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世間さまが許さない! [書評]

<対話>のない社会』のコメント欄でかなり活発に話が進んでるねぇ。嬉しい嬉しい。
トンデモブラウさんも、女性(多分?)に囲まれて嬉しかろう。


ブログ主のコメントの間が空くと
「好きにやりとりしてていいのかな?」って心配になるかなぁ
...とちょっと気をまわして、言っておくけど
「どうぞ、続けてくださって結構ですよん。」

もしもスクロールが面倒になってきたら、こちらに場所を移してもいいからね。

んで、そこのやりとりについては、私も参加したくて色々考えているんだけど、まだまとまらない。
とりあえず、関係の有りそうな事について、また書籍紹介をしてお茶を濁してみる。
(手抜き、とも言う)


【ご紹介】

本日の一品はこちら。

世間さまが許さない!~「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」~
岡本薫 著/ちくま新書

あ、これは、cosiさんは買わなくてもいいと思う。
内容的には『対話の無い社会』とだぶる部分が多いので。
全国各地にある私の本棚から、借りればいいよ。


【“ディベート力”と“建設的なコミュニケーション力”】

 今回これを紹介したのは、私とトンデモブラウさんで「対話」という言葉の捉え方の違いが、話のすれ違いを生んでいる気がして、なんと説明すればいいかなぁ、と思っていたけど、それについて上手く分けているところがあったからだ。
 また、日本人は本当に「ディベート」などということをしたいのだろうか。ディベート力とは、「合意形成のための建設的なコミュニケーション力」(平時のスキル)ではなく、例えば弁護士が法廷で使うような「相手を言い負かす技術」(有事のスキル)を意味している。

【「個性化・多様化」「英語力」は本当に全員を幸せにするのか?】より引用

 多分、トンデモブラウさんはこの“ディベート力”の方を強く意識しているのではないかと思う。
 ただ、私が中島さんの文章を取り上げて対象としたかったのは、ここで言う“建設的なコミュニケーション力”の方なんだな。

  これは、別に「トンデモブラウさんの『対話』の認識が間違い」と言いたいわけじゃぁなく、私が中島さんの話を持ち出して対象としたかった<対話>というのは、こういうものなんだだよ、という事を他人の言葉を拝借して説明しているだけなので。念のため。

 んで、岡本さんは、それについてこう述べている。
 そうした同質性が崩れてしまった後には、多様性を持つ社会の中で人々がいっしょにやっていくためには、社会全体のルール(法律など)を決めることについても、また、当事者同士のルール(契約など)を決めることについても、「建設的コミュニケーション」が必要になる。具体的に言えば、次のことを冷静に行うことだ。
・自分の「希望」をハッキリ言う(後出しをせず、相手が「察する」ことを期待しない)
・各人の希望の「共通部分」を特定する(異質な相手を「悪」と決めつけない)
・交渉によって共通部分を「極大化」する(相手の妥協を当然視しない)
・共通部分について「約束」する(内容を完全・詳細に特定する)
・約束は「遵守」する(自分のモラル感覚を理由に破らない)

【同質性前提の「以心伝心」と異質性前提の「コミュニケーション」】より引用

 私が、中島さんの文章を使って焦点化したかった<対話>とは、まさにこの上から3つの事なのよ。
 わかってくれるカナ?


【日本的モラリズム】

 んで、これは実は「日本的ムラ社会」好きのトンデモブラウさん向けなんだ。
 試しに読んで見たら?

 さっき言ったように、中島さんと同じような話も多いケド、それを彼は「日本とは、元々そういうものなのだ」という目線で記述しているの。
 それが習慣になっているのに、無理に西洋のスタイルを表面だけ真似しようとするからおかしくなってきている、ってな話。
 (モチロン、中島さんだって「<対話>が無い社会がダメ」と言っているのではなく、「ホントは<対話>したくないくせに、表面的には<対話>は必要だと言う」という歪んだ構造を問題視しているわけなんだけどね。)

 私なりに著者の主張を噛み砕いて言おう。
 日本という風土が育ててきた社会、つまり日本の文化、というのは「法」とか「ルール」よりも優先して、「みんなで共有するモラル(=「世間さま」)」を基準に、人を糾弾し、そして許し、罰し、救ってきており、それが今でも慣習的に続いている(=日本的モラリズム)。
 それは、「内心の自由」を否定し、「共通の意識を持つ」事を要求する一方で、多数決で“決めない”事により、少数者も尊重されてきた。
 それはそれで、それなりに上手くいってきた、という話。
 
 とりあえずは、それをよく示しているだろう箇所を引用しておく。
 ところで、「レストランで同じ物を注文する」ということに象徴される日本人の文化を「悪」と決めつける人々は、「もっと個性の尊重を」とか「小学生のときから個性化・多様化を」とか「ディベート教育を」などということを、「それによって日本人は本当に今よりも幸せになれるのか?」という検証なしに主張し、「文化を人工的に変える」ことをしようとしてきた。
 しかし日本人は、本当に全員が「個性化」や「多様化」をしたいのだろうか。本当に全員が、それによって「私は今よりも幸せになれる」と思っているのだろうか。「他人と違う個性を既に持っている人」について、そうした人々が「異端者扱いされないようにする」ということについては、これを肯定する人が多いだろう。しかし、現時点で「他人と同じであることによって『安心』や『幸せ』を感じている人々」を無理矢理に(本人の幸せや内心の自由とは関係なく国家の都合で)「個性化」「多様化」させるべきかということは、全く別の問題である。そのことの是非は、ほとんど議論されていないのだ。

【「個性化・多様化」「英語力」は本当に全員を幸せにするのか?】より引用

 どう?トンデモブラウさんの考え方と親和性高くない?

 ちなみに、日本的モラリズムの機能が正常に働いていれば、先に挙げた「建設的なコミュニケーション力」すら、むしろ向いていないとも述べている。
 必然的に「日本的モラリズム」の機能不全を招く「自由と民主主義」を採用するのであれば、本来は「建設的コミュニケーション」というものを行える態度とスキルをまず養成しておくべきだっただろう。しかし、今でも無意識に「同質性」を信仰している日本人には、「建設的コミュニケーション」はそもそも向いていない。
 「同質性」を前提とした日本人の文化を象徴する用語として「以心伝心」というものがある。著者は中学生時代に「このことばは英語で何と言うのだろう?」と思って、和英辞典を引いたことがあったが、その辞書にはなんと「テレパシー」とあったのである。これでは「超能力」の話になってしまうが、確かに異質性や多様性を前提とした社会では、以心伝心は超能力の世界に属するものだろう。もともと「同質性」を前提としているからこそ、超能力者でなくても「伝心」が可能だった。より正確・分析的に言えば、それは実は「伝わった」のではなく、もともと同じモラル感覚を「共有していた」ということだ。

 私は、このあたりの認識については、トンデモブラウさんとnaokoさんでは非常に近いところにいるような気がする(直感的にだけど)。
 
 ちなみに私は、どちらかというとモラルや“弱者”にはあまり踏み込みたくない。
 その理由を述べるにはまだ上手くまとまってないけど、そのあたりがnaokoさんとの考え方の違いになると予想してたりする。


【日本的モラリズムの問題、ではなく日本的モラリズムを阻害する問題】

 んで、著者は、最近になって「個性」とか「多様性」をお題目を掲げがちになってきた事の影響として、いわゆる『日本人の習慣』として、各人相変わらず「共通の意識」を前提にした振る舞いをするんだけど、実は先に挙げたお題目により「共通の意識」と思うものが各人ずれてきており、そのため、だんだんと世の中おかしくなってきたと考えている。

 例えば、今までは「このぐらい謝れば許してくれるだろう」という感覚と「このぐらい謝れば許してやってもいいだろう」という感覚が一致していたから波風立たずに済んでいたものが、互いにズレはじめているから『こんなに謝っているのに!!』と“逆ギレ”が発生したり、いくら謝っても許さない“クレーマー”が生まれたりしている。
 でも、あらためてそのような問題が顕在化しても、上手く対処できていない。
 ところが日本人の多くは未だに「同質性」にすがろうとしているため、こうしたコミュニケーションのスキルが発達してもおらず、学校でも教えられていない。既に述べたように、この問題に気づいた人でも、なぜか突然に「ディベート教育が必要」などと言いだし、「ディベート」と「建設的コミュニケーション」の区別がつかない人が多いのだ。そうしたスキルや教育が欠けているため、日本では、自分が想定する「心」(共有されていると思いこんでいるモラル感覚)が通じない状況に直面すると、既に述べたように、「驚き」→「戸惑い」→「怒り」と進んでしまう人が非常に多いのである。
 これは要するに、「異質な人と付き合うのが苦手」ということ《後略》

【同質性前提の「以心伝心」と異質性前提の「コミュニケーション」】より引用

 そこで著者は、日本の従来の文化に合わない「自由と民主主義」なんかやめて、日本的モラリズムに「法的拘束力」を持たせた『世間さま制』にしたらどうかと提言する。
 
 それはどういう事かと言えば...というのは本を読んでのお楽しみという事で。
 

【おわりに】

 私は、この本の「おわりに」が私は非常に気に入った。
 ちょっと長く引用してみる。
 人は、他人(特に、初めて出会ったタイプの人や、よく理解できない人)にレッテルを貼って分類整理すると、なぜか安心して落ち着くようだ。そうした分類整理のための用語には、オポチュニスト、ポピュリスト、ナルシスト、エゴイスト、ファシストや、もっと単純に「右」とか「左」などいろいろあって、事欠かない。
 この本の著者にレッテルを貼りたい読者に先手を打ってお勧めしたいのは、「アナリティカル・シニシスト」というレッテルだ。日本語に意訳すれば、(多少の論理的分析を伴う)「ツッコミ担当」である。
 著者のような価値的相対主義者は、「日本はこちらに向かうべきだ」とか「これが正義だ」といった方向性を絶対に提案・主張しないので、世の中の人々がすべてロジカルに思考・行動していれば全く出番はなく、世の中の役に立たない人間だ。
 しかし、漫才にたとえて言えば、世の中に「ボケ」をかます人がいると、「ツッコミ」担当が「なんでやねん」と口を出す余地が生じ、価値的相対主義者にも出番が回ってくる。誰かがボケてくれない限りツッコミには出番がないので役立たずだが、誰かがボケてくれれば、価値的相対主義者は即座にツッコムことができ、人々に「ボケ」の存在を知らしめることができる。
 なぜなら、価値的相対主義者の方が、特定の価値観によって目が曇らされていないために、「目標と手段の不整合」などの「ボケ」と「おかしさ」に気づきやすく、さらに言えば、多くの人には見えていない物事の「本質」が見えやすいからだ。
 価値的相対主義者でなくても誰でも分かる極端な例を出せば、「京都が好きだから京都に行く」と言っていながら東京駅の東北新幹線ホームで列車を待っている人がいたとしよう。これは、硬く言えば「目的合理性を欠いた手段の選択」という「ボケ」だが、価値的相対主義者はその「おかしさ」にすぐ気づく。
 ところが、「人はすべて仙台に向かうべきであり、それが善であり正義だ」と思っている「仙台主義者」は、放っておけばその人は仙台に向かい「正義」が実現されるわけだから、その「おかしさ」に気づかない。あらゆる価値・正義・倫理・モラル等の普遍性を否定している価値的相対主義者だからこそ、「目標と手段の関係」を純粋.客観的に見ることができ、その「おかしさ」に気づけるのである。
 ところが、そこでうかつに「ツッコミ」を入れて「この人はアホだ」と言ってしまうと、多くの人々から非難を受けるハメに陥る。まず「仙台主義者」から、「オマエは、仙台に行くことは悪だというのかっ!」と叱られる。そこで、「いえ、仙台に行くことが悪だと言っているわけではないのです。この人は『京都に行きたい』と言っているのに、これでは京都に行けないから『アホだ』と言っているだけなのです」と言っても、日本ではたいてい理解してもらえない。
 同時に、「京都主義者」からも「オマエは京都が好きな人間をバカにするのかっ!」と叱られる。そこで、「いえ、京都が好きだからアホだと言っているわけではないのです。
 これでは好きな京都に行けないから『アホだ』と言っているだけなのです。むしろ京都に行けるようにして差し上げたいのです」と言っても、たいていは理解してもらえない。
 このように、価値的相対主義者が世の中に貢献できる唯一の方法は、「まだ気づかれていない『おかしさ』に対してロジカルなツッコミをして気づいてもらうこと」だけなのだが、これを実行してしまう人(特に、そのツッコミをシニカルな表現でしてしまう人)は、常に迫害を受けるという自業自得に陥る。とりわけ、人を「敵」と「味方」に分類しないと気がすまない、という人が多い日本では、右からは左と言われ左からは右と言われて、ほとんどすべての人々から敵視されるのだ。

 そうそう、そうなのよ!
 私がやっている「批判」ってのも、似たような感覚でやっているなぁ。
 だからいろんな人に嫌われたりするわけだ。
 ふむふむ、ふーむ。

 「アナリティカル・シニシスト」...
 なんかかっこいいわん(そこか)。

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naoko

うん、わたしとしては盲点なのかもしれませんが、実は価値的相対主義というのがよくわかりません。

ある状況において「より良い決断・判断」というのは解かるのですが、それでも内面においては、自分だけのなんらかの絶対的な価値観「ものさし」が潜んでいる気がします。少なくとも自分の場合は。

もちろん自分の認識・知覚能力はどこまでいっても絶対ではないので、外からの限られた情報から、特定の事態や人物をどう判断するか、という点に関しては、経験とセンスの問題という気もしますが。

しかし、「ものさし」の種類も一種類ではなくて、何種類ものものさしを持っていて、この場合はこれを使おうというのも、自分のセンス(感覚)で決めているかなあ。

もしかして、これが価値的相対主義?
でも、それぞれのものさしは、どれも絶対的なものなんですよ。う~ん。
by naoko (2010-01-30 05:39) 

naoko

「世間様が怖い」という感覚は、非常によくわかります。
だから、「義理と人情、秤になけりゃ、義理が重い」となってしまう。

今はそういう感覚は、社会的にそうとう薄まっていて、それが「恥を知らない」「世間なんて怖くない」という風潮にもなってますね。

そういう外から自我を律するものが弱まるのに対して、内面的に「自分を律するもの」もそれほど育っていないので、自我の肥大を食い止める防波堤が、内にも外にもあまり存在しなくなっている。

それで、際限なく〝自己中(わがまま)〟になれる人たちが、我が世の春とばかり、思う存分ふるまおうとする。すると、当然互いにぶつかり合う訳で、そのあげく〝ひきこもり〟や〝自殺〟や〝権力欲の権化〟が大量生産される。
一方では、自己保身やコンプレックスの露呈を恐れて、衝突回避を好む人が増えるため、見せかけの〝やさしさ〟が重宝され、相手の主観に踏み込むことが、極端に疎まれるようになる。

結果として、それが、それぞれの孤独を深めてゆく。

「だから、それがどうした。金さえあれば、他人なんぞ、知ったこっちゃない!」というのが本心という人も(昔からいはするけど)ますます増える。

『対話』は、そうした隠している本心を容赦なく暴きだす。
逆に暴かれたくない人は、沈黙するようになるだろう。

失うもののない〝弱者〟は、逆に『対話』を楽しむようになるかもしれない。

などなど、考えました。
by naoko (2010-01-31 03:09) 

cosi

新しい課題図書が出されているようですね。おもしろそうなので、Judgementさんの蔵書をお借りすることにします。

ところで、どこに書けばよいか、迷いましたが、Judgementさんのバイブル「悪の対話術」の感想を、ここに書かせてもらいます。週末はこの本のために、いや~な気分を味わっておりました。

決してこの本の言っていることに、反対なわけではなく、「そうそう、本当の大人はこういうふうに振舞うんだよ。でも、私には出来ないんだよ、キーッ」という感じ。

つまり、この本が言っている大人の対話というのは、徹底的に人間観察力を磨き、他人の心も自分の心も、分析しきった上で、立ち居振る舞いから発言に至るまで、計算しつくした演出をもって行うってことですよね?

誰かを殺そうという場合に、青筋立てて、大声で叫びながら、ナイフで刺すんじゃなく、にっこり笑いながら、誰にも気づかれず、毒殺するっていうことですよね?

しつこいですが、直球だけじゃなく、変化球も混ぜろということですよね?

直球しか投げれない人間もいるんだよ!!と叫びながら、読みました。無理に変化球投げようとすると、体壊しちゃうんです。だから、この本の著者や、Judgementさんが、羨ましい妬ましい。

Judgementさんが、前に、転校が多かったと書かれていましたが、なるほど、そういうわけかと納得しました。女子の世界は、ただでさえ大変ですが、転校生となるともっと追い込まれた状況になるわけで、子供のころから、人間を見抜く力が発達されたのでしょうね。

で、ニセ科学批判の人たちのイノセントぶりは、そこらへんにあるのではないかと思った次第です。人間観察力が低い。
おそらく男性で頭は良く、成績優秀で、いつも一目置かれてきたため、人間関係で追い込まれた経験がほとんどない。だから人間観察力を磨いて生き抜く必要に、せまられたことがなかった。
おまけに、文系と違って、ドロドロした人間の話にあまり興味がなく、その手の本すら読んでないため、そういう知識すらない。科学以外の本といっても、SFや科学ミステリーぐらいしか読んでいない。

企業にでも勤めれば、多少揉まれることもあるかもしれませんが、研究職や官公庁にいれば、その優秀さや社会的地位でますます保護されちゃって、純粋培養の理系クンができあがる。

だから、小学生女子にでもわかるようなことが、わからない。ニセ科学批判でも、とにかく、科学的に正しいことを言えば、根拠を示せば、証明できれば、人心をつかめると信じきっている。自分達の科学的な正しさと、社会を思う「思いやり」で、みなが賛成し、賞賛するはずと思っている。

ところが、賞賛どころか、賛同すらしてもらえないことが多いので、これまた人間性の未熟さ、幼稚さをさらけだして、醜悪な言動を取り始める。そして、その様子が、はたから非常に見苦しいと思われていることにすら、気が付かない。

まさしくJudgementさんの言うとおり、「イノセント」ですね。

理系クンといっても、トンデモブラウさんは純粋培養じゃないですね。話のわかる大人の男のようです。(褒めすぎ?)
by cosi (2010-02-01 15:26) 

トンデモブラウ

私が俎上に載せている「対話」も「ディベート力」じゃなくって、「建設的なコミュニケーション力」ってヤツですよ、もぉヤだなぁ。
(ね、cosiさん単語の定義付けは重要でしょ。)
ところで、貴女達は私の使っている「日本的ムラ社会」ってので、横溝正史の世界を連想してたりします?

