嘩しなければ相互信頼への突破口が見つからないときもある。
そういうこともあるとは思います。が、不毛な決裂に至ることの方が多いでしょう。それはこちらのブログの昨年の歴史が物語っています。

>だけど、Judgementさんはそんな良い喧嘩ができる、
>現代ではかなり希少な人のひとりだと思う。
私の考える「良い対話」とは先に詳細を書いた通りです。喧嘩を持ちかけた挙げ句、ディスコミュニケーションを引き起こすのが「良い喧嘩」であるとは考えられません。私は「徹底討論をした後に杯を酌み交わす」光景も多々目にしてまいりましたし、そのような議論を望みます。

>わたしは【論にはそれほど興味がない】んだ。
>その論を述べたいと思う当人の意図や、感じ方、
>つまりは当人の人格および主観の方にこそ興味がある。
>それが、人間に興味があるってことでしょ?
私は「論」にも、相手の方の「人柄」にも興味が有ります。
その両者を尊重してこそ、本当に『人間に興味があるってこと』になるのだと思います。
相手の人格や主観に土足で踏み込む事は、その真逆の行為です。

>「自分の主観・内心を疎んじ、他者の主観・内心を信頼できない
>MORIXさんのニヒリズム」を感じる
自分が想像する『他者の主観・内心』を正しいと思い込み、それを批判、攻撃、あるいは「喧嘩」することの方が危険なニヒリズムです。Judgementさんが「だだ漏れ」だと批判する私の「内心」は果たして妥当なのでしょうか? その為に【フェイズ1】からの審議をお願いしているのです。


by MORIX (2010-01-20 19:11) 

Judgement

【naoko さん】

ああ、あまり持ち上げないでくれ。
私が気恥ずかしいし、「自分の欲求」を他人に投影して下衆な勘ぐり入れる人が出てきそうだから。

まぁ、良くも悪くも喧嘩は喧嘩なんだろうけどさ
平気で人を殴っておきながら、殴り返された途端に
「優しくなでたつもり」とか「うっかりぶつかっただけ」
と言い出す方がロクでもない。
「殴りたくて殴ったわけではない、世間がそれを望んでいるんだ」
というのはさらにロクでもない。

結局「殴られるのは嫌だけど、殴るのは好き」なだけって感じ。

自分のやっている事が「喧嘩よりもたちが悪い」事に気付かない人が
「喧嘩」に眉を潜めて見せるのは、傍から見ると滑稽なんだけどさ。

「喧嘩」に求めるものはnaoko さんに非常に近い。
とはいえ、そういう考え方ができる人って、今の日本では少数なのかなぁ
...なんて事を、
『<対話>のない社会 ~思いやりと優しさが圧殺するもの~』
中島義道著 PHP新書
を最近読んで思ったりもしている(未読ならば、ぜひ読んでみて)。

 まぁ、少なくとも、自分が「不毛な決裂」と感じれば、それだけで「不毛だ」と言い切っていいと判断したり、他の人が何を言おうと、自分が「書いておいた」事を優先させるような人には、naoko さんの言うような「対話」の意義なんて分からない...という事は分かった。
by Judgement (2010-01-21 00:39) 

naoko

>MORIXさん
「・・・」

『相手の人格や主観に土足で踏み込む』って、ははは。
まだ、一歩も踏み込んでないってば!
ヤマアラシのジレンマってこんなもん?

ま、こんなもんでしょう。


>Judgementさん
まともな対話が出来る人が、今の日本で少数かどうか、それはなんとも。
ネット上でもそうだけど、いかにも自信ありげな言論の山がよってたかって人の健康な感覚を打ちのめしたり混乱させている気はしますね。

とりあえず、撒いた種は刈り取れたのだろうか???
自信はないけど、自分ではこのへんが潮時ではないかと感じています(苦笑)。

ご紹介の本、
『対話のない社会/中島義道さん/PHP』ですね、読んでみます。

では!
by naoko (2010-01-21 03:55) 

