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ナゼ?ではなく、ホントニ?が大切 [嘘と社会規範]

前の記事でも少し触れたけど、『例えの前にする事は?』のコメント欄におけるzororiさんの長文の他の部分にも返信せねばなるまい。


 まずは、コメントの最後の方から
ニセ科学批判ではウソであるということを示すのがメインであり、せいぜい、そのウソがどのような被害をもたらすかぐらいまで考えれば十分ではないかと思っていたからです。

 おそらく、zororiさんは「ニセ科学批判ではウソであるということを示すのがメイン」であり、私が主に対象としているapjさんの主張とは違うようですね。

 とはいえ、zororiさんのコメントに応答する事で、皆さんが心の内に持っている「私に対する疑問」の幾つかに答える事ができそうなので、なるべく詳細に応答してみます。


【だから何故、“ウソだからいけない”を付けるの?】
 ただ、ニセ科学批判の場面で「ニセ科学はウソだからいけない」と言ったら何か問題があるのかそれが分からないのです。
 私が思いつく問題は、「ウソが悪いとは限らない」という反論が有る事ですが、その反論が出たと言うことは、ニセ科学がウソであることを認めたわけですから、それで十分だと私は思います。あとは、それぞれがニセ科学のウソが社会規範に抵触するかどうか判断してもらえば良いのじゃないかと。

 まず、Zororiさん自身が「ニセ科学がウソであることを認めただけで十分」なのであれば、「ニセ科学はウソだからいけない」ではなく「ニセ科学はウソだ」で十分なはずです。

 むしろ、そこに根拠無く「ウソだからいけない」をくっつけると、「ニセ科学はウソだ」の部分は妥当であっても、「全体では根拠がない主張」になってしまう点で非常に蛇足です。

(例:「太郎は休んだ」は事実でも、「休んだからインフルエンザだ」は根拠が無い場合「太郎は休んだからインフルエンザだ」という推測は根拠の無いものになる)。

 しかも、わざわざ根拠のない主張をくっつけておいて、そこを「他者に判断させる(ニセ科学のウソが社会規範に抵触するかどうか判断してもらう)」つもりと言うのでは、まことに都合の良すぎる話でしょう。
 

【ニセ科学批判の批判者って?】
もう少し実際的に考えると、この様な反論をするのはニセ科学批判の批判者であって、ニセ科学の主唱者はウソだとは認めません。

  「ニセ科学の主唱者はウソだとは認めません」は別にいいですが、「この様な反論をするのはニセ科学批判の批判者であって」という箇所はどうでしょうね。まるで、「ニセ科学批判の批判者」なる人特有の属性のように聞こえますが...。
 だけど、Zororiさんは、実際は『ウソが悪いとは限らない』と批判した途端、その人に「ニセ科学批判の批判者」というレッテルを貼付けるのではないですか?

 もしそうであれば、
 ”『ウソが悪いとは限らない』と言う人 = ニセ科学批判の批判者”
 となります。また
 ”この様な反論をする = 『ウソが悪いとは限らない』と言う”
ですから、zororiさんの言う

『この様な反論をするのはニセ科学批判の批判者である』は
『「ウソが悪いとは限らない」と言うのは「ウソが悪いとは限らない」と言う人である。』

と同じ事を反復して言っている事になりますね。
わざわざ、「ニセ科学批判の批判者」なる言葉を用いて無駄な混乱をさせる必要は無いと思いますが。

 もちろん、zororiさんが「ニセ科学批判の批判者」という枠組みに対して、「『ウソが悪いとは限らない』という批判をするかどうか」とは“無関係の”基準を設けているなら話は別ですが...
 

 あと、お願い。
 私は、自分の事なら説明できますが、見ず知らずの人の事は説明する事もできないし、説明する気もありません。誰かを批判するなら、私に絞って批判してくれませんか?

 同様に「ニセ科学批判」と言ってもその代名詞が何を指しているのかよく分からないという点をapjさんやPseuDoctorさんがおっしゃっていますが、それは私も同じなので、できれば「自分」とかを主語にして述べていただけませんか?


