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「弱者」について [言論]

 『「空気」と「世間」』の記事を書いた時に割愛した事を述べてみる。
 それは、「電車内での席ゆずり」の例え話。

【ある電車の中の出来事】

 席に、若者が足を投げ出して座っている。
 その目の前に杖をついた老人が立った。
 周りの人は「席をゆずれ」と心の中で批判する。
 老人も心の中では「席をゆずって欲しい」と思っている。
 しかし誰も何も言わない。
 周りの人の若者への批判の目がどんどんきつくなる。
 老人も心の中で「最近の若いものは」と思い始める。
 しかし誰も何も言わない。
 見かねた人のひとりが立ち上がり
 「おじいさん、こちらに座ってください」と声をかける。
 老人も「ありがとうございます」と言い、座る。
 そして、もの言いたげに若者を一瞥する。


【裏読み】 

 まぁ、よくありそうな風景だけど、私はこうも思う。
 「不道徳な」と言われる覚悟で言うけれどサ 
 
 誰かに何かをしてもらおうとする時は「お願いする」というのが普通ではないだろうか。
 しかし、老人も周囲の人も「お願いされなくてもするのが当然」と思っている。
 そして、その意識が若者を「悪者」と認定する。

 でも、もしかしたら席を立たない若者は
 過去に譲ろうとして「老人扱いしやがって」としこたま叱られ、恥をかいたのかもしれない。
 あるいは、実は「義足」なのかもしれない。

 そこまでレアケースでなくても「譲りたくても恥ずかしくてできない」というのもあるだろう。
 
 もし、老人が「席をゆずってくれませんか」と言えれば、事はすんなりいったかもしれない。
 しかし、それをしないことを棚に上げて
 「若者が座っている」というだけで勝手に”悪者”にされてしまう。 

 それが「対話」を要求しない「世間」や「空気」の優しさの裏側にある暴力だと私は思う。


【対話の必要性】 
 
 確かに、「言われないでも席をゆずる」のは美しい。
 でもだからと言って「言われないと席をゆずらない」のは”悪”というのは極端ではないだろうか。

 いや、何が”悪”か、という話をしたいわけじゃない。

 そこに「対話」があれば、もっと分かりやすくなるのに、と言いたいのね。

 「弱者救済」というけれど、その「弱者」が何を求めているのかってのは
 結局「対話」しないと分からないんじゃない?


【弱者というフレーズ】

 というか、正直「弱者」で何を指したいのかも実はよくわからない。

 「肉体的な弱者」であるかと思えば「階級的な弱者」のようでもありそうだし
 かと思うと「対話弱者」が出てきたり...。
 そんなら、ある意味「席をゆずらない若者」だって「察し弱者」かもしれないヨ。

 何だって「弱者」を持ち出せば、批判できる、正当化できる、ってもんじゃない。
 「弱者」というフレーズを自分のオールマイティカードみたいに使うのは、私キライ。
 
 そもそも、「弱者」でありさえすれば、何も要求されない、と言うのなら
 「弱者」こそ無敵の「強者」って事になるんじゃないの?

 「弱者」をネタにするな、とは言わないけど
 「弱者」というフレーズを相手にぶつける前に
 その「弱者」に自分は何をしたか、何をしたいのか、何をすべきと思うのか
 そういう話をまずして欲しいナ。
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コメント 3

naoko

誰からも「馬鹿、愚鈍、うすのろ」とさげずまれ、罵られ、あざ笑われ、自分より劣る人間などいないと感じて、いつも身をすくませ、小さくなって、モノも言わず、助けを求めることもなく、ひとりっぼっちで生きている人が、弱者なのだとわたしの伴侶は言います。
『そういう人を抱きしめたい』と。

わたしは、そういうことがわかる伴侶を抱きしめたい、と思うことがあります。



by naoko (2010-02-20 03:38) 

トンデモブラウ

もの言いたげに若者を一瞥するような老人は、「譲ってくれませんか。」と言うんじゃなかろうか。
批難されるべきは、その老人ですね。
個人的には、「空気」を読んで席を譲れる若者がいて欲しいと思いますけど。
席を譲るのも、譲ってもらうのも、どっちもちょっと恥ずかしいからね。
ぶっちゃけると、若者なら座んなよ、って言いたいところです。

で、個人的体験を暴露すると、高校時代に友人と一緒に座っていて、自分が席を譲ったためにその友人も席を立つはめになって、かなりそいつに文句言われた。
冷静に考えると、そこでずぶとく自分だけ座ってられないかもね。
ず~っと遠くまで帰るのに、ちょっと可哀想だった。

で、「弱者」は弱者でしょう。
相対的に何かが弱いんですよ。
でも要求されるから、弱者なんじゃないかな。(最強にはなれない。)
民主主義なんだから本来歩みの一番遅い人に合わせるべきなんじゃなかろうか、と思っているだけで、なるべく視線を底の方に落としていけば、相対的に「弱者」も減るだろう、と普通のことを述べてるだけなのに。
by トンデモブラウ (2010-02-20 10:16) 

(た)

対話のある社会を語る際に、あるいは自分の理想の社会を語る際に、弱者がいかなる意味であっても、それはまず一旦は忘れようという気になりました。
悩んでたんですが、ようやくふっきれた。

<対話>のある社会に賛成します。
そのほうが、能力のある人はよりはばたけるように思えるから。
空気やしがらみに捕捉されることなく、自由に高く飛べるから。

エントリーの趣旨とは違うコメントですが、許してね!
by (た) (2010-02-23 22:53) 

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