>どう?トンデモブラウさんの考え方と親和性高くない?
高くない。
「レストランで同じ物を注文する」って何よ?
そりゃ時間制限があって、早く昼食を済ませたい時限定の、「日替わり定食4つね。」ってのかな?
個性化と協調性は表裏じゃないよね。
日本人の非個性なんてのは、西洋人の僻み根性が生んだ欺瞞でしょ、きっと。
未だにこんな切り口で「日本的ムラ社会」を語るなんて・・・これは藁人形論法じゃないのか。
同質性にすがらなくても(というかすがってないし)日本の素晴らしい情緒は尊重できると思うし、その上に「対話」のスキルを上げるにはどうしましょう、という話なんでしょうけど、そのために対象を貶める論法は鼻に付く。

ちなみに共通の社会に属するなら、「共通の意識を持つ(理解する)」ことは当然、というか必要最低限。
これは日本だけでもないでしょう。
>自分が想定する「心」(共有されていると思いこんでいるモラル感覚)が通じない状況に直面する
時にどう「対話」するか書かないとダメじゃない。
そんな普通の感覚の問題意識だけ本にされてもねぇ。
(というのは本を読め、ってことですよね。解ってますって。)

では、私は「プロパガンダ・クリティサイザー」と名乗ろう。
「・・・アンティエスタブリッシャー」の方がかっくいいかな?
cosiさんって女性だったんだ・・・いや、当然解ってましたよ、ははは^^;)
by トンデモブラウ (2010-02-02 19:54) 

naoko

【トンデモブラウさん】
わたしの感覚では「日本的ムラ社会」は、人間関係が濃密な社会という感じです。

実はわたしの住んでいるところは一般的な日本社会平均よりずいぶんそういう「ムラ社会」的な面が残っているところなので、その良い面も悪い面も、つぶさに観察・体験できます。
しかし、そこでもかつてに比べれば、地縁血縁の結びつきの薄れは目立ってきています。
そのことに対して、世も末だと感じる一方、自分自身含めて周囲も、ずいぶん個人主義的で自己中になってしまっていて、かつての濃密な人間関係を失っています。

それでも、他の地域から来た人とかと話したり交流したりする機会があると、感覚のあまりの違いに、このドライさ、味気なさはなんなのだ?と驚くことが多いのです。
『無縁社会』っていうんでしょうかね。

同時に、諸外国の人たちと話す機会も多いのですが、日本以上に味気ないことが多いです。欧米とか、アフリカとか、南米とか、個性とか言う前に、その自己中なんとかしろ!と言いたくなることが多いです。
「世間様」が、まったく存在しない社会って、怖いです(笑)。

ただ、一部の中国人の方とかで、日本人以上に〝情〟の深い方に会うと、なにかホッとしますね。ぜんぜん違和感無く話せます。
それは、「建設的なコミュニケーション」とは言えないかも知れないけど、深い信頼を持って、しみじみとした交流ができます。
by naoko (2010-02-03 03:04) 

naoko

【Judgementさん】
と、上には書いてみたものの、わたしとトンデモブラウさんって微妙にすれ違ってない?
この微妙に見えるところが、その差が実は大きかったりする気がしているんだけど…。

by naoko (2010-02-03 03:22) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

私の出会った中国人からは、「ディベート」しか感じなかった・・・
一人の友人を除いて。

naokoさんと私の立ち位置は非常に近いですよ。
歩いてきた方向と向いている方向が違うだけで。
もしかしたら背中合わせに同じところに立っているかも。
後ろを振り向いて、そこにへなちょこな金本選手みたいなのっぽがいたら、それは私です。
by トンデモブラウ (2010-02-03 19:42) 

naoko

【トンデモブラウさん】
>一人の友人を除いて。
わたしが「しみじみとした交流」を感じた相手は大連の近くの町から来たご夫婦でした。
娘さんは「うちの両親は人が良いのだけがとりえで…。」とおっしゃっていましたが、どうしてどうして、いまどきの日本にもほとんど見かけなくなったほど、実に素敵な日本的情緒に満ちた方たちでした。
明治生まれのばあちゃんを思い出したなあ。
中国の方は田舎の人の方が素敵な人が多い気がするのです。


>後ろを振り向いて、そこに
ははは、じゃあ、そう思っておきます。
by naoko (2010-02-04 06:01) 

naoko

【Judgementさん】
ようやくわかってきました。(←自分が・笑)
わたしはどうやら、「世間様」と「自由と民主主義」の狭間に居たいと思っているようです。
その意味では、たしかにトンデモブラウさんと立ち居地は近いのでしょう。
しかし、同時にトンデモブラウさんもおっしゃっているように、向いている方向は正反対かもしれません。
なぜなら、わたしには今の世間の大多数の「優しいフリ」とか「内心にある他者への無関心」が、実感として判るからです。
ですから、「性善説」は採りにくいです。

恵まれてきた者、守られてきた者の、「優しいフリ」した尊大さの奥にある自己中な精神を、わたしは憎んでいます。

ですから、そういう欺瞞に満ちた世の中に向き合おうとするとき、わたしは切実に「ソクラテス的な対話」を必要とします。
by naoko (2010-02-05 06:23) 

cosi

>恵まれてきた者、守られてきた者の、「優しいフリ」した尊大さの奥にある自己中な精神を、わたしは憎んでいます。

naokoさんの、この文章から、なかば強引に、ニセ科学批判批判にもっていかせてもらいます。
そういうエントリーでもないのに。
実は、トンデモブラウさんが、きくち教の信者だというから、今まで、からんでいましたが、へなちょこな金本選手というイメージ戦略に引っかかり、テンション下がってしまいました。でも、気を取り直していきたいと思います。

kikulogの、特にホメオパシー批判のエントリーなどを観察していると、偽善者ぶりは相当なものです。素直に「自分達は頭いいよねーホメオパシーやるやつなんて馬鹿だよねー」で終わっていればいいものを、医療ネグレクトを心配してみせたりして、「科学的」だけじゃなく「優しい」を売りにするあたりが、私は嫌です。

だって、やりとりを見ていると、全然優しくない、感じの悪い人達というのが、一目瞭然なんだもん。医療もホメオパシーも、結局よく知らなかったりするしね。特に技術開発者さんあたり。

きくち先生も、物理や統計の研究者としてはすごいんだろうけど、どうして、医療問題にまで首つっこむんだろうか?ホメオパシーに限らず、タミフルとか助産所問題とか。いや、首つっこむこと自体は、別に悪くないと思うけど、医療には素人でしょう?それにしては、私には、尊大な態度に見える。

なにか事情があるのかもしれないから、きくち教信者のトンデモブラウさん、教祖様に聞いといてください。
by cosi (2010-02-05 17:43) 

cosi

naokoさん、あなたのコメントをダシにしてしまって、すみませんでした。
なんか、自分の言いたいことを書くために、せっかくのnaokoさんのコメントを邪魔しているじゃないか!って後から気付きました。

by cosi (2010-02-05 19:27) 

naoko

【cosiさん】
>せっかくのコメントを邪魔して
いませんよ。ぜんぜん。興味深く読めました(笑)。

技術開発者さんは、なんかいつも長~い金太郎飴を作ってますよね。
その飴は、どこでポキッと折っても、中みると「合理性」と書かれてます。
そういう飴製造の技術に魅せられているのでしょう。

わたしからみると、「どこがいいんだか」と首をひねるしかない(笑)。

まあ、好き好きです。他人の趣味をとやかく言うのはよくないかな。
by naoko (2010-02-07 03:59) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

「優しいフリ」するモチベーションとしては、「性善説」が基本じゃないでしょうか。
みんな「優しく」なりたいとか、「優しく」されたいとか、思ってないとフリしないでしょう。
誰でも「優しい」のはいいことだよね、って思っているのは「性善説」ですよね。

【cosiさん】

おぉっと、タイガース・ファン発見。(私は違うよ。どっちかというとアンチ虎キチなので。)
まぁホメオパシーはインチキなので、方法はどうでも撲滅できれば個人的には嬉しい。
ホメ信者が「優しさ」を売りにしてるので、イラっときている人は多いかもね。
まぁインチキってそんなもんで、インチキからそういう欺瞞を取り除くと、トゲトゲしか残らないから全く商売にならなくなっちゃうもの。
医療には素人でも、インチキはその前に解るから、インチキは誰からも批判されていいんじゃないかと思いますけど。
きくち先生の舵取りは間違ってないと思う。
by トンデモブラウ (2010-02-08 14:20) 

cosi

【naokoさん】
ありがとうございます。技術開発者さんのなが~い金太郎飴には、「世間様(実は俺様)のモラル」って書いてある気がします。それで、どうも私は食指が動きません。

【トンデモブラウさん】
確かにコアなホメ信者には、「優しさ」を売りにしている人もいるから、私も鬱陶しいと感じることはあります。ただ、いかにもマイノリティな人達に見えるので、こちらも「やさしく」距離をとるみたいな。

naokoさんの発言を借用させてもらうと、
>他人の趣味をとやかく言うのはよくないかな。
こんな感じですかね。
別に撲滅しなくてもいいじゃん。ルール違反しているわけでなければ。ルール違反もないのに、モラルを問題にして、「トンデモは悪」とか言って感情的に騒ぐほうが、トンデモにみえるってこと。

私は批判すること自体を問題にしているんじゃないんです。
批判する理由が変なのが多いように思うんです。

例えば、私がkikulogなどを参照にしたホメオパシーを批判する理由を列挙してみます。
(1)科学的におかしいから
(2)医療ネグレクトにつながるから
(3)効果がないと疫学的に証明されたから
(4)広まると市販の風邪薬や痛み止めの薬の売り上げが減るから
(5)科学的な思考ができない人達が存在するのが許せないから
(6)軽いうちだけ利用するといって、病気をこじらせて、結果的に医療費をたくさん使うことになるから
(7)科学的におかしいことを勧めること自体、社会規範に反し、人として悪だから。

私が納得できるのは、(1)と(4)くらいです。
(1)はまっとうな批判の仕方に思えます。
(2)はごく稀なことのようで、利用者自身のコメントにはよく、「病院には行きます」などと書かれていますし、よく槍玉にあがるホメオパシージャパンでさえ、アピールかもしれませんが、ホームページによると、病院と連携しているようです。
(3)については、これからも検証を続けて行っていけないこともないと思います。
(4)はあまりおおっぴらには語られませんが、妙に納得できます。
(5)は意外によく見かける意見ですが、そういう人の人格のほうが問題のように思います。
(6)については、逆に医療費を減らせる可能性もあるので、検証の余地があります。
(7)はJudgementさんと技術開発者さんのやりとりを読んで、さらにこのエントリーで紹介されている本を読んで、おかしいとわかりました。

こうやって考えると、インチキ批判の理由が、逆にインチキに見えることに注意した方がいいと思います。それに、間違いを指摘されても認めず、集団でヒステリックに反対者を糾弾し続ける様子は、まさに、カルトの様相を呈していますから。そこらへんも考えた方がいい。私って親切だな。

【Judgementさん】
ようやく「世間様が許さない!」を読み終えました。(naokoさんにまた、暇でいいねって羨ましがられそうですね!)
それで、ルールとモラルを取り入れて書いてみました。いや~これもじつに発見の多い本でした。Judgementさんの本の選択眼はすごいです。
by cosi (2010-02-08 19:33) 

トンデモブラウ

【cosiさん】

根本的な問題として、ホメオパシーの薬(レメディ)は、100%水(もしくはそれを含ませた砂糖の塊)なので、効果があるわけがないんですよ。
科学的に間違っているだけでは、きっと批判者はそんなにいないんじゃないかな。
水を『薬』として売って『商売』している、というのが批判されているわけで。

で、野放しにすると2次被害、3次被害と拡大しちゃうでしょ。
だから、ノーテンキに副作用のない代替医療で素晴らしい、○○が治った、なんて宣伝されると、イラっときて厳しく糾弾されても仕方がない。
まぁそれを目にした第三者の反応も、本当は気にしないといけないんでしょうけどね。

現状としては、ニューエイジ的天然信仰と結びついて、医療拒否や予防接種拒否とかに発展しているわけで、こうなると社会に及ぼす影響も「アホだけ勝手に死んどけばいいじゃん。」ってわけにもいかないでしょう。
インチキには素直に「インチキだ!」と発言するのが、<対話>のある社会じゃないかな。
空気にながされちゃダメ。(・・・アレ?)

by トンデモブラウ (2010-02-09 08:44) 

cosi

「世間様がゆるさない!」を読んで、だんだんクリアになってきました。
私がなぜ、ホメオパシーなどの代替療法に対する批判者のうちの一部に、猛烈に腹が立つのかです。別にそれらの療法の熱烈な信者でもないのに。

この本の表現を借りると、「内心の自由の侵害」「ルール違反でない限り許されるはずの行動の自由の侵害」を平気でやる根性が腹が立つのです。

例えば、某有名ミュージシャンが、声を失うかもしれない通常の医療を選択せず、民間療法を受け、癌で亡くなったということがありました。(詳しい経緯などは知りませんが)

そのときの反応に、
「EBMに基づいた通常の医療を受けていれば、もっと長生きしたのに残念」「彼のファンだったのに、科学的でない治療法に頼るなんてがっかりした」「社会的影響のある人だから、一般の人への悪影響が心配」
「だいたいそういうインチキ療法をやっているやつらは罪深いやつらだ」
などがあり、ムカついたものです。

だいたい、通常の医療を受けても完治は見込めない状況で、おそらく本人の「何よりも声が大事」という信念から、通常の医療を選択しなかったのだろうと思います。(本当は内心は推し量れませんが)
その選択を、「科学的でない」と言って自分がさも頭がいいように見せかけたり、「社会への影響」を心配してみせて、いい人ぶったりするわけです。
人の苦渋の選択を、自分の為に勝手に利用している、根性の腐ったやつらだと思うわけです。

「罪深いです」「酷いです」も彼らがよく使うフレーズですが、そういうあんたらはどうなのよ?と思わせてくれます。
特に「ひどい」は私は今まで、浮気された若い女の専売特許のセリフと思い込んでいました(笑)。
だから、いい歳した学歴や社会的地位も高そうな男性が連発するのに、kikulogを最初に読んだ時には驚いたものです。日本の科学者は大丈夫なのか?とまで思ったほどです。

それはそうと、トンデモブラウさん、私は別にタイガースファンじゃないですよ。金本選手も知らず、ネットで調べて写真をみて、脱力してしまったのです。あまりに人の良さそうな人相だったためです。トンデモブラウさんのキャラとは確かに一致しますね。のらりくらりと相手を交わしたり、妙に鈍かったり。こちらも安心して攻めることができます。
by cosi (2010-02-09 12:43) 

トンデモブラウ

忌野清志郎はちゃんと現代医療で治療していたハズ。(声を失わないことには気を使っていたようです。)
マクロビに傾倒しているという噂も聞いたことあるけど。
で、本当のファンであれば、その人の生き方に文句があっても(ファンなのにあるのかな?)黙ってるでしょう。
不当な批判発言は、卑しいいっちょかみ野郎じゃないかと思います。
自分が傾倒しているミュージシャンがトンデモだと、どうするだろうかとかはちょっと考えますけど、少なくとも罵倒はしないなぁ。(まぁヘビメタ系ミュージシャンの場合ネタなんだか真性なんだか解らない○○なのが多いけど。)

しかし、本人に罵声は浴びせないけど、それを勧めたインチキ野郎にたいしては罵詈雑言をくらわすと思います。
ぶっちゃけ、そんなヤカラの「内心の自由の侵害」なんて糞っ喰らえです。

ちなみに、私の人相は、決して人が好さそうではないです。(アニキには悪いですけど。)
寧ろ悪人顔でしょうか・・・根っからの善人なのに。
大学時代に合コンで「一人で爆弾とか作ってそう。(はぁと」とか言われたりして・・・アホかっ!わしゃユナボマーじゃねぇよ。
これからは「いやん、ひどぉい」は使わないようにします。
by トンデモブラウ (2010-02-09 14:04) 

naoko

【トンデモブラウさん】
「優しいフリ」は、自分を常に、(趣味の異なる)対話相手より〝正しい側〟〝教育する側〟〝目上〟にくるように演出して対話したいという<我>の現れです。
そこには、コンプレックスの裏返しとして、〝優越感〟を持ちたいという欲求が見え見えです。
だから、本当は相手のことなど欠片も思いやってはいない。
それがはっきりわかるので、「偽りの優しさ」「優しいフリ」と言っているのです。
さらに、そのごまかしが相手から見え見えだと言うことにまるで気づけない鈍感さは、当人の自我の殻のぶ厚さを物語ります。

これは、世間で一般によく見かける現象です。
それを、なぜトンデモブラウさんが、実生活で体験してこなかったのか?不思議です。


【cosiさん】
同時に、そうした、『肥大した自我と根深いコンプレックスが見え見え』なのが、多くのニセ科学批判者の言動の特色のひとつと、わたしも感じます。
by naoko (2010-02-10 11:35) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

>なぜトンデモブラウさんが、実生活で体験してこなかったのか?

いやいやいや、そりゃ誰でも体験するでしょう。
単に「偽りの○○」「○○のフリ」は、○○じゃないよ、って言ってるだけです。

でも、一番やっかいなのは、「優しさ」の押しつけでしょうけどね。
これが一番「優しく」ないよね。
by トンデモブラウ (2010-02-10 21:46) 

naoko

【トンデモブラウさん】
どうも、あなたの言葉の使い方や、言い回しは、わたしから見ると、とてもわかりにくい。さらに、その意図はもっとわかりにくい。
「偽りのやさしさ」や「優しいフリ」が、本当にはぜんぜん優しさじゃないというのは、ここのコメント欄、みんなが言っていることです。

ところが、トンデモブラウさんの今までの書き方では、「偽りの優しさ」とか「優しいフリ」という現象は、現実社会に存在しないという主張にしかとれなかった。
これは、わたしの読解力が低いのか、それともトンデモブラウさんの書き方がまずいのか?

