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<対話>のない社会 [書評]

 さて、少しクールダウンするために、前回の一連の記事に、まぁまぁ関係があるけど
もう少し汎用的な話をしておこう。

【はじめに】

 今年初めに一年分の仕事をした感じであるけれど、達成感は実は無い。
 むしろ、悶々としているような...。

 なんだか、好意を寄せて告白してくれた相手を、
 公衆の面前で手酷く振ってしまった時のような罪悪感。
 (これでも人の心のカケラぐらいは持ち合わせているので)

 そこで(自分の罪悪感を取り除くために)もうちょっとだけフォローしておく

 MORIXさんに個人的な恨みがあるわけでは全くないし
 MORIXさんだけを個人攻撃したい、という訳でもないのよ。
 そしてこれはMORIXさん固有の話じゃないと私は思っている。

 もっと広く、「社会」を見たときに...って別に社会派は気取らないけど
 私が社会と対峙した際に感じる(個人的な)違和感、あるいはもどかしさがあって
 それが何とかならんものか(自分のために)、という苛立ちがあるんだ。

 だから、私はMORIXさんを罵倒したけど
 現実には、MORIXさんの方がスタンダード(かそれより上等)な人で
 私の方が「不適格者」という可能性の方が高いと思うからさ。
 (この記事の最後の方で述べた事は、本気で言っている)。


【私のもどかしさ】

 で、今回はもう少しまともな口調でそのあたりの話しようと...ウッ!
 ...ゲボッ...で、でも、ま、まだ気力が回復しとらん...

 
 ...なんて言い訳して手を抜く事にする。

 naokoさん宛のコメントでチラッと触れたんだけど
 『<対話>のない社会 ~思いやりと優しさが圧殺するもの~』
 中島義道著 PHP新書
 をご紹介したい。

 一応プロフィールを言えば、電通大学の教授で哲学のセンセイなのだけど、あまりそれは関係ない(と思う)。

 なんというか、日頃モヤモヤ感じている事を、実例を交えて明快に表現してくれて
 「そうそう!そんなんだよっ!!中島、頭いいぞぉ!!(←失礼)」
 と膝を叩きたくなった。

 といっても、素直に膝を叩く人は、あまりいないような気がする。
 まぁ、naokoさんあたりは膝を叩くかな、と勝手に予想しているが。
 (だからこそ、中島先生もワザワザ本を書く意味があるのだろう)

 naokoさんの「ネット上でもそうだけど、いかにも自信ありげな言論の山がよってたかって人の健康な感覚を打ちのめしたり混乱させている気はしますね。」という感覚に似たものを私も感じてたりするんです。
 で、そんな私にとって、中島氏の話はそのあたりを具体的に浮かび上がらせ、その原因や、その問題を見事に取り出してくれた、と感じたのね。

 まぁ、プロと素人の力量の差をまざまざと見せ付けられてしまった、という悔しい気持ちもあるものの、これはぜひ、ブログで批判活動、あるいは対話を求めている方に読んでもらいたいと思い、紹介する。

 正直な所、引用して紹介したい所がありすぎるんだけど、それをやったら引用の範囲を超えちゃいそうなので、涙を呑んで抜粋(引用文は囲みで紹介。中略した箇所には《中略》と表記)。
 引用を読んで、ピカンと来た人がいたらら、ぜひ本を入手して全部読んでくださいな。

 まぁ、引用を並べるだけではアレなので、おこがましいコトを承知で私の考えを少し書き加えてみる。
 引用文の内容とはズレている部分もあるかもしれないケド、ご勘弁を。


【「優しさ教」の宗教裁判(p156)】
 「思いやり」や「優しさ」を強要する杜会、その意味内容を批判的に吟味することなく、言葉に出して説明することもなく、ある人に向かって一方的に、まさに〈対話〉なしに「思いやりがない」と断じ、彼(彼女)を見下し排除する社会は大層危険な社会である。
《中略》
 灰谷に限らず「優しさ論者」は、「優しさ」が人間としての全価値であるかのように前提したうえで、それが欠けている人を目撃するや、彼(彼女)を人間として全否定するという暴挙をしばしば行う。
 いわば「優しさ教」の宗教裁判である。「優しさ」がないという罪状により捕らえられた者は、原則としていっさいの抗弁の機会を奪われている。訴えられたらもうおしまいなのだ。否認すればするほど「優しさ」がないと断罪される魔女裁判なのである。

 このような価値観の元では、分かりにくい 「誰かを正しく手助けするための」優しさよりも、分かりやすい「優しい人と社会に認められるための」優しさが重視されるのではないだろうか。
 そして優しさは、自分を犠牲にするものではなく、自分が生贄にならないためのものになってしまうと思う。

 そして、そのような形骸化した優しさを持つ人は、自分の優しさを世間にアピールするため、一見「優しく無い人」を叩く、あるいは無理矢理にでもどこか「優しくない所」を探し出して叩く。
 その叩き方は決して「優しく」は無い。
 
 そのような歪みについて、私は「優しさ」以外の単語を当て嵌める事も可能だと思う。
 例えば『礼儀』、あるいは『科学』...
 『礼儀正しく見せるため、礼儀知らずを叩く人』、『科学的に見せるため、非科学を叩く人』は
 『礼儀正しくあるから、礼儀知らずを叩く人』、『科学的だから、非科学を叩く人』とは
 異なる叩き方になってるんじゃなかろうか。


【「他者」とは「私」の拡大形態ではない(p190)】
 まとめてみよう。〈対話〉とは他者との対立から生まれるのであるから、対立を消去ないし回避するのではなく「大切にする」こと、ここにスベテの鍵がある。
 だが、他者との対立を大切にするようにと教えても、他者の存在が希薄な社会においては何をしていいかわからない。そうなのだ、本当の鍵は他者の重みをしっかりとらえることなのだ。他者は自分の拡大形態ではないこと、それは自分と異質な存在者であること。よって、他者を理解すること、他者によって理解されることは、本来絶望的に困難であることをしっかり認識すべきなのである。
 われわれ聡明な日本人は、じつはこんなことは頭ではよく了解している。しかし、(とくに公の席では)他者との摩擦がまったくないかのような、みんな心が通じ合っているかのような、つまりあたかも他者がいないかのような態度をごく自然にとるのだ。
 これはみずから信じていないことを語る自己欺隔である。〈対話〉はこうした欺隔的態度の出現とともに消えてゆく。そこに、すべての人が全体を配慮し、自己の痛みを語らず、他者との差異を語らない淀んだ和やかな害丸が流れる。この空気の中で、おそろしいことに、各人は自分の考えをもたなくなる。責任をもたなくなるのだ。
 この空気の威力は圧倒的である。表向きみんなに同調しているだけだ、おれ(私)はあくまで自分の信念は貫くのだという姿勢も、この空気をすっているうちにしだいしだいに本人像がつかないところでいわば内部から崩れてゆく。「からだ」がこの「和の空気」にすっかり馴染んでしまうのだ。「からだ」がこの空気を求めてしまうのだ。「からだ」がこの空気が支配していないところでは不快になるのだ。そして、いつか気がついてみると、「からだ」が〈対話〉を拒否している個々人の微妙な対立を受け止めなくなっている。〈対話〉を求める個人の叫びを殺しているのである。

 そう、私だって、いざ実生活ではついつい空気に身を任せてしまう。
 だからこそ、ブログぐらいでは...と思うのだけど、まぁそれも一つの「逃げ」なんだろうね。
 反省。
 

【巧妙なダブルスタンダードの構築(p196)】

 引用部分の前段で、著者は「個人主義」を
 「勝手なことをして良い、しかし責任を取れ」=洋風の個人主義=強い個人主義
 「勝手な事をするな、他人に迷惑にならないように振舞え」=和風の個人主義=弱い個人主義
 の2つに分けた上でこう述べる
 答えは、もう与えてある。われわれの取り入れたのは洋風の個人主義ではなく和風の個人主義だからだ。弱い個人のための弱い個人主義だからだ。「個人主義」という字面だけ同じで、中身はすっかり別のものだからである。
 次第に見えてきたことであろう。この「和風個人主義」が〈対話〉をきわめて巧妙な仕方で窒息させるのである。
 現代日本人 -とくに上に立つ者- はけっして頭から個人主義を否定しはしない。個人主義をプラスの価値と見ている。しかし、同じ言葉を使っていても、その内実を巧妙にわが風土に合わせて変質させているのだ。
 こういうことである。政治家も評論家も先生も親も学生も生徒も社長も社員も〈対話〉の重要さを認めている。自己決定・自己責任の重要さを認めている。みんな、日本人の幼児性や非個性的なこと、「自分がないこと」を嘆いている。しかし、本当のところ嘆いてはいないのだ。「自分がないこと」こそ、じつは自分が望んでいることなのである。言いかえれば、だれも彼もが自分はじつは「和風個人主義」を望んでいるのに、「洋風個人主義」を望んでいる振りをする。自分はじつは日本的風土に合った「会話」を望んでいるのに、〈対話〉を望んでいる振りをするのだ。
《中略》
 こうして、西洋起源の言葉はことごとくこの国では二重の意味を担いながら、「本来は…、しかしじつは…」という精緻なダブルスタンダードを築いてゆく。しかも、ほとんどの者は自分が巧妙なトリックをしかけていることに気づいていない。自分はまったく一元的な真理を語っているつもりなのである。
 「対話は必要です。だが、そんなに相手を追いつめちゃ駄目だよ。相手に逃げ場を与えなければ」とか「対話は大切だ。でも、自分のことばかり主張しちゃだれも聞かないよ。それぞれ立場とかメンツがあるんだから」とか「私は対話を拒否するつもりはない。しかし、きみのものの言い方があまりに無礼だからもう聞きたくない」等々の「論理」を振りかざして、丁重に巧妙にズルク〈対話〉を根こそぎにするのである。

