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私も「科学的に正しい」について、もっかい考えてみた [他ブログいっちょかみ]

 あけましておめでとう!
 新年一発目の今回に相応しく、ここでは初めて紹介するブログに関連する記事だ(と言ってもそのブログは以前からあるものだし、記事もちょっと前のものだけど)。
 それはハブハンさんの「あぶすとらくつ」。その『「科学的に正しい」について、もっかい考えてみた』に触発されて考えたことを書く。
 (記事内容に対する直接的な批判ではないので、ハブハンさんもご安心を)

 ハブハンさんは「科学的に正しい」という表現が成立している前提の上で考察を述べられているが、私は「科学的に正しい」という表現自体になんか違和感を感じるのだ。
 とはいえ、もしかすると過去に自分も「科学的に正しい」といった表現を使っていたかもしれないんだけど、私も“もっかい考えてみた”。

※ 今Googleで「科学的に正しい」を検索してみたら、同じような疑問を発している人がいた

 念のため言っておけば、このフレーズが「科学的だから正しい」という意味で使っているわけではない、という事は分かっているからね。

 おそらく、この表現を使っている人に説明を求めれば、「ちゃんと科学的に考えた場合そうなる、という意味だ」、という答えが返ってくるのだと思う。
 
 でも、そこで疑問。
 
 それを言うなら単純に「科学的である」でいいんじゃない?


【科学的であるなしと、正しいと間違い】

 例えば、『科学vs オカルト』の場においては、「科学的である・ない」という表現が使われてきた(と勝手に予想)。

 そこでの「科学的である・ない」という“判断”は、『科学』と『オカルト』を分けるための基準として機能するだけなんだね。
 んで、分類した上で比較し、「信頼性」という比較項目における「科学」の優位性を主張しておいて、「まぁ、それを信じるのも夢があっていいかもしれないけどさ」と否定も肯定もしない、というのが“大人の対応”だったと思う。

 んで、そういう場で、強いて「科学的に間違っている」とか「科学的に正しい」なんて表現を使う人は、そのコトバに「科学的でないから間違っている・正しい」という意味を含めていただろうし、そう捉えられても仕方ない状況であった。
 また、そのような事を言う人は“良識を気取る方々”に『科学絶対主義』のレッテルを貼られ、他の「科学支持者」にまで蔑まれたりしてきたわけだ。


【非『科学絶対主義者』における正しさ】
 
 しかし、今現在「科学的に正しい」を使っている人の多くは、おそらく自分は『科学絶対主義』ではない、と言うだろう(少なくとも表向きは)。
 じゃぁ、どういう意味で使っているかというと、例えばハブハンさんや、記事で引用されていたきくち先生とかは、「科学の枠組みに含まれるコト」、あるいは「科学の枠組みに含めていいコト」を「科学的に正しい」と言っているようなのだ(私の読解ではね)。

 で、それは再び言うけれど「科学的である」でいいんじゃないの?
 

 「科学的に正しい」という表現に何の疑問も持てない人のために、もう少し補足。
 「科学的」とは、それ自体が“科学的かどうか”という“判断”の結果を示している。そこにさらにあえて「正しい・間違い」という“判断”の表現を重ねて組み入れる必要があるのだろうか、という話。

 私としては、「科学的に正しい」とは”蛇足“を含んだ変な表現ではないかと考える。
 逆に問えば、何故「科学的か否か」の判断の他に「正しいか間違っているか」を付け加えなければいけないのだろうか。


【いくつかの仮説】
 
 なぜそういう表現を使っているかについては、実際の所は当人に聞くしかないわけだけど、私なりにいくつか仮説を立てたので書いておく。

《仮説1 なんとなく》
 一番ありがちなのは「なんとなく付けたくなった」とか「なんとなくそういう表現でいいと思った」というものだろう。
 であれば、わざわざ『科学絶対主義』と誤解されるリスクがある表現を使うのではなく、シンプルに「科学的である・でない」という表現に改めるようオススメする。

《仮説2 ニセ科学に対する舌足らずな表現とその対句》】
 本来であれば、ニセ科学について『(実際は科学的で無いのに)それを「科学的である」と言うのは“間違い”なんですよ』という事を言いたかったんだけど、それを色々省いちゃって「科学的に間違っている」と、ある意味「舌足らず」の表現を使ってしまい、それに対抗して実際の『科学』の説明をする際に、ニセ科学に対する「科学的に間違っている」という表現につられ、「科学的に正しい」を使うようになってしまったのではなかろうか。