MORIX


【Judgementさん】
>自分が「不毛な決裂」と感じれば、
>それだけで「不毛だ」と言い切っていいと判断したり、
私は「決裂」や「ディスコミュニケーション」は不毛だと判断しています。それをそのままお伝えしているだけです。その根拠は昨日のコメント『【ニセ科学批判側の内部分裂】Judgementさんのされるニセ科学批判×4は正確ですし、私も同意するところが多いのです。が、同時に人格攻撃もされているので、せっかく貴重な意見を持つ皆さんが離れて行ってしまっています。』に書いた通りです。Judgementさんが「不毛ではない」とお感じになるのなら、その根拠を示して反論してくだされば良いのです。それが対話であり、議論でしょう?
>他の人が何を言おうと、自分が「書いておいた」事を優先させるような人には、
naokoさんは私の「人格攻撃をする人たちが、相手の内心や主観を正確に把握してはいない」『心理学者たちは「相対的な観測データ」や「ほぼ近似的なその人の本心の把握」をする為に、綿密な研究や診断やカウンセリングを行っているはずです。「議論における人格攻撃」の際には、そのような慎重な手続きが介在していない』という前に「書いておいた」ことに対し、何の反証もされておりません。が、naokoさんの主張は、その前提条件をクリアしなければ、成り立たないのではないですか?

【naokoさん】
>『相手の人格や主観に土足で踏み込む』って、ははは。
>まだ、一歩も踏み込んでないってば!
『土足で踏み込む』というのは、十分な審議も、慎重な診断やカウンセリングもせずに「相手の人格や主観」を判断し、それを攻撃する行為のことです。Judgementさんはそれを本エントリーでされていると、当事者の私が感じているのです。すでに「何歩も」踏み込んでいますよ。

by MORIX (2010-01-21 18:25) 

cosi

いつもROMさせてもらっています。
Judgementさん、いつも勉強になります。ありがとうございます。
もうJudgementさんやnaokoさんは終結に向かっているようですが、
横から失礼します。

[MORIXさん]
Judgementさんは、十分は審議や慎重な診断やカウンセリングがなくとも、人格や主観を判断できる能力の持ち主のようです。
MORIXさんは、攻撃と受け取っているようですが、私からすると、たくさんの時間とエネルギーを、あなたのために費やして、丁寧に、このエントリーを書かれていると感じました。あなたの思考の癖や、問題点を的確に指摘していると思います。なかなか無料でここまでやってもらえることは、通常ないことです。私もやってもらいたいくらいです。ちょっぴりこわいですが。
確かに、耳に痛いことが多いから、攻撃と受け取っているのでしょうが、耳に痛いことと言うのは、案外当たっているものです。ネット上の匿名での対話なので、あなた自身の実際の名誉が汚されたわけでもありません。お互い、どこの誰かもわからないんです。だから、落ち着いてゆっくりJudgementさんの指摘を読んでみてください。あなたが、40歳、いや50歳より若ければ(この年齢には根拠がありません)、成長することができると思います。あまり年配の方だと、変わることは難しいかもしれませんね。いや、もしかしたら年齢は関係ないかもしれない。素直な性格かどうかが、分かれ目かもしれません。naokoさんの言うとおり、今すぐは消化できないでしょうが、少しずつ消化できるといいなと、傍から見ていて思いました。
by cosi (2010-01-21 19:25) 

Judgement

【naokoさんへ】

>とりあえず、撒いた種は刈り取れたのだろうか???

撒いた種はともかく、雑草は根絶やしにはできなそうですが
私としてはnaokoさんの対応に十分満足しましたのでOKで~す。

あ、私としちゃ別にタカキさんがダメとも思ってないので
(こちらもなかなか面白かったですよ)
「一方的に打ち切り」ってわけではないですからね >タカキさん。
まぁ、お互いお暇があればゆるゆるとお続け下さい。