【zorori流ウソの定義】
「ウソ」には大きく狭義と広義のウソがあると思います。標語的な規範は簡略に表現されますから、狭義のウソのことをウソと表現していて、それは暗黙の了解であると思うのです。広義のウソとは「事実と違うことを言葉で表現したもの」で狭義のウソとは「他者が考えている最も大きい文脈において誤解を与える言葉や態度」と言うことです。

 まず、「暗黙の了解」を前提するのは考察を述べるには筋が悪すぎです。

 同じ考えを持つ人は「暗黙の了解」が成立していると思うだろうけど、違う考えを持つ人(例えば私)にとっては、出鼻から承諾できない事になります。で、「暗黙の了解」を焦点にして、あると言う人とないと言う人が議論しても、水掛け論になるだけです。
例えば、次の様な例で考えます。

次の文には間違いがあります。
 日本の首都は大阪です。

二番目の文は広義のウソですが、二つの文をセットにした大きい文脈では狭義のウソには当たらないと考えます。手品や小説のウソも広義のウソですが、文脈を含めると狭義のウソではないと思います。狭義のウソは他者に誤解に基づいた行動を起こさせて害を及ぼす危険性があります。

 「ウソである事が分かるウソ」と「ウソである事が分からないウソ」で分けるわけですね。つまり、「広義のウソ」から「受信側が誤解するウソ」のみを狭義のウソとすると。
 
 だけど、評価基準が「発信側」ではなく「受信側」を対象にするのは、「受信側」の匙加減一つで狭義に含まれるか否か変わる(どんな拡大解釈もできる)、点で、実際に何かを客観的に区別できる定義とは言えないと考えられます。

 例えば、「いくら手品ですよと断っても、あまりにも不思議な事をやれば“本当は超能力だけどそれを隠している”と誤解するかもしれない」なんて「受信側」が主張すれば簡単に“狭義”に含まれてしまうわけです。

 え、そんな極端な事言いっこないって?
 そうでしょうか、ニセ科学を批判しているうち、エスカレートして似たような「解釈の拡大」している人見たことありませんかねぇ。

 で、言い方を変えれば、「受信側」は気に入らなければイチャモンの付け放題、「発信側」は付けられ放題なわけですね。

 zororiさんはきっと「受信側」の立場だけで“最適なもの”を考えたのでしょう。
 しかし、zororiさんだって「発信側」として何かしらのウソを付くのはほぼ確実なわけですよね(「そんな事は無い」と言うのなら、それこそウソだ)。
 で、その際、そのウソが善意であっても、軽いウソと思っていても、ウソだと言っているつもりでも、「受信側」の解釈で「狭義のウソ」呼ばわりされてもいいと考えているのでしょうか(私は嫌です)。

 まさか、自分が攻められた場合だけ「そんな解釈は適切ではない」と言って、今まで解釈の基準を「受信側」に置くと言ってくせに、自分の時だけは「発信側」の判断を尊重するように要求したりしませんよね。

【zorori流「社会規範とは」】
他者に害を及ぼすのがなぜ悪いのかというと実はそれも無条件ではありません。他者が同じ社会に住む仲間である場合に限られます。同じ社会に住むということは社会的合意に従うということで、相手も害を及ぼして欲しくないと言っているのでそのようにしようと取り決めただけで根拠はありません。別に他の規範にしたって構わないと思います。規範の成立としてはここで終わりですが、なぜそう言う規範に取り決めたのかというと、多くの個人がそう言う規範にした方が自分に得であると判断したか経験的に知ったからでしょう。個人の判断は規範の成立メカニズムの説明であって、規範の根拠ではないことに注意してください。規範は取り決めに過ぎませんから他のものでも構いません。

 規範が色んな要因で成立していると言う事をzororiさんが把握している、という事は分かりました。
 では、「具体的な内容」が実際に規範として「成立しているか」を“確認する”にはどうしたらいいでしょう?
 
それが、私の問題提起の肝心なところなんですよ。

 「なぜ」を問えば、都合のいい理由は幾らでも出てきます。
 しかし、「なぜ」の前に「実際にそうなのか」が必要なはずです。
 『「具体的な内容」が社会規範』か判断しないうちから、「それがある利点はこうだ」とか「きっとこうして成立した」だの話しても意味がないと思いませんか?。

 例えば、「脳の血液型が違うから血液型で性格に差が出る」なんて事は、「実際に血液型で性格に差が出ている」事を確認してから考察する事であり、実際に差が見られるか確認しないうちに「脳の血液型が違うから」といくら言っても意味がないのと同じでしょう。
 それで、暗黙の了解を前提として省略してよい場合もあるだろうし、暗黙の了解について掘り下げて議論する場合もあるだろうと思います。それは状況次第だと思います。