>「優しさ」の押し付け
というのも、どうとっていいのか、あまりぴんとこない。

単に、相手の都合にお構いなく、勝手に舞い上がって、親切を押し売りしてくる迷惑な人をさしているのか?
それなら、迷惑ではあるけど、まだ対処のしようがある。
「あなたはどうして相手の都合も考えてから行動しないの?」
と、言って気づかせればいいこと。
それよりも、「優しいフリ」の方が、世の中に撒き散らす害毒は激しいよ。
by naoko (2010-02-13 06:14) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

私の書き方及び理解度が悪いのでしょう。
↓ こんな感じを受けたんですよね。

「優しい社会っていいよねぇ。」という意見に、「いや、優しいフリしてるだけや偽りの優しさも存在するので、優しい社会なんてちっとも良くない。」という反論返ってきている雰囲気。
そんなこと言ってないでしょ、という感じかな。

>「優しさ」の押し付け
ってのはちょっとしくじりました。
当人が優しいことだと確信していて、そのことを善意のみのモチベーションで他人に干渉する、ということが言いたかったんです。

by トンデモブラウ (2010-02-13 22:04) 

cosi

【トンデモブラウさん】
きくち先生にはやっぱり、尊大な印象を私は受けます。
特に医療問題に関して。例えば助産所問題のエントリを見ても、公平にいろんな立場の人の意見を聞こうという感じじゃないんですよね。門外漢のはずなのに。

私も門外漢なんですが、だからこそ、一方の意見だけを聞いて、すぐに結論着けたようなコメントを、世の中に出すのはどうだろうと思います。匿名の一般人のブログならわかりますが、大阪大学の教授の肩書きの実名のブログだから、社会的影響力があると思うので。

その結論を出す早さというか、軽率さはなんなんだろうと思うんです。
助産所にしても、ホメオパシーやタミフルにしても、当事者は反対派も賛成派も、経験や知識に基づいて、それこそ人生をかけて、真剣に考えていると思うんですが。なんだか統計や物理の知識(と個人の好み)だけで、ぶった切っているような、雑な印象を受けます。

きくち先生の水伝批判を動画で見たことがありますが、「言っていることは、なるほど正しいね」と思いましたが、「なにもそこまで怒らなくても」、という微妙な感想も、私は抱きました。なにか怒っている感じなんですよね、他の話題に関しても。kikulogには、同じように、いつも何かに怒っているタイプが集っているのかなと感じました。

彼らが何に怒っているのか、私なりに分析してみましたが、おそらく科学、および科学の関係者への評価が低いと怒っていて、結局それは、自分への評価が低いことに対し、怒っているのではないかと。なにか、自分の境遇への不満でもあるんでしょうか。こんなに頭がいいのに、給料が見合ってないとか、モギケンみたいに有名人じゃないとか。

それでは、科学に縁遠い一般人はついてこないよね、と思います。怒っているのを見るだけで、不愉快だからです。

一般人の科学リテラシーを高めたいなら、米村でんじろう先生みたいに、楽しくやる方が効果的ではないでしょうか。それで、科学への抵抗が減り、楽しさから、もっと知ろうという人が、増えると思います。それで、まわり回って、トンデモないことに引っかかりにくくなるでしょう。

でも、ホメオパシーなどは、人の悩みの切実さに対応したものなので、そもそも科学の切り口じゃ届かないと思います。以前メカさんが書かれていましたが、その切実さを理解することから、始めるべきではないでしょうか。本気でホメオパシーの信奉者を減らしたかったり、撲滅したいならです。

浮気した妻と浮気相手の男の非を、自分の非は棚に上げて、責め続ける夫のようなものです。
どんどん妻の気持ちは冷めていきます。
本当に妻を取り戻したいなら、妻の気持ちを理解しようとしたり、浮気相手の男が妻を満足させている点は何かを探り、できれば、それを自分が提供できるくらいにならないといけないのです。
「お子様」でなく、大人で冷静な対応が必要なのです。

だから、ホメオパシー信者を減らしたいのなら、撲滅したいのなら、ホメオパシーを信奉する人の切実な事情を理解し、ホメオパシーが与えている満足感を探り、今の医療の中に実現させるのが、一番の効果的なやり方だと考えます。
kikulogを見る限り、そのような態度を取る人はあまりいないようです。
ホメオパシーを毛嫌いするばかりで、まるで「鬼畜米英」のような扱いですから。きくち先生も、冷静な態度には見えません。

そもそも、そのようなことをするのは、やはり人生をかけた真剣さと、かなりのエネルギーが必要で、物理学や統計学の片手間で出来ることではないと、私は思います。
ある程度、医療の「現場」を知っている、あるいは知る努力や知ろうとする謙虚さが、必要だと思います。今の医療はお産も終末期も死も、病院(産院)の中ですから、実際に見ないと実感が沸きにくいと思うんです。細分化高度化が進んでいますし。
きくち先生には、その謙虚さが欠けているように思います。

きくち教信者、それとも教祖(?)のトンデモブラウさんには、きついこと書きすぎましたが、いかがお考えですか?
by cosi (2010-02-15 17:54) 

トンデモブラウ

【cosiさん】

う~ん、きくち先生の語り口は、ソフトな方だと思いますよ。
ただ、ホメオパシーに関してはインチキ代替医療なので、医療の話題じゃないですよね。
まぁ医療のエビデンスってザックリ言うと、try&errorと統計学なので、統計的に効果の有無を検証するのはそんなに間違ってない気がしますけど。
相手側の意見を真摯に聞くとすると、詐欺師に引っかかった人から詐欺師の手口を聞くということなので、対策できるものでもあれば別でしょうけど、意味ないんじゃないかなぁ。
それを真に受けるROMな人がいても困るし。
詐欺師の被害者(新興宗教も一緒か?)は、なかなか自分じゃ気付けないでしょうから。

>浮気した妻と浮気相手の男の非を、自分の非は棚に上げて、責め続ける夫のようなものです。

これだけじゃ、夫は単なる被害者というかマヌケにしか思えませんが・・・
浮気されたのに寄りを戻したい夫、という設定はどうも・・・
医療現場がダメだからインチキ代替医療に走る、ということの比喩でしょうか。
これは、私の個人的意見ですが、インチキ代替医療がなくならないのは、国民が豊かでその人の科学リテラシーが低い(両方必要)からだと思います。
「現在の医療で100%病気が治る」と勘違いしていると、実際治療が効果なかったり副作用が激しかった場合「この治療方法じゃダメだ。」と思うのは別に不思議ではありません。
で、「現代医療なんて、嘘っぱちですよ。副作用も酷いし。(←これはNGでしたっけ?)それに引き換え○○は副作用もないし・・・。」とか「この薬を服用すると1000人に3人は副作用を起こし、100000人に一人は重篤になるんですよ。それに引き換え○○は副作用もないし・・・。」とかで気持ちが揺らぐということは、医療を全く解っていないということでしょ。
医者だっていい加減に治療しているわけじゃないでしょうし。
ぶっちゃけると、世の中得”だけ”することなんか、一っつもないのよ。
元本保証するのは、「私は詐欺師です。」と言っているのと同じ。

結論を言うと、医療現場は浮気をされるほど悪くないということです。
そこで浮気をするのは、奥さんの資質の問題。
その浮気相手もきっと近い将来別の男を紹介されることでしょう。
でも、浮気相手は札付きの詐欺師なので、正気に返った奥さんがどういう気持ちになるか考えると・・・

そこで、「その男、詐欺師ですよ。」と簡単に教えられる方法は?
というのをkikulogで試行錯誤してるんじゃなかろうか。
でもこれはかなり難しいね。

代替医療に走る人はほぼ現代医療批判なので、私に言わせると、排水基準を1ppm超えただけで大騒ぎする環境団体と同じ、狭い視野でしかものを見られない可哀そうな人です。
程度問題が理解できていない。
となるとやはり、科学的基礎の問題なのかなぁ。

しかし、でんじろう先生の実験は理科に興味は持つかもしれませんが、科学リテラシーはそこでは学べませんよね。
そこを楽しく学べるように、というのはハードルが高いですね。
実験みたいに短時間で学ぶのは無理だし。
インチキの世界の間口はバリアフリーですから、勝負するには必須な要素だと思いますけど。
でもきっと元々人間は、1000個に1個当たりがあるクジで当たる気がしないのに、1000個に1個ババがあるクジでは当たりそうで怖くなるもんでしょう。
インチキ詐欺師は巧いとこ突くよなぁ。
本当は同等の話術を持った科学者が相手すればいいのでしょうが、そういう仕事の科学者っていないもんね。
これはしょうがない。
事業仕分けで予算をあげれば誰か手を挙げる人はいるかもしれないけど。

でも「ただの水」が万能薬になる、なんてヨタ話は科学リテラシーなんて一切関係ないっちゅう気がするけど。
あと、終末期医療は科学者の分野じゃないような気がします。
でも科学的には否定されるでしょうが、それは別におかしくない。
科学者は科学に忠実でいいんじゃないのかな。

結論として、きくち先生はよくやっていらっしゃると思います。
私が言っても評価は上がらないでしょうけど。
by トンデモブラウ (2010-02-15 23:02) 

Danio

はじめまして。
本ブログ、いつも興味深くROMさせていただいています。
議論に参加する気が無いのが申し訳ないのですが…。

Jさんが今後、cosiさんへどのように対応するのか、注視している事だけ表明させていただきたいと思います。

*トンデモブラウさん、いつもの揶揄が無いのが大人ですなぁ。
by Danio (2010-02-16 02:38) 

naoko

cosiさんの言っていることは違和感無く読めます。

水伝騒動で、わたしも似たような議論を何度かしたことある。
論争相手の論調は、ちょっとトンデモブラウさんに似ていた気もする。
しかし、おそらく、ニセ科学批判者として考えると、トンデモブラウさんはかなり頭が柔らかい方だと思う。

そして、当時のわたしの論調は、やはり少しcosiさんに似ていた気もする。
いや、もっと過激に、意図的に反科学的論陣を張った気もする(苦笑)。
基本的に、わたしはスピリチュアルを容認するし、ニセ科学批判者からすると、ニセ科学を受け入れる土壌の象徴に見えたらしい。

問題は、そういうことではないんだけどね。

それでも、何人かとずいぶん長く論争して、一時は互いに(ある程度)認め合えた気もしたものです。
しかし、その後の経過を見ると、結局は破局、さらに現在までつづくはちゃめちゃ騒動…。
結論としてわたしが感じたこと、それは、結局は〝人間性・人格の問題〟だということ。
トンデモブラウさんは、多少なりともそのことがわかっている(←と、わたしは感じている)

Danioさんがわかっているかどうかは不明だけどね。
by naoko (2010-02-16 03:25) 

naoko

【トンデモブラウさん】
ところで、ちょっと確認なんだけど、
「優しい社会っていいよね」が性善説のトンデモブラウさんの意見で、
「いや、だから、ここで言う優しい社会というのは、優しいフリとか偽りの優しさに満ちた社会ってこと」がわたし。
さらに、それに対して、
「偽りの優しさ、なんて、優しい社会にはないんだよ」が、トンデモブラウさん。
「ここで言ってるのは、偽りの優しさに満ちた社会が現状だって話だよ」がわたし。
「いやいや、日本はもっといい国でしょう」がトンデモブラウさん。
「そうなのか?じゃあトンデモブラウさんはリアルで優しいフリや偽りの優しさを目にしないないのか?」がわたし。
「目にするよ」がトンデモブラウさん。
「はああ?結局何が言いたいんですか?」がわたし。
という流れですよね?
by naoko (2010-02-16 03:40) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

現実の社会で、「優しさ」と「優しいフリ」が混在してても何の不思議もないですよね。
『偽りの優しさ>>>優しさ』という社会であったとしても、「優しさ」に目を向けるということがそんなにヘンだとも思わないんですけど。

こんな感じ?

T:あっニャンコだ。可愛いなぁ。
n:ノラ猫は糞公害なんかで地域で迷惑なんだよ。見せかけの可愛さに騙されちゃダメじゃない。
T:いや、でも見た目は可愛いじゃん。
n:だから見せかけ(ry

でヌコとも「対話」で解決しようとしている(ように見える)のがJudgementさん側、というのが私の意見。
だから方法が見えてこないのよ。

日本(自分の住む社会)のもっといいところに目を向ければ、自ずと歩く方向は決まってくるんじゃないだろうか。
で、「対話」というのは相互ベクトルが多少なりとも釣り合っていないと成り立たないんじゃないの、という立場から「対話」よりも「空気」重視が社会全体を見た場合よさそうだということ。
by トンデモブラウ (2010-02-16 08:29) 

hocus

>Jさんが今後、cosiさんへどのように対応するのか、注視している事だけ表明させていただきたいと思います。

議論に参加する気がないなら、これは無意味な書き込みと思いますよ。注視しているのはDanioさんだけではないし、ましてや、参加しない人が注視されるわけもない。
「それがどうした」、「あんた何様のつもり?」と返されればそれまでの話じゃないかな。
察するにDanioさんはcosiさんに言いたいことが沢山お有りのご様子。その願望をJudgementさんに満たしてもらおうなんて、少々虫が良すぎはしませんか?

>*トンデモブラウさん、いつもの揶揄が無いのが大人ですなぁ。

揶揄のあるなしとは別に、多分意図的なのだと想像しますが、ニセ科学批判者の方々の一部(もしくはかなりの部分かも)にみられる対応とは相当異なるように見えますね。「大人」とか「頭が柔らかい」などという言葉では割り切れない底の深さを感じます。

by hocus (2010-02-16 19:45) 

Judgement

 たまには書き込んでおかないと、無責任かな?

 まぁ、やりとりの内容は私が言いたかった事の方向性とはえらく違っているんだケド、別に好きにやっていいからね。というか、やっていて欲しい。
 もう少し時間ができたら、私も何かしら反応するから。

 だけど、自分の手を離れていても、ある程度統制されたやりとりが続く、そして、私が言いたいような事は、先に誰かがちゃんと言う...という状況が展開されるのは、ホント見ていて嬉しいし、楽しい、と言っておく。

 ただ、ひとつ注文。
 例えば、「自分の実生活の場」では「対話」が必要ないっていう主張をしたりするのは別にかまわないんだ。それそれで、その人の見解だから。
 でも、忘れちゃならんのは、それを語ろうとする”ここ”は、「見ず知らずの人」が集まる場という事だ。
 実生活の場において「世間」がいい悪いという話とは別な事として、少なくともここは、その「自分の世間」とは断絶した「赤の他人が集合する社会」であるという事は認識しようぜぃ。
 だから、例え「対話不要派」であっても、ここでは「対話」して欲しい。

 具体的にどうすればいいのか、というのを示しておきたかったのも、例の3冊を紹介した理由の一つ。せめて、それぐらいは、各著者が言っている事をポジティブに受け止め、ここでの発言に生かして欲しい。
 念のため、再掲。

 『<対話>のない社会』より
〈対話〉とは他者との対立から生まれるのであるから、対立を消去ないし回避するのではなく「大切にする」こと、ここにスベテの鍵がある。(中略)そうなのだ、本当の鍵は他者の重みをしっかりとらえることなのだ。他者は自分の拡大形態ではないこと、それは自分と異質な存在者であること。

『世間さまが許さない!』より
・自分の「希望」をハッキリ言う(後出しをせず、相手が「察する」ことを期待しない)
・各人の希望の「共通部分」を特定する(異質な相手を「悪」と決めつけない)
・交渉によって共通部分を「極大化」する(相手の妥協を当然視しない)

『「空気」と「世間」』より
 「社会」に向かって書くとは、自分がなぜそう思ったかを、一定の情報を相手に与えながら、つまりは必要な情報を交えて、自分の気持ちを書く、ということです。
 まったく違ったバックボーンを持った人に理解してもらうためには、ちゃんとした状況説明が絶対に必要なのです。(中略)「社会」に向かって書くとは、自分と違う世界に住んでいる人にも事情を理解してもらえるように書く、ということなのです。

 ちなみに、私だって上で言われた事全てに従っているわけじゃない。
 ただ、そこは「分かった上で、別の目的・意図のため、ワザと破っている」つもり。モチロン、それは「破る事の正当化」ではなく、破った事による諸々の影響は、あくまで私の責任と捉えている。

 まぁ、「何故分からないのか分からない」なんて無責任な事を言わぬよう、お願いしますよ(これは、特定の誰ががそう、という話ではなく再確認)。

 「そこまで指図受けねーよ、オレはオレの言いたいように言うんだ」というのも、言論の自由でアリなんだろうけど、「自分と異なる他人」を想像できないで言う意見なんて、他人には伝わらない”独り言”や”空虚な自己アピール”にすぎない。
 他人に向かっていない意見には、私もどう答えていいか困る。

 なので、発言者が何者か分からないし、分かる必要も無いここの「社会」における”独り言”や”空虚な自己アピール”は、場主である私は無意味とみなすので、あしからず。
by Judgement (2010-02-17 00:44) 

naoko

【トンデモブラウさん】
あくまでも、ふわふわと漂うような、つかもうとしてもふいっと逃げていってしまうような言葉の数々。「空気」を大切にするトンデモブラウさんらしいというか。
それは、もう、一つの個性としか言いようがない(笑)。

トンデモブラウさんのもやもやの内に秘められていた中身の解説として、わたしの次のような表現は許されるでしょうか?

『たとえ世の中が偽りの優しさに満ちようとも、その中にも本当の優しさがあることを忘れたくない。その優しさを見つめていたい。(なぜなら、本当の優しさが世の中にもっと増えてほしいから)』
『同様に、この国が、どれほど痛ましさや汚さや邪悪さに満ちようとも、その中にある偉大さや寛容や美しさに目を向けたい。(なぜなら、この国がもっと美しく寛容になってほしいから)』
『自分の生きているこの日本を、否定するのではなく、力強く肯定して生きていきたい。(なぜなら、この国を否定するということは、自分自身を否定することに繋がるから)』

トンデモブラウさんの言葉から、そんな気持ちが伝わってくるのですが、もし違うところがあるなら、言ってくださいね。

さて、もし、そうであるとして。
これはもう、自分の生き方の表明であり、一つの人生哲学です。
トンデモブラウさんのその姿勢には、わたしも十分共感できます。

そのような〝自己肯定〟は、一つの生き方として好もしく感じます。
わたし自身が大切にしたい〝中庸〟の一部はそうしたものだからです。
by naoko (2010-02-17 00:51) 

naoko

ただ、「この国の社会全体として見たとき、対話よりも空気重視の方がよい」とするのは、ちょっと性善説が行き過ぎという気がする。

なぜなら、空気重視というのは、しばしば、上のDanioさんの「視線の表明」「注目の表明」のように、直接関わることを避けつつ、影響力を行使しようという行為をのさばらせる危険性も感じるからです。

(それに対して、わたしも逆の空気を生み出すという手法で対抗はしてみましたが、それよりもhocusさんのはっきりした言動の方が、すっきり伝わっていますよね。苦笑)

しかし、ネット上と違って、一般社会では、圧倒的に空気を生み出す手法が好まれています。そして、その弊害が特に大きいと感じるのは、「自分にとって欠片の親密さも感じない気に食わない赤の他人」に対して空気の威力が行使されるときです。
一例を上げれば、わざと「存在を無視する」ことによって、相手に対して「自分が取るに足りない存在だ」と感じさせる。
その結果、相手が死んでも「いい気味だ」としか思わないとかね。

ちょっと大げさかもしれないけど、わたしは、空気重視という意味合いの中に、そうしたイメージも含めて考えてしまうのです。

そして、対話重視というのは、何よりも、「今目の前にいる相手の存在を(気にいろうが気に入るまいが)決して無視しないこと」の表明でもあると感じるのです。
by naoko (2010-02-17 02:50) 

naoko

【cosiさん】
わたしは自分の娘が脳死状態と宣告されたとき、「氣を発生させ注入する機械」を毎日娘にあててました。
今に至るもその当時の自分の行為をこっけいだとも愚かだったとも思いません。
「そんなの非科学的だ」と言われたとしても、「だからどうした?」と言いたいですね。
そういう意味で、わたしはcosiさんの上のコメントを共感を込めて読むことができました。
by naoko (2010-02-17 03:17) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

要するに、naokoさんは「空気重視」に対してネガティブな印象を強く抱いていて、私は「対話重視」にネガティブな要素を強く感じるというだけなんでしょう。
で、私が言いたいのは、『対話する必要なく行動にストレスを受けずに生活できる社会』は理想的だよね、ということです。
まぁ↑はあくまで目線の先にある目標なので、実現は無理でしょうけど、そこに向かうことは可能でしょ。
何も「対話なし」が必要条件というのではないですよ。