『対話のない社会』、多分naokoさんなら頷きまくりだと思いますよ。
図書館ででも探してください。

ではでは


【cosiさんへ】

褒められるのは苦手だけど、
手間を分かってくれてるのは非常に嬉しい!
涙がチョチョ切れます。

>あなたが、40歳、いや50歳より若ければ

不思議だよねぇ。実は私もそう思うんだよ。経験上
40後半あたりから、多分ダメな確率がぐんと上がる。
団塊の世代の次の世代あたりがかなりやっかいという印象を持っている。
ナンデダロ。
by Judgement (2010-01-21 23:17) 

naoko

まともな対話を『土足で踏み込んでくる』と感じる人たちに対して、わたしが思い浮かべるのは、最近の30代のホームレスの子たちの様子です。
昨日もクローズアップ現代でやっていたけど、親がいても、路上で迷っている。中には行き倒れて死んでしまう人もいる。
「なぜ、助けを求めない?」と思うんだけど、「そこまで相手に負担をかけられない」と答える。
「あんたのかあちゃんはそんな風にあんたを育てたのか?」と言いたくなる。
その親にあたる世代が団塊の世代あたり。
子どもの心に踏み込まなかった親たちなのだと思う。
その親は大正生まれの人たちで、これまた踏み込む余裕がなかったのかもしれない。
by naoko (2010-01-22 10:29) 

トンデモブラウ

どうだろう。
程度問題だと思うけどなぁ。
特殊な例(かもしれない)や個人的な体験談(なだけかもしれない)の解釈を、無指向的に広げすぎると危険ですねぇ。

私には何の相関も感じないけど・・・
by トンデモブラウ (2010-01-22 14:22) 

MORIX

【costさん】
はじめまして。第三者の方から見て、そのようにお感じになるのも分かります。Judgementさんは説得力のある文章を書かれる方ですし、人間観察の能力も高い方であると私も思います。しかし何度も書きましたが、どんなに能力が高い人でも、エスパーでもないかぎり、人は他者の心情を正確に判断することはできないと思うんですよ。実際私はフェイズ1から不当な私への性格診断が始まっていると感じておりますし、それがフェイズ8に至るところでは大きなストローマンになっていると感じています。例えば、Judgementさんが『わざわざ小難しい用語“だけ”を持ち出す意味はないと思う。』とおっしゃっている「ジェームズ・ランゲ説」という心理学用語も、私の方の気持ちは「Judgementさんにも会話に参加して欲しい」という「振り」というか「ラブコール」だったんですよ。なので詳細な用語解説もその意図も書かないでおいたのです。もちろんそれをあからさまには書いていませんから、その通り伝わらないこともあると思いますが、それが人格非難にまで繋がってしまうのは非常に残念に思います。
もちろん、Judgementさんのご指摘で思い当たる所がまったくない訳でありません。それはcostさんにおっしゃる通り、真摯に受け止め、私の成長の糧にさせて頂こうと思っています。
by MORIX (2010-01-22 14:45) 

cosi

MORIXさん、こちらこそ、はじめまして。挨拶し忘れていました。
聞く耳持たない状態かと思っていたら、そうでもなさそうですね。良かったです。
Judgementさんやnaokoさんが、さんざん書いてきたことですが、あなたの表現は、まわりくどいのです。Judgementさんにも会話に参加して欲しいのなら、「会話に参加してほしいです」とストレートに書けば、わかりやすいのです。
長い文章を書いたり、複雑なことを思考する能力のない私からすると、MORIXさんの知識の量とか、書く能力や思考していく能力は、尊敬に値します。
だからこそ、もっと、ストレートに自分がどう感じているかも表現できれば、たくさんの人に伝わりやすくなると思います。腹と頭でいうと、頭からの表現ばかりのようです。自分がどう感じているのか、感情や感覚を、腹からの言葉を、ストレートに表現してみてはいかがでしょう。他人にみせない日記などで。ふだんから、自分の感情や感覚に敏感になることです。身体性を失いやすい現代では、それが困難な人が増えているようで、MORIXさんもそういうタイプかなと勝手に推測します。とりあえず、パソコンから離れて、自然の中に入って、実際に体を動かして、鳥の鳴き声を聴いたり、空気の匂いをかいだり、身体で感じることから始めるのはどうでしょう。
的ハズレかもしれない、大変お節介なコメントでした。
by cosi (2010-01-22 19:16) 