 再度申し上げますが、少なくともまともな対話においては、決して「暗黙の了解を前提として省略してよい場合」は無いと考えます。当人が「暗黙の了解」と思っていても、「暗黙」故にそれが他人も了解している事を保証するわけでないのですから。
 それに、実際にアンケートを取って、高い割合が「暗黙の了解」をしていると分かったとしてもで、その結果は“それは本当に「了解」していい問題なのか”にはあまり関係ありません。

  「暗黙の了解」なんてのは、「自分が正しいか疑わないで済む」オールマイティーカードのようなものです。
 それを認める「状況」なんてのは、おそらく「自分を疑いたくない時」とか、「自分を疑いたくない人達の集まりの時」といった“自分(達)に都合が良い時”じゃないですかね。


【zorori流「ニセ科学批判と社会規範」】
>と、思っているならなおさら
>何故そこに留めずに『「ウソはいけない」は社会規範』と風呂敷広げるのでしょう?
確かに、商取引やニセ科学批判の場面における社会規範と限定すべきかもしれません。そうしなかったのはニセ科学批判について議論していると思ったからです。

 私は、自分ではあくまでも「ニセ科学批判に存在する問題」(正確にはapjさんのニセ科学批判それ)にアプローチするつもりで話をしてますよ(前の記事参照)。

 あと、「商取引やニセ科学批判の場面における社会規範」というか、「商取引やニセ科学批判の場面で使う社会規範」とおっしゃりたいのだと思いますが、「商取引の場面で使う社会規範」は分かりますが(商法とか民法とかの法規範もあるし)、「ニセ科学批判の場面で使う社会規範」って結局、どんな社会規範何でしょうか?

 まさか、また「ウソはいけない」の所に話を戻すのでしょうか、それともニセ科学批判用にカスタマイズされて(かつそれが社会規範である事が示せる)別の社会規範という隠し球があるのでしょうか?

 まぁ、何に何を使おうと「社会規範」は「社会規範」なので、それを使う以上「本当にそれが社会規範なのか」という問いはついて回るし、それに対してまともに説明できなければ、やっぱり「社会規範だ」なんて事を前提にするのは適切ではないでしょう。
> でも、どうも「違う土俵がそこにある」事が非常に気にくわないようで、リングには上がらないくせに必死に場外からマイクパフォーマンスをしに来る人がいる感じ。
> 私はそのマイクパフォーマンスに反応しているだけなのに、今更「土俵が違う」と言い出すのならば、まずは必死にマイクパフォーマンスをしかけてくる人に文句言ってくれ、という感じですね。
ああ、ひょっとしたら、既にニセ科学批判における「ウソはいけない」という規範が有効かという土俵ではないと言うことですか。私は相変わらずそういう土俵の話だと思っていて、社会的規範としての「ウソはいけない」の是非は別の土俵ではないかと述べてきましたけど、まるっきりお門違いのコメントを書いていたのかもしれません。一般的社会的規範としての「ウソはいけない」の是非を論ずる土俵ということでしょうか。そうだとすれば、上記の広義と協議のウソのようなことを考えています。そういう土俵が気に入らないわけでは全くありません。

 「違う土俵」というのは、適切な比喩ではありませんでしたね。

 言い直しますと「自分で決めた土俵なのに、その土俵の上で自分達と違う事を言われると、同じ土俵で反論なり説明なりするのではなく、土俵の外に逃げてマイクパフォーマンスをし始める」といった感じですね。

 ところで、『一般的社会的規範としての「ウソはいけない」の是非』とありますが、「“一般的”社会的規範」とは何でしょう?
 それは「社会規範」の一部ですか?社会規範の何が含まれ、何が含まれないのですか?

