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Judgementの立ち位置 [ここに来た皆さんへ]

 ここ最近、他の論者の論法を否定するかのような偉そうな文章を垂れ流していましたが、最終的な着地点は、私の立ち位置を明確にする事でした。
 で、そろそろ本題に...と思っていたんですが、poohさんや亀@渋研X さんが、「自分の立ち位置論」みたいなのについて、先に言及してたりして...。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-05-16
http://shibuken.seesaa.net/article/97268929.html
 愛読先に紹介されるのは嬉しい反面、「先を越されて悔しい感」も大きいので、大胆にもTrackBackを送っておきます。へへへ


【説明に必要なこと】

 人に説明する文章を考えると言う事は(それが達成されているかは置いておいてもらって)、自分が意識していなかった事も明らかにしなくてはならない場合が多く、言葉として整理して初めて「あれ、これおかしいな(間違いでは)」とか「あれ、なんでこう思ったんだ(根拠が無いのでは)」という事に気付く事があります。

 この際に『結論は合っているはずだから、まぁいいや』とするか、『結論の方が間違っているのでは』と疑うか、で説明の説得力もまるで変わってくると思うのですね。

 自分にすら説明できないのに、相手に説明できるはずがないわけです。
 そこで自分が『まぁいいや』となってしまうと、相手に対しても『まぁいいから』と自分の結論を押し付けるだけで、納得させる事はできないと思います。


【自分の立ち位置】

 『科学の立場』なんて大上段に構えてしまうと、『科学の方が正しい』という結論が固定されてしまい、自分の思考が袋小路に陥った時『まぁいいや』となってしまう。

 でも....
 “結論は『科学の方が正しい』で、間違う危険は少ないけども、説明は満足にできない”
 ような主張よりも
 “結論は『科学の方が正しくない』で、間違いの可能性大だけど、自分で全て説明できる”
 という主張の方が私には魅力的です。

 誰もが言うような結論を、誰もが言える範囲で言うだけだったら、何もわざわざ自分の足りない頭を捻る必要は無いと考えてしまうから。

 何が言いたいかというと、私の立ち位置は決して「正統科学」ではないんですね。

 言うなれば『自分世界』が立ち位置。
 そしてやっている事は、あくまで『自分世界』から見た「疑似科学」批判なんです。


【何故説明が必要か】

 『自分世界』とは、自分が認識あるいは思考できる範囲で構築された世界の事で、自分に分からない事は世界外に保留された状態。
 『自分世界』には「正統科学」の一部も取り入れられているかもしれませんが、全てではありません(疑似科学が科学なのかというテーマを思考できる程度は取り入れているつもりですが)。

 『自分世界』という言葉は、「自分は自分、人は人」と個人主義的な響きを感じさせてしまいますが、そうではありません。
 最終的に目指すのは全員一致の『客観世界』だけど、それを目指すためには、自分が『客観世界』と考えているものが、自分独自の『世界』かもしれない事を認識し、見直したり説明したりしなければならないよ、という戒めの意味合いを持たせるためです。

 で、『自分世界』の特定の箇所について、同じ部分の有る『自分世界』を持っている人に「ああ、私の『自分世界』のここの事を言っているんだ」と気付かせたり、持っていない人にはその人の『自分世界』の中に同じ物を構築できるように工夫するのが“説明”だと考えます。
 また、自分の『自分世界』の特定の箇所とは相反する物を持っている方がいれば、両世界の共通言語として“論理”を使用し、どちらか妥当か検討するのが『議論』だと位置づけています。

 こうして、両者の『自分世界』を摺り合わせて、より高次な『客観世界』を構築するのが、説明やそれに伴う『議論』の目的だと考えています。

 いらぬ『議論』をなくすためにも、常に『自分世界』を見つめ直し、論理の網を細かくしておかなければならないし、『議論』に耐えない程度の論理しか作れないものは、一旦『自分世界』の外に放逐しておくという思い切りも必要なんですね。


【主張の一貫性】

 人は、ある人の主張に一貫性を求めたがります。
 
 ある時は肯定なのに、ある時は否定にまわる、そんな人は周りから胡散臭い目で見られがちですし、何があろうとも同じ事を言い続ける人は、信用される事が多いでしょう。

 しかし、現実の問題として、自分の『自分世界』が成長する過程では「結論」が反転してしまう事もあり得ます。
 その時は、「自分の立ち位置」でも述べましたが、反転した結論の方を支持したい。

 確かに、考え無しにコロコロ意見を変えるのは不誠実ですが、
「あの時は、こうだったが、最近これこれの事はこれこれの理由で説明できると判明した。その結果、前の結論よりも今の結論の方が適切だと私は考えるに至った」
 と説明できるならば、その結論の反転はむしろ誠実さを示すと思う。