でも、人はペットと「対話」できないでしょう。
一方的に話すことはできても。
実社会にはそんなレベルの人も結構いるのでね。
Judgementさんのように、人レベルに達しないものはこの社会不適合者乙、というのなら解り易い。
そこに「対話」を実現させようとすると悠久の時間と根気が必要。
まぁペットと違ってコミュニケーション可能なので、「対話」ゼロではないでしょうけど。

naokoさんの目指すところは、「対話」で相手の心を理解するということでしょ。
それは、理解後には「対話」はいらなくなってたりしますよね。
ほら、目指すところは私と一緒だ。
言葉が変わっているだけ。
naokoさんは「空気」を相手を抑圧的にするものと捉えているだけで、私は「空気」を相手をやさしく包み込む土壌と捉えているだけ。
だから、ちょっと振り返ってみれば、と言っているんですよ。

「理系出身者の70%は、書く文章の意味が第三者に解らない。(当社調べ)」なので、言葉の得意な人達には自分の意見が巧く表現できなくて申し訳ない。
「空気」で感じてね。

「氣を発生させ注入する機械」を使用する人の気持ちは、痛いほど解ります。(第三者としてだけですけど。)
でも、それを紹介した人に対する怒りの感情も抑えられません。
善意や弱みを金儲けにしちゃいかんのよ!
いやな「空気」だ。
by トンデモブラウ (2010-02-17 07:49) 

naoko

今のわたしなら、トンデモブラウさんのコメントの最後の三行も〝善意〟ゆえの言葉だろうと感じられる。
しかし、もし当時の自分であれば、受け入れることはできなかったでしょう。
おそらく、独善的な聞き捨てならない言葉と感じたでしょう。
そうした当事者への言葉が、誤解とすれ違いと相互不信に終わる危険性を、cosiさんは訴えているのだと思います。

トンデモブラウさんが、自分の言葉を「空気」で感じてほしい、察してほしいと願う裏に、トンデモブラウさんの譲れない哲学が在るのと同様に、非科学的なものを「信じている人」もまた、そうした抜き差しならない当時者性を抱えており、そこにはある種の「信仰」があるのです。
by naoko (2010-02-17 14:11) 

cosi

naokoさんは、大変な経験をされてきたのですね。
naokoさんのコメントに、他の人にはない深みがある理由が、少しだけわかった気がしました。
私の拙い表現力では、今感じている気持ちを、どうしても表現することができませんが。

naokoさんとトンデモブラウさんの、「氣を発生させ注入する機械」についてのやりとりを読んで、思い出したことがあります。
「<対話>ない社会」に載っていた話ですが、エイズ感染者と未感染者の<対話>というのがありました。
そこでは、
(A)エイズ未感染者
(B)エイズ保菌者
(C)エイズ発病者
という置かれた状況が異なった人の間での<対話>についての説明がされていました。

長くなりますが、引用すると、
*引用開始*
もし、Aが「エイズに感染していない者の忌憚のない気持ちを述べれば、エイズ患者とはなるべく接触したくない」と語り、Cが「エイズ患者の身からすれば、病気そのものよりも人々の差別的視点のほうが数倍つらい」と語り、Bが「エイズ保菌者はほとんど健康人と変わらない生活ができるのだから、差別してはならない」と語るとするなら、これらは単なる独白の集合であり、<対話>ではない。
 A,B,Cが自らの状況を超えた視点をもたなければ、少なくとももつように努力しなければ<対話>は成立しないのである。
*中略*
 もしAが<対話>を遂行しようとするのなら、彼(彼女)はBやCの立場を安易に「わかる」と決めつけるのでもなく、「わからない」とつっぱねるのでもなく、「わかろう」と努力する。その場合、自分の状況と相手の状況とを見渡す公平な(第三の)視点を得るのではなく(それは得られない!)、あくまでも自分の状況にとどまったまま、相手の状況を理解する二重の視点を獲得するのである。
 Aのみならず、BもCも同じルールに従うとき、そこに豊かな<対話>が開かれるであろう。「エイズ患者も健康人も互いによくわかり合えるヨ!」というウソははびこらないであろう。「エイズ患者でもないおまえに何がわかる!」という暴言も「エイズ患者のおまえに何が言える!」という暴言も聞かれないであろう。地道な手さぐりが、慎重な歩み寄りが、念入りな違いの確認があるであろう。限りない「わかった」と「わからない」との揺れがあるであろう。はてしない「ここまではわかった。だが、ここからはわからない。」という限定が続くであろう。この営みこそ<対話>である。
*引用終了*

naokoさんは、どのくらい長い年月がかかったのでしょうか、わかりませんが、必死に<対話>するところにまで、たどり着かれたように感じます。
トンデモブラウさんは、簡単に「痛いほどわかります」としているあたりが、<対話>になっていないのだと思います。もちろん「第三者としてだけですけど」と断りをいれていますが。

きくち先生の問題点も、そういう点だと思います。でも、私は、トンデモブラウさんはきくち先生よりはずっと、<対話>できる人と思っています。
きくち先生は、語り口はソフトですが、「反対者は黙れ」というスタンスを取ることがありますし、レベルの低い揶揄中傷を放置しているあたり、メカさんの表現を借りると、「兵隊たちにやらせている」印象を受けます。

もちろん、私がトンデモブラウさんより<対話>ができるというわけでは、全くなく、Judgementさんの紹介された3冊を読んで学んでいる最中なんです。
by cosi (2010-02-18 15:18) 

cosi

naokoさんの娘さんのことや、「氣を発生させ注入する機械」についてですが、私はnaokoさんのような経験をしたことが、今のところありません。
医療業界の片隅に生息していた頃もあるので、他人のそのような経験を、傍で見ていたり、少しかかわらせてもらったことはあります。
もし、自分がnaokoさんの立場だったら、と考えると、考えすぎてわからなくなり、想像するとつらすぎることなので、想像もしきれず、といった具合で、コメントがおそくなりました。
少し想像しただけで、言えることは、なんだってやるだろうなということです。
そこらへんはトンデモブラウさんも、おそらく同感だろうと思います。だから、そういうもの(非科学的な代替医療など)を利用する人は責めないと、前も書かれていましたよね。

私のトンデモブラウさんとの違いは、それを勧めた人たちに対する態度です。
彼らはおそらく、金儲けというより、自分たちもそれで、救われたことがあって、信じている人たちだと想像するので、怒る気にはなりません。
ホメオパシーもそうですが、金儲け目当てではなく、むしろ自分がつらい体験をしてきて、ホメオパシーで救われた、それで信じるようになった人がホメオパスになり、周囲に勧めていくケースがほとんどのようです。

だから、その体験を聞くことなしに、金儲け、インチキとレッテルを貼るのは、<対話>を拒否していると思うのです。
そのつらい体験は、通常医療では対応しきれなかったもの、もしくは通常医療のために生じたもの、かもしれないのです。そのあたりを聴き、わかろうとする努力を、ニセ科学批判などと言っている、きくち先生をはじめとした方々はやらない。
きくち先生の表現を借りると、だからニセ科学批判者は「ダメダメ」なんです。
by cosi (2010-02-18 18:53) 

cosi

すみません。私の前の前のコメントの、長い引用は、
中島義道さんの「<対話>のない社会」の134~136ページからの引用です。
タイトルを間違って書いてしまいました。
by cosi (2010-02-18 21:47) 

naoko

【cosiさん】
>自分たちもそれで、救われたことがあって、信じている人たち
まさに、その通りです。だから、問題は複雑なんですね。
思うに、ニセ科学の問題と言うのは、新興宗教含む信仰に関わる問題の一部に過ぎないんです。
〝除霊〟に頼る人もいれば、〝聖水〟に頼る人もいる。
〝儀式〟に頼る人もいれば、〝道具〟に頼る人もいる。
何かに頼りたい人にとって、ニセ科学と宗教の違いは無いに等しいし、事実、わたしの〝気の機械〟にしても、「夢に現れた天神の教えるとおりに、ある人が描いた設計図どおりに作られている」のです(笑)。
とっても宗教的でしょう?

だから、以前Judgementさんもどこかで言っていたと思うんだけど、「ニセ科学と宗教を分けて考えるのは、批判者側の都合の良い逃げだ」と、数年前にわたしも主張した覚えがあります。
これは、実体験から生じた感想なんですよ。

ですから、信仰の問題と真正面から取り組まないニセ科学批判なんて無意味だし、同時に、<対話>もまた、個人の信仰の問題まで踏み込まなければ、この問題について本当の意味で語ることは難しいと感じますね。
その場合、対話は非常にデリケートなものになりますが、もともとがデリケートな問題なのですよ。
それを大雑把に扱うからひどい事になる(苦笑)。
by naoko (2010-02-19 02:22) 

bandicoot

cosiさん

 科学的根拠がないうえに、医療拒否をすすめたりもするホメオパシーには随分寛容なのに、きくちさんのことは、名誉や金のため、と手厳しい。
 そこがすこし不思議です。

 テレビに出たもんだから、やっかまれることもあったでしょうし、ニセ科学批判というボランティアに自分の時間もとられて、apjさんにいたっては、訴訟問題になったり。そういう「現場」もあるかと思いますよ。
 できればそういう「現場」にも歩み寄っていただければ、と思います。

 僕のきくちさんの印象は、トンデモブラウさんに近いですね。
 それと、きくちさんと、その他コメンテーターさんとは、分けて考えたほうが分かりやすいと思いますよ。


by bandicoot (2010-02-19 02:25) 

トンデモブラウ

【cosiさん】

「非科学的なもの」や「インチキ宗教」に頼ること自体を責めることはないですけど、私は利用しませんよ。
「藁にもすがる」気持ちというのは、誰にでもあるわけです。
で、そこに「藁」を差し出すのは、例えそのモチベーションが善意だとしても、私は許しません。
当然、その善意じゃなくて、「藁」を指し出す行為のことですよ。(念のため。)

なぜかって?
だって、「藁」を差し出す行為の結果、得られるベネフィットは『差し出した人とすがった人の”気持ち”』にしか作用しないからね。
当然、当事者としては、「藁」にすがりたいわけじゃなくて、そういう状況を好転させたいわけでしょ。
「非科学的なもの」や「インチキ宗教」に頼ることは、遭遇している事態に対して後ろ向きに対処しているんですよね。
何も解決しない。(解決の方法が現状見つかっていないとしても。)
正面から向かっていくのは、相当なエネルギーがいるしストレスも大きいと想像できますが、そっち方面に心を逃がすのは、ぶっちゃけると『逃げ』ですね。
人の心の本質としては、安全装置として備わっているんでしょうけど、「非科学的なもの」や「インチキ宗教」はそこにつけいってるわけですから、悪質でしょう。

私が第三者としてそこにいれば、「あなたの善意は何も事態を好転させない」ということを伝えると思う。
言葉は難しいですけど。
でも、本来その人のためを真剣に考えるなら、事態に立ち向かっていくようにしてあげなくちゃダメでしょう。
安易で楽な方向に行くのが人間の性だとしたら尚更。

どうですか。
「非科学的なもの」や「インチキ宗教」への対応は、間違った善意と同じ方向で「対話」することでしょうか?
そのことの方が、「対話」より「空気」(間違った「空気」ですね。)を重視しているように感じますけど。

【naokoさん】

「ニセ科学」と「宗教」を分けて考えるのは、「ニセ科学」が『科学』の立場をとっているからです。
要するに、科学者の武器は『科学』なので、「ニセ科学」では斬れるけど、「宗教」には傷を負わせることができないんですよ。
屏風から追い出す方法でもあれば別ですけど。

で、ここがキモだと思いますけど、「ニセ科学」を信じている人は「宗教」を信仰している人と同じステージにいるんですよね。
なので、科学者の武器は届かない。
だから、本来「ニセ科学」自体を攻撃しているわけですが、「ニセ科学」を信じている人は自分が攻撃されていると勘違いするわけです。
そいう混沌としたものにしているのが「ニセ科学」の本当に悪質なところでもあるんですけど。
『科学』を装って、『信者』を増やしているわけですね。
だって、『科学』を”信じている”人はいないでしょ。
有効に利用している人は多いけど。

現世利益を説く宗教はダメなんです。
しかし、クリスチャンな私でも、困った時に「神様お願い!」なんてお祈りしますけどね。
にんげんだもの。
で、「神様が叶えてくれます。」なんてヤツが表れたとすると、「何だと!ゴルァ!!」って冷静になりますけど。(流石、敬虔なクリスチャン。偉いゾ>自分。)
by トンデモブラウ (2010-02-19 10:08) 

NO NAME

【naokoさん】
なるほど、そうですね。デリケートな問題を、大雑把に扱っているから、ひどい事になるんですね。なかなか私はそういう、うまい表現ができません。

【bandicootさん】
ホメオパシーに随分寛容に見えましたか。
実際、かなり寛容なんですが、医療拒否に至るほどのものには、否定的です。医療拒否までいかなくとも、あまりに頭ごなしに、医療批判をする人も、どうかと思っています。医療現場の人達は、ほとんどが誠実に仕事をしているのだし、それこそ、「現場」の事情をわかって欲しいと思います。

ただ、Judgementさんのところには、狂信的ホメオパシー信者が書き込んだのを、私は見たことがない。天邪鬼の私としては、反対意見をもらうのが好きなので、ホメオパシーの問題点の指摘をして賛同されるより、きくち先生の問題点の指摘をしたいのです。
狂信的ホメオパシー批判者の誤りを、指摘したいのです。

apjさんの活動は、よく知らないので、ニセ科学批判者とひとまとめにしてしまったのは、良くなかったですね。これからは、きくち先生単独への批判ということにします。

きくちさんと、その他の(kikulogの)コメンテーターさんを、分けて考えるというのは、私には難しいです。

kikulogはきくち先生のブログなので、運営方針から見えてくるものも、きくち先生の意思と判断しているからです。
運営方針から見えてくるものとは、つまり、自分の意見に賛同している味方側のコメンテーターに対しては、かなり自由にやらせておきながら(レベルの低すぎる揶揄中傷さえも)、反対者に対してはかなり厳しい要求をし、挙句の果てに、ろくな理由も書かず、発言の自由を奪う態度です。
まるで、子分に好きなだけ袋叩きさせて、自分は最終処分を決めるだけ、という印象を受けます。

だから、kikulogのコメンテーターたちを、独立した意見者としてみることは、私には難しいです。きくち教の信者、もしくは、きくち先生の親衛隊員にしか見えません。

kikulogはそういう、仲良し集団のブログということなんでしょう。
このエントリの「世間さまが許さない!」の表現を借用すると、kikulog内の「世間さま」というのが出来上がっていて、その中で「世間さまのモラル」があって、kikulogに属していたい人は、皆、そのモラルを信仰しているのです。そのモラルを破ったものは、糾弾され、改めなければ、追い出されるのです。そのモラルに従っていれば、ルール違反も許されるのです。

kikulogは、「日本的モラリズム」=「倫理的な全体主義」の良い見本かもしれません。「日本的モラリズム」とは、この本に出てきた言葉で、
ひどく大雑把にまとめると、
(1)何でもモラルの問題にする
(2)そのモラルの根拠を「世間さまの基準」に求める
(3)このモラルを「超ルール的正義」とした「自由の無視」
(4)このモラルを「超ルール的正義」とした「ルールの無視」
を特徴としています。
そして、この「日本的モラリズム」は「自由と民主主義」とは相容れない。

しかし、大阪大学の教授のブログということで、「世の中の広い意見を募集していて、異なる立場間の<対話>を求めている」と勘違いする人が、時々いるみたいです。「自由と民主主義」を信じて、書き込む。そして、袋叩きされて、逃げ出すか、追放されるか、独房にいれられるみたいです。

私は、そういうブログを運営している人の言うことは、あまり信用できないと思っています。私には、「倫理的な全体主義」に対するトラウマがあるからかもしれません。

話が暴走してしまいました。
Judgementさん、好きにやらせてくれて、いつもありがとうございます。
エントリの「世間さまが許さない!」で提唱している、「世間さま制」を成り立たせるためには、kikulogのような言論統制を許すことなく、<対話>を成り立たせないといけないので、大変な時間とエネルギーがいるだろうな、という感想を抱きました。
それこそ、<対話>についての各人の理解を深めることは、基本になるでしょうね。
by NO NAME (2010-02-19 12:39) 

cosi

すみません。上のNO NAMEはcosiでした。

by cosi (2010-02-19 12:40) 

cosi

【トンデモブラウさん】
>当然、当事者としては、「藁」にすがりたいわけじゃなくて、そういう状況を好転させたいわけでしょ。
「非科学的なもの」や「インチキ宗教」に頼ることは、遭遇している事態に対して後ろ向きに対処しているんですよね。
何も解決しない。(解決の方法が現状見つかっていないとしても。)
正面から向かっていくのは、相当なエネルギーがいるしストレスも大きいと想像できますが、そっち方面に心を逃がすのは、ぶっちゃけると『逃げ』ですね。

こういうことを書けるのは、人の病気や、終末期や死や、集中治療室のことや、なんやかやの、知識や実体験が足りないからじゃないかと、私は想像します。
「解決できないこと、好転させられないことがあるから、藁でもいい」という体験を、されていないのではないでしょうか。
それとも、そのような体験をされていても、クリスチャンであることが、キリスト教が、支えになってこられたのですか?

>でも、本来その人のためを真剣に考えるなら、事態に立ち向かっていくようにしてあげなくちゃダメでしょう。

それが簡単にできたらいいですが、あなたはできますか?
どのようにやるんですか?
口先だけでは通用しませんよ。
やはり、同じような体験を乗り越えた人でないと、説得力がない。
そういう意味で、藁を差し出す人たちには、説得力があることが多いんです。

>だって、「藁」を差し出す行為の結果、得られるベネフィットは『差し出した人とすがった人の”気持ち”』にしか作用しないからね。

どうにもならない状況では、気持ちにだけでも作用できたら、それで充分だと、私は思います。
by cosi (2010-02-19 13:40) 

トンデモブラウ

【cosiさん】

できないから、「藁」でもつかんどけ、ってのは乱暴ですね。
気持ちだけで十分というのは、本当の「優しさ」なんでしょうか。
「藁」を差しだす行為は、「辛いなら、一緒に首をつりましょう。」と言うのと同じに感じますけど。
どこにも説得力を感じませんね。

「藁」をつかまないといけないような体験はないですけど、「信仰」のない人はそういうみせかけの物理的なもので、自分を誤魔化して満足するんですか。
なら、こういう場合は「信仰」の方がいいなぁ。

仮に私がどうにもならない状況におかれて、家族が「藁」にすがったら、私の魂は救われない。
「藁」を差し出した”善意”の人とすがりついた家族の心は救われるかもしれませんけど。
こういう場合は、”善意”の人と家族の心が優先されますか?
by トンデモブラウ (2010-02-19 16:35) 

naoko

【トンデモブラウさん】
現世利益を説く宗教=インチキ宗教、ですか?
その線引き自体、かなりあいまいです。
伝統的な宗教でも、「道教」系、「神道」系はかなり現世利益的ですし。
だから、神社で神様にお願い事しますよね。
また、現世利益のみを説く宗教ではなくとも、派生的に現世利益も生ずるとする宗教は非常に多いです。
仏教系の宗教には、護摩などに呪術もありますし、現世に全く影響をもたらさないとする信仰のありかたは、むしろ少ないと思う。

それに、インチキとおっしゃるけど、キリスト教自体、非常にスピリチュアルな宗教ですよね。
トンデモブラウさんは、イエスの復活を信じてらっしゃらないんですか?

