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ABOFAN氏がしたこと、したかった事 [kikulog「血液型と性格」関係]

ある取調室に連れてこられたあなた。目の前の刑事がこう言う
「X月X日、A町で殺人事件があった事は認めるよな。」
(...へ?認めるってどういう事???)
「もしそれを認めたら、自動的にお前が犯人になるんだからな」
(...なんで!?)
さて、あなたはそれを認める事ができるでしょうか。

『け、刑事さん、言っている意味が理解できないんですが』
「何を言っているんだ、現に刃物で背中を刺されて死んでいる人がいたんだ!
 殺しが有った事は認めざるを得ないはずだ!!」
『いや、その、なんでそれを認めると私が犯人に?』
「君は知らないかもしれないが、それが取調べの定説なんだよ」
『な、なんでそうなるんですか、おかしいですよ』
「どうせ素人のお前には分からんのだ!詳しく説明する暇なんて無い!」
『無茶苦茶ですよ、あんた捜査の基本も分かってないんじゃないの?』
「俺の質問と関係ない事言われても答える事はできん!まず答えろ!」
『めちゃくちゃ関係有るじゃないですか!先に理由を答えてくださいよ』
「...(無視)さぁ、いいかげん答えろ!!」
『...(呆然)』
「答えられないのは、何かやましいことがある証拠じゃないのかぁ?」
『あの、刑事さん...そもそもなんでそんな事聞くのですか?』
「俺はただ、お前が殺人事件を認めるか、質問をスルーし続けるか確かめているだけだ。」
『確かめてどうするんですか?』
「殺人事件を認めれば、”犯人である事を認めた”と報告するし
 スルーし続ければ、”犯人であるため答えをはぐらかす”と報告するだけだ」
『じゃ、じゃぁ、認めなければ?』
「実際に有った事件を認めないなら、何も判断できないバカか嘘つきでしたと報告する」
『け、刑事さん、いつもそんなやり方でやっているんですか』
「ああそうだ。この手で何人も取り調べしてきたが、皆沈黙するんだよな
 そいつらは皆俺の報告書で犯人扱いしてやったがな」
『(た...助けて...この人既知外だよぉ...)』


【何も理解できないからからこそデータの有意差にこだわる】

例えば卒論を口頭で説明する時、いきなり
『○○のデータに有意差がありました』と言う人がいるでしょうか?

そんな事言ったら、おそらくこう聞かれるでしょう
「それで?」
『いや、だからXはYと関係あると...』

そしたら、こう聞かれるでしょう
「なんで?」
『あの、様々な先行研究を考慮して考えた仮説の上では、XとYが関係あるとすれば
 ○○のデータに差が見られるはずと予測しましたので』

そしたら、こう言われるでしょう
「それを最初に述べるべきではないかね?
 それともデータから有意差を見つける事が科学的研究だとでも勘違いしているのかい?
 だとすれば、もう一度大学に入るところからやり直さなくてはいけないね。
 ...まぁいい、とりあえずその仮説とやらと、その予測の妥当性について説明したまえ」

 科学と言う文脈で論文に対して他者が評価すべきは、
 『仮説→仮説の検証方法→検証結果からの結論』という一連の流れの各々の妥当性であり
 その上で「結論が妥当であるか」を認めたり認めなかったりするのです。

 その流れからごく一部だけをすっかり切り離して
 『○○のデータに有意差があった』という事を「認める」だ、「認めない」だ言うのは
 単に「計算方法が正しいか」という低レベルな話でしかありません。

 ABOFAN氏がしきりに使う「科学的な議論」なんて、しょせんその程度です。
 で、その程度という事は、論文理解能力の低さを十分示唆するわけで
 そんな人がいくら「論文を読んでいる」と言い張っても、「文字列を眺めた」以上の意味を見出すことはできません。


【『坂元データの有意差教』の原点】

 坂元論文を持ち出すのであれば
  1 大学生は明確な血液型ステレオタイプを有する。
  2 血液型ステレオタイプと自己報告の弱い相関がある。
  3 血液型ステレオタイプの自己成就現象が推測される
 等の坂元氏の結論を認める(支持する)か、あるいは論文の不備を突いて坂元氏の結論を認めない(支持しない)か主張すればよい。
 こういったテーマであれば、他者と討議しても十分建設的でしょう。

 しかし、ABOFAN氏は『データの有意差』という、かなり視野狭窄的で見当はずれの場所に土俵を作ろうと必死でした。
 何故、ABOFAN氏は、血液型に対する情熱はすごいはずなのに、このような”愚者の振る舞い”をするのか?

 第一に、彼は論文を読んでも「データ解析」の部分しか理解できなかった、という根本的な原因が挙げれるでしょう。
「血液型と性格2」で何度か指摘していますがABOFAN氏は、この論文の文脈における『血液型ステレオタイプ』の意味も、『自己成就現象』の意味も良く分かっていません。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1191758412#CID1193320593
 核となる言葉の意味が分からないのであれば、当然坂元論文の結論を認めていいか悪いか判断できるはずがありません。

 第二に、結論の判断はできないくせに、『血液型ステレオタイプ』といった、よく血液型性格関連説批判に用いられる事を支持する結論は”認めたくない”という個人的感情もあると予測されます。