 こう言ってはなんですが、私には、未だzororiさんが「社会規範とは何か」を明確にした上で話しているようには見えません。「社会規範」とは何であるか、確たるものがないまま、それらしい文脈にその単語をただ挿入している感じ。

 で、今ここで、『一般的社会的規範』なるものを持ち出して、それを社会規範全般から切り離した形にして、残った社会規範が自分の土俵、とか言い出しても説得力を持ちません。

 ケーキが見えない人に、それを切り分けられるはずはないですよ。


【zorori流「近似」】
>zororiさんは何をして、何をどう「近似」と言っているのでしょうか
上記の様に、社会的規範の正確な意味を簡潔な標語的表現で近似するという感じでしょうか。暗黙の了解は省略してあるので近似だということです。あるいは、法律の各条の前に括弧書きで(○○の禁止)と書いてあるようなものです。

・ 社会的規範の正確な意味を簡潔な標語的表現で近似する
 もっと、意味が分かるように説明して!

・ 暗黙の了解は省略してあるので近似
 んん?何故暗黙の了解を省略すると近似になるのでしょう?

・ 法律の各条の前に括弧書きで(○○の禁止)と書いてあるようなもの
 なるほど、「要約」という意味での“近似”なんですね。ここは分かりました。
 ただ、「要約」できると言う事は、ある程度全体を把握している、と言う事ですよね。
 

【最後に】

 なんか、ダメ出しばっかりでzororiさんには悪いけど...
 でも、「ウソはいけない」という人に対し、わざわざ“自分を偽って”和気あいあいとした文章にしても怒られちゃうかもしれないから、なんてね。

 でもね、zororiさんは、ある程度説明しようとしているし、不足している所も「説明してよ」と言えば、このようにちゃんと説明しようとしてくれる。

 それは、私の中で非常にポイント高い。


 嫌い、というか、「どうしようもないな」と呆れるのは、ろくな説明無しで小馬鹿にした評価だけ述べ、いい気になる人(確かに、説明しなければ、その穴を指摘される危険も無いのだろうけどさ)。
 
 また、本来であれば、そんな人を「愚劣なチャチャ入れるな」と周りがたしなめてもよさそうなものなんだけど、「自分の敵に対する攻撃」という事であるがために、たしなめるどころか、支持してみたり、それでは飽きたらず「愚劣なチャチャ」にそれらしい正当化を付与してあげようという人もいるようだ(本人でないくせに)。
 
※具体例を出せ、というのであれば「イノセント」のコメント欄でも見てって欲しい


 上から目線だけ(自分の能力の無さを隠すため?)
 自分の味方っぽい人を必要以上に守る(自分に自信が無いから?)

 ...まぁ、「自分のアイデンティティを守る」という本能に従うのはいいんだけど、そんな人は社会だ正義だ語って欲しくない(語らなければOKって問題ではないけれど)。
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田部勝也

>Judgementさん「嫌い、というか、「どうしようもないな」と呆れるのは、(中略)※具体例を出せ、というのであれば「イノセント」のコメント欄でも見てって欲しい」

私の事が直接痛烈に非難されているのは理解できたのですけど、残念ながら「イノセント」のコメント欄が見られません。(2009-04-18 01:39)のSSFSさんのコメントの次にある私のコメントの途中で切れてしまっています。左側のサイドバーにも何も表示されません。なお、OSは「Windows Vista HP」、ブラウザは「IE8」です。

ご指摘のコメント欄が見られないので、見当違いの言い訳にしかなりませんけど、ご気分を害された事に対して釈明させて下さい(正確に言えば、「自分のアイデンティティを守る」という本能に従う事をお許し下さい)。

私は、Judgementさんとapjさんや技術開発者さんの議論をまだ良く咀嚼できていません。Judgementさんのコメントを読めば「そうだよな。正論だ」と思うし、apjさんや技術開発者さんのコメントを読めば「もっともだ。首肯できる」と感じてしまうくらいの体たらく状態です。Judgementさんには信じがたいかも知れませんが、「ニセ科学批判者」一派のなかには、この程度のお粗末な知的能力しかない者も混じっているというのが現実なのです。
もちろん、両者の言い分を比較した上での自分の立ち位置というか、「Judgementさんのコメントのこの部分は共感できる。この部分は違和感を覚える。この部分はよく理解できない」という「感想」はありますし、それはapjさんや技術開発者さんのコメントに対しても同様です。でも、ご三方の誰もがどの分野においても私より遥かに知的能力に優れているのは明らかですので、私が共感したり違和感を覚えたりするような点については当然織り込み済みで発言されているのは間違いないとも思うわけです。他の方の発言についても、「本当にこの発言は“ろくな説明無しで小馬鹿にした評価だけ述べ”たものなのか? 私の読みとれていない内容が本当にないのか?」とある程度自信を持って判断できるだけの知的能力がないので、「“愚劣なチャチャ入れるな”とたしなめ」るなんて、とてもできませんでした。下手に口を出して「愚劣なチャチャ」に油を注ぐ事になるのも怖かったですし……。
Judgementさんには信じがたい事かも知れませんけど、この議論をしっかりと咀嚼して自分なりに理解するには、私には(そもそも不可能なのでなければ)まだしばらく時間と努力が必要です。「とりあえず現時点での“感想”くらいは述べても良いかな」と思う事もありましたが、直前に「尻馬に乗った野次馬」批判があって躊躇われたり、仕事で忙しかったりで、結局機会はありませんでした。