【cosiさん】
>どうにもならない状況では、気持ちにだけでも作用できたら、それで充分
まったく、そのとおりです。
同時に、〝魂〟への語りかけという点も重要かもしれません。
脳死と言われようとも、幼い子どもの魂(と身体)に、せめて心臓が動いている間は、手厚く、という親心を届けたい一心です。
by naoko (2010-02-19 16:36) 

NO NAME

【トンデモブラウさん】
>気持ちだけで十分というのは、本当の「優しさ」なんでしょうか。

どうにもならない状況では、気持ち、および魂への働きかけしか、できないのではないでしょうか?

>「信仰」のない人はそういうみせかけの物理的なもので、自分を誤魔化して満足するんですか。

キリスト教だけが、本物であって、他のものはみせかけで物理的、と決まっているわけでは、ないでしょう?

>仮に私がどうにもならない状況におかれて、家族が「藁」にすがったら、私の魂は救われない。
>こういう場合は、”善意”の人と家族の心が優先されますか?

だからこそ普段から、家族と気持ちを、魂を、通じ合わせて、自分がいざと言うときに、どうして欲しいかを、理解しておいてもらう必要があるんです。
それこそ、<対話>の積み重ねが必要です。

深くわかり合えていれば、嫌なことは無理にされないだろうし、もし、それでも誤解されて、嫌なことをされたとしても、それを許すことができるのではないでしょうか?

どちらが優先ということではなく、どれだけ家族と深く、理解し合えるかの問題だろうし、それでも理解不能な場合は、それを許すことができるかどうか。
それこそ、「許し」はキリスト教では重要なのではないですか?

【naokoさん】
そうですね。「魂」への語りかけ、ですね。ソクラテスの頃から、仏陀の頃から、魂について、人々は考えてきたんですよね。
by NO NAME (2010-02-19 18:16) 

cosi

上のコメントはcosiです。また、やっちゃった、NO NAME。今日は疲れてるみたい。
by cosi (2010-02-19 18:17) 

naoko

【トンデモブラウさん】
もし、医学によって好転する状態なら、医学に頼るべきだし、それを聖水や呪術に頼ると言っている人がいたら、「間違っている!」と言うでしょう(←少なくともわたしは言います)。
それを、「それでも、いいんじゃない」で済ますなら、相手のことなんかどうでもいいってことになる。

医学でどうにもならないから、宗教にでもなんでも頼るんだし、そんな時、一緒に試してみようか、と寄り添うのが、トンデモブラウさんには、どうして「つらいなら一緒に首でもつろうよ」と同じにになるのか、その神経・感覚がどうにもわからん??
科学でどうにもならなくて、スピリチュアルに手を出す人は、トンデモブラウさんから見ると、〝自殺者〟に見えるんだね。
というか、そういうものに手を出す人が〝科学的思考を放棄し手放した人〟に見えてるんだろうね。

ぜんぜんそうじゃないのに…。

by naoko (2010-02-20 04:04) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

『現世利益を説く宗教=インチキ宗教』
曖昧かなぁ、かなりはっきりしてると思う。
まぁ個人的な決め付けなので、たちゃに強要するつもりは全くありません。
今まで出会った宗教者は、全員インチキでしたけど。

>医学でどうにもならないから、宗教にでもなんでも頼る

宗教に頼るのは、「あきらめた」時だけです。
で、「何にでも頼る」というのは、まだあきらめてないでしょう。
その状態で「インチキ」を導入するのは、私はイヤです。
「科学的思考を放棄し手放した人」に見えるからイヤなんじゃなくて、「あきらめてないのに、前向きに進まない方法を選択しているから」イヤなんです。
だから、私には無理心中と同じに見えます。
前向きに進むのが困難なことは解ってますが、「インチキ」に逃げることは何もいいことがないとしか思えないので。

私は「キリストの復活」を信じてますよ。
現世にラッパと共に現れるとは、全く思ってませんけど。
まぁ世間一般のクリスチャンと若干違う感じが自分でもしているので、本当に天国に行けるかどうか解りませんけど。(私は行けると信じてます。)
by トンデモブラウ (2010-02-20 08:18) 

naoko

今まで出会った宗教者がみんなインチキだったというのは、ちょっとかわいそうだなあ。
わたしは、実際にお会いできた方で、本当に頭が下がる方だなあ、と心から尊敬できた方は、一人だけだけど、それ以外にも、真剣に修行していらっしゃる方だなあ、と思えた方はたくさんいるよ。

by naoko (2010-02-20 12:50) 

naoko

>宗教にたよるのは諦めたときだけ???

じゃあ、トンデモブラウさんは「祈り」の力を信じてないんだ?
宗教に頼る=祈る(何か、目に見えないものに頼る)ときは、諦めたときだけ…。
それってどんな信仰なのだろう。
by naoko (2010-02-20 13:12) 

cosi

【トンデモブラウさん】
何が、インチキかの判定は難しいですよ。
キリスト教の中にだって、いろいろあるでしょ?
輸血拒否する一派とか、『「空気」と「世間」』に出てきたけど、
一部の過激派のような人達は、合法的な中絶手術をする医師を、銃殺したりするんでしょう?

だからといって、大多数のキリスト教徒はそんなことしないとわかっているし、今の日本じゃ、私の感じだと、キリスト教はインチキとは思われていない。
けれど、踏み絵の時代には、インチキどころか反社会的と認定され、世間様もそう思っていた。

確かに、文学や音楽もそうだけど、時のふるいにかけられて、それでも残ってきたものは、インチキではない気がします。
長い年月を残ってきた宗教は、いろんな政治的な弾圧にもかかわらず、残ってきたのですから。何か本物の感じがします。
でも、それをいったら、神社だって、古いし。ホメオパシーだって、200年残ってるし。

>宗教に頼るのは、「あきらめた」時だけです。
で、「何にでも頼る」というのは、まだあきらめてないでしょう。
その状態で「インチキ」を導入するのは、私はイヤです。

だからね、医学的にはもう、なにもできないの。
だから、あきらめていないというのは、「何にでも頼る」というのは、気持ち的に、あきらめきれないでいるわけです。
何もできないとわかっていても、あきらめきれない。

そこで、導入するものは、全て、いわゆる「医学的」「科学的」「疫学的」には、インチキなものではないでしょうか?
言葉が合っているかどうかわかりませんが、「スピリチュアル系」になりますよね?
キリスト教だけが、インチキでないスピリチュアルで、他は全てインチキというのは、トンデモブラウさんの、個人的な決め付けでしょう。

もちろん、キリスト教は社会的認知度が高く、キリスト教系列の病院なんかでは、取り入れられていますよね。
でも、みながキリスト教徒になれないし、それぞれが、それぞれの納得する方法を取る権利があるのではないですか?
よほどのルール違反が無い限り。

その人達の状況をわかろうともせずに、何もできないのに、「それはインチキだ」と、レッテルを貼るのは、私には心無い行為に思えます。
それこそ、優しくない、冷たい態度に、私には感じられます。
by cosi (2010-02-20 13:15) 

naoko

善人なおもて往生す、いわんや悪人をや

トンデモグラウさんが〝善人〟だということは、よくわかった(笑)。
by naoko (2010-02-20 13:16) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

だんだんズレ幅が大きくなってきたうえ、宗教の話は御法度ということなので、簡単に。
『現世利益を説く宗教=インチキ宗教』は誤解を招きやすい表現だったので、改めます。(申し訳ない。)
『現世利益を説く宗教家=あまりよろしくない人』で。(後者をインチキ野郎としても可。)
まぁ個人的な判断だ、ってのはもう断ってあるので。

なぜって?
どんなに信仰心が深く、真剣にお祈りしても、お金は天から降ってこないし、お腹もいっぱいにならないよね。(あたりまえですが。)
当然、怪我や病気が治癒することなんてこともない。
個人的見解では、宗教家がそこに触れるのはタブーなのよ。
だって、容易に
「例えば、病気(あるいは貧乏)で辛い」→「一心にお祈りし、信仰心を深めるのだ」→「一向に解決しない」→「信仰心が足りないからだ」
となる危険があるでしょ。
これは、「壺を買え」だの「免罪符を買え」だののいかがわしい商売に直結する。
いかがわしい商売を別にしても、信者は救われないことが多いでしょ。
このくらいは誰でも想像つくはずですけど。
で、今まで会ったキリスト教の牧師も、想像力の乏しいよろしくない方ばっかでしたね。(私はキリスト教の宗教者だけがまともで、他はインチキばっかだなんて一度も言ってませんよ。だって、宗教がらみでお寺や神社に行くことなんてほとんどないし。私はクリスチャンだと告白しているので、まさかそっちの誤解があるとは思わなかった。)

で、本題。
「藁」にすがって(ホメオパシーでもお祈りでもいいですが、「インチキ」で)病気が治癒したとすると、「藁」にすがらなくても病気は治ったはずです。
それを奇跡と呼んで、「インチキ」の宣伝に使われるというリスクもないし。
だって、「藁」をつかむことで溺れずにすむ、ということはないからね。
何度も言いますが、「藁」をつかむことで癒されるのは、「藁」を与えた人と受け取った介護者だけです。(もう不治の病限定ですね。)
私が後ろ向きの方策だと書いたのは、このためです。
仮に現代医療に治療法が全くないのであっても、未来の治療法に向けて医学と協力することはできますよね。(当然個人の自由意志ですけど。)
あきらめるのであれば、私としてはもっと楽しいことして残りの時間を使いたいなぁ。

しかも「インチキ」に頼る行為は、その後の「インチキ」蔓延につながるし。
不治の病だけじゃなくって、慢性病や不定期愁訴なんか格好のターゲットですよね。
善意で「藁」を勧めた人は、より活発に行動することでしょうね。
「藁」の製造元は大喜びだ。

なんだか、naokoさんやcosiさんが「善意」で「対話」を圧殺しようとしているように感じてきた。
どっちかっていうと、Judgementさんの敵は彼女らではないのか。



by トンデモブラウ (2010-02-20 22:29) 

Judgement

>だんだんズレ幅が大きくなってきたうえ、宗教の話は御法度ということなので

ここまでやってきて、今更そういう事いわなさんな。
やってきた以上、きっちりやり切ってよね。

 「ニセ科学批判」の問題を突き詰めて行くと、絶対「宗教」と共通する部分もある「信仰」の扱いに触れざるをえないと私は思うよ。
 ニセ科学批判者は「宗教は切らない」と言いつつ、「科学」と「社会」のダブルスタンダートを駆使して、「ニセ科学」を「信仰」ごとバッサリ切っちゃっている。つまり、「宗教は切らない」と言っておきながら、ニセ科学の「信仰」の部分を切る、ってのは自己矛盾じゃないかな。

 「だったら、宗教も切っちゃいなよ」というのが、少なくとも宗教については「無信仰」の私の考え方。
 それについて、「信仰者」の方はどう折り合いを付けるのか、知りたいな。

>どっちかっていうと、Judgementさんの敵は彼女らではないのか。

コラ、自分の逃げに人の名前を使うな。
自分の尻は自分で拭け。

あとさ、総論的な事を言える段階では無い(自分が)けれど

>現実の社会で、「優しさ」と「優しいフリ」が混在してても何の不思議もないですよね。
>『偽りの優しさ>>>優しさ』という社会であったとしても
>「優しさ」に目を向けるということがそんなにヘンだとも思わないんですけど。
(中略)
>日本(自分の住む社会)のもっといいところに目を向ければ、
>自ずと歩く方向は決まってくるんじゃないだろうか。

というスタンスのはずのトンデモブラウさんが
自分と対立する相手の主張、あるいは自分の信念の枠外のものに関しては
「ダメ(とおもう)所」にばかり目を向けているような気がして
なんかモヤモヤするぞ。

と言うと、トンデモブラウさんを敵視しているように見えるけれど
実はトンデモブラウさんの考えと私の考えは「途中まで」が同じであるものが多々ある。
だからこそ、どこで違ってくるのか私は知りたいんだけどさ
by Judgement (2010-02-21 00:19) 

naoko

有神論者の立場としては、「人の命は神様が握ってらっしゃる」ことを信仰しているわけです。
その神様からいただいた命を慈しむ手段は人それぞれ。
別に科学的合理的手段に限定されるべきではないでしょう。

もともと信仰そのものが非合理なものなのですから。
しかし、非合理だからといって、当人がなんらかの「納得」をしない限り、その人は「信仰」にはたどり着かないわけで、しかもその「納得」の仕方は、必ずしも科学的合理的な思考によってではないはずです。

ひとつ、聞いてみたいのは、トンデモブラウさんは、ひとりのキリスト教徒として〝イエスの十字架〟の意味をどう捉えているのだろうか?
by naoko (2010-02-21 03:08) 

トンデモブラウ

【Judgementさん】

「ニセ科学批判」は、「科学」を武器にしているので、「宗教」は直接斬れないんですよ。
でも大元の「ニセ科学」は斬れるので、その先っちょにくっついている宗教部分も一掃されると・・・いいな。
で、私個人としては、「ニセ科学」の宗教的部分も「インチキ宗教」として弾劾しているという感じかな。

「宗教」は、現状どうにもならなくなった時に、踏みとどまるための心を与えてくれるものなので、現状のどうにもならなくなった状況の好転には”全く”力を発揮しません。
そこで状況が好転するかのように説く宗教は、インチキの烙印を押していいんじゃないだろうか。

で、「インチキ」に頼る(藁をつかむ)という行為を黙認するのは、優しいことじゃないと思っているんですよ。
むしろ偽りの優しさに分類されるんじゃなかろうか。
個人的に勇気を持って前進したい願望があるから、後ろ向きに逃げるのがイヤなだけかもしれませんけど。
あえて誤解を恐れず言うと、「インチキ」に頼る(藁をつかむ)という行為で得られる「安心感」は、欺瞞を含んだ利己的なものだと思う。
ほんとうの優しさなんか知らんけどね、私は神じゃないので。

ダブスタなのかな。(自分では気づきませんが。)

【naokoさん】

>〝イエスの十字架〟の意味

げげっ、私は性善説だし、ほんとうのキリスト教徒からすると異端かもね。
なので、「原罪」で険悪になった人と神との関係修復イベント、とザックリ捉えているけど。

私は死ぬのが怖いので、そこの部分を神様に丸投げしてるだけなのかもしれない。
でも、私的にはクリスチャンなのだ。(と思う。)
by トンデモブラウ (2010-02-21 14:38) 

bandicoot

Judgement さん

以前、ニセ科学の定義についていろいろコメントさせていただきましたね。
きくちさんの『ニセ科学入門』をテキストにして。
もう一度、ニセ科学の定義について確認させてください。
ニセ科学入門にはニセ科学の例題として、
・血液型性格判断
・フリーエネルギー
・マイナスイオン
・波動
・ドーマン法と「奇跡の詩人」
あと章はとってないですが、
・常温核融合
が、挙げられています。

ほんとに、どれもこれも、行き着く先は「信仰」なんでしょうか。
科学哲学とかほんと、かじったことないので、暴走勘違いならすいません。
でも、そう思えない。というのが本音なのです。


僕には、
・ニセ科学批判者を科学信者にしてしまいたい人は、都合のいい例だけ(ここでは波動/水伝や、ドーマン法も入るのかな)を取り出して、大雑把なことを言ってる。
もしくは
・ニセ科学は信仰と被ってる。という信念から信仰と関係ありそうな例しか見えないようなバイアスがかかってる。
ように、見えます。


もうひとつ。
「信じる」と「信仰」は同じ意味で使われているのでしょうか。
ゲルマニウムを信じることが信仰だとも思いませんし、EM団子を投げるのも信仰だとは思っていません。当人らに確認はしていませんけど。
「信仰」=「強く信じること」という意味でおっしゃってるのであれば、少しは飲み込みやすくなるのですが。
「君のその信じる気持ち、その気持ちが信仰心なんだ!」というのは、なんか耳にしそうなフレーズなので、そうなのかもしれない、のかな。




cosiさん
・ホメオパシー
医療拒否する人とかはだめだけど、いい人もいるし、ホメオパシー容認。
・きくろぐ
揶揄する人とかいるし、きくろぐは運営方針がだめ、すなわち、きくちさんダメダメ。

というのはやっぱり公平感かくと思いますよ。
坊主にくけりゃ袈裟まで、というのもわかりますが。

 ちなみに、同志感を煽るわけではありませんが、ぼくも、きくろぐコメンテーターがちゃちゃいれるのを見かねてコメント書いたのが、このブログのコメントデビューなんですけどね。
 それがあって、きくろぐには、あたたかく迎えいれられることを夢みていたのですが、なんかさらに書きづらくなってしまいました・・・

それはともかく、金と名誉とに対する印象は少しはとけたのならよいのですが。科学に縁遠い一般人としては。
by bandicoot (2010-02-21 16:30) 

naoko

>「原罪」で険悪になった人と神との関係修復イベント…。
なんじゃそりゃ。
いや、ほんとうにすごい…。
そんなキリスト教あるのか。
がははは。
by naoko (2010-02-21 23:46) 

naoko

【トンデモブラウさん】
ごめん、笑ってそれでおしまいはないよね。
わたしの理解している範囲で〝イエスの十字架〟の意味を書いておきます。


十字架の上で血を流したのは、人間イエスではない。
あなたのことを愛する神様自らが、あなたを救うために十字架の上で血をお流しになったことを知りなさい。
だから、あなたがどれほど罪深い人であっても、あなたの罪はすでに許されている。
神様はおっしゃった。
「わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
それが、あなたへの福音です。
安心して神様の愛に己をゆだねなさい。

神様が「いさおなき我を血をもて贖い」くださったこと。
それを知ったわたしは、とうちゃんが我が子を守るために血の汗流して働く背中を見て育った子どもが、とうちゃんの愛情の前に身を投げ出しておいおい泣けてくるように、泣けてくる。

父よ、あなたの愛を知ったわたしに何の恐れがあるでしょう。
あなたの教えに従います。
「汝、隣人を愛せよ」
この福音を、世界に知らせましょう。



この教えには、如何なる合理も科学的見識も存在しない。
それでも、わたしの心には、実にしっくりくるのです。
世界宗教になるだけのことはある。

とは言え、こんなことはクリスチャンのトンデモブラウさんには釈迦に説法だとは思うのですが…。
あまりにクリスチャンらしからぬコメントについ反応してしまいました。
ご容赦ください。
by naoko (2010-02-22 02:48) 

cosi

【bandicootさん】
きくちさんたちが、「金と名誉のためにやっている」とは、書いてません。
勝手に推測して、彼らの怒りが、彼らが意識せずとも、自分たちの境遇への不満からきているのではないかと、書いたのです。
まあ、これも憶測からの揶揄中傷に入りますね。
by cosi (2010-02-22 14:07) 

naoko

【cosiさん】
>自分たちの境遇への不満
きくちさんが、どんな境遇なのかわからないのでなんとも言えません。が、ニセ科学批判に執念を燃やす言論の多くが、わたしには、とても不自然なものに感じられます。
まるで、『(強大かつ精緻かつ絢爛たる)西欧文明に打ちのめされた自らのコンプレックス』を消化・昇華し切れていない当人が、〝自分自身に対する内面の憤りを、世間に向けて投射している〟と言う風にも見えます。

