So-net無料ブログ作成
検索選択

殺されそうなのは『科学』なのか [言論]

とある記事を読んで色々考えたのだけど
今回は(比較的)短くまとめて書いた。

そもそも『科学者』ってなんだろうと思った。
結局のところ別に試験を受けて取る資格ではないわけで
極端な話、「言ったもん勝ち」の称号ではないかと思う。
という事で、私は私で勝手に意味付けしてみたい。


【科学者そして...】

そもそも、『科学』とは何だろう?
それは、ざっくり言えば自然あるいは社会や人間から
「『客観的かつ再現性のある法則』に合理的に近づくための”方法”」
と私は捉えている。

そして、未知の領域に対し、『科学』という”方法”を駆使し
実際の自然あるいは社会や人間に接して、実験や調査により
新たな法則を発見することを営みとする者が『科学者』だと私は考える。

では例えば「自然科学分野の大学教授」は『科学者』だろうか。
モチロン、『科学者』はいる。
しかし、必ず『科学者』であるとも言えない。

おそらくは元々は皆「科学者」であったかもしれないけれど
その中には、得た専門知識を教える事に専従したり
シミュレーションという仮想空間に甘んじたりして
『科学者』としての営みから離れてしまった人もいるだろう。


モチロン、そのような人達の「専門知識」もまた有益であるわけで
そのような人達は、敬意を込めて『学者』と呼ぶ事にしよう。

とはいえ、一文字の違いであるけれど、方向性は異なる。
未知の領域がある場合
『科学者』は実験や調査で実証しないと不満だが
『学 者』は既知の知識で説明できると安心する

そして、おそらく
『科学者』であることは『学者』であることの十分条件であるが
『学者』であることは『科学者』であることの必要条件でしかない。

(ちなみに『専門家』は、『学者』のカテゴリに入るだろう)


【科学は殺されたのか】

あの原発事故から一年半、色んな人が色んな事を言った。
「あのコトは無かった事にしたい」と思う人も沢山いるでしょう。
中には、健忘症が酷いのか、既に「無かった事」にして、
他人のミスだけしれっと批判したりしている人もいるようだけどね。

その人達は『科学者』としてものを言っていたのか
それとも『学者』としてものを言っていたのか。

「御用学者」、「エア御用」
そんな言葉が生まれ浴びせられてきたのは
『科学者』だったのか、それとも『学者』だったのか。

おそらく、あの事故後でも「科学」の信頼はさほど揺らいでいない。
信頼が大きく揺らいだのは『学者』の方だ。
 
自分の”知識”を最高級品とし、
それで説明できた事で安心し、正当性を主張する。
そして、自分と同じ”知識”を持ち合わせない人を
一方的に哀れみ、蔑む。
 
そして『科学者』として何かをやったわけでもないのに
「科学的」という商標を自論に張りたがるのだ。

「御用学者」というコトバで殺されそうなのは
『科学』そのものではなく
そんな『科学者』のフリで、したり顔で話す『学者』だと思う。

 
【学者の営み】

『学者』にとっての”正しい知識”とは
”自分が知っている知識”である。
 
別の『学者』と論争になれば
「お前はあれを知らない(俺は知っている)」
の言い合いで、ゆずらない。

他人の知識ばかり使い、自分の責任で”証明”はしない。
同じ知識を尊重している者どうしで派閥を作り
外敵には徒党を組んで攻撃し
内部ではお互いほめそやし合う。

「そんなこと知っていたもんね」
「こんなことも知らないの?」
と言えれば、それで満足で

最後は「話し合う価値も無い」と決め付け
いつまでも主張の相違の相互決着をつけないで
でも、一般人に対しては
「自分の方が正しいんだからね」と耳打ちしようとする。

そのような気味の悪い『学者』特有の営みなのに
わざわざ正当化に「科学」を使おうとする
(しかも、当の本人には自覚が無いから始末に悪い)

そんな態度が一般人にも見破られつつあるから
(科学ではなく)『学者』が信用されなくなってきたのだ。

自分が殺されそうになったからって、
体よく『科学が殺される』と騒ぎ出すのは盗人猛々しい!!


【科学コミュニケーション

最近、科学コミュニケーション的なことが語られるコトが
ますます多くなってきたようだ。

自分のことを『科学者』と錯覚している『学者』は
自分を基準に科学を語ろうとするので、言い出すコトは決まっている

「科学とは”知識”だ」
そうやって、自分の得意分野に落とし込んで
イニシアティブを握ろうとする。
それがディスコミュニケーションを生んでいる事に気付かない。 


というか、『学者』である当人が
意見を異にする『学者』と上手くコミュニケートできてないくせに
「科学コミュニケーション」なんてできるわけがないんだけどね。


【最後に】

「震災と津波の多くの犠牲者」について
取って付けたような使い方がされていたのは
その惨状の一端に実際に触れた私にとって非常に不愉快。

「薄っぺらい社会派気分」は、せめて表に出すなと言いたい。
コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

コメント 6

トンデモブラウ

お久しぶりです。

自分のことを『科学者』と錯覚している『学者』は、自分を基準に科学を語ろうとするので、自分の得意分野に落とし込んでイニシアティブを握ろうとすることで、それがディスコミュニケーションを生んでいる。

というのであれば、学者どうしのコミュニケーションはできませんが、非学者に対してはその障壁は非学者にはないので、コミュニケーションは築けるのではないでしょうか。
それが『科学コミュニケーション』だと思うのですが、違いますか。
意見を異にする『学者』と上手くコミュニケートできなくても、我々に伝える技術は是非とも磨いて欲しいものです。