一方で私も厳しく非難されている「ニセ科学批判者」一派の人間ですので、非難に対して誠実に向き合う事を要求されているわけです。そこで、お粗末な知的能力で一生懸命「自分はなぜ“『ウソをついてはいけない』という社会規範が有る”と漠然と無批判に信じ込んでいたのか」という自己分析をしてみました。その分析と同じように考えるコメントはまだ提出されていなかったようなので、その自己分析を述べさせていただいたのが「BERSERK [嘘と社会規範]」の(2009-05-16 23:15)のコメントです。
ですので、このコメントは、私個人としては、誰かを「支持してみたり、それでは飽きたらず“愚劣なチャチャ”にそれらしい正当化を付与してあげよう」と意識的に意図したものではありませんでした。もちろんそれは単なる自己欺瞞であるという非難に反論はできませんし、他者にはそう読まれなかったのだからお前が悪いと言われればその通りなのですが……。

最後に、「こんなお粗末な知的能力で“ニセ科学批判”をしようなんて不可能だし気違いじみている。すぐにやめろ」とか「そんな自己欺瞞な自己正当化と自己満足だけで“ニセ科学批判”をやっているような奴を許すな」といった非難は当然あるかと思います。これについては、「イノセント [疑似科学総論] [編集]」の(2009-04-18 00:27)のコメントで一応の反論(?)はしたつもりです。
by 田部勝也 (2009-05-21 05:27) 

トンデモブラウ

ぬわにぃっ、ここは『愚劣なチャチャ』はなし、ですか・・・(まぁ、そうだよね、普通。)
私のレーゾンデートルがぁぁぁ・・・・・

でも「失礼上等」とも書いてある。
不思議だ。
by トンデモブラウ (2009-05-21 08:46) 

Judgement

【田部勝也さん】

むむむむぅ...。
なんというか、かんというか...
(予告)思いっきり辛く当たるので、無理に読まなくても結構デス

>私の事が直接痛烈に非難されているのは理解できたのですけど、
>残念ながら「イノセント」のコメント欄が見られません。
>(2009-04-18 01:39)のSSFSさんのコメントの次にある私のコメントの途中で切れて
>しまっています。左側のサイドバーにも何も表示されません。
>なお、OSは「Windows Vista HP」、ブラウザは「IE8」です。

言ってあげる義理は無いけどさ...別にあなたを想定して書いたつもりじゃなかったけどね。でも、ご自分で「直接痛烈に非難されている」とお感じになったなら、きっと思い当たる事があったのでしょうね。

それはいいけど、私はユーザーサポートではありませんよ。
ちなみに、私の環境はVaioJ20(8年ほど前の機種)に「XP」を無理矢理積んでいます。ブラウザは「Netscape 7.1」です。真似できるなら真似してみてください。

>ご指摘のコメント欄が見られないので、見当違いの言い訳にしかなりませんけど
>ご気分を害された事に対して釈明させて下さい
>(正確に言えば、「自分のアイデンティティを守る」という本能に従う事をお許し下さい)。

許しません。
最低でも、ちゃんと自分で確認&整理して、「見当違い」ではないと確信してから反応をしてください。
自分でも「見当違い」と思う文章を、いったい誰のために投稿するのでしょう。

で、まぁ、そんな怒りを含みながら読んだけどさ....

あなたが、お粗末な知的能力しかないのは分かった。
あなたが、人の話を聞いて何かを思ったり思わなかったりしたのも分かった。
あなたが、私を、知的で素敵な天使のような存在と思っている事も分かった(←?)
あなたが、他人の話につっこみ入れる自信がないのも分かった。
あなたが、結局未だ「分からない」と思っている事も分かった。
あなたが、躊躇したり忙しかったりしたのも分かった。
あなたが、何かを意図しなかったりしたのも分かった。
あなたが、自己欺瞞を否定しないのも分かった。
あなたが、「お前が悪い」と言われればその通りと思うのも分かった。

で、それがどうされました?
そのような懺悔を聞かせて、私に何を求めているの?