ともかくいつもこの疑問が浮かぶのです。
〝あの人たち一体、何に向かって憤っているのだろう?〟
言葉の端々から伝わるあの苛立ちと嫌悪と軽蔑と怒り…。
〝一体何に対して??〟と不思議に思うもの。
by naoko (2010-02-22 14:30) 

naoko

あっと、上の印象はきくちさん当人への印象ではありません。
わたしはきくちさんと直接言葉をかわしたことはないので。
なので、おもにpoohさんかな。
by naoko (2010-02-22 14:45) 

Judgement

【bandicootさん】

そのあたりの話は、後日まとめます。今回はさわりだけ。 

>「信じる」と「信仰」は同じ意味で使われているのでしょうか。
>「信仰」=「強く信じること」という意味でおっしゃってるのであれば、
>少しは飲み込みやすくなるのですが。

そうそう、まさにそうですよ。
「血液サラサラ信仰」とか、言わない?
私としては「EM信仰」も「ゲルマニウム信仰」もしっくりする。
まぁ、「信仰」というと「宗教」限定のイメージが強いのだろうけど
そこで引っかかるならば、「信じる事」と読み替えても結構です。
もう少し詳しく言えば、「それを信じて、それに頼ろうとする事」ってな感じ。

>ほんとに、どれもこれも、行き着く先は「信仰」なんでしょうか。

「ニセ科学は 科学的でないから 科学的と 信ずるな」
が本来の”菊池流”対「ニセ科学」的なアプローチだと私は思うのですが
いつのまにか、「科学的でない」という事よりも
「ニセ科学は 信ずるな」
になってきているように私は見えるのだけどね。

モチロン、彼らは「そんなつもりはない」って思うのだろうけど
「その意識が無い」と「意識的にそうならないようにする」は別なんだよね。
むしろ、批判覚悟で意識してやっている、っていう方がまだまし。

>・ニセ科学批判者を科学信者にしてしまいたい人は、
>都合のいい例だけを取り出して、大雑把なことを言ってる。

>ニセ科学は信仰と被ってる。という信念から
>信仰と関係ありそうな例しか見えないようなバイアスがかかってる。

自分に見える問題点について、焦点を宛ててクローズアップするのは
大雑把とか、バイアスとは違うんじゃないのカナ。
それを言い出したら「ニセ科学批判」だって同じ事になるよ。

なんつうか、音が気になる人と、光が気になる人がいるとするよね。
同じ刺激でも、一方には不快で、もう一方には不快でない、って事もある
その時「音がいいのに、光を気にするなんて大雑把」とか言うのはちょい違う
どこに問題意識を持つかで、見えるものは変わってくる。
(ちなみに、他は知らないけど、私は認めるべきところは認めているよ。)

「公平感」というけれど、そもそも人間は
「自分の好むものを貶されると、それだけで不公平」と思うもの。
むしろ、「一見不公平に見える」ところをよく考えると
自分が考えていなかった他者の「問題意識」の所在が分かるかもネ。

多分bandicootさんは
ニセ科学は”総体的に悪”、ニセ科学批判は”総体的に善”
と捉えたところから出発しているんじゃないかな。
「(ニセ科学批判はいい事だから)ことさら悪い部分をあげつらうなんて...」
と思ったりしてない?
まぁ、その気持ちは分からないではないし、私も「ニセ科学」を”悪”と思っている
でも、例えそうだとしても、ニセ科学批判に悪い所があるなら指摘する
ってのが、私にとっての「公平感」なんだ。

ああ、長くなったけどまた後日詳細に。
このぐらいの話でもしピンときたら、またコメントください。
by Judgement (2010-02-23 00:44) 

トンデモブラウ

私も「ニセ科学」を”悪”と思っている一人ですが、ニセ科学批判に悪い所があるなら是正できたらいいなとも思っています。
これは「公平感」じゃなくって、「ニセ科学」信仰(というよりニューエイジ的スピリテュアル信仰になるのかな)の蔓延を防ぎたいから。
で、少なくとも「ニセ科学」にはまっている善意の人は、もう信仰のレベルになっていると感じる。
ここには科学的ニセ科学批判は無効なんだろうなぁ。
どうやったら虎を屏風から追い出せるか、ってのは私の能力を超えていて皆目見当がつきませんが。

by トンデモブラウ (2010-02-24 08:21) 

bandicoot

Judgement さん

コメントありがとうございます。

>「血液サラサラ信仰」とか、言わない?

これについて僕は、「その血液はサラサラでないとっていう執念は、まるで宗教みたいだね」という揶揄だという採り方をしてるんです。
「宗教でもないのに、まるで宗教みたいでこっけいだ。」というか。
あくまで「みたい」もしくは「風」ですね。

たとえば、末期のがん治療などで、身内のかたが「ホメオパシー」にいきついたとします。
このとき、200年前のドイツ人創始者を信仰してるわけでも、希釈して単なる水になっちゃったレメディの分子の記憶やらを信仰しているからでもないと思うんですよ。
そうじゃなくてレメディで治ることを信じたり、信じたかったりするのだと思うのです。その気持ちに信仰心は含まれて居ない。
なんかきれいにまとめられず、もうしわけないです。
 そうですね。僕にとって「信仰」は限定イメージ強いです。感じた温度差の原因がはっきりしました。



>いつのまにか、「科学的でない」という事よりも
>「ニセ科学は 信ずるな」
>になってきているように私は見えるのだけどね。

 それは「ニセ科学」という言葉を広い意味で使うためにおきた弊害かなあ、と僕は思っています。
 「ニセ科学=科学的に間違ったことを含む社会問題」という定義では、科学的に間違ったこと以外も「ニセ科学」に当然ふくまれるので、「ニセ科学(=社会問題)」を批判している以上、倫理だったり教育だったり科学以外を問題点としてあげられても、避けては通れないとも思います。
それを避けちゃうと、「社会問題って看板だしてるけど、口からでるのは、科学科学ってそればっかり。おまえは科学教の教祖か!」
 みたいな流れは楽に想像できてしまいますね。



>自分に見える問題点について、焦点を宛ててクローズアップするのは
>大雑把とか、バイアスとは違うんじゃないのカナ。
>それを言い出したら「ニセ科学批判」だって同じ事になるよ。

>その時「音がいいのに、光を気にするなんて大雑把」とか言うのはちょい違う

ニセ科学批判で同じ事になってる人もいるかもなー、とは思います。
それは別にして。
クローズアップしたにもかかわらず、結論が「だからニセ科学批判は」とまた拡散してしまっているあたりが、大雑把だと言いたかったのです。
僕としては「信じる」と「信仰・宗教」というのは別物なので、「信仰・宗教」を論ずることなく議論が出来る「ニセ科学」はあるにもかかわらず、『宗教に触れずにニセ科学を論ずるのは大雑把」という意見に賛同できませんでした。


『宗教や信仰が関係してきそうなニセ科学もあるし、そうでなさそうなニセ科学もある。
そのとき「宗教に触れないなんてニセ科学って大雑把だね」とか言うのはちょい違う。』
と思うのです。
ただ、これにかんしては信仰の意味のとらえかたが、僕と他のかたと違うようなので、もう一度整理して考えます。



>公平感
たとえば
「ホメオパスに医療拒否をすすめる人や、現代医療を否定するひといてるけど、それには断固反対してる。でも、きくろぐにも揶揄とばすひともいるし、あの雰囲気は自分は嫌いだし認めない」
とかなら、気になりません。
「ホメオパシーなあ。。」とか「きくろぐ嫌いやねんな」とは思うでしょうが、コメントしようとは思いません。

僕は、謎の分析結果の「金と名誉」が、色眼鏡で見ているように感じたので、「ホメオパシーときくちさん、せめて同じものさしでいこうよ」といいたかったのですが、「憶測から揶揄・中傷」だということなので、そう書いていただけたのである意味問題解決です。
「言論の世界」推進派としては。



>ニセ科学批判に悪い所があるなら指摘する

でもって、しつこいようですが、もう一度言わせてください。
こちらのブログへのコメントデビューは、どっちかというとニセ科学批判批判でした。
なので悪い所の指摘のしかた批判が、「公平感」という言葉になったのだとご理解ください。憶測ときくろぐコメンテーターへの批判をかけあわせ、きくちさんへの批判の根拠とし、並んで登場するのが「ホメオパシー」では上手くないと思っています。




というか、僕が打たれ弱いと見抜かれてしまったようで。
優しいコメントありがとうございます。


by bandicoot (2010-02-25 00:02) 

naoko

【トンデモブラウさん】
ご自分のスピリチュアル・キリスト教信仰は〝善し〟として、世間の〝ニューエイジ的スピリチュアル信仰〟の蔓延を防ぎたいという意識では、宗教戦争にしかなりませんよ。
どう見ても自己本位なんだよなあ。
by naoko (2010-02-25 06:32) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

私の信仰の中にそういう”スピリチュアル”なものはありませんよ。
(ここでは便宜的に、形而上的な解釈を一般現象にあてはめるものを”スピリチュアル”って呼んでおきます。)
聖書の解釈の仕方も、いたって形而上的なだけで。
なので、キリスト教的スピリチュアルもその他のスピリチュアルと同様にNGの立場です。

でも、ニューエイジ的シュピリチュアル信仰は、信仰って呼びましたけど宗教ではないね。
信奉者はちょっとファナティックな印象ですが、あえて言えばファッション(流行)かな。
だから、カルト的な視線で批判されると、彼らは反発するのでしょう。
外からみるとカルトと一緒ですけどね。
by トンデモブラウ (2010-02-25 08:19) 

naoko

【トンデモブラウさん】
宗教の形而上の解釈による信仰って何ですか?
たとえば、人間の魂の輪廻転生を信じるのは、形而上なのか、それとも形而下なのだろうか?

ニューエイジ的スピリチュアル信仰からさまざまな新興宗教団体が生まれているわけだけど、その人たちに、「あなたたちの信仰はファッションだ」と言い放ったなら、確かに反発は激しいでしょうね。

>外からみるとカルトと一緒
中に入ると大抵は普通の人たちかもしれませんよ(笑)。
by naoko (2010-02-25 13:45) 

naoko

ちょっと確認なんだけど、トンデモブラウさんのキリスト教信仰では、いわゆる〝奇跡〟は全て否定するという立場なわけですね?
聖書の中の奇跡も〝すべて〟現実にあったことではないと考えていることですよね。
すると、〝イエスの復活〟を信じるというトンデモブラウさんの言葉の意味がわからなくなるのです。
〝イエスの復活〟も、形而上のことと捉えているとおっしゃっている?
では、「形而上でのみ復活した」ということを信じるというのはどういうことなのか、わたしにはよくわからないのです。
つまり、宗教的事実を形而上のものとしてのみ扱うという〝信仰のかたち〟がわたしにはよくわからない。

そして、形而上のことは、形而下の事物に一切影響を与えないという立場での信仰というのも、とても不思議で捉えどころがない気がする。
まあ、そういう信仰があってもいいとは思うのですが、それ以外の〝信仰のかたち〟は全てNG(否定)というのも、おそろしく乱暴な感じがしますよ。

それでは、やっぱり宗教戦争は回避できません。
by naoko (2010-02-25 14:20) 

cosi

【トンデモブラウさん】
「ニューエイジ的スピリチュアル信仰」というのが、なんなのかも、私にはわからなかった為、「ニューエイジ」をwikiで読んでみました。
私は、結構親和性あるというか、論理性より、直感を信じるみたいなところで、妙にしっくりきます。ただ、論理性を軽視することの危険性は、常々自分に言い聞かせています。

トンデモブラウさんが、なぜそんなに「ニューエイジ」に反対なのかが、よくわかりません。説明してもらえると、ありがたいです。「ニューエイジ」の何が問題なんですか?wikiによると、一部の極端な人たちが、カルト化すると書かれていました。極端でなければ、いいんじゃない?というのが、私の意見なんですが。

naokoさんの質問とかぶるのですが、トンデモブラウさんのキリスト教信仰が、よく見えてこないのです。私がキリスト教を、全くと言ってもいいほど知らないのが、原因かもしれませんが。naokoさんのコメントの、キリストの十字架の意味のまとめで、「そういうことだったのか!」と初めて知ったくらいなので(笑)。
by cosi (2010-02-25 19:41) 

トンデモブラウ

【naokoさん】

私は全ての人にクリスチャンになってもらいたいとはこれっぽちも思っていないので(ここで既に”正統”なクリスチャンじゃないよね。)、私から発信する対外的利害はないから、宗教戦争にはなりえませんね。

聖書に書かれていることが、全て実際に物理的に起こったものだとも思っていません。
先天的な疾患や身体的な不具が、一瞬で完治するなんてありえないし。
だって、「神」様が与えた身体的な欠損を、修復する機会はキリストに直接会った数人だけって、そりゃいくらなんでも・・・
2000年前からいままでどれくらいの人がそういう境遇だったか見当もつきませんけど、健常者になりたいと思った人も皆無じゃないでしょう。
でも、精神的に救われるということは絶対にある。

だから、あきらめ(ざるを得なかっ)た時に、その人を救えるのは宗教なんですよ。
そこで、「もっとお祈り(お布施)すれば、治りますよ。」と言うのはインチキでしょ。
宗教で物理的な回復は無理ですよ。
でも、心は救われることがある。
それは、あきらめた時にしか作用しないんです。
現世御利益の希望は、宗教が与えてはいけないものなんですよ。
そこは「科学」の領域なのでね。

”正統”的キリスト教も、アンチ「ニューエイジ」スピリチュアルじゃないかな。
キリスト教よりもオカルトに親和性が高そうだし、ニューエイジ。
私は学生時代勉強よりもラグビーとウォーゲームに現を抜かしていただけじゃなくって、オカルト超常現象研究会にも所属していたので、そっち方面の知識もちょびっとあるよ。

あと、kikulogの人達のモチベーションは「義憤」じゃないかな。
「惻隠の情」とかに近いかも。
Judgementさんの「役に立ちたい」とかと同じ感じがする。

【cosiさん】

ニューエイジはカルトというよりオカルトじゃないかな。
一部というより全部。
で、私が反対なのは、現世御利益を標榜する全ての精神的な活動です。
よって、「ニューエイジ」はがっつりそこに居たりするんですね。

私的な信仰では、十字架イベントがお涙頂戴じゃヤなんですね。
「神」の存在がちっぽけに見えて。
自分勝手ですが、そういった解釈で。
by トンデモブラウ (2010-02-28 15:04) 

naoko

【トンデモブラウさん】
現世御利益含む宗教(〝奇跡〟を認める伝統・新興両宗教およびニューエイジなどスピリチュアル)vsその否定(科学教?)というのも、十分りっぱな宗教戦争になってると思うんだけど、ね。

>キリスト教もアンチニューエイジ
ま、宗教同士が互いに排他的なのは今に始まったことじゃないから(笑)。
それどころか、宗教団体同士の近親憎悪はとっても激しいよ。
by naoko (2010-03-01 04:11) 

cosi

【トンデモブラウさん】
>私が反対なのは、現世御利益を標榜する全ての精神的な活動

トンデモブラウさんは、神社仏閣での開運厄除けの祈りも、反対なんですか?トンデモブラウさんの自由だと思いますが、反対に、私の神社での開運厄除けの祈りも自由なんじゃないか、と(笑)。

つまり、反対を表明するのは自由だけれど、それが、絶対正しいってわけではない、つまり「真理」ではないよね、と思います。
他人に押し付けてはいけない。思想信条の自由というやつ?

所詮、宗教も医療も、人間がやっていること。どれが、絶対に正しい選択というのはあり得ない。そういう視点で、問題点のみを淡々と指摘して欲しいと思います。

kikulogの「義憤」は、偏っているように見えるんだよね。ホメオパシー業者は叩きまくるのに、製薬企業の問題点には触れないようにしている。絶対つつかない。本当に科学的であるのならば、義憤ならば、よほど製薬企業の方が、批判される種はあるのに。

だから、前にも書きましたが、医療関係の知識や経験の不足があるんだろうと思います。
おそらく、「科学的」な手続きを踏んだとされる「薬」や「医療」に対して、信仰といってもいいくらいの信頼を寄せている。

私も現場を体験するまでは、現代医療に対して「信仰に近い信頼」をしていました。今では、妥当な評価に変わっています。否定ではなく、妥当な評価です。
でも、現場を体験しても信仰が揺るがない人もいます。「体験に対する個人の反応の差」「感受性の差」があるようです。

だからこそ、<対話>が必要なんでしょうね。
by cosi (2010-03-01 12:12) 

トンデモブラウ

【cosiさん】

おまじないやゲン担ぎの類まで否定しないですよ。
現在のそれは、具体的に現世御利益をうたってないし、信じちゃいないでしょ。
わざとボケてます?
別に私は「真理」を説いてるわけじゃないし。
他人にも押し付けてないですよ。
助言(忠告)はするけどね。

>「科学的」な手続きを踏んだとされる「薬」や「医療」に対して、信仰といってもいいくらいの信頼を寄せている。

これは当然ですね。
科学的な手続きを踏んだものは、リスクとベネフィットがはっきりしているからね、統計的に。
で、一方のホメオパシーを筆頭としたインチキ代替医療は、効果(ベネフィット)だけ強調して、リスクははっきりさせない、というかリスク・ゼロ的なことも言ってたりするし。
まぁしっかりとした記録を残していない(残せる形態ではない)ってことでしょうけど。

何度も書くけど、水だけ飲ん(ホメオパシー)で治るようなものなら、何をしなくっても治るのよ。
そんなものを勧めるのは、元気のない生徒に何も聞かず「気合いが足らんっ!」って鉄拳制裁する体育教師並みの乱暴さですよ。

>現代医療に対して「信仰に近い信頼」

というのは、リスク評価が甘いだけでしょう。
絶対はないけど、絶対を信じたい、という気持ちは自分にもあるので否定はしないけどね。
そこの理不尽に感じる気持ちを埋めるのは、宗教(お守りでもなんでもいいです。)しかない。
あくまで、「気持ち」ね。

ところで、cosiさんはホメオパシーに妥当な評価してます?
by トンデモブラウ (2010-03-02 00:10) 

naoko

いや、お守りは、具体的な現世利益を訴えているから。
学業成就とか、健康祈願とか、交通安全とか。
それで、何万円も払って祈願してもらう人もいるんだし。

その延長にパワーストーンとかもあるわけだし。
基本、祈りの効果(←現実への)を信じる気持ちって、一般人には普通にあるでしょ。

そこでボケてんのは明らかにトンデモブラウさんのほう。

人の気持ちや言葉は「現実に対して作用する」という感覚は、別に特殊じゃないよ。
だから、それを全面的に否定しちゃ、宗教戦争なんだよね。

わたし自身、「祈りの現実への作用を信じている」もの。


ホメオパシーがどうのこうのと言ったって、実際にそのスペシャリストじゃないんだから、わかるわけない。
現実においてなら、ともかく個別の状況に応じて、あたらなきゃいけないけどね。
深刻な病状においてなら、最も頼りとするのは最先端の医学にきまっている。病院や医者にもいろいろいるから、脳腫瘍の手術とかなら、それが出来る技術を持った先生を探し求めるでしょ。
でも、手術に絶対はないし、そのほかに、スピリチュアルにも頼るかも。
あれもこれも、何でも使おうってのが、そのときの人の気持ちでしょ。

そういう時に、「そんなお守りはあくまでも気休めです」とか言うんですか?