 これが、『坂元結論』をすっ飛ばし、『坂元データ』の部分のみの狭い視点で話そうとする理由と考えられます。

 そう、単に『個人的な能力の限界』と『個人的な忌避感情』が理由なんです。

「そんなら、はじめから坂元論文を持ち出す事は無いのに」
 と思う人もいるかもしれないし、私もそう思う。


【『坂元データの有意差教』を何故信仰するか】

 きっと、結果として自分の能力不足をさらけ出してしまってでも(本人は自覚無いかもしれないが)
 『坂元データ』はABOFAN氏にとって魅力的だったのだ。

 彼自身はこのデータに2つの価値を見出したのでしょう。

〔1 自説が正しい証拠にしたい〕
 彼には、『性格の調査をして有意差が見られたら関係が証明できる』
 という、幼稚で単純な考えが、何故か「心理学の定説」だと信じて疑わないようです。
(...なんていうと、きっと長谷川芳典さんの発言を持ち出して「だって現に心理学者がこう言っているじゃないか」と言うかもしれないけど、そもそもその発言をキチンと理解できず、勝手に解釈してしまったからこそ、おかしな事を「心理学の定説」と勘違いしているんですね)
 だからこそ、その前後に何が書かれているか関係無い事にしてしまって、「ランダムサンプリングのデータに有意差が認められた」という部分”だけ”を切り出して使いたくて仕方がないのです。
 そして、「血液型性格関連説は正しかった」と言いたいのです。

〔2 心理学者がおかしい証拠にしたい〕
 彼の中にはどうやら「心理学者は間違っている」と言いたい欲求があるようです。
 そんな中で、JNNのデータを使用して「有意差が見られない」という松井論文と、同じくJNNのデータを使用して「有意差が見られない」という坂元論文の存在は矛盾に思え、「心理学者の統計はあてにならない」事の証左であると早とちりしてしまったのでしょう。
 それを主張する事で、今まで血液型性格関連説批判に用いられてきた心理学者による反証を無効化できると考えたわけです。
  そして、「血液型性格関連説は間違ってなかった」と言いたいのです。


【『坂元データの有意差教』のおかしさ】

 〔1〕は、単に心理学や、さらには科学や統計の自分の理解不足による『誤解』によるものです。
 彼は『自分は心理学者が「関係ある」と認めてもらえる手法なりデータを用いているだけだ』といった事を言いますが、その実、全然そんな方法は用いていない。
 でも、それを指摘されると、「でも心理学者はこうしてる、こう言っているから、正しい”はずだ”」の一点張りです。
 科学や統計をよく理解していないからこそ、ミスリードした解釈をしてしまっているのですが、それを指摘しても、まともな反論も上げず、同じ事を繰り返し言うだけ。
 『自分がそう解釈できた』で思考は止まるんですね
 『自分の解釈は間違っていないのか』を考えもしてないから、ろくに説明もできないくせに、間違いを直せないのです。

 〔2〕についても同じような事です。
 論文をきちんと読める人なら松井論文と坂元論文でやっている事の違いが分かる。
 でも、きちんと読めないからこそ「どっちもJNNのデータを使っているところは同じ」といったかなり狭い視野の、しかも低レベルな理解しかできない。
 しかし、『自分がそう解釈できた』で思考は止まっているから、それが「浅はか」とか「意味がない」と自覚できないし、いつまでたっても「他人が理解できる説明」ができないんです。


【『坂元データの有意差教』は極めて個人的な教義】

 人の論文の本来理解すべきところを理解せず、自分が都合がいい所だけつまんで、都合のいいように解釈する事は、端から見れば「思慮の浅さの甚だしさ」を示すだけだか、その思慮の浅い張本人はご満悦かもしれない。
 『自分が満足したいから勝手に言っている』
 なら、別にかまわない。言論の自由だし、どうせ、バカにされてもどこ吹く風なんだから。

 しかし、それに答えるようしつこく要求し
 他の思慮深い人たちに無理矢理付き合わせようとするのは何故か?
 説明も無しに、同調させようと強要するのは何故か?
 自分の欲しい答え以外は無視するのは何故か?
 曲解に曲解を重ね「Aさんは自分と同じ意見だ」などと言ったりするのは何故か?

 きっと、誰かに保障してもらわないと不安なのだろう。
 自分が何も考えられないから、“誰か”に頼らざるを得ない。
 不安ならば自分で一生懸命考えればいいのに、それを放棄し
 どこかにいる「何も言わなくても自分を理解し、許容してくれる人」を探しているだけだ。

 そして、そんな奇特な人が見つからず、いたたまれなくなると
 関係ない事に食って掛かり、その場を逃げ出し、自分の家で
 「あの葡萄はすっぱいから取らなかったんだ」
 と虚勢を張るのでしょう。


 『坂元データの有意差教』の本質は
 “他人任せの自分探し”だったのではないでしょうか
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コメント 3

ask

仮説:
ABOFAN氏は、幼少のみぎり、結構成績が良かったので、「前途有為な子供」と褒められていた。
「ユーイ」という音が本人のレゾンデートルの中核に刷り込まれた。
これの無意識な効果が「統計的に有意」という言葉への執着につながった。
(〈この世は駄洒落で成立している〉論者より)
by ask (2008-06-06 23:53) 

zorori

狂った刑事の喩は秀逸ですね。
kikulogのコメントは膨大なので、第三者がざっと見ただけでは、なぜ容疑者が答えないのかと疑問に思う人もいるかもしれません。なので、こういう簡潔なまとめは有意義だと思います。

実際に殺人事件があったことを認めて犯人にされかかった方もいるわけですね。私自身は「犯人ではないという条件付きで殺人事件があったことを認める」と言いました。すると、「なぜ、犯人ではないということに拘るのか」と言われちゃいました。
by zorori (2008-06-07 07:48) 

Judgement

>askさん
山田クン、ざぶとん全部持ってって~

>zorori さん
ああ、そんなやり方もしてましたよね。
自分の思惑外の返答は”不正な返答”と考えているんでしょう。
その”自分の思惑”とやら自体が不正なんだけどね。
by Judgement (2008-06-08 22:33) 

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