 しかし、中には「主張を一貫させる」事こそが自分の正しさを示す方略だ、と信じて疑わない人もいる。

 そんな人は、『自分世界』の変容により「結論」が反転してしまうのであれば、『自分世界』の変容の方を拒絶してしまいます。
 それは、自分の『自分世界』の殻を厚くし、『客観世界』から乖離する事に他なりません。そんな人の『自分世界』に巻き込まれると、自分の属する『客観世界』で大けがする危険があります。


 「自分で十分説明できなくても結論だけは頑なに変えない」という“主張”の一貫性よりも、
 「自分で説明できる範囲で結論を導く」という“方略”の一貫性の方が、
 「より正しい結論を求める」人にとっては適していると考えます。


【まとめ】

 本当に私がやりたい事は「疑似科学批判」そのものではなく、それを理由に行なう『自分世界』の暴露なのかもしれません。

 全ては『自分世界』をより『客観世界』に近づけるためであり、「疑似科学」は思考実験の題材に過ぎない、というのが本音ですね(ある意味利己的)。

 自分が『客観世界』の中を上手く渡る、あるいは好ましい他者にも『客観世界』の中を上手く渡れるよう助けたいと望むのであれば、『自分世界』と『客観世界』ができるだけ一致している事が好ましい。
 でも、『客観世界』というのは確かに存在するはずだけど、主観の生き物たる人間には直接見る事はできない。

 そんな状況で『客観世界』に近づく最も着実な方法は、自分の『自分世界』と他人の『自分世界』と摺り合わせる事だと思います。
 そして、そのためには、互いの『自分世界』を“説明”で暴露し、相違点を「論理」で“議論”する必要がある、と考えます。


 『自分世界』を暴露する、という事は『自分世界』を批判されるという“リスク”を負います。
 でも、本当にリスクなのかといえば、よくよく考えると、『自分世界』をより『客観世界』に近づける“チャンス”なんですね。


 そう言う意味で、私は私の『自分世界』に対する批判にすごく期待しています。
 
 だからこそ、より私を批判しやすい立場の人(私と意見を異にする人)に対し、なだめたり、すかしたり、攻撃したり、小馬鹿にしたり、あの手この手で挑発したりするのです。

 ただ、“批判”に期待している分、返ってくるのが『依存主張』とか、その他今までこのブログであげつらったような“中身の薄っぺらな主張”だと、非常にイラっときてしまうんですね。


 このブログでの内容の大半は、そんなイライラする人達に対する怒りでできています。
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コメント 8

pooh

トラックバックいただきました。

いや、「立ち位置」論のようなことを書くのは本当は自分ではどうか、とか思ってたりするんですが、その辺りを都度自分で再認識して、リファインしていかないと、以降の論を進められない、みたいな状態が個人的には生じたりするんですね。
自分に立ち返って、いま自分がなにをしているか、を確認しないと、自分が暴走しているのかどうか認識できなくて。で、それを公開しておけば、おかしなことを論じているときにきっとだれかが指摘してくれるのではないか、みたいな甘え根性もけっこうあります。
by pooh (2008-05-21 08:02) 

Judgement

自分でトラックバック張っといて、お返事遅れてすいません。
勝手ながらpoohさんの立ち位置のお話の内容に共感しています。

私の場合、「再認識」というよりも、認識しようと努力しないと認識するのをすっかり忘れて迷走しそうな気がしまして。
進む方向性よりも、進むべきで無い方向性を見つけておかなくてはいけませんね。

あと、こう言う事を言っておく事で、『科学至上主義者』云々の話は他人事にしてしまえますし。
by Judgement (2008-05-22 23:11) 

亀@渋研X

こんばんは。反応が遅くてすいません。
どう反応していいかわからなくて<こういうことが多いんです<単にどんくさいだけですが(汗

>本当に私がやりたい事は「疑似科学批判」そのものではなく

そういう方は、実はあまり少なくはないのだろうなあ、と(なんとなく)想像しています。というのは、何人もの方が「本当は疑似科学を素朴なネタとして楽しみたい」「だけど、とても無邪気に楽しんでいられる状況ではない」というようなことを折に触れておっしゃっているような気がするからで(真剣なビリーバーからすれば「楽しみたい」なんて、失礼な話なのかもしれませんけれども)。
少なくとも、ぼくや菊池くんは長いこと、疑似科学やオカルトを笑い話やねじれた想像力のおもしろさとして楽しんで来たんですよね。世間ではまともな人は相手にしないものだったからこそ、そういう態度で接することができたのだと思います。
「本当にしたいこと」がなんなのかは、また人それぞれなのだろうとは思いますが。
by 亀@渋研X (2008-05-28 02:03) 