 言う事はかっこいいのに、いざとなると別の事を持ち出して腰を折る。
 私をイラ付かせるのは、まさにこのあたり。

 結局のところ、『対話』がしたいのではなく、『対話をしているフリ』をしたいのではなかろうか。

 前も書いたが、間尺に会わない要求に『歩み寄り』がある。
 そもそも、言いたいことを控え、譲りたくないところを譲歩するとすれば、じゃぁ何のためにそれをするの?と思う。

 気持ちを通じ合わせるため?
 互いに中途半端にしか主張できないのだから、通じ合うはずがないだろう。
 そんなのは、わざわざ、誰にとっても少し気に入らない結論を作る、という不毛な行為じゃなかろうか。

 「政治的な対話」とか「商売上の対話」とか、実質的なメリット・デメリットが生じる状況なら話は別だけど、少なくともネットの片隅の匿名者同士のやり取りにまで、そのような俗世的なダブルスタンダードは持ち込まないで欲しいとおもうのだ。

 さらに言えば、我を押し通すため、自分の矛盾を正当化するため、勝手に「社会」を背負ってみせるのもやめて欲しい。
 いったい自分を社会の中の何分の1だと思っているんだ。


 あと、ちょっとズレると思うケド
 他人の事を考えない人ほど、「他人の事を考えろ」と言う。
 何の事はない、「他人」というのは「オレ」という事。
 そんな事を思い出した。


【〈対話〉のある社会を望まないあなたへ(p203)】
 以上を念頭において、〈対話〉のある社会とはどのような社会か確認しておこう。
 それは、私語が蔓延しておりながら発言がまったくない社会ではなく、私語がなく素朴な「なぜ?」という疑問や「そうではない」という反論がフッと口をついて出てくる社会である。それは、弱者の声を押しつぶすのではなく、耳を澄まして忍耐づよくその声を聞く社会である。それは、漠然とした「空気」に支配されて徹底的に責任を回避する社会ではなく、あくまでも自己決定し自己責任をとる社会である。それは、アアしましょう・コウしましょうという管理標語・管理放送がほとんどなく、各人が自分の判断にもとづいて動く社会である。それは、紋切型・因習的・非個性的な言葉の使用は尊重されず、そうした言葉使用に対しては「退屈だ」という声があがる社会である。それは、相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆使する社会である。それは「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である…
 あなたはこうした社会の実現を望まないであろうか。
 望まない方に言っておきたい。あなたが言葉を信じないのはあなたの自由である《中略》しかし、そうした態度で生きているうちにあなたは-自覚的無自覚的に-じつは他人の言葉も封じているのだ。他人の叫び声を聞かない(聞こえない)耳をつくっているのだ。真実を求めようとせず、〈対話〉を全身で圧殺しているのだ。
 だから、あなたは加害者 である。

 総括的な部分を引用したケド、おそらくは、今これを読んだほとんどの人が「〈対話〉のある社会を望む」と口を揃えて言うだろうと思う。

 しかし、いざとなるとその多くが「でもね….」と豹変する『加害者』になる気がするんだ。
 安易に「良さそうなコト」に同意する人は、安易にそれを捨て去る。
 そこがやっかいなところ。

 だからやっぱり、この本をじっくり読んでみて欲しい。


【言葉は無力である(p205)】
 最後の最後に、一つの(ありうる)誤解に対して答えておく。私は言葉が万能であるなどと一瞬たりとも信じたことはない。われわれが死や救済、愛や憎しみ、信頼や裏切りに直面するとき、言葉は絶望的に無力である。それは、「哲学」が絶望的に無力であることに通じている。このことは、いくらドンな私でも骨の髄まで知っているつもりである。
 だが、だからこそ、私は無力な言葉をさらに無力にしたくはない。言葉のもつ一抹の「威力」を信じたい。言葉の弱い力を最大限に開花させたい。〈対話〉という乗り心地の悪い荒馬に乗って行き着くところまで行きたい。そして、その果てに-ため息とともに-身体全体で言葉の無力を噛みしめたいのである。

 私は確かにエスパーではない。
 当然、他者の心情を正確に判断できるとは言えない。

 だけど「そうなりたい」と小さい頃からずっと思ってきた。
 それは、何度かの転校という「人間関係のリセット」が関係するかもしれない。

 言葉を聴きつつ、その言葉を真に受けないようにして人を見ていた(イヤなガキだ)。
 それでも騙され、また自分でも騙そうとし(悪)、成功と失敗を糧にしてきた。
 そして、多くの本を読み、多くの考え方を浴び、かつそれを疑った(そして忘れた)。

 それは今も続いている。
 特にこのネットとやらは、そういう情報の宝庫だ。

 「分からないから」と足を止めるのは嫌
 「分からないけど」ととりあえず突き進んでいきたい。

 途中何人も跳ねちゃうかもしんないけどネ!(迷惑)
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naoko

ちょっと昼間ばたばたしていて書店に行く暇もないので、本を手に入れていないんだけど、エントリーを読んだ限りでも確かに「頷ける」話です。

>素朴な「なぜ?」という疑問や「そうではない」という反論がフッと口をついて出てくる社会

これがないんだよね。なんにも人の言うこと理解してないくせに、わかった振りして「いいじゃないの、そんなこと」とか「そんなに難しく悩まないで」とかあげくのはてに「あなたはそのままでいいの」とか言われるとね…。

>「からだ」が対話を拒否している

うんうん、もはやそんな風にしかわたしも感じれないんだ。これが、年食ってる人の場合には、もうどうにも…。

>弱者の声を押しつぶすのではなく、辛抱強くその声に耳を傾ける

とてもいい言葉。でも…。
「社会的弱者のセーフティーネットがどうとか」言っている学識者に限って、自分を守るためなら、何の躊躇もためらいもなく無慈悲に他者を押しつぶす。弱者を弱者として扱う奴らが、弱者を殺すんだよね。
まさに
>そこがやっかいなところ
ですよね。

>「対話」をしたいのではなく、「対話をしているフリ」をしたい
なぜなら、自我の欲求を満たすため、ただそれだけのために、他者を利用している。他者とはそのためだけに存在するのだから。そして、そう感じることを「当然のこと」として、頭も身体もそうした自分の主観と行為に違和感を感じることすらない。りっぱに自己中社会に身も心も慣れ親しんでいる。

そんな、自在に語り、書く能力に特に秀でた、この国の学識者たちの、自らの快楽を求める営みが、世の中を殺伐としたものに日々変貌させている。

そんな気がします。
by naoko (2010-01-24 03:16) 

naoko

そういう意味では、MORIXさん、最初にコメントする場所として、このブログを選んだのは、もしかして、潜在的な才能(いい意味で「対話」へと向かう)あるんじゃないかとも思うんだ。
これも縁かも。

願わくば、そのつぼみが開花されますように。
by naoko (2010-01-24 03:33) 

トンデモブラウ

>今これを読んだほとんどの人が「〈対話〉のある社会を望む」と口を揃えて言うだろうと思う。

・・・思わない。
少なくとも引用されてる部分だけを読んだ限りでは。
『漠然とした「空気」に支配されて』る社会というのが、理想的な社会から乖離してると思っていないからね。
社会に属している人間は、誰でも社会と個人との軋轢は感じてるでしょう。
全ての人がその違和感を口にだしてちゃ、社会生活が営めないでしょう。
「空気を読む」というのは、社会生活で必須の技能じゃないかと思うけど。

あと、言葉で自分の思っていることを100%表現できるなんてのは、かなりな高等技術。
万人には備わっていません。
その「理想的な社会」でも、結局声のでかい人が勝つんだよね。
ヤだなぁ。

洋風の強い個人主義ってのも、結局能力の高い人間だけが受利益者なんだよね。
アホは責任ばっか取らされるわけだ。

中島義道さんも「優しさ」なんて言葉を槍玉に挙げてるけど、「優しさ」という単語でなくてもいいわけで、これはミスリーディングを狙ってるわけだ。
「優しさ至上主義」な社会がダメなわけなかろうと。
「対話のない異分子排除システム」がダメなんでしょ。
私の属している社会では、不公平感を訴えて能力主義を標榜するヤカラの方が、能力が低くて使えないのが多いんですけど。
個人的には年齢給の方が、能力差による先天的不公平をなくすのでいいんじゃないかと思ってます。(アホなわしにももっと給料を!)
あれれ・・・ズレてきたぞ。
by トンデモブラウ (2010-01-24 14:54) 

Judgement

【naokoさん】
>自我の欲求を満たすため、ただそれだけのために、他者を利用している。
>他者とはそのためだけに存在するのだから。
「あからさまにそんな人」ならばまだいいと思う。
それで、敵を作り、条件を悪化させ、それでも目的を達成する人は
ある意味すごい。

それよりも、実際は違うのに
「あなたのため、みなさんのためにやってます」と白々しく言う奴の方が嫌。

>そんな、自在に語り、書く能力に特に秀でた、この国の学識者たちの
>自らの快楽を求める営みが、世の中を殺伐としたものに日々変貌させている。
私としては、学識者の発言すら、現在は「他人事のひとつ」と相対化され
影響力がほとんど無くなってきている気がする。
むしろ、学識者の方が、弾圧を恐れ世の中に迎合している感じ。
マスコミに顔を出す「学識者」のコメントを聞いているとそう思う。

>これも縁かも。
まぁ、どんな人であれ「他者」は私の興味の対照なので、
「対話」へと向かえば、また楽し。
そして、M君から始まる抗いの歴史の中で
「初の」快挙となるんだけどね。


【トンデモブラウさん】
>・・・思わない。
なるほど、それはある意味素直でよろしい。
だけど私にとっては敵だなぁ。
まぁ、味方とも思ってなかったから別にイイケド

だけど、まぁ、「理想的な社会」は語らないでおこうよ。
語るのは「自分にとって理想的な社会」に留めておこう。

>「空気を読む」というのは、社会生活で必須の技能じゃないかと思うけど。
私としては、それが嫌なんだね。
上の奴が自分の責任を回避するために、そう言うんだよ。
部下に対して「キチンと言わなきゃ分からん」と言うくせに
都合が悪くなると「空気を読め」って...