「そこまでして広めたいのか、科学教?」とか、感じちゃうんですよね。
by naoko (2010-03-02 00:49) 

トンデモブラウ

程度問題ですね。
おまじないやゲン担ぎは、個人的に容認してますけど、別に個人的な判断基準なので他者に強要するつもりもないです。
で、これは現世御利益っていうより、精神的な自己暗示でしょう。
そこにつけこんでいるので基本的には反対ですが、神社が個別にお守りを販売しに来るわけじゃないですから「容認」してます。
実際、お守り買ったから、もう勉強しなくてもいいや、って人はいないでしょ。(いたとしても真性のアホだな。)
つまりささいな物理的負担で、その程度の心理的な不安除去効果があるだけで、利用者のほとんどが御利益を認めてない証拠でしょう。
分類としてはインチキですけどね。
このへんはきっとJudgementさんのつっこみどころなんでしょうね。
でも、グラディエーションになっている境目に、はっきりと線をひくことができるのは、個人的な主観だけじゃないかな・・・と思う。

個人的な解釈では、お守りやおみくじの類や厄払いの祈祷なんかは、宗教儀式というより伝統文化的な通過儀礼の一種じゃないかな。
お正月や端午の節句、クリスマスやバレンタイン・ディと一緒。

お祈りの効果を信じたい気持は、当然解りますよ。
でもほとんどの人が実際に効果があるなんて、思ってないでしょ。

人の気持ちや言葉が「現実に対して作用する」という感覚は、完全に誤解ですね。
作用するのは「他人の気持ちに対して」です。
人間の想像力ってのは凄いのよ。(想像以上にね。)
で、「現実に作用している」と”感じる”のもその部分、だけど幻想。

>ホメオパシーがどうのこうのと言ったって、実際にそのスペシャリストじゃないんだから、わかるわけない。

ホメオパシーに関しては解るよ。
元は水だもの。
そんなもので何でも治るなら、普通人間でも日常2リットル程度はみんな接取してますから、動物(←人間だけじゃないよね)が病気になるなんてヘンじゃない?

>手術に絶対はない

あたりまえですね。
人間のミスなんて完全に排除なんて無理。
でも、所詮お守りは気休めですよ。(気休めって重要よ。)
そこまでしたら広まるなら、広めたいですね、科学教。
でも、広まらないし、インチキはなくなんないでしょうね。
人間の想像力は凄いからなぁ。
by トンデモブラウ (2010-03-02 14:02) 

cosi

【トンデモブラウさん】
>現代医療に対して「信仰に近い信頼」
>というのは、リスク評価が甘いだけでしょう。

いや、リスク評価が甘いだけじゃなく、医療の現実を知らないんです。

例えば、昨日の東京新聞で、病院の利益のために、透析療法を早めに勧められてしまうケースがあることが、報じられていました。

腎機能が下がっても、保存療法(薬物治療や栄養療法)でなんとか持たせられることがあるのに、保存療法は、診療報酬面で、透析に比べると、かなり報われないシステムになっているのです。だから、透析を、見方によっては早めに、勧めることがあるのだそうです。

保存療法(栄養指導や、薬物療法の継続のための、決め細やかな診察や検査)の診療報酬を上げることの必要性が、書かれていました。
医は算術の面も、少なからずあるので、患者本人にとって、本当に適切な治療法が取られるとは限らない、という例です。

透析療法自体は、科学技術の発展の素晴らしい結果でしょうが、実際の医療で、どう運用されるかは、また別の人間臭い要素が、からんでくるのです。

学生の頃読んだ、アメリカの内科医の本で、病気の9割は、心身症だというようなことが書いてありました。
残り1割は、先天的なもの遺伝的なものや事故などです。
病気の発症や悪化や改善に、心理的な要素が深く関係しているというようなことだったと思います。

伝統医学系はホメオパシーも含めて、そういう考え方をしていて、対処法もあるようです。
(私は学生の頃から、WHOの出していた「世界伝統医学大全」という本や、その他の代替医療の本を読んだりしていました。代替医療にも興味があったのです。それというのも、病院実習に出てから、通常医療に少し失望したからです。)

もちろん通常の医学でも、心身相関を立証するデータや論文も数多く出され、そういう考えは常識になってはいます。しかし、実際それに基づいて、どう患者さんを治療し、ケアするかという現実面には、なかなか結びついていないように思います。診療報酬にも反映されていません。

具体的に言うと、患者さんといくら、<対話>しても、あまり収入にはならないのです。<対話>が心理面への対処の基本になると思いますが。
それより、透析など、機械を使ったり、処置をしたりする方が、収入になるのです。

現場の人達の努力はあるでしょうが、近年ますます、不況でゆとりが減ってきている状況では、困難でしょう。
だから今、ホメオパシーや漢方などの伝統医療、代替医療へ、関心が高まっているのでしょう。それらは、保険が効かないので、費用は高いですが、<対話>を充分してくれます。

「科学的には効果なし」で結論づけ、だから「反対」という人たちもいますが、この<対話>の効果は、もしかしたら、無視できないほどのものが、あるのかもしれません。だから、信奉者が増えてきているのかもしれません。

以前、浮気する奥さんの話をしましたが、基本は同じです。
<対話>が欠如すれば、<対話>してくれるところへ、人は惹かれてしまうのです。だから、浮気される夫にも、通常医療にも問題があるんです。

もちろん、浮気する奥さんにも、「弱さ」という問題があるわけですが、弱くない人の方が、本当に稀ではないでしょうか?弱くない人が、本当に稀だからこそ、ソクラテスとか、キリストとか仏陀が、時を越えて有名なんでしょう。

「そんなの(代替療法やスピリチュアル系)全て、科学的根拠がないから、科学的に効果なしと出たから、やらんでよい」
「科学的に効果ありのデータに基づいた治療法だけ、受けていればいい」
と言う方が、鉄拳制裁する体育教師並みの乱暴さを感じます。

>あれもこれも、何でも使おうってのが、そのときの人の気持ちでしょ。

naokoさんのこの言葉に、全く同感です。

>「そこまでして広めたいのか、科学教?」とか、感じちゃうんですよね。

私の推測だと、彼らも、ある意味弱く、科学教を信じることで、病気や死への、不安や恐怖を紛らわして生きているんだと思います。
だから、彼らの考えを、科学教を、少しでも否定するような物や人の存在に、耐えられないのでしょう。
ホメオパシーに対するkikulogの人達のヒステリックすぎる反応からも、そう思います。
by cosi (2010-03-02 16:31) 

トンデモブラウ

ホメオパシーは、既に無効性が証明されてますよ。
まぁ水ですから、当然ですけど。
それを治療に勧めるなんて、非情極まりないと思いますね。

しかも、医療現場の極一部分(かどうか知りませんけど)、の「医術は算術」という都市伝説のみで。
個人的には儲け主義はホメオパシー側に感じますけど。(というかそれだけでしょ、インチキだし。)
当然、金儲けしたい人はどこにでもいるので、それが医者であっても坊主であっても驚きませんけど、それが一般じゃないですよね。

「対話」があればインチキ医療でいいんですか?
なら、今の医療現場に「対話」を導入するシステムをつくればいいだけでしょ。
だから、『インフォームド・コンセント(Informed Consent)』が重要視されてきているわけですよね。
実効が証明されている医療が「対話」がないから、親切を装ったインチキを選択する、というのはどう考えても何のベネフィットもないのではないでしょうか。
ホメオパシーを筆頭としたインチキ医療に携わる人は、親切で丁寧に「対話」してくれると思います。
それが商売道具だから。
じゃないとただの水に高額のお金を払わないでしょうからね。
欺瞞に満ちたぬるま湯にゆったり浸かっているのは、気持ちいいかもしれませんが、所詮インチキですからね。
それでいいいんですか?

甘い言葉にそそのかされた浮気妻を援護する気持ちも、私には理解不能です。
そこまで甘えた人生を望まなくったっていいような気がしますけど。
どんな人生だって、いいこともあれば悪いことだってあるわけで、個人的主観(希望)ではトータルでゼロサムになると思ってます。
プラスばかり望むという生き方はストレスたまりますよ。

現代医療に頼る行為を「科学教」と呼ぶのは、抵抗ないですか?
何度も書きますけど、医療行為は所詮経験則なので、100%有効な手段なんてありえません。
インチキはベネフィットしか提示しない、受け入れるには優しい抵抗感のないものなので受け入れやすいのは認めますが、それは本当の「対話」ですか?

>あれもこれも、何でも使おう

「あれもこれも」の中にインチキを入れちゃダメでしょう。
インチキで治るなら、何もしなくても治るんです。

私には代替医療推進者の方が、ヒステリックに見えますので、書き込みに感じる印象は単なる主観にすぎないのでしょう。
by トンデモブラウ (2010-03-02 18:11) 

cosi

【トンデモブラウさん】
>なら、今の医療現場に「対話」を導入するシステムをつくればいいだけでしょ。

それが、簡単にできればいいですけどね。

>「対話」があればインチキ医療でいいんですか?

重要なことは、トンデモブラウさんの言う「インチキ医療」をやっている人たちは、「インチキ」と思っていないことです。伝統医学、代替医療と思っていて、ほとんどが真面目にやっていると思います。金儲けだけというのは、それこそ、都市伝説でしょう。

>甘い言葉にそそのかされた浮気妻を援護する気持ちも、私には理解不能です。

なんだか、このあたりのトンデモブラウさんのコメントには、申し訳ないけど、笑っちゃった。トンデモブラウさんは、熱い男ですね。大丈夫!トンデモブラウさんは浮気されないですよ、きっと(笑)。

>現代医療に頼る行為を「科学教」と呼ぶのは、抵抗ないですか?

現代医療に頼る行為を「科学教」と読んでいるのではなく、「科学的に効果なし」と判定されたものを、それだけの理由で、異常に執拗に排斥する態度を「科学教」と呼んでいるのです。

医療ネグレクトに至るほどの極端な事例には、有害と指摘することは必要でしょうが、別に野放しでいいレベルのことまで、潔癖に排斥しないと落ち着かない人たちのことです。

>インチキはベネフィットしか提示しない、受け入れるには優しい抵抗感のないものなので受け入れやすいのは認めますが、それは本当の「対話」ですか?

「対話」は病気に関すること以外にも、その人の人生の話を聴いてもらうことも重要だと思う。ミヒャエル・エンデのモモのように、傾聴すること。だから、通常の医療か、代替医療か、傾聴ボランティアかを問わず、「聴く技術」を身につけた人であれば、可能なこと。

大学出たての、人生経験のない、科学的思考は得意だけれど、人の話を傾聴することのできない若い医師より、そのような資格がなく、科学に疎くとも、人生経験が豊富で、共感を持って傾聴できる人の方が、「対話」能力、「癒す」能力は高い。

そういう癒しや対話をする「人」とか、何よりも「時間」が、医療現場には、まだまだ足りてないんだと思う。
もちろん、そういった取り組みが出来ている稀なところは、取材されたりもしているけれど、そういう理想的なところばかりじゃないと思います。
by cosi (2010-03-02 21:14) 

naoko

【トンデモブラウさん】
インチキ、インチキおっしゃるけれど。
しかし、キリストの復活が現実に起こったことではないと考える段階で、すでにトンデモブラウさん、キリスト教徒ではないでしょ。
それでもキリスト教徒とおっしゃるなら、(申し訳ないけど)それこそインチキ教徒ってことにならないかな。
逆に、復活を現実にあったことと信じていらっしゃるなら、ご自身否定していらっしゃる〝奇跡〟を容認することになる。
by naoko (2010-03-03 03:28) 

トンデモブラウ

【cosiさん】

>『重要なことは、トンデモブラウさんの言う「インチキ医療」をやっている人たちは、「インチキ」と思っていないことです。伝統医学、代替医療と思っていて、ほとんどが真面目にやっていると思います。金儲けだけというのは、それこそ、都市伝説でしょう。』

では、ホメオパシーはボランティアですか?
レメディは無料配布ですか?
違うでしょう。

自分が気付いていなければ「インチキ」の片棒を担いでもOKというのは乱暴ですね。
それとも、善意があれば何でも構わないんですか?
真面目に患者の足を引っ張ってるわけだ。
ある意味金儲けの人より罪が重い感じがしますね。

>『「科学的に効果なし」と判定されたものを、それだけの理由で、異常に執拗に排斥する態度』

別に何にもおかしいと感じません。
「科学的に効果なし」と判定されたものを執拗に固執する方が異常でしょう。
魔法は心(気持ち)にしか作用しませんよ。

理想的な医療現場が少ないなら、多くする努力をするべきであって、「インチキ」に逃げるのは間違った方向に進んでいるのではないのですか。
「結果」よりも、「対話」と「気持ち」を重視すると、医療現場はいい方向に向けっていけるんですか?
「科学教」の方が医療現場がよくなると思えるのは、私だけでしょうか。

【naokoさん】

〝奇跡〟は想像の中でしか起きないというのが、私の立場です。
なので、インチキ・クリスチャンと呼ばれるなら、そうかもね。
そこに忸怩たるものはないですけど。
私のインチキで誰にも損失を与えていないし。
ファンタジィは頭の中で楽しむものですよ。
by トンデモブラウ (2010-03-03 10:09) 

naoko

「イエスの復活は人々の想像の中でしか起こらなかったのだ」と言うのであれば、「イエスは神の子ではない」「復活は単なる当時の共同幻想だ」「キリスト教は二千年続いている一種の詐欺だ」と主張しているのと一緒です。

「三日の後に、わたしは復活する。それがわたしが神の子である証である」と述べていたイエスも、磔にされた十字架の上で「神よ、何ゆえお顔を隠されるのです。わたしをお見捨てになったのですか?」と叫んだ。イエスは、それでも最後には「御心のままになさってください」とささやいた。

しかし、その後、イエスは実際には復活しなかった。
ただ、イエスの死を悲しむ人々の心の中でだけ、イエスは復活した…。
「永遠の魂の実在」を人々はむりやり自分に信じ込ませた、証もないのに…。
これじゃほとんど無神論ですよ。


神への信頼のないトンデモブラウさんの〝信仰??〟って、気休めにもならないんじゃ。
現実に生きている自分自身の苦難と戦う上では、脳内ファンタジーで楽しんでる余裕なんか普通どこにもないよ。
by naoko (2010-03-03 13:42) 

トンデモブラウ

まぁまぁ、落ち着いて。
私の信仰の話はどうでもいいんじゃない?
ズレすぎだし。
どう解釈しようが、その人の解釈の仕方も「神」が決めてるんじゃないのかな。
個々の解釈を人に強制するのは感心しませんね、例えそれがマジョリティでも。

で、現実に生きている自分自身の苦悩から踏みとどまる力は、私の解釈でも充分ありますよ。
最後の一歩を踏みとどまって乗り越えるには、「気休め」は重要ですよ。

ところで、現実に見える(感じる)ものが、万人共通で一緒だと思いますか。
リンゴは丸くって赤いけど、私の見ている丸い形や赤い色は、naokoさんのものと一緒じゃないかもしれないですよね。
ただ同一の言語環境と刷り込みで同じと判断しているだけでしょ。
2000年前の状況は現代に生きるものでは、シンクロした体験は不可能ですよね。

「神」への信頼はあるので、間違っている(「神」がそうお望みでない)なら啓示してくれるでしょ、きっと。
天国で会えたらそうだったってことで、よろしく。

by トンデモブラウ (2010-03-03 22:55) 

Judgement

 ここいらでちょっとコメントを挟んでおこう。

>私の信仰の話はどうでもいいんじゃない?
 