慰めて欲しいの?叱って欲しいの?導いて欲しいの?
それとも、「こんな私を糞豚野郎とお呼び下さい」って言っているの?

田部勝也さん、私はあなたの何なんでしょうか。
先生?母親?カウンセラー?調教師?
違いますよね。見ず知らずの赤の他人、どちらかと言えば敵。

「私も、色々考えてます」 はぁ
「私は、色々と悩んでいます」 ふむ
「誰それはこう言っています」 へぇ
「どこそこではこんなやりとりがあります。」 ふぅん
ああ、そうですか。そうですね。
で、それを踏まえた上でのあなたが示せる結論は?
ま・さ・か
「...でも私はまだわからない。代わりにあなたが考えてくれ」
って言い始めるんじゃないよね!

田部さんは、私が記事で書いた「上から目線だけの人」とか「自分の味方っぽい人を必要以上に守る人」には当てはまらないと思うけど...

うーん、「ネガティブな技術開発者さん」って感じかな。

 経験上、なんですけど、そんな田部勝也さんはきっと「自分の信念」をどうしても疑えない、疑いたくない人なんだと思いますよ。
 「自分は馬鹿だ」と言っておけば、「自分の信念に関係する間違いの指摘」についていつまでも理解しなくて良い。「間違っている“かもしれない”」と言っておけば、「正しい“かもしれない”」可能性も残せる。

 一見、自己批判に見えて、その実「自分の信念を、自分で否定せざるを得ない事態」を防ぐバリアーとして機能してるんじゃないかな。
 そういう予防線を張っておいてから、「でも...」と無邪気に『自分の信念』を語っているんだろうね。

 なんとなく前に記事に書いたMクンの事を思い出した。

 彼の口癖は「でもさぁ」「だってさぁ」「オレはさぁ」。
 自分語りは好きだけど、他人にアレコレ言われると
 「そうかもしれないけど、でも...」
 「だってオレはオレだし」
 「よく分からない」
 と言ってたっけなぁ。

 田部さんの話を聞くと、その時の非常にイライラした気持ちを思い出すので、つらく当たってみたけど、別のトコの話はそのうちちゃんと返事するね。


【トンデモブラウさん】

多分あなたのコメントは(今のところ)大丈夫よ

『愚劣なチャチャ』っていうのは「チャチャの内容が愚劣」なんであって。
決して「愚劣な人のチャチャ」を指すわけではありません。
...あ、いや、トンデモブラウさんが愚劣と言っているわけでは...
...いや言っちゃってるか...
...いや、あの、その...

な~んてね。トンデモブラウさんは、おどけたようでいて実は結構視野が広くて、時たまえらく核心を突くから、あなどれないと思ってるわよん。
まぁ、打率2割くらい?(←酷い)
by Judgement (2009-05-21 22:53) 

田部勝也

そもそもの発端となったmzsmsさんのところで、問題となったコメント(↓)
http://d.hatena.ne.jp/mzsms/20090411/1239382313#c104883555
をした者です。どんな醜い素顔の上にどんな化粧をしているのか、自分では自覚はありませんが、表面上は「自分たちのしている事が本当に正しいのか、もっと良い方法があるんじゃないか、向上心と自己批判を常に忘れずにいたいと思っている」者です。

>Judgementさん「別にあなたを想定して書いたつもりじゃなかったけどね」

私は「ニセ科学批判者」一派の人間であり、Judgementさんは「ニセ科学批判者」一派を批判しています。当然、私も想定に入っていると考えるべきでしょう。特に、Judgementさんは「ニセ科学批判者」たちが「自分たちは一派ではない」と主張するのを強く非難していましたから、そう考えるのが不自然とは思いませんでした。
もしもそれが不自然だと言うのならば、「ニセ科学批判者」たちが「ニセ科学批判批判」されたときに、「具体的に誰のどんな行為に対して非難しているのですか」「ニセ科学批判者たちが実際にしている事を知っていますか」と執拗に尋ねる事には少なからぬ意味があるという事だと考えます。