>言葉で自分の思っていることを100%表現できるなんてのは、
>かなりな高等技術。万人には備わっていません。
今の世の中ではやっても鬱陶しがられるから
殆どの人がやらないだけじゃないかな。
やらないからって、できないと諦めてはイカン。
それに、何もいきなり「100%」が求められるんじゃなく
10%を20%に、20%を30%...と向上させていく態度の方が重要かと

>洋風の強い個人主義ってのも、結局能力の高い人間だけが受利益者なんだよね。
>アホは責任ばっか取らされるわけだ。
でも、「能力の高さ」の水増しができなくなるから
もしかしたら、アホとの差が結構小さくなるかもよ。

>中島義道さんも「優しさ」なんて言葉を槍玉に挙げてるけど
私への文句はいいけど、著者は批判しないでぇ。
あくまでこれは引用って事を忘れちゃいけない。
本ではもっと詳細に「優しさ」について検討している。
それは、原著をじっくり読んでから言っておくれ。
そして、その文句は中島先生に言っとくれ。
by Judgement (2010-01-25 01:05) 

トンデモブラウ

>私としては、それが嫌なんだね。

それは解ります。(笑)
個人的にも同意できるんですが、これは能力不足な人には住みにくい社会なんじゃないかなぁ。

>殆どの人がやらないだけじゃないかな。

孟子のお言葉にもある「成せば成る!できないんじゃなくってしないんだ!」というのですな。
これも限定的に同意。
でも現実的には、できない人もいるんだな。
それをできる人と同等に「対話」するのは、できる人がかなり忍耐を要するわけですが、それに費やす時間とエネルギーは所属する社会にとって共有のものだったりしますよね。

私が主観的に読みとった「このエントリで書かれている理想社会」では、そこの部分の分母が無限大に見積もられてる感じがします。(要するに空論。)
私には「優性論」に近いものに思えちゃうんですよね。

「優しさ」の違和感も、引用部分では相方向、ギブ&テイク的なもの、「優しさ」は「優しさ」で返す的なものみたいになってますが、本来一方向な非可逆なものでしょう。
見返りを要求するものを「優しさ」に含ませるのは、部分的でもありえないのではなかろうかと。
違う単語を使わなかった時点で、著者への不信感を感じたなぁ。(じっくり読むモチベーションがかなり低下したぞ。)

「理想的な社会」という単語には、主観的な意味合いのを含まれているんでは?
そこで省略されている「私の考える」という部分は、公知じゃないのかな。
ちなみに、「私にとって理想的な社会」であれば、「対話のある社会」でも異論はないのすけど、それは弱者ケアを切り捨ててる気がするのでね。
心の片隅にコソって微かに存在する私の「良心」が否定するのじゃよ。
by トンデモブラウ (2010-01-25 08:40) 

naoko

【トンデモフラウさん】
>能力不足の人には住みにくい
とは、思わない。察したりフォローできる人が周囲に多くなるから。
能力と言っても、育ちの中で〝からだ〟で覚えるコミュニケーション能力だもの。
むしろ、言葉に出来ないものを掬い上げる能力が発達するんだよ。

>弱者ケアを切り捨ててる気がする
だから、それは逆なんだよね。
「対話のある社会」というのは、『心で向き合う社会』といってもいい。
相手の主観を察っする能力がなければ、本当に追い詰められた人の心を受け止め、支えることも出来ないでしょう?
だから、自殺者が年間3万人もでるんだよ。


by naoko (2010-01-25 12:59) 

Judgement

まぁ、まぁ、トンデモブラウさん。
自分の引用のせいで赤の他人の評価が落ちるのは悪いので
もう少し解説する。

著者は別に「<対話>のある社会」が理想社会とは言っていない。
それを望まないのも自由、と言っているのよ。
ただ、様々な考察の上で、それは<対話>を求める者を封殺する事になる
と結論付けているわけ。
<対話>を社会の何よりも優先べき、という話ではなく
<対話>という切り口で社会を評価するとこうなりますよ
という話(だと思う)。 

で、「優しさ」云々についても
”優しさ”ではなく”「優しさ」”というカッコ付きの表現が実はポイント。
私が引用した部分は、ほとんど総括の部分なんだけど
その前に、表面的で実効性の無いどころか鬱陶しい「優しさ」について
考察を重ねている。
...と記憶している(本返しちゃった。違ったらごめん)

んで、そんな私の解釈がホントに正しいかも分からんし
それはちゃんと自分で「じっくり読まないと」判断できないはず

それが判断できるように引用しないのが悪いと言われると困る。
だってそんな事言ったら、本の内容全部引用しなきゃならんし
そんなことしたら著作権法違反よ。

それに、別に私は著者を批判させるために引用したわけじゃないし
著者の言い分を自説が正しい根拠にしようとしているわけでもない。

私が言いたい事をより上手に表現していると思ったから
自分の言葉の代わりに、彼の言葉を使わせてもらっただけ
文句を言うなら、そこを抜き出して自分の意見を乗っけている
”私”に対して言ってクレ。

とにかくお願いだから、引用でいきなり著者の評価に飛びなさんな。
読む気がなければ、読まなくてもいいけど批判すべきでない。
書評だけを参考にして自分も書評するようなものだ。
著者を批判するなら、まず本を読んでくれ。


ちなみに、私の考えは
トンデモブラウさんとも、naokoさんともちょいと違うけど
それは後日
by Judgement (2010-01-26 00:11) 

トンデモブラウ

>Judgementさん
>著者を批判するなら、まず本を読んでくれ。

そりゃ、当然ですね。(失礼しました、中島さん。^^;)
今度(いつか・・・きっと)、じっくり読んで恣意的な「優しさ」を攻撃しようっと。
で、私が受け取った感じでは、「<対話>のできにくい社会」は、
><対話>を求める者を封殺する事
になるのと同時に、「<対話>のある社会」は<対話>を巧くできない者を封殺する事になると思うのですよ。
しかも、『<対話>を求める者を封殺する事の弊害』<<『<対話>を巧くできない者を封殺する事の弊害』、じゃないかと考えています。

>naokoさん
>『心で向き合う社会』といってもいい。

素晴らしいです・・・が、その実現には時間を無限に使うことになりますよ。
Judgementさんもnaokoさんも、きっとかなり優秀な人達だけに囲まれた社会に暮らしているのではないかと思います。
いや、これは嫌味でもなんでもなく、素直な感想です。
世の中には、想像を絶した理解力のない(かつ表現力のない)人っていっぱいいますよ。
『向き合う』ためには、相手側からのアプローチも必要だと思いますけど。
私には『向き合える』人からだけの視点にしか感じません。
それこそ「優しさ」の押しつけと同じじゃないかなぁ。
by トンデモブラウ (2010-01-26 08:30) 

naoko

【トンデモフラウさん】
>時間を無限に使う
というのは、ある意味、かなり実感してます。それでも、単に能力がないだけなら、その人の言葉を引き出すことは、それほど難しいとは思わない。

問題は、「優しいフリ」とか「対話をするフリ」とか「客観を装う言動」とか「情報を武器にした言動」とかで、さりげなく他者を攻撃することで、相手を沈黙させる、ある意味、知識も能力もある人たちのアプローチの方だと感じてます。
かれらは逃げるのも、論点をすり替えるのも、相手の言動を自分の都合で捻じ曲げるのも実に巧み。逆切れも、当てこすりも皮肉もとっても上手。

わたしが『向き合えない人』と考えているのはそういう人たちのこと。
単に能力のない人が向き合えない人だとはまったく思っておりません。
by naoko (2010-01-26 12:54) 

naoko

おそらく、当人の強烈なコンプレックスが、問題の根幹にあるのだと思う。
そのコンプレックスの化け物とどう向き合うか?
あるいは周囲がそれをどう理解し、支えられるか?
その辺がテーマになってくるんじゃないかな。
by naoko (2010-01-26 13:03) 

cosi

Judgementさんが、そこまで勧めるのなら・・と購入して読みました。金欠の時期だったのに。Judgementさんは図書館で借りていたのか!

全部しっかり読ませていただきました。Judgementさんの向かいたい方向性がよくわかりました。始めの方は、身近な例、おもしろい話が満載で「そうだよね~」と余裕をかましながら読んでいましたが、第3章の【<対話>とは何か】に入ってからは、心を、大袈裟に言うと、魂を、ぐいぐい揺さぶられる感じでした。さらに、第4章の「利己主義の変形としての思いやり」という表現には、「ひぃー!勘弁してぇー!」という感じでしたよ。
最近、本を見る目がなく、ダメンズ本にばかり当たり、もう本など読みたくないと思っていた私に、良書を紹介してくれました。ありがとう!

naokoさんは、読んでないのに、もう本質がつかめています。
トンデモブラウさんは、まるっきりわかってそうにないので、読んだ方がいいです。(MORIXさんにも見当ハズレのアドバイスしちゃったので、これも見当ハズレでお節介なアドバイスだと思いますが。)

昨年、Judgementさんに痛いところをつかれて、逆ギレして去っていった、ニセ科学批判の重鎮さん(?)たちが、読むといいのにと思いました。読んでも我が身を振り返ることなんて、おそらく、ないんだろうけど。まあ、ああいう人たちが、ニセ科学批判の中心にいる限り、ニセ科学批判の行く末は暗いものでしょう。内輪で盛り上がっている分には、今のままでもいいんでしょうが。
by cosi (2010-01-26 14:59) 