《仮説3 建前に染み出す本音》
 「ニセ科学」を否定する本音としては、「実は科学的でない」コト以上に「科学に反するものは間違っているに決まっている」と思っている。
 しかし、一方で「科学的枠組み」に限界がある事は頭では理解しているし、科学を基準にして正誤を判断して「科学絶対主義」扱いされるのは嫌。
 「科学は正しい」という本音と「科学の枠組みに限界がある」という建前の葛藤の末に、科学の枠組みの中の話だよ、と建前を通しつつ、「正しい」という本音を滑り込ませているのではないだろうか。

《仮説4 知識との照合欲求》
 「科学は知識の積み重ねだ」という人がいる。
 それを全面的に否定はしないが、それを言う人の多くは、科学を方法論的に捉え、科学的か否かを自分で「考える」のを忌避し、他人が考えた「知識」との照合で済ませたい、という欲求が見え隠れするように感じる。
 また、そこには、「正解がある」とする事での安心感と、「正解を知っている」とする事による優越感も含まれているように思える(猜疑心の塊の私にはね)。
 まぁ、邪推はおいておいて、その手の人にとっての「科学」とは、『「科学」という科目のテストを受ける』ようなもので、出題者(科学)の意図に沿った答えを言い当てるのが「正解(=正しい)」という感覚があるため、思わず「科学的に“正しい”」と口をついてしまうのではないか。

《仮説5 責任転嫁》
 発話者がホントに言いたいのは「自分の主張は正しい」なんだけど、自信が無いから「いやね、私が言っているんじゃなくて、科学様がおっしゃっているんでゲスよ」という姑息な責任逃れをしようとする言い回しとしての「科学的に正しい」。


【最後に】

 「科学的に正しい」の短いワンフレーズで色々と妄想を膨らませてみたけれど、簡単にまとめておく。
 科学の枠組みの中の話をするのならば、シンプルに「科学的である」とか「科学的には」という表現で留めるべきであり、その表現で十分文脈は伝えられるはずだ。
(『科学絶対主義』的な主張を展開させたいなら別だけど)
 「科学的に正しい」の「正しい」は蛇足であり、蛇足ゆえに色々な憶測を喚起させる。  だから、「科学的に正しい」という表現は使わない方がいい、と言うより“使うべきではない”。

 ...というのが、私の結論。

 とはいえ、今まで「科学的に正しい」という表現を使ってきた奴は間違ってる、と言うつもりはなくて、仮に私の結論が正しいとしても、それこそ《仮説1 なんとなく》のレベルで使ってきたのであれば、以後改めればいいだけの話だと思う(それ以外の仮説に合致するなら、少々問題アリとは思うケド)。

 モチロン、私の結論が正しいとは限らない。
 だから、この話を聞いてもあえて「科学的に正しい」という表現を使うべきだ、使うのが適切だ、とお考えの人がいれば、ぜひその理由や動機を聞かせて欲しい。


 ...ただし、「表現の自由」を持ち出すのはナシの方向で。
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つきピエンテオス

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過去に40回分のお神籤を写メに記録しました。
なぜ写メに記録する事にしたか(動機)は、あまりに連続するからです。記録上は40回のうち16回が大吉で(6回連続、4回連続、2回連続*2、バラが2回)ですが(公称値は14%~ぐらいでしょうか)それ以前には8回連続がありました。
なお、震災後は19回連続大吉が出ませんでした。自分の運気はなにに通じてるんでしょう。

と書いたら「あり得ない」一辺倒の反応を喰らいました。まぁわかりますけどね。
「因果関係は認められません。」人知ではね。
常識的に考えてオカルトとされていても科学的に正しい事もあり。自分の「霊感」についてもまず物理学者にも推測がつかず理解はされませんでしたが科学なんてそんなもんだと思ってます。科学者は「知る」を記号で知ることだと捉えているし、科学は現象を単子で捉える学問だと思います。全体は無理です。
by つきピエンテオス (2012-06-07 04:01) 

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