>Judgementさん「自分でも「見当違い」と思う文章を、いったい誰のために投稿するのでしょう」

大変な不思慮でした。「自分のため」としか言いようがありません。なお、見られなかった件は解決していました。

>Judgementさん「そのような懺悔を聞かせて、私に何を求めているの?」

それでもまだ自分は非難に値し、改善すべき事があるのかどうかが分からなかったので、「以上のように自分の言動は正当であり、Judgementさんの非難は不当に思う」と述べ、Judgementさんによる非難の正当性のさらなる説明を求めました。

>Judgementさん「慰めて欲しいの?叱って欲しいの?導いて欲しいの?」

もちろん導いて欲しいです。
M君と同様、意図して非難されるような事をしているわけではないし、非難されるような事をし続けたいと思っているわけでもありません。「田部勝也は非難に値する事をしている」という指摘を受けて、それが理解できなかったら、「それはどんな事ですか」「どうすれば改善されますか」と尋ねるのは悪い事ではないと思っています。
それに対するJudgementさんのお答えは「そのくらい自分で考えろ」または「“議論しよう”とか“意見が欲しい”と言う癖に、自分の望む答えが出るまで徹底的に人を振り回そうとするような人の相手をさせられるのは迷惑だ」というものだと理解します。

>Judgementさん「「...でも私はまだわからない。代わりにあなたが考えてくれ」って言い始めるんじゃないよね!」

まさにそう言っています。それに対するJudgementさんのお答えは「そのくらい自分で考えろ」または「“議論しよう”とか“意見が欲しい”と言う癖に、自分の望む答えが出るまで徹底的に人を振り回そうとするような人の相手をさせられるのは迷惑だ」というものだと理解しました。

>Judgementさん「田部勝也さん、私はあなたの何なんでしょうか」

今は、私の事を含む「ニセ科学批判者」の言動・性向を非難している人だと思っています。非難には当然理由があると思います。もしも非難に値するような言動・性向が改善されるならば、双方にとって利益があると考えました。
この件について、Judgementさんが私の言動・性向の改善にまで関与する意思はないと理解しました。もちろん、もともと最初からそんな義理はないので、私が一方的に無理なお願いをしていた事は承知しています。

>Judgementさん「田部さんは、私が記事で書いた「上から目線だけの人」とか「自分の味方っぽい人を必要以上に守る人」には当てはまらないと思うけど...」

自分で勝手に「自分は当てはまらない」と判断して同じ言動を繰り返すという失敗を犯したくない気持ちは強いですし、実際に自分が「愚劣なチャチャ」をたしなめていないのも、「ニセ科学批判者」の行為に正当性を付与しようとしているのも事実ですし、何より自分は「イノセント」のコメント欄に何度も書き込んでいます。「自分は当てはまらない」と判断できる材料がありませんでした。
まず最初に、「それは自分にも当てはまりますか」と確認してから、自己弁護を考えるべきだったかも知れません。

>Judgementさん「一見、自己批判に見えて、その実「自分の信念を、自分で否定せざるを得ない事態」を防ぐバリアーとして機能してるんじゃないかな」

それは悪い事なのでしょうか。
「ここまで自己批判しました。でも信念は変わりません。本当にその非難は正当なのですか」と問う事は間違っているでしょうか。特にJudgementさんは自己欺瞞の仕組みに通じているので、安易で生半可な自己批判だけで反論や自己正当化をしても説得力を持ち得ないでしょうし、どこまで自己批判をした上での発言かを明記しておかないと、どこに自己批判不足や不適切な「思い込み」があるのか的確な指摘は得られないでしょう。
確かに自分はなかなか自分の信念をころころ変える事はできません。だからこそ、自分のその信念をどの程度の自己批判の上で述べているのか明確にして他者の批判に晒す事を選んでいるわけです。
そもそも、Judgementさん自身が「こんな説明ではいかが?」や「自己欺隔のメカニズム」などのエントリ記事を通して、深く自己批判・内省をした上で自分の言動を振り返る事を強く要求しているように理解したので、ここでは自分なりに徹底的に自己批判・内省をした上で自分の信念を述べてきたつもりです。

