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用語を定めてみる [用語など]

 言葉を使うたびに意味を説明するのは面倒なので、私が使う用語の示すものは何か、あらかじめ定めておきたいと思います。
(定めておいて自分で忘れそうで怖いですが、そのような時は容赦なく突っ込みを)
 なお、ここでは長々と説明しますが、要点は次項でまとめます。まずそちらを見て、よく分からないところがあれば、こちらを参照するのがよろしいかと。

(1) 「現象」と「事実」
 『現象』とは、観察可能な状況を指し、『事実』とは「ある現象が観察された事」を示す事にしておきます。さらに、『客観的事実』とは、誰もが同様に観察でき得るレベルの記述で示されるものを示し、『主観的事実』は観察者の主観的判断が影響する記述を含むものを示す事にしましょう。

(2) 「理論」と「仮説」
 まず『理論』の大枠を定めます。これを、「定められた条件下で普遍な法則」であり、「現象の予測」が可能なものについて示す事とします。例えば、繰り返されない一回性のものをいちいち理論として知識に留め置いても意味がありません。

 『仮説』については、ひとまず『事実の仮説』と『理論の仮説』の2つに分けたいと思います。前者はいわゆる一回性の事実の有無についての物であり、後者はそれが繰り返される前提のものです。例えば、「昔は大陸は1つだった」というのは『事実の仮説』であり、「大陸の乗ったプレートは動いている」というのは『理論の仮説』になります。
 その上で、多分以後で『事実の仮説』について話す機会は殆どないと思いますので、便宜上ここでは『理論の仮説』を単に『仮説』と呼ぶ事にしたいと思います。

 さて、人間の限界性の問題により、どんなに正しいと考えられる理論も正確には「今のところ確からしい仮説」でしかないのですが、便宜上ここでは、確からしさが検証済みで、確からしいと判断されている仮説を『理論』と呼び、確からしさが未検証、あるいは検証して確からしいと判断されなかったものはそのまま『仮説』と呼ぶ事にします。

 なお、確からしさが検証済みで、確からしいと判断された『事実の仮説』は、先に出た『事実』と同じものと扱うのが妥当と考えられます。

(3) 「科学的」の構成概念
 さて、ようやく『科学的』の意味に手が届きましたが、個々人での認識の相違が予想される難しいテーマです。

 まずは、科学の2本柱、「客観性」と「再現性」について。
 『客観的』とは、主体によらず、観察・計測・比較の結果が同じになるようにする事。つまり、誰でも同じ物を、同じ状態で表す事ができる基準を設定する事を指す事にします。そして、そのような性質自体を『客観性』と呼ぶ事にします。
 『再現性』は、同じ条件を設定すれば、何度でも同じ状態が確認できる事を指す事にします。
 『実証』とは、再現性を実験や調査で明らかにする事を指す事にします。
 『反証可能性』とは、仮説が反証を受け入れられる構造である、という事を指すことにします。例えば、「AならばBである」という仮説であれば、「AなのにBでない」あるいは、「Bでないのに、Aである」といった反証が仮に存在した際には、Aは棄却できる構造である必要があります。そのためには、Aである事と、Aでない事の区別が明確であり、かつBである事と、Bでない事の区別が明確でなくてはいけません。
 
 さぁ、ようやく『科学的』にたどり着きました。でも、さらに慎重に2つの階層に分けて考えます。
 1つめは、科学的な仮説として妥当か、という段階のもの。
 2つめは、科学的な理論として妥当か、という段階のもの
 前者をクリアしたものを『科学的仮説』、後者をクリアしたものを『科学的理論』と呼ぶことにします。

 『科学的仮説』に必要なものとして、以下の3点を想定します
 ・ 仮説の構成概念が客観性を持つこと。
 ・ 仮説の構造が反証可能性を持つこと
 ・ 従来の客観的事実と矛盾しないこと(客観的事実が無い、も含む)。
 ※ なお、私は「従来の科学的な理論と矛盾しないこと」は含めません。

『科学的理論』に必要なものとして、以下の4点を想定します
 ・ 「科学的な仮説」が元であること
 ・ 客観的に実施し、判断できる実証方法が示されている事
 ・ 実証方法が、その仮説を確認するためのものとして論理的妥当性を持つ事
 ・ 実証により再現性が確認されている事

 最後に、総括的に『科学的』と言った場合何を指すか、についても定めておきましょう。
今までの用語の設定を踏まえ、「物事を客観的に把握し、かつその関係性を客観的な記述で示し、さらに論理的に妥当な方法で実証しようという営み」というのはどうでしょうか。

 さて、色々定めましたが、「個人的解釈」に留めず、「科学」を語るのに最低限共通していなければならない認識として言ったつもりです。
 ただし、これは必要条件であり、十分条件ではないと考えます。「現在まで科学と呼ばれてきたもの」を全てこの概念で規定できるかと言えば、そうとも言えません。また、全ての「疑似科学」と呼ばれる物が、これらの概念で「科学でないこと」を説明可能であるとも言えません。
 しかし、科学史全てを俯瞰して、全てが矛盾無きよう説明する、といった面倒な事は科学哲学者に任せる事にして、私としては、定めた、あくまで、ここではこのレベルで扱いますよ、といった認識でお願いします。

 その上で、「科学を語る上で必要でない規定」、「科学を語る上で間違っている規定」が含まれておりましたら、理由を添えてお教えください。建設的な意見があれば、積極的に取り入れて変えていきたいと思います。
 また、別にそういう問題は特に見あたらないうちは、このブログ上でのエントリーで使われる用語の意味は説明した通りにお受け取りください。

また、もしコメントを残していただける方がいらっしゃいましたら、お手数かとは存じますが、混乱を避けるため、ここで意味付けした用語と同じ言葉を違う意味でお使いになる場合、その意味を示していただけるようお願い申し上げます。


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