Judgement

いえいえ、勝手なトラックバックですから...
でも書き込みありがとうございます。

” 『自分世界』の暴露”なんてもっともらしいことを言ってはいますが、それは自分が「対 疑似科学」において『やりたい事』であり、疑似科学やオカルトを自分の興味の対象とする事に関しては、もっと違う意味づけがあります。
私も、ある意味、疑似科学やオカルトのねじれっぷりを楽しみにしています。
と同時に、「どのように何がおかしいのか」を自分の足りない頭で一生懸命考えるのが、パズルを解くようで楽しいです。
by Judgement (2008-05-28 23:39) 

mohariza

初めて、投稿します。

私は、poohさんの投稿でも記したように(http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-03-24)、
<「幹の部分」=「絶対的なもの」は、<「3次元世界の人間にとっては、高次の世界は、「全て謎」>と思っていますので、いつも、見出したと思ったとしても、「根源」(=高次の世界の定義?)までは到達しないと思ってい>る人間です。
<『客観世界』というのは確かに存在するはずだけど、主観の生き物たる人間には直接見る事はできない。>と云われる主張と、一致している部分があると思います。

<『客観世界』に近づく最も着実な方法は、自分の『自分世界』と他人の『自分世界』と摺り合わせる事>との事。
なるほど、と思いました。
『自分世界』から、なかなか、飛躍出来ないのが、人間の「性(さが)」のような気がしますが、『自分世界』に閉じこもっていては、自分を見失うこともあり、また、『客観世界』に近づくことも出来ないと思っています。

私も、自分のブログで、記したい(思っている)ことをそのまま投稿し、<『自分世界』を暴露する>手法を取り、批判を受けるのを覚悟しています。
(今の所、批判記事は、poohさんが自分のブログで引用したものぐらいですが…。)

<そのためには、互いの『自分世界』を“説明”で暴露し、相違点を「論理」で“議論”する>との事。
poohさん達で、お互いにやられているようですが、お互いを高めるには、<相違点を「論理」で“議論”する>しか無いとは思いますが、他のブログを見ていると、真意が伝わらず、議論が噛み合わないのを見かけます。
やはり、“議論”する為には、お互いの"信頼関係”が大事なような気がします…。
(その為には、“議論”するしか、無いのでしょうか…?)
by mohariza (2008-05-31 13:30) 

Judgement

初めまして~

えっと、最初の部分に関しては、ちょっとニュアンスの違いがあるような気がします。

私は現実としての問題(人間は現実世界を主観でしか観察できない)
moharizaさんは「高次の世界」という”誰も評価できない仮定”上での問題
後者は、『初めからムリ』というニュアンスが漂いますが
前者の私は、「難しいけど、そこにあるのは確からしいから何とかできないか」という感じです。

で、議論と信頼関係の話については、次のように考えます。

単なる”『自分世界』の記述”と、議論のための”『自分世界』の説明”は
求められているものが違います。
・『自分世界』でスジが通っている事を述べるのが前者
・他人の『自分世界』でスジを通そうと述べるのが後者
で、ブログでは基本的に前者で十分だと思いますが
それを”議論”に発展させるには後者のスタンスが必要となります。
その切り替えを互いにキチンとする事が”信頼関係”かもしれませんね。

あと、前者と後者の決定的な違いは
「誰も分らない事」に対し、前者は自分なりの判断を下す事ができるのに対し、後者は「誰も分らない事」は勝手に判断を下してはいけない、という事です。

大抵の『水掛け論』は、片方あるいは双方が、「誰も分らない事」に対する自分の判断を主張し続けるという事が原因です。

もちろん、この世は「分らない事だらけ」だけど、僅少な「分る事」を効果的に使って話を進める事が、議論における『客観世界』を構築する確実な道だと考えます。

”議論”を大切にする=『水掛け論』にしない
ために、どの程度の事をどの程度まで言えるのか(言わないべきか)がちゃんと判断できているのか、というのもひとつの『信頼度』のバロメータとなると考えています。

...などと偉そうな事を述べましたが、
今後もご愛読の程よろしくお願いします~
by Judgement (2008-06-02 00:11) 

apj_yamagata

ニセ科学批判と超常信念と批判的思考 - alice-2008の日記
http://d.hatena.ne.jp/alice-2008/20080621/1214012442
by apj_yamagata (2008-06-22 12:33) 

Judgement


本物のapjさんではないんでしょうね。きっと例のアノ方でしょう
こういうアレな人のアレな思考・行動形式も興味深いので
とりあえず放置
by Judgement (2008-07-15 23:20) 

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