私は、自分が、Judgementさんが指摘するように「M君の悲劇」(↓)
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2008-02-07
のM君である事を、正直に言って認めたくはありません。否定もできませんが。長い間「ニセ科学批判」をやってきたので、「自分はM君であると認識する/させる」事がいかに困難かは経験から理解しているつもりですから。
もしも私がM君であるのならば、自分では気づいていないだけで、すでに私以外の誰からもそれが明らかになっているのかも知れません。もしかしたら、Judgementさんの「“ニセ科学批判批判”に対する“ニセ科学批判者”の批判への批判」の眼目は、まさに「ニセ科学批判批判」に対して「ニセ科学批判者」が「“議論しよう”とか“意見が欲しい”と言う癖に、自分の望む答えが出るまで徹底的に人(=「ニセ科学批判批判者」)を振り回そうとしている」事への非難なのかも知れません。もしも本当に「ニセ科学批判者」がこの点でM君なのだとしたら、その事を本人(=「ニセ科学批判者」)に気づかせるのが恐ろしく困難なのは間違いないでしょうし、その点の根本的な改善を期待するのも絶望的に難しいでしょう。今の私のように。
ならば、たとえ「ニセ科学批判者」がこの点でM君の集まりなのだとしても、今よりも少しでもマシになるようなフールプルーフの仕組みというか心構えをつくる方向で考えた方が良いのかも知れません。自分では自分こそがM君だと気づかなくても、たとえば「“ニセ科学批判者”にM君が混じる事は避けられないという前提で、M君が混じっても大丈夫なように、“ニセ科学批判まとめ %作成中”の内容をまとめ直してみよう」といった問題を考える事はできるかも知れません。
すぐに思いつくのは、「“信奉者は説得できない”教訓を“ニセ科学批判批判者”にも拡張し、“ニセ科学批判批判者”とはできるだけ“議論”“対話”を避けるようにする(そう心掛けていれば、自分のほうがM君でも、しつこく相手を振り回す事が少なくなるので、その害が顕在しづらい)」とか「“優先順位問題”として、“ニセ科学批判批判”に反論している余裕があったら、少しでも現実の個々の“ニセ科学”の被害を食い止める具体的な実践に力を注ぐべきだ――と、皆で強調しあうようにする(そう心掛けていれば、議論が個々の具体的・実践的な話にとどまるので詭弁を弄しづらく、どちらがM君なのかギャラリーから見えやすい)」とかいったあたりでしょうか。
by 田部勝也 (2009-05-22 05:13) 

zorori

項目毎に返答を書きかけましたが、今まで書いたことの繰り返し、堂々めぐりになってしまうのでやめました。個別に理解できた点はそのうち返答しますが、少し、メタな視点から印象的なことを述べます。

私には数学の議論でもない限り、議論の対象によってある程度の精度というものがあると思います。人文系とりわけ社会規範などには例外もあるわけです。にもかかわらず、例外のあるようなものは社会規範とは言えないとJudgementさんは言っているように見えます。「ウソはいけない」だけでなく社会規範全部を否定するような議論につながるのではないでしょうか。

完璧ではないという指摘ならその通りでしょう。では「ウソはいけない」に代わる例外のない社会規範あるいは例外の少ないベターな提案ができるかと言うと無理じゃないかなと。Judgementさんも提案していませんし。


「人をなぜ殺してはいけないか」という1時期の議論に似ているような気がします。確かに「人を殺してはいけない」という社会規範には例外があって、いろいろと考察する価値はあります。多分「人を殺してはいけない」をより遡った原理から説明することも可能でしょう。しかし、それでは社会規範として煩雑過ぎます。「人を殺してはいけない」という規範に従い、具体的な殺人事件の犯人を批判することまでを批判する必要はないと思います。確かに「なぜ人を殺してはいけないのか」と問いかける青年は時々現れると思います。その時にその青年と議論すればよいわけで、「人を殺してはいけない」という規範が無いのではないと思います。

by zorori (2009-05-24 10:58) 

necromancer

印象の話は人それぞれですね。私はまた違った印象です。

まず「精度」のことを言うなら、私には「精度悪過ぎ」に見えるといっ
たところ。だから「完璧」かどうか以前の問題という印象です。

また、「似ている」は曖昧な概念ですし、さらに程度の問題もありま
す。「嘘ってそんなに悪いことなの?」と「人殺しってそんなに悪いこ
となの?」は、私は似ているような気がしません。
by necromancer (2009-05-29 23:33) 

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