Judgement

【トンデモブラウさん】
「<対話>のある社会」とは「<対話>を至上とする社会」ではないんだよ。
意思の疎通を行うための、最低限の行為を保証しているだけ。

対話ってのは、「解決を目指す」なら必須の行為であり
対話したから解決するっていう「特効薬」ではない

治療しても治るとは限らないけれど
治療しないとまず治らない

> <対話>を巧くできない者を封殺する
むしろ
「空気」が支配し「思いをストレートに言わない、言えない」状況こそ
真意を読み取る、あるいは空気に触れないよう湾曲的に意思を伝える
...のに「能力」が必要となっているんじゃないのかな。
んで、そういう能力にすら欠ける人なんて
「<対話>のない社会」では、封殺どころか、黙殺されると思う。

>弱者ケアを切り捨ててる
これも全く逆と思う。
「<対話>のない社会」とは
強者が弱者を結果見捨てる事になっても責任を負わなくていいんだ。
「かわいそう、かわいそう、なんとかならないかしら」
と心配がって見せ、いたわって見せれば
「優しい人」というステイタスが得られる。
それに対し、弱者は自分の本当の要求を伝える事ができない。
何故なら「優しい人」達の空気をぶち壊す、とたしなめられるから。
そして、「優しい人」だけがどんどん増え、弱者はいつまでも不幸なまま。

『<対話>のある社会』とはこういう事
「私はおなかが減った。何か恵んでくれないか」
「私はあなたなんかに恵むお金は持っていないから嫌だ」
これでも立派な「対話」だ。何の難しい事があるだろう。

モチロンこのように。対話しても救われるとは限らない。
でももしかしたら、「わかった。たいしたご馳走はできないけれど」
と言ってくれる人が出る可能性はある。

「空腹」が分からなければ仮に救いたくても、救う事はできない。
そういう意味では、対話はケアの大前提になるんだよ。

一方、『<対話>のない社会』とはこういう事
「...(おなかへったけど、言っても断られるだろうな)。」
「...(おなかへってそうだけど、言ったら失礼だろうな)。」


【naokoさん】
おそらく、現在は『<対話>を求めない人』優勢だから
それこそ、「頭でっかち」な言葉ばかりが並べ立てられ
いちいち「真意」を見透かす「能力」が必要になっているケド
『<対話>のある社会』になれば、完全に、とは言えないけど
そういうのが一掃され、素直に言葉を使うようになるんじゃない?

...ということから考えれば
>言葉に出来ないものを掬い上げる能力が発達するんだよ。
と言うよりも、そのような「能力」すら不要になる(良い意味で)
という方向に行くんじゃないかな、と私は思う

ところで、トンデモブラウさんの話に対応しているからだと思うケド
naokoさんは対話のポジティブな面を挙げていますが
もちろんネガティブな面もありますよね。
「心を分かった上でそれを踏みにじる」事だって自由。

とはいえ、踏みにじった事に対する責任は
その人に降りかかるので(社会的評価の下落とか)
それはそれで、上手く処理したりできると思うケド

>当人の強烈なコンプレックス
これだよ、これこれ。
それ故に言葉で飾ったり隠そうとしたりするからややこしくなる。
「心の防御壁」で、『土足で踏み込む』と感じるのは、
やっぱり、それを見られたく無いからなんだろうなぁ。


【cosiさん】
私の本棚は図書館なのよん。
税金払っているんだから、有効に使わなきゃ。

まぁ、おそらく私よりしっかり読んでる気がするし
評価に何も言う事有りませんが、なんか嬉しいわん。

「対話」に興味が出てきたならば、
今度はこちらもいかが?

「悪の対話術」福田和也(講談社現代新書)

これは私のバイブル的な本(とはいえ、図書館に預けてありますが)。
まぁ、どちらかといえば対話の暗黒面ですが
これはこれで、揺さぶられますよぉ。
by Judgement (2010-01-27 00:53) 

naoko

【Judgementさん】
>「心をわかった上で踏みにじる」
これこそ、『昔の今より対話のある社会』における、社会的強者のふるまいの中で、もっとも邪悪な姿です。
無防備な子どもに対してもそうした『子どもの心をわかった上で、踏みにじって楽しむ』大人たちは、昔からいっぱいいた。そこにも、対等な対話なんて、やっぱりなかった。
だから、いつの時代も弱者は沈黙を強いられてきたのだと思う。

でも、その反対に、そうしたじっと黙って耐えている弱者の沈黙の声を救い上げることのできる人、強者の振る舞いをたしなめたり、叱りつけたり、こんこんと諭したり、さらには告発することのできる人が、切実に必要とされ、そのような人は、やはり尊敬され、崇めるように大切にされてきたことも確か。
それは、村や大家族の長老だったり、ご近所のおじいちゃんやおばあちゃんだったりした。寅さんに出てくる坊さんのご隠居だったりね。

そういう人には、みんな逆らわなかった。

今は、そんな時代遅れの情報不足の年寄りに、頭を下げる若者はいない。
「知識・情報こそが武器!」(だがそこに深い知恵や哲学は含まれない)
「論理・客観こそが武器!」(だがそこに感性や直感は含まれない)

ところが、さらに厄介なのは、深い知恵や哲学、感性や直感の表現を、みごとに冷徹に計算して、実に巧妙に、(己の利益のためだけに)演じきれる人たちの存在。三遊亭小朝みたいな。

>「あなたのため、みなさんのためにやってます」

まさに、これ!「悪魔の対話術」と言えるかもしれない。
by naoko (2010-01-27 05:03) 

トンデモブラウ

>cosiさん
原著は読んでしないので、このエントリに関してだけに限定させてもらっています。
原著への誤解はしょうがないので、そっちのことは横っちょへ置いといてください。
私の基本スタンスは、「プロパガンダは疑え!」なので・・・

>Judgementさん
「優しい人」の定義が根本的に私とズレている感じですが、この際そこは無視しましょう。
<対話>のある社会が『意思の疎通を行うための、最低限の行為を保証しているだけ』であれば、現状と何が違うのかさっぱり解りません。
Judgementさんの所属する社会では、「優しさ」とやらで言論が封鎖されているんですか?

>『<対話>のある社会』とはこういう事
>「私はおなかが減った。何か恵んでくれないか」
>「私はあなたなんかに恵むお金は持っていないから嫌だ」
>これでも立派な「対話」だ。何の難しい事があるだろう。

これって今のままの社会でしょう。
「お腹が減った」人が、『どうしてお腹が減ったのに、恵んでもらわなければならないか』は、恵む人の想像にゆだねられちゃってますよね。
視覚(表情や見た目など)や聴覚(しゃべり方など)を無視しても、そこの部分を<対話>で解決するならば、「お腹が減った」人にきちんと説明する能力が求められると思います。(義務と言った方がいいのかな。)
それを恵む側に求めると、「空気を読む」という行為になるんじゃないかなぁ。

一方、<対話>のある社会とはこういう事
「...(おなかへったけど、巧く言えないから断られるだろうな)。」
「...(おなかへってそうだけど、言ってないから勝手に想像したら失礼だろうな)。」

何かみなさん<対話>の巧くできる者目線なのが、癇に障る・・・間違った、気に入らない・・・違った、違和感を感じる。
by トンデモブラウ (2010-01-27 08:44) 

cosi

>Judgementさん
「悪の対話術」読んでみます。おそらく買ってしまうことでしょう。物欲が強いので、気に入った本は身近に置きたくなるので。Judgementさんのように、ドライ、いや大きな心で、「図書館は自分の本棚」の境地に達したいです。

>トンデモブラウさん
今の社会は「私はおなかが減った。何か恵んでくれないか」と率直に言えない人が多いのが、問題なんですよ。たぶんJudgementさんやnaokoさんの言われる、強烈なコンプレックスや心の防御壁のせいなんです。
それで、問題が小さいうちに、家族や友人知人に、もしくは行政機関などに打ち明けられないで、我慢しているうちに、ホームレス化したり、秋葉原事件の加藤被告のようなことになるのでは?

「<対話>のない社会」の第1章は、「沈黙する学生の群れ」で、要は、私語ばかりして、講義に関係する発言が全く出ない学生達の話なんですが、「そうそう、私もそういう学生だった」と思いながら読みました。
当時どうして、発言できなかったかというと、「自分が馬鹿で勉強不足であることを隠しておきたい」「目上の人に意見したら失礼にあたるのではないか」などの理由でした。

<対話>が巧くできるかどうかは、言語能力や知識の量や機転の良さにかかっているのではなく、「心」にかかっているんだと思います。

何かを発言すれば、当然反対されたり、軽蔑されたりすることもあり、傷つく可能性があるわけですが、同時に理解されたり、助力してくれる人が現れる可能性もあるわけです。
傷つくことを恐れて発言しなくなっているのは、そして、少しでも反対されたり、価値観の違う人に出会うと、冷静に対話を続けることができなくなるのは、「心」がそれだけ脆弱に、過敏になっている、ということだと思います。

この本に書かれている、ソクラテス式の<対話>を実践するには、修行僧並みに、動じない心が必要なようなので、ハードルは高いと思いました。つまらないプライドや保身の心などがあると、無理なんです。自分のことしか考えない、小さい心だと、無理なんです。

でも、そういう大きな動じない心構えで、<対話>しようとする人が一人でも増えると、風通しが随分良くなると思います。そういう心の持ち主が増えれば、当然社会も良い方向に向かうでしょう。だからこそ、Judgementさんも、みなさんに勧めているんだろうと思いました。

この本の<対話>は会話や討論とは違うものなんです。だから、この本を読まないと、Judgementさんの言いたいことがわからないと思います。著者の提唱する、<対話>の基本原理12か条だけでも書き写したいほどなんですが、長くなったのでやめておきます。133ページに載っているから、トンデモブラウさん、立ち読みだけでもしてみてください。でも、立ち読みで理解できる本じゃないと思うんだよねー。能力にもよると思うけど。
by cosi (2010-01-27 19:25) 

naoko

【トンデモブラウさん】
>なんか癪に障る…、間違った、気に入らない…、違った、違和感を感じる。

こう言っては失礼かもしれないけど、なんか、かわいい、と思ってしまいました(笑)。
素直に表現できるトンデモブラウさんは逞しい!

