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自分を疑えない人は幸福であり不幸である [嘘と社会規範]

 お久しぶりです。死んでませんよ、生きてます(この前誕生日迎えました)。
 色々返事を書かなきゃいけないような雰囲気のものも溜まってますが、無視しているわけではありませぬ。
 いつも返事の事のばかり考えていますよ。寝ている時と、食べている時と、仕事している時と、本読んでいる時と、遊んでいる時以外はね(おい)。


【疑う事の必要性】

 じゃぁ、何故返事が中々できないかと言うと、キチンと答えるために疑い続けているからなんですね。
 相手の発言の真偽を疑うのも当然だけど、それに対応させる自分の返事についても疑いの目で読み返す。疑いが晴れなければ書き直し、の繰り返しで、中々書きあがらないんですよぉ。
 (その割に今まで返事は大した事ないな、と言われればそれまでだけどネ。)

 某所の某女帝の発言を見てると、「自分を疑わないで、自分が正しい前提で、自分が正しい場合の理屈ばかり言う」事は、非常に楽そうだし、当人も気持ちいいだろうなぁ、とも思う。
 だけど、いつも自分が他人にどう見えるか気になってしまう私にとっては、同じ事をシラフではやれんのですよ。


 ところで、皆さんはちゃんと自分の意見の正しさを疑っていますか?

 もしや「疑う事を考えられないほど自分が信じている事だから“正しい”」という前提で語っていやしませんか?(私は別に「疑えない皆さんの代わりに疑ってあげる人」ではないですからね)

 散々疑った末でも間違ってしまうのが人間なのに、疑いすらしないで正しいと信じるなんて、あまりにも自分を、そして人間を不当に高く評価しすぎですからね。


【ウソの疑い方】

 ついでに、関係無さそうで関係有る話。

 『「ウソはいけない」は社会規範』が正しいと思っている人には、多分こんな人も少なくないのではないのかな?

 それは...
 「ほめ言葉」は無条件で信じるケド
 「悪口」は”ウソに違いない“と徹底的に疑う
 そんな『分かりやすい人』。

 言い換えれば
 「自分に利益を与えそうな、あるいは利益を与えた情報」は、「ウソ」であるか一切疑わない
 「自分に不利益を与えそうな、あるいは不利益を与えた情報」については徹底的に「ウソ」か追求する。

 つまり、「疑い」の適用について、“自己都合”のバイアスをかけてしまっている状態。

 そんな人は、「いいウソ」をいくら浴びせられても「ウソ」にカウントされず、「いけないウソ」のみ「ウソ」として認識されるわけだから、実際は「いいウソ」が社会の中で役立っているのに、それに気付かないわけですね。
 となると、「ウソは社会規範で抑止すべきだ」という極論が、非常に腑に落ちてしまうわけ。

 こんな『分かりやすい人』は、人間的には憎めないかもしれないけれど、その程度の疑い方では、「ニセ科学」にはまりやすい、という事もご留意を。

 「ニセ科学」だろうとなんだろうと、「自分に利益を与えていそうな錯覚」を覚える限りは疑いもしないし、疑えない。
 誰かに何か言われても、「こんな可能性がある」とか「こんな効能も考えられる」と、”自分に都合の良い解釈”ばかりを並べ立て、しまいには「オレはそう信じているんだし、他にも信じている人もいる。おかしいのはお前の方だ」と開き直る始末で、いくら説明しても「自分が信じている事が否定される限り」耳を貸さない。

 こんな人は、自分でも誤魔化しようが無い「明確な不利益」を蒙るまでは、何を言われようと「ニセ科学」から脱却できないものなんです。

 そんなハメに陥りたくないのであれば、そういう「人間の性」を自分の問題として認識し、「キチンとした疑い方」を覚えるのが肝心だと思う。

 なのに、『「ウソはいけない」は社会規範である』と言っておいて、さしたる根拠も示せないまま「自分がそう考えている(から正しいのでは)」とか、「同じ事を言う人がいる(から正しいのでは)」とか、そんな程度の理由を言い続ける人が”いるとすれば”、そりゃ『悪い見本』だ。

 そんなの「ニセ科学」を信じて疑わない人と同じ理屈だよね。


【ついでに】

 どうも某女帝さんとか、文系を甘く見ている気がするんだよね。
 理系は実証が必要だけど、文系の話題は自由な推量でOK、ってそんな感じ?

 一度「ウソ」とは何か、どんなものがあるか、をキチンとそれこそ“現実に照らし合わせて”考えて欲しい(人には「現場を見ろ」とか言うくせに、ウソの現場を把握する気配は全く無いようだけど)。
 そうすれば、「ウソはいけない」なんて、素朴で単純すぎて話にならん、って気付くと思うんだけどね。


 安易にしか考えられないから安易な事しか言えないのか、安易でいいやと思っているから安易な考えしかしないのか知らないけれど、科学の話題であればあれこれ細かいことを言うのに、「ウソ」とか「社会規範」の話題になれば厳密さの欠片も無い事を言っても平気ってのは、なんとも文系をバカにした態度だよなぁ、と私は思う。

 その程度の考えしかできないのならば、偉そうに「社会」を語るなよぉ。
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コメント 2

shunsoku

お邪魔します。

 もう「あちら」の皆さんには、
「ウソ」の再定義とか、「ニセ科学」を語ることの党派性とかについては、
話が通じない状況で固定してしまった感があります。

 某女帝のブログについて、ですが
 「スポーツをする」というのは、立派に「くくれる」概念であり、
各種社会的調査を行う場合でも項目として立てているのですが、
接触するメディアを限定していることを公言してはばからない人は、
そういうニュースは目に触れないか
項目として立てることを検証なしに間違いと断定するか
どちらかなんでしょうね。

 とにかく、むなしいです。

by shunsoku (2009-06-21 01:29) 

alice

ここ数年ネット上の議論を傍観していましたが、ブログ主様が本エントリで書かれた【ウソの疑い方】の部分は、反論し始めるとお互いにそう思うようで、その言及自体が悪い相乗効果のもとになるので、こういったことを書くこと自体が自体を紛糾させるもとかもしれないと思っています。

で、それはそれとして…

>どうも某女帝さんとか、文系を甘く見ている気がするんだよね。
> 理系は実証が必要だけど、文系の話題は自由な推量でOK、ってそんな感じ?

これには同意です。shunsokuさんも気持ち悪さを感じていらっしゃるようですが。
「→存在しない。スポーツをする、という表現と同様に、(以下略)」とはなんとも…。「スポーツをする、という表現」について自分がどう定義するかを提示せずに、それを論の前提にしているわけです。科学なら、ある論を証明するためにはその前提となるいろいろな物事について、相当の考察だの実験だの議論があるはずなのに、文系の話となると、一切の前提なしに自分の思い込みだけで本論を展開してしまっている。
なぜ彼女が、それでよいと思えるかが不思議でなりません。もしかすると彼女にとって、逃げ道を用意することがいさぎよくないという、強迫観念があるのかも知れないですね。それはそれで危ういです…そんなことを考えさせられる女帝様のブログでした。

by alice (2009-06-21 22:17) 

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