 トンデモブラウさんに関してはそんなに短くない付き合いだけど、信教についてカミングアウトしたのはつい最近の事だし、基本的に「信教者」の立場で物事を言おうとする人ではないと思っている。
 ま、今回は、流れ的に宗教の話に付き合ったぐらいの話なんだろう。何より、こんな辺境ブログのやりとりで、自分の大事な信仰を汚される必要もないだろうとも思い始めたよ。

 だから無理に続ける必要は無いと思うケド、なんかトンデモブラウさんはnaokoさんやcosiさんの問いかけに対して小馬鹿にした態度もチラホラ見えたから、徹底的にいたぶられてもいいかな、という気もする。
 まぁ、その辺は他のお二人の判断に任せよう。

 んで、私の意見とすれば、ホメオパシーの効力に関しては、トンデモブラウさんとほぼ同じ。ただ、それについてトンデモブラウさんが批判する論調は、私が聞いている分にはほとんど「宗教」にも当てはまると思う点ではおそらくnaokoさんとほぼ同じ。

 だって、宗教なんて誰かさんの妄想...もとい、確認しようがない不確かな事を、さも確かであるかのように言いふらした事から始まるんじゃないカナ?だから、宗教もトンデモブラウさん言うところの「インチキ」に含めることに私は何も矛盾を感じない。
  しかも、そのインチキを真に受けた人達が、その教義を守るため故間接的どころか直接的に人を殺してきた歴史もあり、今もその危険が無いとは言えない。そし て、合理的判断に使用できたはずのリソースの一部が「信仰」に費やされる事で、現代科学の進歩や周知徹底を間接的に阻害しているはずだ。

  もし、「ニセ科学」のせいで同じようになるのが「悪」であり、「害」であると言うのならば、その影響力の大きさを考えると「宗教」の方がよりタチが悪い (ただし、それは「と言うのならば」の話で、私自身はそれを「悪」とか「害」とか決め付けられるような“特異なもの”とは考えていない)。

 だから、宗教を信じている人が、「ニセ科学」が持つ「宗教」と共通する問題を「悪」だ「害」だと批判された場合、あるいは自身も批判した場合、その際称するはずの自己矛盾や不協和をどう解消するか、というのに興味があったんだよね。

 まぁ、おそらく「それとコレとは別」的な内なる線引きで解消するんだろう。
 ただ、それについて他者が納得するような説明ができるかというと、難しいとは思うね。信仰というのは理屈では無い部分もあると思うし。
 
  「信じるだけなら誰にも迷惑かけない」は一つの落としどころだと思うし、そう言っておけば確かに「インチキを人に勧める事を批判する自分」とは矛盾しないでしょう。
 だけど、その代わり自分の批判は「信じる事を人に勧める」牧師さん(宗派で呼び方違ったっけ)、あるいは大元の教祖的な方にグッサリ突き刺さっちゃうんじゃないかな。
 悪いケド、そこを突き詰めていけば、トンデモブラウさんの信仰の論理は崩壊するでしょうね。

 だけど、そうなったとしても信じる事は止めないと思う。
 だって、論理で信じているわけじゃないでしょ。
 そういう面を認識しているから、私は宗教の話って踏み込みたく無いんだよねぇ。


 ただね、「ニセ科学批判は宗教を対象にしない」って事を信じきっているようだけど、それはおそらく間違いだよ。
 「ニセ科学が科学ではない」事だけに絞って問題にしてたなら、それは守られたかもしれないけど、実際はそれを超えて”社会問題”に発展させているわけだよね。
 その中では、実は「宗教」と重複する事、あるいは慎重に表現しないと重複して聞こえる事を「悪」の根拠として批判しているんだよ。

 そういう事については、無宗教な私よりも、信仰者の方の方が敏感に察知しそうな気がするんだけどさ。「宗教を対象にしない」という口約束をいいように信じてしまっているから、意識がそっちに向かないのかもしれないとも思ったり。

例えば
>自分が気付いていなければ「インチキ」の片棒を担いでもOKというのは乱暴ですね。
>それとも、善意があれば何でも構わないんですか?
 なんてフレーズは、無宗教の私にとっては、そのまま「宗教」に向けて放ってもかまわない言葉だったりします。

 また、私はホメオパシーを信じている訳でもないから、擁護する気はありませんが
>個々の解釈を人に強制するのは感心しませんね、例えそれがマジョリティでも。
 という気持ちは、ニセ科学批判の槍玉に挙げられたホメオパシー支持者も持っている事は容易に想像つくんだよね。
 
  「宗教を攻撃しない」つもりであっても、いつの間にか「宗教と共通する問題」に踏み込んで批判してしまっているのは、おそらく「ニセ科学を攻撃しているだ けだから、宗教を攻撃している事にはならない」という安易な解釈しかしていなくて、「宗教に流れ弾が行かないようにする」という意識は欠けているためだと 思う。

 それは、「雑草を枯らす」事”だけ”にこだわって農薬を撒くようなもので、そこに「作物を枯らそう」という意識は持って無いにし ても、「作物を枯らさないようにする」慎重さを持ち合わせていない場合、(そのつもりは無くても)結果として作物も枯らしてしまう、という感じカナ。

 「宗教」を道連れにされてでも「ニセ科学」を徹底的に撲滅した方がいと思うのか、それとも「宗教」を道連れにされない範囲で「ニセ科学」を批判すべきと思うのか。
 ...というのは批判する当人が決める事ではあるけど、トンデモブラウさんはどっちがいいのか、これを先に確認すべきだったかな、と今頃思った。

 まぁ、私個人としては本当にそれが害であり悪であると思うなら、自分の信仰する宗教だろうとなんだろうと分け隔てなく批判するのが適切、なんてと思うんだけどそれは「無宗教」者の無責任な判断なのかな。
by Judgement (2010-03-04 00:42) 

Judgement

ついでに、なんか懐かしいので言及。

>ところで、現実に見える(感じる)ものが、万人共通で一緒だと思いますか。
>リンゴは丸くって赤いけど、私の見ている丸い形や赤い色は、
>naokoさんのものと一緒じゃないかもしれないですよね。

 何が懐かしいかと言うと、同じ様なことを中学の時に友人と話し合った事があるんだ。

 結論としては、認識している脳内の「像」は違うかもしれないけど、「像」につなげられた名前が共通ならば、同じものを赤いと言い、同じものを丸いと言うんだよね。
 例えば、Bさんにとっての赤色が、Aさんの脳内ではBさんにとっての青色に見えたとしても、それをAさんが赤色と認識する限り、BさんがBさんにとって赤色を指したとき、Aさんもそれを赤色と述べる。
 だから、脳内の像が違うかどうかは(脳内イメージを顕在化する技術ができない限り)決して分からない一方で、情報的には一切齟齬は出ないんだよ。

 うーむ、多分トンデモブラウさんが言いたいのは
 「昔の事なんて誰にも分からない」で済む話じゃないカナ
 ちょっと、持ち出す話がズレている気が...

by Judgement (2010-03-04 00:58) 

Judgement

《追記》
ああ、再度読み返すと
>で、私個人としては、「ニセ科学」の宗教的部分も
>「インチキ宗教」として弾劾しているという感じかな。
 と言っていたね。
 つまり、「ニセ科学批判」で抵触するような「宗教部分」は批判してかまわないけど、そういうのは「インチキ宗教」の部分であり、「ホントの宗教ではない」という分け方をしようとしているのかな。

 え~、それは都合よすぎで、不明確な線引きじゃない?

 それはそうと
>「宗教」は、現状どうにもならなくなった時に、
>踏みとどまるための心を与えてくれるものなので、
 それは、生きゆく際のメリット「現世利益」とは言わないのだろうか。
(まぁ、トンデモブラウさんは言わないのだろう)

 でも、私の稚拙な印象から言えば、キリスト教は「汚く生きるより、受難を受け入れ清く死ね」ってカンジなんだけど、踏みとどまれるのかな、と思ってみたり。
 というか、むしろ、方便でもそこで状況が好転するかのように説く宗教の方が、実際には踏みとどまれる気がするんだけど、それは無宗教者のたわごとかしらん。
by Judgement (2010-03-04 01:15) 

naoko

【トンデモブラウさん】
おそらく、トンデモブラウさんのキリスト教解釈が、大問題にならないのは、これが日本語のブログだから、だと思うよ。
ある意味、日本人は世界で最も宗教の解釈に関して寛容な民族のひとつだから。

それはある意味、良い環境だよね。(←たとえ世界の非常識と言われようとも)
ヨーロッパや中東では、イエスが現実に復活したかしなかったかの解釈の違いで、二千年の戦争が続いている(苦笑)。
by naoko (2010-03-04 02:10) 

トンデモブラウ

【Judgementさん】

「現世御利益」って、ちょっとキャッチーな言葉を使ったのは失敗だったのかな。
理系の文章軽視傾向が露見してしまった。
その意味合いとしては、「宗教が現実に物理的効果を直接及ぼすこと」という感じです。
なので、「心」に作用するものは、「現世御利益」に含まれません。

私の定義する「インチキ宗教」=「現世御利益を説く」なので、ホメオパシーを筆頭とする「ニセ科学」と今あるほとんどの宗教は含まれます。
残念なことに、私の出会ったキリスト教の牧師もインチキ側ばかり。(私の個人的定義ですからね、くどいようですが念のため。)

これって、都合良すぎで不明確な線引きなのかなぁ。
みんながそう言うなら、客観的事実はそうなんだろうか、やっぱ。
かなりはっきりした、むしろ二元論だと思っていたのに。

リンゴの例えは、「昔の事なんて誰にも分からない」と言うのと同時に、「人間の感覚の同一性・客観性の曖昧さ(ヘタな日本語で申し訳ない。)」も言いたくて、その先に「脳内で形成された事実と現実に起こったことの判断のいい加減さ」みたいなところまで想像して欲しいなぁ、なんて欲張り?
要は、人間の想像力は凄くって、脳内で現実と想像の区別がつかなくなることもあるんじゃね、ってこと。
2000年前と今じゃ共通の客観的事実としての情報量も違うだろうし。

「みんな同じに見えてるのかなぁ。」という素朴な疑問は、子供時代に誰でも抱く疑問だと思いますけど、私の場合色覚異常だったので、小学校の健康診断で発覚してそこの疑問は身近に思っていたんですよね。
流行りのクリオアっていうのの先駆けか。(・・・違う。)

>大元の教祖的な方にグッサリ突き刺さっちゃう

ここは感じるところ。
でもしょうがない。
だから、私はキリスト教徒としては「インチキ」かもしれない。(たぶんそう。)
他の人を積極的に救おうとしないものね。
なんたる我儘っぷり、自分だけ助かればいいのか、ってことですよね。
でも自分を「藁」でもいいと掴む人を振り払うわけじゃなくって、自分から手を差し伸べないだけ。
「役に立ちたい」けど「おせっかいはしたくない、という感じでしょうか。

cosiさんやnaokoさんを小馬鹿にしたいつもりですけど、つい本性が・・・というより私の芸風なので。
何かなかなか伝わらなくって・・・(自分の文章力のせいですけど。)
これからは、なるべく紳士的文章を心がけます。

キリスト教は結構合理的ですよ。
苦難(とその人が感じるもの)も「神」が与えたものなので、乗り越えられない人には与えられないんですよ。
ということは、乗り越えられるハズなんですよね、信仰があれば。
ね、凄いでしょ。
理不尽な現実の棘が「心」に刺さるのを防いでくれてる感じでしょ。

【naokoさん】

「宗教戦争」って「宗教」ありきじゃないと、私は思うけど。
どちらかというと、調味料でしょうね。
ないと料理にならないけど。

で、私の解釈も、一応スウェーデン人の牧師には合意はしていないと思いますが、理解はしてもらえましたけど。
詳細は言語の壁が・・・
表と裏は見ている方向や画像は違うかもしれないけど、見ているものは一緒でしょ。
by トンデモブラウ (2010-03-04 09:55) 

cosi

【トンデモブラウさん】
宗教や信仰にからむ話は、Judgementさんやnaokoさんにおまかせすることにして、私は医療面だけコメントさせてもらいます。

>真面目に患者の足を引っ張ってるわけだ。
>ある意味金儲けの人より罪が重い感じがしますね。

製薬企業のやっている一部の行為には、私はもっと罪が重いものがあると思っています。例えばTVコマーシャルを駆使して、購買欲を煽り、頭痛薬やら感冒薬やら、OTC医薬品を売っています。

長い目で見れば、人の健康を害している行為です。短い目で見ても、頻度は稀ですが、命に関わる副作用があります。科学的に確実に効果があるからこそ、副作用も確実に存在する。

長い目でみると、薬を飲むたびに、確実に症状が消えるので、頭痛持ちの人など、長期的に飲み続けることもあります。
それで、一部の薬では腎機能障害などの副作用を起こしてくることもあります。

笑い話のようですが、たくさん薬を飲んでいるお年寄りなど、薬を少しずつ整理して減らしていくと、体の不調が消えたなんてことが、結構あります。

よく、ホメオパシー等の療法で良くなるってことは、何もしなくても良くなるってことなんだからと言いますが、だからこそ、頭痛薬も売りつける必要はないのです。副作用が確実にある分、罪は重い。

頭痛や肩こりなどの軽度の不調は、心理的な要素や生活の仕方の問題が絡んでることが多いと思います。

だから、生活の見直しとか人間関係の見直しとか、カウンセリングの要素のある、ホメオパシーや漢方や鍼灸やマッサージなどをやる方が、副作用も少なく、長期的にみて、その人の健康に良いと思います。

そのほうが、人が自分の生活を見直し、原因を考えて改善することができるからです。そうすることで、全般的に健康な状態に近づくので、重い病気にかかりにくくなるかもしれません。予防医療という面で、優れています。

それを、TVコマーシャルを使って、薬を「すぐ良くなるよ」と売るつける方が、言語道断です。症状はすぐ消えますが、同時に人を根本的な解決から遠ざけてしまう。

生活を変えることがないので、不健康な状態が改善されること無く、悪化していく。さらに重い病気になる可能性も増えてくる。OTC医薬品で誤魔化し続けて、病院にかかるのが遅れたケースだってあります。

薬のTVコマーシャルを解禁するための動きなんかを見ても、金と政治が絡みまくりのようです。私はそっち方面は疎いのですが。

だから、ほっといても治る病気や軽度の不調、逆に治療法のない状態に、ホメオパシーなどの代替医療は有益である、と私は思います。

より罪深いのは、ひとの健康の足を引っ張っているのは、OTC医薬品をTVコマーシャルを駆使して売りまくっている、製薬企業の方です。

>「科学教」の方が医療現場がよくなると思えるのは、私だけでしょうか。

人の求める医療は、人それぞれの価値観や好みが反映されるので、トンデモブラウさんは、科学色を前面に出した医療がお好みでしょうし、逆に科学色は最小限にして欲しいロハス系もいるだろうと思います。
だから、病気治療のための施設、死ぬための施設や過ごし方にも、いろいろあっていいと、私は考えます。

昔と違って、出産や死が病院や施設の中に囲われてしまい、医療も高度化細分化してしまったので、自分がどうしたいか、どのような治療を受けて、どのような治療は受けたくないのか、判断が難しくなってしまっている気がします。

情報はたくさん飛び交っていますが、実体験をしにくい。
医療従事者等で無い場合は、近親者の看護などを通して、体験していくしかないのでしょうか。
by cosi (2010-03-04 15:19) 

cosi

>理想的な医療現場が少ないなら、多くする努力をするべきであって、「インチキ」に逃げるのは間違った方向に進んでいるのではないのですか。
>「結果」よりも、「対話」と「気持ち」を重視すると、医療現場はいい方向に向かっていけるんですか?

私個人としては、「統合医療」とか言われていると思いますが、要は今までの医療に、代替医療を組み込むやり方がいいのではと思っています。

でも、双方の反発が強すぎると、うまくいかないんだろうと思います。

自分が患者の立場で考えると、通常医療も代替医療も両方できるような、その時その時で合う方法を、自分で選択できるような環境がいい。同時にやれるものもあるし。
by cosi (2010-03-04 21:39) 

トンデモブラウ

cosiさんの理論でいくと、ホメオパシーでなくてもいいんですよね。
インチキではない代替医療に何があるか知りませんが、インチキ代替医療が存在していなければ、それに頼ることもないわけですね。
で、深刻な外科治療が必要な重い外傷なんかでレメディを飲む人は、ほとんどいないでしょう。
対象となるのは、不定期愁訴やアトピーなどメンタルや環境に影響を受けるものと末期癌を含む治療法の見つかっていないものなんじゃないですか。
要するに、緊急性がないかどうしようもない場合だけですよね。
受け入れる側も提供する側も、何の事前打ち合わせもなく需要と供給が一致しているんですよ。
しかも、効果がなくても文句の出にくい状況だし。
これは、インチキ商売側の人間の欲が、疾病に弱っている人の心につけこんだ商売だからだと思います。
受け入れる側は「藁」にもすがりたいので、需要はいくらでもあったわけですけど。

市販されている薬品は、薬事法もあり厚生労働省の審査もあるので、用法さえきちんと守れば深刻な副作用になる確率は低いはずです。
医療と市販薬は別でしょうけど、現在の日本の長寿を考えると健康にマイナスの影響を及ぼしていると考えるのはちょっと無理がありますね。
それこそロハスを目指すなら、無人島にでも移住して短い人生を楽しめばいいんじゃないんですか?

統合医療にインチキを組み込むなんて、断固反対です。
医療現場はそんなに暇じゃないんじゃないのかな。
貴重な資源を無駄に浪費することには反対です。
インチキ代替医療を選択する自由を認めるということは、欺瞞商売の協力者になるってことですよ。
ロハスな自然嗜好者に周産期医療が圧迫されてるって話はよくニュースになりますけど、しわ寄せはロハス系な人の嫌いな現代医療にくるんですよね。
どれだけ社会に負担をかけているかをもっと知った方がいいですよ。
だいたいロハスなんて言ってるヤカラは、先進社会に住む裕福層でしょう。
贅沢な遊びで、迷惑な思想だと思いますけど。
ロハスは、何も持たずにアフリカや北朝鮮に行っちゃえばいいじゃん。
by トンデモブラウ (2010-03-04 23:19) 

Judgement

【トンデモブラウさん】

>なので、「心」に作用するものは、「現世利益」に含まれません。
 う~ん、「現世利益が有りますよ」がインチキだというのは分かるんだけどさ、「死んだら天国行けますよ」とか「神様が見守ってますよ」がなんでインチキでないのか、ってところがまだ分からん。
 私としては「インチキ宗教があるんじゃなくて、宗教なんてみんなインチキだ」と言い切っちゃったほうがスッキリするんだけどね。

 何で「インチキじゃない宗教」の存在を残したがるのだろう?
 まぁ、インチキ教徒(失礼!)のトンデモブラウさんとしては、おそらく、信じているのは神でも神の子でも教義でもなく、「信じている自分」を信じているのかなぁ、とも思うんだけど。

 でね、考えたんだけど、「現世利益」を語る宗教よりも、「世界」やら「人類」やらを語る宗教の方がやっかいな気がする(「終末」や「来世」を設定しているならさらに)。
 いや、キリスト教に限らず、一向宗やら何やら、歴史的にでかい殺戮やらやらかすのはそっちの方じゃないカナ?

 現世利益は個人レベルのかかわり合いで済むけど、「世界」をネタにするようなのは、集団レベルで社会に対しとんでもない事を起こしたりして、影響力と深刻さはそっちの方が強い気がする。

>想像して欲しいなぁ、なんて欲張り?
 うん、欲張り。まぁ、言いたい事は分かった。
 てか、それって「銀河鉄道の夜」の記事で言っていることじゃないか。

>要は、人間の想像力は凄くって、脳内で現実と想像の区別がつかなくなることもあるんじゃね
 いや、それは想像力の凄さじゃないと思う。むしろ、「貧困さ」だよ。
 「想像できないものがあるかも」という事を想像できないのだから。

>苦難(とその人が感じるもの)も「神」が与えたものなので、
>乗り越えられない人には与えられないんですよ。
 ここはちょっとだけ「なるほど」と思った。
 つまり、SとMの関係と同じ?(←不敬な!)

>ということは、乗り越えられるハズなんですよね、信仰があれば。
 んじゃ、乗り越えられなかったら即「不信心」の烙印押されるって事?

>理不尽な現実の棘が「心」に刺さるのを防いでくれてる感じでしょ。
 まぁ、それを「メリット」と感じる気持ちはわからないでもないけど、
 私にとってはそれは「現実逃避」だなぁ。

 イチャモンばかりだけど、「だからダメ」っては言わないよ。
 そういう設定があった方が色々楽に感じる人も多いのだろう。
 それは悪い事じゃないし、私だって楽したい。
 ただ、今のところ私にとっては「宗教」が与えてくれる”楽”よりも、「宗教」のめんどくささの方が大きく感じているから、個人的にはいらない。 
by Judgement (2010-03-04 23:36) 

Judgement

【cosiさん&関係者各位】
ここも手狭になってきたので、医療系のコメントの続きはこちらの記事のコメント欄にお引越しを
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2010-03-05

宗教系は(続けるなら)もうしばらくこのまま辛抱してクレ
by Judgement (2010-03-05 02:11) 

トンデモブラウ

>宗教なんてみんなインチキだ

でもOKなんですが、私が「インチキ」とするのは明確な嘘(=現世御利益)を含むもの。
精神世界では、「嘘」じゃなくなるでしょ、何でも「あり」だから。

なので、「宗教」が与えてくれる”楽”は、「現実逃避」じゃないんですよ。
「逆風の現実に向き合う」ための補助的な作用なので、むしろ”苦”なのかもしれない。
というより、”苦”を”楽”に変える、または”苦”を和らげるという感じかな。

なので、別に「宗教」にこだわらないけど、そっちの分野の総称が「宗教」だと思いますけど。
by トンデモブラウ (2010-03-05 08:25) 

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