【誰にと言うわけでなく】
コンプレックスって誰にでもあると思うけど(←もちろんわたしにも)、だからこそ、他者のコンプレックスへの「いたわり」も持っていたい。わたし自身、そのいたわりに救われているから。

それが、他者の内心を汲み取るということ。
by naoko (2010-01-28 03:56) 

トンデモブラウ

『本を読まなければ理解できない』という部分は、今回は考慮しないで<対話>しましょうよ。

日本が「西洋的個人主義」と違って「周囲を気にして発言しにくい社会」である、あるいは「日本の社会は異分子排除的なムラ社会である」、ということであればなんら異論はないです。(100%同意じゃないけどね。)
ただ、「西洋的個人主義」と「日本的ムラ社会」との比較で、「西洋万歳!」じゃないよ、いやむしろ「日本的ムラ社会」の方がいいんじゃね、というのが私の主張です。

要は、費用対効果(利益と不利益を秤にかけること)ですよ。
自分のことだけ考えれば、著者の推奨する『<対話>のある社会』でOKです。
というか、「プロパガンダは疑え!」という私のスタンスは、どう考えてもそっち寄りでしょう。
私が異論をとなえているのは、『あなたが言葉を信じないのはあなたの自由である《中略》しかし、そうした態度で生きているうちにあなたは-自覚的無自覚的に-じつは他人の言葉も封じているのだ。』というような言葉を信じないのではなくって、「日本的ムラ社会」が封じ込めている異分子の意見を解放しても、社会構成員全員が対等に<対話>できるわけではないのに、<対話>できる人だけの異質性を尊重する社会を拾い上げるのってそんな意味ないんじゃないの、ということです。
ぶっちゃけると、異質性を尊重されるべき<対話>できる人が「日本的ムラ社会」のせいで発言できないのであれば、黙ってればいいじゃん、ってこと。
だって、それちっとも弱者じゃないし。
きちんと<対話>できない人も救われる社会(環境)がいいなぁ。
そこで勇気を持って発言できない程度の意見を酌量するよりは、<対話>能力のない人をいたわれる社会=「日本的ムラ社会」の利点だと思うよ。
まぁどっちも程度の問題だとは思うけど、「反プロパガンダ」の意見としてはこういう極論になってしまうので。

だから、私は「徳」とか「惻隠の情」といった言葉ないできないものを重視する「日本的ムラ社会」が好きなので、「西洋的個人主義」をベースにした<対話>ある社会がヤなんだよね。
これは、ふわっふわした感覚なので、私の能力的には言葉で巧く説明できませんけど。(なんだか、MORIXさんの気持ちが少し解ってきたゾ。)

手短に主張を解ってもらうって難しいね。
私の場合、特にオチをつけて笑いを取りたいという気持ちも加わるし・・・いや、むしろそっちがメイン。
naokoさんには、私が素敵でかっこいいことがバレちゃいましたけど。(・・・いや、違うから。)
by トンデモブラウ (2010-01-28 08:45) 

cosi

トンデモブラウさん、今回は少なくともエントリーに書かれた部分だけは、ちゃんと理解しているようですね。(ものすごい上から目線)
おかげで、かなり言いたいことが理解できました。

この本の著者は、「日本的ムラ社会」をやめて、「西洋的個人主義」をベースにした<対話>ある社会を、目指そうと言っているのではありません。
欧米社会の負の面も書いています。
そして、何千年もかけて培われた「日本的ムラ社会」は、そう簡単に、揺らぐことはないと、書いています。
抜粋すると、
*以下抜粋*
私は、言葉を、<対話>を圧殺するこの国の文化にあと数パーセント西洋的な言語観を採用すれば、もっと風通しのよい社会が、弱者が泣き寝入りすることのない社会が、個人が自律しみずからの責任を引き受ける社会が実現するのになあ、と思うだけなのだ。
*抜粋終わり*

私の癇に障った、いや、違和感を感じるトンデモブラウさんの主張は、

>ぶっちゃけると、異質性を尊重されるべき<対話>できる人が「日本的ムラ社会」のせいで発言できないのであれば、黙ってればいいじゃん、ってこと。
>そこで勇気を持って発言できない程度の意見を酌量するよりは、<対話>能力のない人をいたわれる社会=「日本的ムラ社会」の利点だと思うよ。

このあたりなんです。
この本は、「勇気を持って異質性を主張しようよ」っていってるんだと私は理解している。そして、私はそうしたいし、勇気を持ちたい。
「黙ってればいいじゃん」って、そうはいくかって感じ。絶対黙りたくない。

そうすることが、<対話>能力のない人をいたわれることでもある。

naokoさんが、書かれていたけど、
>そうしたじっと黙って耐えている弱者の沈黙の声を救い上げることのできる人、強者の振る舞いをたしなめたり、叱りつけたり、こんこんと諭したり、さらには告発することのできる人

こういうのも<対話>ができる人というわけなんですよ。

>「西洋的個人主義」と「日本的ムラ社会」との比較で、「西洋万歳!」じゃないよ、いやむしろ「日本的ムラ社会」の方がいいんじゃね

だからね、二者択一じゃないんです。これだから理系クンは困る。(勝手に決め付けて暴走)
あなたには、ゲーテの「若きヴェルターの悩み」から、以下の文をプレゼントします。

「この世には、あちらかこちらかの二者択一で決着することはめったにない。感じ方にしても、態度の取り方にしても、その間にいくつものニュアンスが生まれてくる。ワシ鼻とダンゴ鼻のあいだにいろいろな段階があるのと同じだ。」
by cosi (2010-01-28 14:05) 

naoko

>「徳」とか「惻隠の情」といった、言葉にできないものを重視する「日本的ムラ社会」が好き

おそらく、トンデモブラウさんは、日本がそのような〝情〟を大切にする社会であることを願っているのでしょう?(わたしもそう願っています。)

ところが、現実にはそうしたかつての共同体はほぼ消滅しており、かわりに結びつきの弱い個人同士が、このようにふらふらネット上でもリアルでも、なんとか対話を実りあるものにしようと、試行錯誤を試みている日々があります。

さらに、「優しさ」の意味も、徐々に変容してしまい、今では、互いの内心に踏み込まないこと、あるいは実生活での他者の危機に直接関わる恐れのない場所から同情に満ちた言葉を投げかけるという、偽善そのもの、見せ掛けだけの「偽りの優しさ」と化しております。

Judgementさんのこのエントリーでは、今の日本がそうした「偽りの優しさに満ちた社会」であるという前提から話がスタートしているのです。

トンデモブラウさんが、その前提を肯定しても否定しても対話は有意義なものとなるはずですが、問題は、その前提を無視しちゃっていることです。
それでは対話はまずかみ合いません。

cosiさんがいらいらしちゃうのは、それが原因ではないかな?

おそらく、トンデモブラウさんにしても、経験上そうした「偽りの優しさ」の存在は意識しているはず。
自分の内面においても、他者に対しても。
ただ、社会全体の問題として強く意識し、正面から考えたことはないのでは?
by naoko (2010-01-29 06:12) 

トンデモブラウ

>cosiさん

う~ん、じゃあ著者が主張しているのは、ごく普通のことって感じがしますね。
あえて、特殊な「優しさ」の定義で攻撃するほどのもんでもないような・・・
プロパガンダ側(と呼ばせていただく)からアプローチしているハズのnaokoさんが、反プロパガンダ側の私とほぼ同じ位置にいるのはこのせい(著者の主張が普通なこと)じゃないだろうか。

要するに、「<対話>が封殺されているのは、『日本的ムラ社会』の空気のせいである。」→なるほど、それはよくないね。
ってのと、「<対話>が封殺されているのは、『西洋的個人主義』による重い責任回避の行動である。」→なるほど、そりゃいかんね。
って具合。

あと、私は二元論上等ではないですよ。
著者が槍玉に挙げている「日本的ムラ社会」を弁護しているだけです。
ちゃんと、程度問題だって書いてるでしょうに。
これだから文系出身者は・・・(冗談です。笑)

>naokoさん
私の辞書の「優しさ」の項目には、「偽りの優しさ」という欺瞞を含んだ単語はないんですよ。
まぁこれは言葉の定義というか、言葉遊びみたいになるので議論から外しているわけですが、本来の「優しさ」ってそうでしょ。
「優しさ」のなかに「優しくない」ことを入れ込むと、議論は収束しないのでね。
この部分(定義が曖昧。←原著を読んでいないので不明ですが。)も私が著者のプロパガンダに与しない一因です。

私には、naokoさんのおっしゃる
>ところが、現実にはそうしたかつての共同体はほぼ消滅しており、かわりに結びつきの弱い個人同士が、このようにふらふらネット上でもリアルでも、なんとか対話を実りあるものにしようと、試行錯誤を試みている日々があります。
という弊害の原因が、「西洋的個人主義」をベースにした<対話>にあると感じているということです。
なので、社会問題として意識して正面から向かっていくと、「日本的ムラ社会」への回帰がいいんじゃにの、という主張です。

私はクリスチャンですが、基本的に性善説なのです。
by トンデモブラウ (2010-01-29 08:55) 

cosi

いらついて見えちゃいましたか。たしかに「黙ってればいいじゃん」に反応してしまいました。実はいろいろとトラウマがあって・・(笑)。naokoさんの大人なあしらいに、救われる感じがします。

トンデモブラウさん、問題は「日本的ムラ社会」は、本当にそんなに良いものだったのか?ということです。もちろん、良い面もあったでしょうが(寅さんの世界のように)、「欲しがりません、勝つまでは」などのような、面もあったわけで。
かといって、西洋社会が戦争をやりまくっているのも、事実なんですが。