ただ、学者同士のコミュニケーションが不可だとすると、『科学コミュニケーション』の専門学者は深い科学の知識をその道の専門学者から得られないことになるので、どの科学分野を我々ど素人と会話してもらえるのか、という迷宮に入り込んでしまいますね。

振り出しに戻る、出口なし。

by トンデモブラウ (2012-09-17 22:05) 

cosi

Judgementさん、お久しぶりです。
トンデモブラウさんも。
お元気そうでなによりです。

>自分を基準に科学を語ろうとするので、自分の得意分野に落とし込んでイニシアティブを握ろうとする

「上から目線」ってやつですね。
そういう態度は、当事者の神経を逆撫でしますからね。

ニセ科学批判も、「自分」を認めてもらうのが、主な動機に見えますし。
自己顕示欲ってやつ。
「社会のため」だのなんだの言っているけど。
所詮、自分のためというのが透けて見えてるから、エア御用なんて称号を授かるのですよ。
御自分じゃ本気で「社会のため」と思ってそうですがね。
自分では自分のことがわかっていなくても、周囲のわかる人達にはバレバレなものです。

だから、Judgementさんの

>「薄っぺらい社会派気分」は、せめて表に出すなと言いたい。

に、賛成です。

まあでも、リンク先の記事読んだ印象では、一生、御自分に酔ったまま生きていかれるのだろうと思いました。
他人の意見に耳を傾けるタイプじゃなさそうだし。
本人はそれでいいでしょうが、信者の方々がちょっとお気の毒。
by cosi (2012-09-21 10:47) 

Judgement

ご無沙汰ご無沙汰
こんなに更新が少ないブログなのに、未だにチェックしてくれててありがとう。
ネットにすら全く繋がない日々が多く、返事遅くなってスマヌ

【トンデモブラウさん】

>というのであれば、学者どうしのコミュニケーションはできませんが、非学者に対しては
>その障壁は非学者にはないので、コミュニケーションは築けるのではないでしょうか。
>それが『科学コミュニケーション』だと思うのですが、違いますか。

私はむしろ「ある程度同じ土壌の人とすらコミュニケーション取れないヤツが、全く違う土壌の人とコミュニケーションを取れるはずがない」という感覚かな。

例えば、東北弁しか話せず、大阪の人とのコミュニケーションが上手く行かない人が、英語しか分からない外国人とコミュニケーションできるか、というカンジ。

ちょっとでも気に入らないところがあると、すぐ
「読む必要が無い」、「読む価値が無い」と上から目線で評価しようとする
本質は「駄々っ子」なだけの人間に、まともなコミュニケーションは期待できない。

今考えているのは、
>どの科学分野を我々ど素人と会話してもらえるのか
と言ったような、”していただく”態度よりも
むしろ、学者の幼児性をある程度笑ってすませてあげるような感じで
私たち素人が”させてあげる”ぐらいの広い気持ちを持ってやったほうが
意外と上手くいくような気がしているトコロ


【cosiさん】

>御自分じゃ本気で「社会のため」と思ってそうですがね。
>自分では自分のことがわかっていなくても、周囲のわかる人達にはバレバレなものです。

そうなのよ。
なんというか「自分が見られる」という事に対して無防備すぎる。
自分を省みずに色々偉そうな事をベラベラ喋って陶酔しているだけ。
身の程知らずの発言に白けたギャラリーは視界に入らない。
入ったとしても、「こいつらはバカだから分からないのだ」と思ってそう。

変な例えだけどさ
友達の鼻毛が出てたらどうする?
私はまず、自分の鼻毛が出てないかチェックしてから
指摘できる雰囲気ならば指摘するね。

でも彼は、見つけた瞬間嬉々として指摘しそう。
しかも、自分はボーボーに鼻毛出した状態で。

人の格好をアレコレ言うのは決して上品ではないけれど
例の記事のあの写真、ありゃ酷すぎでしょう。
顔の造形とかそういう先天的な部分は否定しないよ。
髪の手入れや服装という、いくらでも変えられる部分の問題ね。

社会適合者とは到底思えない姿を躊躇無くさらす『自意識』の有りよう。
しかも、その姿で社会を偉そうに語るんだから、ちゃんちゃらおかしいね。
by Judgement (2012-10-05 23:36) 

cosi

確かにあの髪型はすごいですね。
kikulog(現在消滅中)での、昔の写真はまだ良かったような。

外見的な変化は内面の変化をも現す、と思います。
菊池誠先生は、「昔とは変わってしまった」ということでしょう。
はっきり言えば、劣化してしまった。
そこが、ニセ科学批判の方々にとっては痛いところでしょうね。
ニセ科学批判の看板教授なだけに。
by cosi (2012-10-08 18:42) 

cosi

kikulogが十月十日に復活してましたね!
形を変えて。
以前私は、「電気クレクレ教の歪んだ教義」のコメント欄で、kikulogのあり方に、文句つけてました。
コメント欄が大きすぎるとか、内輪だけで盛り上がるなよとか・・・。
そういう意味では、以前からすると、コメント欄も含めて、ずいぶん声の小さいブログに変わったようです。
震災以来バッシング受けて、少しはマシなブログに変わったかな~(上から目線)。

こうやってみると、震災によって、いろんな物事や人物の「化けの皮」が剥がされた感があります。
by cosi (2012-10-15 18:58) 

cosi

すみません。
もう一回確認したら、全然以前と変わっていなかった。
流石に懲りない方のようで。
まあでも、信頼を回復するのは難しいでせうね。

by cosi (2012-10-15 19:05) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。