naoko

>トンデモブラウさん
たとえばですね、息子が都会でホームレスになっているとしても、それに気付かない母親って、どう思います?
あるいは、なんとなくおかしいと気づいていても、「おまえ、どうしてるの?」「(息子)大丈夫だって」「嘘つきなさい!母ちゃんには、わかるんだよ!」と突っ込めない母親って?
まあ、これは個人的な感覚なんだけど、そういう我が子に突っ込めない親がだんだんと増えている気がするんだよね。

それが、長じては友人関係とかにも関係してくる。
「俺、昨日から何も食ってないんだ」とか言う友人の前で、「へえ、よくもつね」とか言いながら、ひとりでむしゃむしゃ食べれる奴とかね。
そこまで極端じゃないけど、会話を聞いてて、「それ本当に心から本気で言ってる?」と突っ込みたくなる状況は多いなあ。
「お前の物言いは味も素っ気もないんだよ!」と言いたい衝動にかられる。

ま、あくまでもわたしの個人的な感覚だけどね。
by naoko (2010-01-23 01:30) 

naoko

あっ、これは直接はMORIXさんには全然関係のない話。
ただの連想だから。
そういう意味では、トンデモブラウさんが、なんの相関も感じないというのは別におかしくはないよ。
by naoko (2010-01-23 01:34) 

MORIX

【cosiさん】
>あなたの表現は、まわりくどいのです。
>Judgementさんにも会話に参加して欲しいのなら、
>「会話に参加してほしいです」とストレートに書けば、わかりやすいのです。
そうですね。今となってはストレートに書けば良かったと後悔しています。
ただ、あの時はそれが逆に「あつかましいかな」と思ったのです。

>パソコンから離れて、自然の中に入って、
実際は休日ほとんどアウトドアで過ごしています。逆にこういう場にコメントさせてもらうのは、こちらがほぼ初めてです。身体性は私も大事だと思っています。
by MORIX (2010-01-23 15:26) 

Judgement

【naokoさん】
「土足で踏み込む」とよく言うけど、今や「土足で」は枕詞だよね。
もう、「踏み込まれる」事自体がたまらなく嫌なのだろう。
きっと、そんな人は、人様に見せられない心の内なのだろう...
...と清楚で純真は私(どこが)は思ってみたり。

ホームレスの子の一つの解釈としては、
最近の記事で紹介した
『「洋風の個人主義」と「和風の個人主義」のダブルスタンダード』
が、それを浴びせられる人にとって「ダブルバインド」となり
(矛盾する二つのメッセージ受け取った人が行動不能に追い込まれる状態)
そこから、「社会や他者に頼るのは(頼られるのも)めんどくさい」
と感じて、交わりを拒絶してしまっているんではないのかなぁ、とも思う。

 
【トンデモブラウさん】
>特殊な例(かもしれない)や個人的な体験談(なだけかもしれない)の解釈を
>無指向的に広げすぎると危険ですねぇ。

cosiさんも、naokoさんも、私も個人的印象・体験の範疇に留めて語り
無指向的には広げてないから、大丈夫よん
by Judgement (2010-01-24 23:37) 

naoko

【Judgementさん】
>「社会や他者に頼るのは(頼られるのも)めんどくさい」と感じて、交わりを拒絶してしまっている

というのが、ついには当人が行き倒れるまで続くというのはどういうことだろう?と不思議でなりません。
めんどくさいから死んでしまう…。
それを、「しかたがない」と手を出さずに見殺しにする周囲(親や友人)…。

互いに踏み込み、踏み込まれることのない社会と言うのは、結局のところ、そんなふうに、他者を見殺しにする社会、殺人を看過する社会なんだよね。

そういう本心を、綺麗事で粉飾(ごまかす)して偉そうにしている連中が、とにかく死ぬほど嫌いです。

「一度、見捨てられてみるか?」と突きつけたい。

by naoko (2010-01-25 02:40) 

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