この本で推奨している、<対話>は、ソクラテスを見習うものです。
著者は以下のように書いています。

*抜粋開始*
ソクラテス=プラトン的対話は理想形態であり、それはじつは欧米においても稀なのである。(だから、ソクラテスは処刑されたのだ!)。
むしろ、現代欧米社会において普遍的に見られるのは、自己の権利追求のために<対話>を拒否ないし歪めている膨大な事例である。
*抜粋終了*

だから、あくまで、ソクラテス的<対話>であって、今の「西洋的個人主義」をベースにした、利己的な歪められた<対話>とは別物なんです。

トンデモブラウさんには気の毒ですが、もう「日本的ムラ社会」には戻れないでしょう。だから、「日本的ムラ社会」を見直しつつ、利己的な<対話>でない、ソクラテス式の<対話>を取り入れましょうということではないかと。これは私の理解ですが。
<対話>のやり方を、見つめ直し洗練させないと、今の欧米社会のようなことになるし、「日本的ムラ社会」を反省しないと、皆がぺらぺらしゃべるわりには、本当に重要なこと、大切なことを話さない、風通しの悪い事態になるんです。

>私の辞書の「優しさ」の項目には、「偽りの優しさ」という欺瞞を含んだ単語はないんですよ。
まぁこれは言葉の定義というか、言葉遊びみたいになるので議論から外しているわけですが、本来の「優しさ」ってそうでしょ。
「優しさ」のなかに「優しくない」ことを入れ込むと、議論は収束しないのでね。

ほらね、だから理系クンは困るんだよ(笑)。
「優しさ」を定義してどうするの?数式にして、解を求めるんじゃないんだからさ。
定義なんてできないよ。無数の「優しさ」があるんだから、それを全部検討しなきゃならないんです。それが、<対話>するってことなんです。簡単に収束に向かわないのが<対話>なんです。
by cosi (2010-01-29 14:46) 

cosi

追記
今の日本は、長年培ってきた(問題点もあるが、それなりに機能していた)ムラ社会が破綻して、いろんな問題(介護、育児など)が噴出している上に、歪んだ対話を求めるクレーマーが跋扈する社会のようです。トンデモブラウさんが、懐古主義になるのもわからなくもないです。
by cosi (2010-01-29 16:30) 

naoko

【トンデモブラウさん】
わたしは、「日本的ムラ社会」への回帰は不可能だと思う。
cosiさんの言うように、回帰したくない面もあります。

とはいえ、個人的には日本的な〝情〟を大切にしないなんて考えられないし、それのない社会には住みたくないと感じもします。
では、どうしたら人々に、そうした〝情〟を身体性を伴って保ち、伝えていけるでしょうか?

その時、どんな交流や対話が必要になるでしょう?
by naoko (2010-01-30 05:54) 

トンデモブラウ

違うんだなぁ。
私は昔の「日本的ムラ社会」に憧憬を抱いているわけでも、そこへ回帰したいわけでもないんですよ。
「日本的ムラ社会」による偽りの優しさが<対話>のスキルを向上させない、ということだけなら、前提条件には100%同意しませんけど(特に偽りの優しさの部分)、普通にそうかもねと思えます。
ただ、<対話>スキルの上昇=よりよい社会、とは思えないんだなぁ、ということ。
日本のよい情緒を残しつつ<対話>できればベストでしょ。
二元論的に(いいところも多い)日本社会を否定しているのは、著者だよね。
by トンデモブラウ (2010-02-02 19:32) 

Judgement

トンデモブラウさんが
「<対話>スキルの上昇=よりよい社会、とは思えない」
と思える環境にいる人だという事は分かった。
別にそう思える人に、対話を強要する気はないんだな。

「対話せずともまぁ上手くやっていける」と思える
そんな、同質な方々に囲まれた環境、
あるいは、そんな人柄の持ち主というのは
正直うらやましいと思うしね(これは皮肉ではないよ)
そこに無理矢理「対話」を取り入れろ、とは言わない。
私も著者もね。

だけど
>日本のよい情緒を残しつつ<対話>できればベストでしょ。
つうのは無理無理。

高カロリー食を取りながらダイエットしたい、というようなもの。
結局、情緒も中途半端、対話も中途半端で
何のためにそれを求めるのか分からなくなるよ。
中庸がすべからく良いとは限らなくて
中途半端故に、互いの良い所を殺しあうハメになるだけ。

モチロン、絶妙のバランスで
両方の良さを生かす芸当ができる人もいるかもしれないけど
それは、「情緒」も「対話」も知り尽くした人にしか実現できない。
「対話」すら及び腰の人にそれはできっこないわけで
自分には到底できなそうな代物を「ベスト」として”希望”するのは
あまり筋の良い話では無いと思うゾ

>二元論的に(いいところも多い)日本社会を否定しているのは、著者だよね。
ホラ、またろくに読みもしないで批判するぅ...
by Judgement (2010-02-02 23:31) 

naoko

【トンデモブラウさん】
わたしはかつての日本的ムラ社会をよく懐古したり、逆に今の状況に呆れたりため息をついたりもするんです(笑)。

だから
>日本のよい情緒を残しつつ対話が出来れば
と、いつもトライしているつもりです。
というか、「<日本のよい情緒>をどう相手に理解させるか?」あるいは「どう当たり前の情ってものを相手にわからせるか?」と考える機会が、よくあります。

というのも、そうした「普通に情を通わせる」というのが、今ではなかなか難しくなってきているからです。
困ったとき、苦しいときだけ人を頼るとか、ずいぶん自分本位に考える人が増えている気がするのです。

とはいえ、自分自身も、多分にそうなっているやもしれません。〝怖い人〟との対話を通して、そのことに気づかされるのは、とてもありがたいことです。
だから、そういう意味で、cosiさんの言うソクラテス的な対話が必要なのだと思うのです。
ソクラテスの対話の動機もまた、そうした人間的な〝気づき〟を人にもたらすこと、だったからです。
by naoko (2010-02-03 04:13) 

トンデモブラウ

【Judgementさん】

>「対話せずともまぁ上手くやっていける」と思える、同質な方々に囲まれた環境

違うなぁ。
「対話を巧く出来ない人とまぁ上手くやっていかないといけない」環境ですよ、私がいるのは。
「対話」を勧める人も、もうちょっと下も見ないと。

>高カロリー食を取りながらダイエットしたい、というようなもの。

違いますよ。
美味しいものを食べながらそこにカロリー制限を加える、というようなもの。
加えてカロリー消費のための運動もやぶさかではない、というものを想像してください。
理想ですから。
その話の筋はともかく、簡単に否定するのはどうでしょう。
孟子のお言葉にもありますから、やってみないとね。
で、中庸を目指しているんじゃなくて、いいとこ取りを目指しているんです。
きっとこの著者も同じ論調じゃないか、プロパガンダだもの。

>ホラ、またろくに読みもしないで批判するぅ...

またまた、間違いました。
この部分は「著者→引用者」で訂正をお願いします。

【naokoさん】

>そうした「普通に情を通わせる」というのが、今ではなかなか難しくなってきている

そうですね、私も実感します。
現在は得られる情報量が多いので、安易な方向に流されるんでしょう。
人間だからなぁ、しょうがない。
でも私は三丁目の夕日に憧憬があるわけじゃないです。
今からでもまだ大丈夫だと思えるから。
ほら、だって私は性善説なんです。(「前向きなペシミスト」と呼んでください。)

そうだ、実は私は「ソクラテス的な対話」というのがサッパリ・・・
天台宗の「ソモサン!」「セッパ!」とか的な・・・感じ?
by トンデモブラウ (2010-02-03 19:35) 

naoko

【トンデモブラウさん】
>「前向きなペシミスト」
実生活ではわたしもそんな感じの姿勢かもしれません。

>「ソクラテス的な対話」
それこそ、性善説でもって相手と向き合い、真っ正直に論じ合う訳ですが、そこに論者の人格や内面がにじみ出てくる訳です。
ソクラテスの場合、他者との対話以上に、自分の内面との対話を非常に重視しており、それを彼は、「自分の魂の声を聴く」と形容してます。
ですから、対話の目的も、おっしゃるとおり禅問答に近くなりますね。
わたしとしては、むしろ曹洞宗に近い気もしますが…。
対話の底流にはつねに「あなたの魂の声を聴きなさい」というメッセージが流れている気がします。

実際に読んでみたら面白いかもしれません。
一番のお薦めはクセノフォーンの「ソクラテスの思い出」なのですが、残念ながら現在絶版です。
次席は「クリトン」か「ソクラテスの弁明」、さもなければ「饗宴」あたりです。
by naoko (2010-02-04 06:25) 

Judgement

結構話が伸びているので、ここいらでちょっとブログ主の意見を入れておく。
といっても、総括できるほどまとまっていないので、とりあえず今までで思った事として。

正直な所、私の話とトンデモブラウさんで話が大きく食い違っている。
トンデモブラウさんが「対話のある社会」批判で挙げる事の多くが、
私にとっては、「それこそが対話の無い社会の方が持つ問題だぜ」という感じ
言っちゃ悪いけど、「優しさ否定」に対する誤解が、ドミノ倒しのように連動して
以降の話の解釈にも影響しちゃって入る気もする。

とはいえ、トンデモブラウさんが悪い、なんてことはなく
悪いのはどちらだと決めるのであれば
他人の言葉を借りて自分の考えを示そうとした横着な私が悪いと思う。
...と一応言っておこう。

念のため言えば、私はこの本の話を「正解」として示したわけではなく
一つの社会の切り口、として紹介しているのね。
「受け入れる、入れない」、「おかしい、おかしくない」ではなく
そういう側面をどう処理するか、という事を(できれば)考えて欲しいなぁ

まぁ、それはおいておいて
食い違いの根本的な原因は(おそらく、なんだけど)
トンデモブラウさんは“空気の支配を前提として話す技術”を「対話」と呼んでいて
私は、(ここでは)“空気の支配から脱却して話す技術”を「対話」と呼ぼうとしている
というところではないかと。

最初の方でトンデモブラウさんは
>『漠然とした「空気」に支配されて』る社会というのが、
>理想的な社会から乖離してると思っていない
と言ってたけど、そこから実は私とトンデモブラウさんは違う。

私は、その社会が(自分の)理想的な社会から乖離してると思っている。
また、トンデモブラウさんの言う理想的な社会というのも、私にとって
あくまで「トンデモブラウさんの理想的な社会」でしかないわけだ。

また、「社会」というものについても、
私は「そこにいる個人の集合体」と捉えているケド、
トンデモブラウさんにとってはおそらく
「そこにいる個人と別の次元に位置するもの」と捉えるんじゃないかな。

「社会が個人を規定する」のか「個人が社会を規定する」のか、という違い?

