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補足と『せいかくしんりがく』 [ABOFAN問答集]

 前回『性格の認知』という言葉を使ったので、ミスリードされてしまったかもしれませんのでその補足と、ABOFANクンの『本当の性格幽霊説』等に軽くつっこんでおきます。

 皆さんの中には、意識の奥底に『性格』というものが存在していて、それが行動とか思考を制御しており、自分や他者は行動や思考に表出するその『性格』の影から、本質を構成する『性格』を推測する、というイメージをお持ちの方もいると思います。
 『自分探し』とか『本当の性格』なんて考え方は、まさに「未だ行動や思考に表出していないけど実は奥底に有る『性格』」という前提でのものでしょう。

 しかし、私の考え、というか心理学的には『性格:個人を特徴づける持続的で一貫した行動様式[心理学辞典 CD-ROM版 (C)1999 株式会社 有斐閣]』なんですね。

 一貫させているのが『性格』ではなく、一貫しているものを『性格』と呼ぶのです。

 いわば『性格』とは”反応の要約”の試みなんですね。
 
 例えば、データ群があって、それらの様態を端的に表現する代表値である平均値や中央値を求めるようなもの。
 あるデータ群の平均値を求める場合、“正しい”平均値を求めるには、全てのデータを知る必要がありますよね。で、幾つかデータを見落とせば、その分平均値は「本来もとまるはずの平均値」からずれてしまうわけです。
 
 同様に、ある人の『正しい性格』を求めるには、本当はそのある人の該当する反応全てを知る必要がある、と考えてみましょう。

 自分自身では思考の段階の反応はある程度把握できるけども、表出した行動という反応は結構見落としがちですし、他者は他者で、表出した行動はある程度把握できるかもしれないけど労力がかかるし、思考段階の反応はまず観測できません。で、データの欠損が多くなればなるほど、『正しい性格(=実際に生じている反応傾向)』からずれてしまう、というわけです。
 しかし、『本来対象とすべき反応は全て実際に起こった事』です。
 実体のわからない幽霊みたいなものではありません。単に、観測の限界があるだけです。
  
 むろん、これは「心理学的な見方」のひとつでしかなく、「内在的な存在」を仮定している学者さんもいます。
 でも、そんな様々な見方を無視して『現時点で「本当の性格」は幽霊と同じです。』なんて言い切ってしまうのは、どれだけ浅い心理学の理解で物を言っているのか、という感じ。


【ABOFANクンの主張で分かったところ】

 とりあえずABOFANクンの主張をまとめようと思って、問答集を作ってみたけれども、それでもそっから先が正直まとまらない(これで「理解」するのは正直、至難の業)。もう少し時間がかかりそう。

 ただ、一点わかった事。

 ABOFANクンは、「科学的には『本当の性格』は『幽霊』みたいなものだ」と言う一方で、「確かに(血液型は)性格に影響を与えている」と感じ、でも「その影響が言葉で正確に表せるわけではない」もので、さらに「文章化すれば必ず矛盾する」けども、実際に人間を観察すれば「なんとなくわかってきます」と述べていますよね。

 つまり、ABOFANクンの「血液型と性格の関係」とは、幽霊を心で見て、(矛盾を含む)言葉にできないニュアンスを感じる事により「霊障」を語るのと同じなんですね、わかります。
 疑似科学というよりもオカルト、って事なのでしょう。
 う~ん、スピリチュアル。


【オマケ】

ABOFANクンの知る「せいかくしんりがく」では
1 性格心理学では性格は言葉で表せるというのが前提
2 状況に対して固定的なものであるというのが前提
3 本人の自己評定は正しいというのが前提
4 性格心理学では「自己評定」を性格と見なしている
5 質問紙法による性格検査と行動の一致を調べて、相関が0.8ぐらいというのがウリ
6 質問紙法による性格検査を使うということは、質問紙法による結果の『血液型と自己評定による性格の相関』を『自己評定による性格と本来の性格の相関』と見なすのが大前提。

...だそうだ
えっと....

1→そんな前提あった?
2→「通状況的」と言う意味なら既に否定されてます(参照:性格心理学概論?
3→「自己評定だから現実の行動と必ずしも一致しない。性格テストなんてそんなもんだ」と教わりましたよ。
4→「みなす」の意味がわかりまへん。質問紙では「性格」を推測するのに「自己評定」を使用しているだけ。
5→正直、そんなウリがあるとは知らなんだ(少なくともYGではそんな相関調べられてないのでは)。
6→それは「大前提」ではなく、そういうロジックを組み立てられる実験かが問題なんですよね。

 なんというか、論文見てもロジックや、その背景に有る理論のロジックを理解しようとしないで「データ」しか見ないから、「こうやっているのは、きっとそれが前提だからだ」と短絡的にしかとらえられないのでしょうか。
 データと、部分的な知識と、勝手な解釈で「性格心理学と同じ」を大見得切られてもねぇ。
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コメント 4

zorori

「操作的定義」という言葉を思い出しました。「性格は反応の要約」ということですが、もっと単純な対象を扱う学問でもそうではないかと思います。「性格」と力学の「質量」のアナロジーを考えてみました。