>「空気を読む」というのは、社会生活で必須の技能じゃないかと思うけど。

少なくとも現況としてはそうだろうな、という事は、私も認識している。
んでその認識の上で
「そんな現況のままで大丈夫?」
「そんな技能を個人に要求してまで、現況を続ける必要があるの?」
という事を考えているのが私。
「現況のままで、どう振舞うべきか」
を考えているのがトンデモブラウさん、なんじゃない?

保守派のトンデモブラウさんと、革新派の私って感じ?

ここを明確にしておけば、ある程度話のズレは修正可能な気がするけど
どうでしょうね?

その上で、トンデモブラウさんに注文
なんとなく「そもそも論」が多い気がするんだなぁ
「そもそも」がどうなのかは人によって違う、って事を頭においてくだされ。
「プロパガンダは疑え!」はいいんだけど、
どうも、トンデモブラウさん自身がプロパガンダとして、
対立するプロパガンダを否定してみせているだけのように聞こえてしまうぞよ。

んで、トンデモブラウさんの考えを良く知るために聞いておきたい事ひとつ。
「対話のある社会」を「住みにくい社会」と表現していたけれど
その、トンデモブラウさんの考える「<対話>のある社会」と比べて
現状は「住みやすい社会」なのですか?

「日本的ムラ社会」とか「日本のよい情緒」とか出てきましたが
実際の所、私はまだどういう事かピンと来てないけれど、
(でも、それは私にとっての「昔から苦しめられた障害」のような気がする)
そこはおいておき、仮に「それらはホントに素晴らしい」ものだとして
それらが「今の日本の環境」で実現されているのか、実現可能なのか
というあたりはどうなんだろう。
「個人が社会を規定する」派の私としてはそれが気になる。

私は、そうではなくなって来ていると感じているし
おそらく、naokoさんも、そうではなくなっている前提で話しているんじゃないかな。

もし、「日本的ムラ社会」が崩壊の一途を辿る現状であれば
トンデモブラウさんが心配するような「弱者」は放置されるがままじゃない。
その一方で「対話弱者」ばかりに必要以上に気遣う事で
「対話」まで抑圧しようとするとなると、
それこそ、「日本的ムラ社会」なんてものは、
ヒエラルキーの高い人達の都合だけで動くようなものになりそうだと
私は思うのだが...


ちなみに、私とトンデモブラウさんの「視点の違い」というのは
トンデモブラウさんが体験してきた社会と、私が体験してきた社会が違う。
というのに起因している気がする。

おそらくはトンデモブラウさんは「空気」の内側で暮らしてきた人じゃないだろうか。
トンデモブラウさんもその一部となり空気を醸成している立場であり
空気がある事が前提であり、
時にはもどかしさを感じつつも、心地よさも感じる事が多い。
デメリットの一方で、それ以上のメリットも受け取っているって事ね

一方私は(cosiさんがかなり本質を突いていたけど)
アナザーとして「見ず知らずの他人が作った、得体の知れない空気」
に放り込まれる、という経験を小さいころから重ねてきた。
日々地雷原を手探りで歩むようなもので、心地よさとは真逆。
だからそんな私にしたら、

>ぶっちゃけると、異質性を尊重されるべき<対話>できる人が
>「日本的ムラ社会」のせいで発言できないのであれば、黙ってればいいじゃん。

このような考え方はまさに私を常に苦しめた元凶。
というか、「対話」云々と言っているけど、
結局<対話>できる人だろうと、<対話>できない人であろうと
(異邦人としては理不尽な)「日本的ムラ社会」の圧力に従え、って事じゃない?
(もしかしたら、cosiさんも似たような経験がおありなような気がするけれど)

まさに、その圧力と戦って来たつもりなのが私。
ちなみに、転校した翌年にはクラス委員になり、
その翌年には生徒会役員にもなった。
空気に圧殺されず、自分が自分であるためには
空気を封殺できる立場に行かなきゃダメだと考えていたのかもね。
by Judgement (2010-02-06 01:54) 

naoko

【Judgementさん】
実は、わたしは空気を読んでそれに合わせるのが大の苦手です。
というよりむしろ、日頃から空気を無視しがちなところがあります。
さらに、気に食わないうわべだけの空気は、あえて無視し、相手の人間を見据えて話したい方です。
さらに、〝邪〟を感じる空気は、一刀両断にしたいという強い欲求にかられます(笑)。
それで嫌われるなら本望です。

ところで、わたしの〝腹〟で考え、感じる「日本的情緒」とは、そうした現代社会の人間関係に漂う〝あいまいな空気(優しいフリ)〟とは全く別のものです。
逆に、はっきりと「胸で受け止められ、腹にしみこんでくる、人を心底から安心させる言葉」「人に息をさせ、生かすことの出来る言葉」こそが、そうした情緒を生み出すと思っています。
たとえ、それが発せられない言葉、無言の言葉であったとしても、その人の存在自体が、その発せられない言葉を語りかけてくることもあります。
それがわたしの経験からくる、実感なのです。

そして、そうして生み出される心底の安心感こそが、ソクラテスの対話のベースとなるものと、わたしは考えています。
by naoko (2010-02-07 04:42) 

cosi

【Judgementさん】
>結局<対話>できる人だろうと、<対話>できない人であろうと
(異邦人としては理不尽な)「日本的ムラ社会」の圧力に従え、って事じゃない?
(もしかしたら、cosiさんも似たような経験がおありなような気がするけれど)

子供の頃の転校経験はありませんが、別のタイプの理不尽な経験はしています。男尊女卑の考え方が濃厚に残っていた地域で、生まれ育ったのです。私の家では、まるで戦前の価値基準が、生き続けていたのでした。

母から受けた教えは、「女は、どんなに腹が立とうが、言葉や態度はもちろん、表情にも出してはならず、にこやかにしていなければならない。男には、特に年長の男性には、いっさい意見を言ってはならない」というものでした。
大人になって外の世界に出てから、刺激を受けてようやく、意見することや対話を試み始めたので、いまだにうまく出来ないのかもしれません。

Judgementさんは、理不尽さと戦ってこられたようですが、私は消極的なタイプで、麻痺させてきたというか、逃避に走っていました。人間の世界を避けて、小さい頃から、本や音楽や自然の世界に逃げ込んでいたのでした(笑)。今でもその癖が、完全には抜けないようです。

【naokoさん】
ソクラテスに、お詳しいのですね。
実は私は、ソクラテスについては、悪妻と毒ニンジンしか知りませんでした(笑)。
「<対話>のない社会」を読んで初めて、ソクラテスがどういうことを言っていたのか、もちろんほんの少しですが、分かった気がして、魂が揺さぶられる感じを受けたのです。それで、この本で紹介されている「パイドン」を読み始めています。naokoさんの紹介されている本も、読んでみようと思っています。
やはり、2400年以上(?)読み継がれてきたものは、違いますね!
いちいち感動しながらになるので、読むのに時間がかかります。
by cosi (2010-02-07 22:33) 

naoko

【cosiさん】
いや、うらやましい。
最近、忙しくて落ち着いて本を読んでる暇がない…。
だもんで、せっかく本屋から「注文されていた本が届きましたよ」と連絡あったのに、まだ、取りに行ってないんです。「<対話>のない社会」。

ところで、いま自分の重大なミスに気づきました。
わたしは上のコメントで「パイドン」と書くべきところを、「クリトン」と書いてます(苦笑)。
実は、プラトン著の中では、今cosiさんが読んでいる「パイドン」が、わたしも一番好きなんです。
ソクラテスの最後の日の様子。
by naoko (2010-02-08 04:44) 

トンデモブラウ

私が考える「<対話>のある社会」と比べて、現状は「住みやすい社会」なのかというと、そうでもないです。
現状の社会は、中途半端な責任しかとらないのに個人主義を標榜するアホとか、他人の気持ちを慮れない社会不適合者がいっぱいいるからね。
で、なぜ私が「<対話>スキルの上昇=よりよい社会、とは思えない」と思っているかと言うと、「<対話>スキルの上昇を目指す社会」が、<対話>能力のある人を基準とした社会になりそうだからです。

>>ぶっちゃけると、異質性を尊重されるべき<対話>できる人が
>>「日本的ムラ社会」のせいで発言できないのであれば、黙ってればいいじゃん。
>このような考え方はまさに私を常に苦しめた元凶。
>というか、「対話」云々と言っているけど、
>結局<対話>できる人だろうと、<対話>できない人であろうと
>(異邦人としては理不尽な)「日本的ムラ社会」の圧力に従え、って事じゃない?

じゃない。
発言できない原因が、「日本的ムラ社会」だけだとは誰も思ってないでしょ。(違うかな?)
当人が発言に自信がなかったり、思い切って発言する勇気がなかったり(これはムラ社会が原因かも)、しょうもないネタだったり(これは私だけかも)・・・
で、<対話>スキルのある人は、黙ってないでしょ、発言に自信があるので。
そこで発言した結果、「日本的ムラ社会」のせいで一顧だにされず葬られるってことは、少なくとも現状ではないよね。
私は、しょうもないネタはきっちり無視しますけど。

翻って、<対話>重視な社会の場合、社会の支配する空気を無視できて、誰でも臆することなく(恥ずかしがらすに)発言できるようになるわけですが、その社会(家族でも学校でも国家でも・・・)が方向性を決定する時に全員が発言するわけですよ。(少なくとも全く同じ異見なければ。)
どうまとめるんですか?
結局、<対話>のある社会も声の大きい人の意見に付和雷同していくんじゃないかなぁ。
じゃないと会議が踊りまくりで、収拾付かなくなるし。
で、<対話>すきるのない人は黙っていると。

要するに、マイノリティの中身が変わるだけで、現状と同じ問題はかかえる気がするんですよ。
であれば、<対話>スキルの乏しい人にも優しくなれるような方向に社会が向いた方が、心が豊かになるじゃないですか。
現に今の社会でもJudgementさんのような図太い・・・芯のしっかりした人であれば、周囲の雰囲気に飲まれることなく自分を出せるんだし、その意見が妥当だと認められれば採用されているわけでしょう。

ジェンダー問題はセンシティブな地雷なのでここでは触れませんが、男女間での損得は結局プラマイゼロじゃないかと思います。
長い目で見るとゼロサムなことって多いよね。
でも、不公平を感じる優秀な方に福音を伝えましょう。
「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」(ルカによる福音書12章48節)
by トンデモブラウ (2010-02-08 13:57) 

MAA

トンデモブラウさん

>結局、<対話>のある社会も声の大きい人の意見に付和雷同していく
トンデモブラウさんのご意見は、そうした社会での「対話」とは、
不変の自分の立場の説得的な表明の応酬であり、
「付和雷同」する以外には意見の変化はないという
前提を受け入れない限り、真ではないと思いますよ。

そうでないなら「対話の強者」が「対話の弱者」の言葉
の正当性を認め、自分が変化する可能性が排除される
理由がありません。「他者との対立」を重視する
ことは「対立による自己の変化の可能性」を
含意しているでしょう。

「対話の技術」に「語る技術」だけでなく、「聞く技術」も
含むのなら、つまり「相手が自分とは別のバックグラウンド
を持ち、別の重みと偏見を持った、独自の有意義な
意見の担い手であり、自分が相手の言葉によって益を
受ける可能性があることの認識」が含まれているとすれば
、「対話」は「意見を通すために」ではなく「変化して
より有意義な人生を送るため」にも重要な技術になる
と思います。この変化は相手への追従ではありません。
他者を媒介として可能になる自己の変化です。もちろん、
変化するためには「自己」が存在していないといけない
のですけれど。

これまでの議論から、ここでの「対話」はそれを含意すると考えていました。だから、ソクラテスが出て来るのだと。

触れられているジェンダーの問題についてうかがいたい
のですが、ジェンダー問題の損得は「プラマイゼロ」に
「なった」のかしら、それともずっと「プラマイゼロ」だったの
かしら。前者ならば、そうなって以降のフェミニズム的運動
は、「損得」に関しては無意味であることになりま
すし、後者なら、そうした運動は最初から、「損得」に関して
は無意味だったということになるでしょう。もちろん、社会を
変えたいという気持ちは「損得」に還元されるものではない
ので、女には全体として全く得はないのだけれど、損では
ない「不公平」を是正したいということも成り立つでしょう。

トンデモブラウさんが、多く「与えられ」「求められ」、
より多く「任され」「要求される」という苦役を
引き受けようとする英雄的努力には、同じ男として頭が下が
りますが。
by MAA (2010-02-10 04:14) 

トンデモブラウ

【MAAさん】

「対話」に関してはおしゃる通りでしょう。
私が言いたいのは、じゃあ「<対話>あるい社会」なんて標榜する必要はあるの?ということですよ。
引用者が「日本社会の抑圧された空気が<対話>を封殺している。これを打破しないと<対話>のある社会は実現しない。」(私の意訳)、というので『打破』する必要ないんじゃないの、という意見です。

私が感じた引用者の主張は、「殴られると痛くて嫌なので、暴力のない社会がいいよね。」と同じレベルの主張に感じるんですよ。
そんなことわざわざ言う意味はなんなんだろうか、と思ったので。
じゃあきっと今の日本社会が、雰囲気によって有効な「対話」を封じられていると強く感じたのだろうと。
それを取り除けば、有効な「会話」が活発になるのだ・・・ふむふむそうだよね、でも有効な「会話」が行われる方法は何も言ってないじゃん。
埒を取っ払っただけではダメでしょ。
埒内に存在した秩序も無視できないよね。

で、どっちがいいだろうか、と個人的な主観に基づく天秤にかけたところ、日本的雰囲気の方がちょびっとましかもね、と結論しただけです。
プロパガンダのメリットだけ考えるのは危なくないのか、という懐疑心が根底にあるんだな、きっと。
by トンデモブラウ (2010-02-10 08:47) 

naoko

【cosiさん】
皮肉じゃないからね~。
今、読みたい本がいっぱいあって、それを読む時間を見つけられないのが自分でもどかしくて(苦笑)。
でも、これは、結局、自分の時間の使い方がまずいんだ。
だって、こうやってコメントは書いているんだから(汗)。

だから、上のコメントの「うらやましい」は取り消します。
人をやっかんじゃいけない(大・苦笑)。
by naoko (2010-02-10 11:48) 

MAA

トンデモブラウさん
>「対話」に関してはおしゃる通りでしょう。

えっと、わたしが「対話」に関して言ったのは、
(1)
>トンデモブラウさんのご意見は、そうした社会での「対話」とは、
>不変の自分の立場の説得的な表明の応酬であり、
>「付和雷同」する以外には意見の変化はないという
>前提を受け入れない限り、真ではないと思いますよ。

ということと、

(2)
>これまでの議論から、ここでの「対話」はそれを含意すると考えていました。だから、ソクラテスが出て来るのだと。

ですよね。

それが「おしゃるとおりでしょう」となると
>結局、<対話>のある社会も声の大きい人の意見に付和雷同していく

という命題は真ではないとトンデモブラウさんは主張するということですか。

さて、トンデモブラウさんの批判対象が「引用者」つまり
Judgementさんであることが明確に示されたので、
私はこの点については引き下がります。偽なる主張を用いて
人は何を議論することができるのかには興味がありますが。
当初のこの話題への違和感は、書評へのコメントで、もとの
本を読まずに「著者」を批判するのはまずいだろうと言う
ことでしたから。

しかし一方で、
>と個人的な主観に基づく天秤にかけたところ、
>日本的雰囲気の方がちょびっとましかもね
と仰るのは気になります。
今の社会が何らかの意味で抑圧的であり変化を要する
という主張に対して、「個人的な主観」に基づく
選好が何らかの主張の根拠になるのだろうかと。
もちろん、抑圧者である人の多くはそのような選好を
持っているわけで、そうした選好を持つ人がかなりいて
支配的であるからこそ、批判がなされるので。
by MAA (2010-02-10 16:28) 

トンデモブラウ

【MAAさん】

横着しちゃいましたね。
すみません。
>「対話の技術」に「語る技術」だけでなく、「聞く技術」も含む
同意するのはココ。
であれば、引用者からわつぃが主観的に感じた著者の主張に対する私の反応は、「で?」ってことです。
これは、「カラスって黒いよね。」って言われてる感覚と一緒。

こういう「対話」をどうすれば実現するかが皆目見当付きませんけど。
それこそ何も決まらずに、延々と「会話」するだけになるんじゃないの?(弱者を切り捨てないで、懸命に聞こうと努力すれば。もしくは、全員が「対話」スキルを身に付けるまで。)
というのをずっと主張してるわけで。
そこの部分をブラック・ボックスにして、著者の主張を「いいでしょ?」と言われてもねぇ。
読まないと解らない、のであればサスペンドでお願いします。(近所の図書館にはないのでね。)

なので、一応「Judgemntさんが何を言いたいのか。」が解るまで沈黙しておきます。

by トンデモブラウ (2010-02-10 21:43) 

MAA

トンデモブラウさんの主張は次のようなことなのでしょうか。
(沈黙とのことで、お答えを求めているわけではありません。
修辞疑問です。)

a <対話>の技術が修得されない限り、「対話ある社会」
といっても声の大きい人の意見が偉いと言うことになるだけで、
b かつ、N(J)には日本社会が<対話>の技術を習得する
ための手段が示されておらず、
c かつ、それはそうした手段が存在しないからなので、
d それ故、「日本的社会」の方がましだ。

(N(J)はJさんの引用するところからTさんに主観的に感じられるN説)。

私は、abcがたとえ正しくてもdには同意しないのですが、
dはトンデモブラウさんの主観的選好なのでどうしようもないですね。

ちなみに私の判断は、aはそうかもしれずそうでないかも
しれないので保留、bは同意、cは不同意。

自己主張を行う方向に教育が少し舵を切るだけで<対話>
ある社会へと近づくと思います。
by MAA (2010-02-11 20:39) 

cosi

【naokoさん】クリトンもパイドンもソクラテスの関係者の名前なんですね。naokoさんが間違われた理由がわかりました。「パイドン」は数ページ読んでは止まりを繰り返し、Judgementさん御紹介の新書を読んだりもしているため、まだ読み終わっていません。
「パイドン」を読むと、般若心経の解説本を初めて読んだ時のような感じになります。バレンタインのチョコ(しかも自分向け)を買いまくった後に読むと、特にどんよりした気分になります。欲深い自分に幻滅する感じ。
それにしても、ギリシャ語の響きは取っつきにくい気がするのは、私だけでしょうか?ソクラテス、パイドン、クリトン、エケクラテス、ムーシケー、ミソロギアー、アナクサゴラスなどなど。それで、今まで敬遠してきたのです。
by cosi (2010-02-13 15:19) 

naoko

【cosiさん】

うん、ギリシャ人の名前はわたしもこんがらかった(笑)。

般若心経の解説絵本はわたしも読んだよ。

仏教ってどこか哲学的なとこあるよね。
by naoko (2010-02-15 05:25) 

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