動き回ると正確な体重が測定できないというのは、体重計が直接「体重」を計っていないからですね。「体重」とは地球と体の間に作用している遠隔力の「引力」ですが、地球と体が接触している部分の「力」で代用しています。この「力」は静止した状態では「引力」と同じ量と見なせますが、動くとそのための「力」が加わって違ってきます。さらに地球の代わりに測定器の体重計との接触面の力で代用しています。さらにさらに、「力」を直接測定しているわけではなくて、体重計のばねの変形量で代用しているわけです。こういうことが可能なのは、「引力」、「接触力」、「動き(加速度)」、「質量」、「ばねの変形」等々の間にある「関係」が分かっているからです。人間は「力」を筋肉で知覚できますが、その大きさを他者と共有できませんから、ばねの変形量を視覚で知覚することで代用しているわけです。


このように、直接観測できる量から他の量を推測しているわけで、他の量が実在しているかどうかはわかりません。「力」は直接定量的に観測できませんが、感じることはできるので、実在しているような感じはします。ところが、「質量」となると直接知覚できない、想像上の産物です。いわば計算するのに便利な決めごとの「媒体」に過ぎないと言えば言えます。にもかかわらず、人間は辞書的定義でいえば「動きにくさ」という「本当」の「質量」が実在するように感じます。実際に感じているのは「力」なのに、「質量」みたいなものがあるように想像します。このような素朴な「本当」の「質量」を厳密に規定するには、直接観測できる諸量との間の関係を調べ、その関係から操作的に「質量」を測定できるまでに学問と技術が成熟する必要があります。それが、有用であれば良いのであって、「質量」とは別の「○○量」を使う力学体系でも良いわけです。つまり、「自然」はあるがままにそこにあるだけで、人間がそれを記述する方法はいろいろあるだろうと思うわけです。実際に少なくとも「日本語」と「英語」で記述する2種類の方法があります。

さて、「性格」というものも、人間は素朴に実在すると感じていますが、直接観測できません。直接観測できるのは「行動」です。それで、「ある行動の起こりやすさ」というのが「性格」の辞書的定義だとすると、「行動」と「性格」の関係を調べる必要があります。それが出来て初めて、「本当」の「性格」がわかったことになります。でも、それが唯一の「本当」の「性格」かというと、別の「本当」の「性格」でも良いわけです。どちらを選ぶかというのは、より有用で扱いやすいかで決めるんでしょう。ただ、現実的には、膨大な種類の「行動」があるわけで、質量みたいに簡単に解明できる話ではないのは当然です。


何が言いたいかといえば、「本当」の「質量」とか「性格」というものをはじめに理解していて、次に他の量や性質などとの関係を明らかにしたわけではないということです。両者は同時並行して研究されたのですね。「本当」の「性格」というものは初めからそこに存在しているわけではないと思います。存在しているのは人間心理であって、その切り口の一つが「性格」ではないかと。で、その切り方は人間が決めるものだというようなことです。

by zorori (2008-12-13 08:13) 

zorori

前のコメントで気になったので補足します。
「質量みたいに簡単に解明できる」と書きましたが、もちろん相対的な話です。ニュートンという天才、さらにその前の数百年に及ぶ天体観測のデータがあってのことですからね。しかも、複雑な空気抵抗とか余計なものが働かない極めて「単純な」天体の運動が人間に見えたというのも幸運だったかと。仮に人類が海底の奥底で進化したなら、全く違う力学ができたような気がします。
by zorori (2008-12-13 09:12) 

トンデモブラウ

観測者の位置も絶対的ではなく、揺らぎがかなりありそうなところが、『性格』(と言うか、観測された行動と言うか・・・)の輪郭をぼやけさせている理由なのかな?(>自分)
結局、よくわからないということが、わかりました。
by トンデモブラウ (2008-12-13 22:52) 

Judgement

長らく放置してすいませんでした。

>zororiさん
 うん。まさに「操作的定義」ですかね。
 「性格が実在する」事を前提に話す事は一見楽だけど、現時点で確認できない事を前提にするのは非常に危険なわけです。
 まず考えなければならないのは「そもそも私達は何を性格と呼ぶのか」でしょう。

 その上で私は、zororiさんのアナロジーのような「私達が感じる性格」が「本当の性格」を間接的に推し量るものではなく、「私達が感じる性格」そのものが「性格」の正体と感じます。「直接観測できるものではない」のではなく、「観測そのもの」ではないかと。
 分かりやすくするため極端に言えば「性格とは、その対象の個人内にあるものではなく、その対象を火評価する物の中に存在する」と言った感じ。ロールシャッハテストで求められるインクのシミについての解答が、インクのシミそのものではなく、インクのシミに投影される自分の意識であるのに似ています。

>トンデモブラウさん
うーん、難しいですかね。
「味を決めるのは、料理そのもの」という前提から離れ、「そういえば実際は味って舌や脳が決めているんだよね」 という事から始める事で、明らかになる部分から輪郭を明確にしましょうよ、という話です。
とはいえ、単にアプローチの一つを示しただけなので、あまり悩まぬよう。
by Judgement (2009-01-07 23:54) 

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