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ニセ科学批判って何なのさ? [疑似科学批判批判批判批判]

 「自分を疑えない人は幸福であり不幸である」に対するshunsoku さんや、 aliceさんのコメントでは、「スポーツ」云々への疑問 が共通するけれど、実は私も非常に飛躍したロジックを感じている。
 ただ、それを明確にするため、彼女の記述の前後を何度も読み返しているのだけれども、読めば読むほどapj氏が何を言っているのか(私には)良く分からない、という事が分かってきた。

 分からないのは私がバカだから、という可能性は極めて高いので
 とりあえずは、客観的に評価できるよう、図にしてみる事にする。

 良く分からないものを批判はできんので、疑問点の覚え書きみたいなものと思って欲しい。
 とりあえずは、apjさんにおける「ニセ科学批判」の位置付けを図にしてみる。

【apj氏の記述の引用】

 ニセ科学を問題にする場合は、あくまでも個別のニセ科学、たとえば「マイナスイオン」「ホメオパシー」「水からの伝言」「血液型性格診断」等々の、何がどうニセかを問題にしている。これらは、それぞれ個別具体的に問題とすべきことが異なっている。従って、これらのうちの1つまたは複数に批判的な言説をすべて「ニセ科学批判」として括ったとしても、そこから先に話が進まない。

 個別の人達がやっているのはどこまでいっても、「水伝批判」「マイナスイオン批判」に過ぎない。1つだけをやる人もいるし、複数やっている人もいる。もろもろの個別の批判に共通する部分を括りだすつもりで用いられたであろう用語が「ニセ科学批判」なので、「ニセ科学批判」を実行できる人なんかどこにもいない。実際にやっているのは「ニセ科学批判」の一部でしかなく「ニセ科学批判」に含まれる個別の批判のどれか、になる。

《出典:apj氏「ニセ科学まとめ」-『「ニセ科学批判」という行為は存在するか』より。》

【図解】
ApjNISE.gif


【読解】

 実はこの図は、引用部分全てをまとめたのではなく、
 「実際にやっているのは」の”前の行まで”のまとめだ。

 まぁ、そこまでに登場する要因については、記述の通り図に転換されているはず。

 「個別のニセ科学の問題(各枠線内)」があり
 その共通する部分が「ニセ科学批判」、って事を彼女は言っている(はず)。

 で、この図に従って逆に言えば
 「ニセ科学」とは、”問題点が赤色の領域に抵触するもの”と言い換えられるだろう
  (もしかすると、ここが「科学ではなく、かつ科学を装う」に該当するかもしれない。)
 

 では、何故「実際にやっているのは」以降も図に反映させなかったのか?
 それは、少なくとも私には、二次元上で反映できなかったからだ。

 主張を順繰りに図に落とすと、
 「ニセ科学批判(赤色領域)」は、
 「個別のニセ科学の問題(図における各枠線内)」の一部
 ...となるはずなのだけど、こう続くわけだ。

 『実際にやっているのは「ニセ科学批判」の一部でしかなく「ニセ科学批判」に含まれる個別の批判のどれか、になる。』

 いきなり
 「個別のニセ科学の問題(図における各枠線内)」は
 「ニセ科学批判(赤色領域)」の一部である
 ...といった包括関係がまるで逆転した事をおっしゃるわけである。

 あれれ?

 「言葉のブレ」をある程度はこちらの判断でまとめているから
 完璧に「発言=図」に間違いない、とは言えないけど
 ここまで辻褄合わなくなるような強引な解釈はしてないつもりだけど...

 誰か、作った図のどこをどう直せばいいのか教えてくれい。
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トンデモブラウ

そんな意地の悪いこと言わずに、文章(単語)を治してあげればいいのに。

きくち教祖のありがたいマントラ『ニセ科学』という”単語”を批判しているのかと思える文章なので、ぬわにぃっ信者に対する宣戦布告か!と。(・・・ウソですけど。)
「ニセ科学、死ねばいいのに・・・」と3回唱えて心を落ち着かせよう。
by トンデモブラウ (2009-07-02 08:43) 

disraff

個々の「批判」から「共通部分を括り出し」てそれを「ニセ科学批判」と呼んでいるのであればその図のようになると思いますが。
そうではなくて、漠然と総称として使われている…というイメージなんじゃないですかね。
by disraff (2009-07-02 10:44) 

shunsoku

 apjさんが言っていることと、上の図とは、違っていると思います。

 apjさんは、
「マイナスイオン」とそれに対する批判、
「水伝」とそれに対する批判、
ホメオパシーとそれに対する批判、
以上3つは重なっている部分があるとは主張していないようです。
複数を批判している人が存在する「だけ」だ、と主張しているようです。

 つまり、複数のニセ科学に関する共通要素を括り出す行為そのものを
「存在していない」と主張しているように私には読めます。

 apjさん個人が「共通要素を括り出す行為を(apjさんは)行わない」と主張するのは個人の自由ですが、
「ニセ科学」に関して言及している人の中には、
何らかの共通要素を括り出そうとしている人もいると、私には思えます。

 一言で言うと、
「他の人の行為の意味づけまで勝手にしないでほしい」
というところです。
by shunsoku (2009-07-02 19:35) 

bandicoot

えーと、図がかけないので。
3つの要素をランダムに重ねるのではなく、平行に並べていただけるでしょうか。そしてその一方をひとつにまとめます。

  E

こんな感じです。
横線がそれぞれの「ニセ科学批判」対象、水伝とかですね。
縦線が共通部分「ニセ科学批判」です。

ですので、縦線である共通部分は確かに存在するが、個々に批判しているのは横線部分であって、縦線部分だけをとって批判批判されても、そんなことだけしてる人はいない。

という理解でいかがでしょうか。


それと、
「ニセ科学批判とは科学の議論ではなくて、社会問題」というコメントを別の方からいただいています。
それでもやっぱり科学の問題であると思っている僕としては、
『上の例題の「ニセ科学」という言葉をそれぞれ、「科学の議論」と「社会問題」のふたつから適当なものを選んで埋めよ』
という設問でなんとかしたいものです。
by bandicoot (2009-07-02 20:52) 

PseuDoctor

なるほど、色々な読み解きがあるものですね。
私は最初、Judgementさんの読み方が正しくてapjさんの記述は矛盾していると思いました。
しかしよくよくよく考えてみると、apjさんの記述を矛盾無く説明できそうな気がしてきました。
でも、まだちょっとうまく文章化できませんし、自分でも結構ややこしいと思っているので、もう少し整理してから改めて書き込みます。
多分来週になっちゃうと思いますが。
by PseuDoctor (2009-07-03 00:04) 

タカキ

文章の構成が悪いのでしょうね。

「ニセ科学批判」の二つ考え方を持出して、そんなモノは存在するのかと書きたかったのでしょう。
第一段落の「ニセ科学批判」は個別の批判の論理和として、第二段落の「実際にやっているのは…」の前までは「ニセ科学批判」は個別の批判の論理積としての考え方。
そして実際の「ニセ科学批判」の話を出してきたがそれはドチラなのか直接的には表現していなし、論理積の段落に書かれている為矛盾しているように読める。
おそらくは前者なのでしょうけど。

私もPseuDoctorさんと同じで最初は矛盾して感じましたね。

by タカキ (2009-07-03 00:33) 

Judgement

 最初に言っておきます。
 返事の中で皆さんの解釈に色々疑問点や反論を挙げたりもしますが、そこに皆さんの読解能力を否定しようという意図はありません。
 だって、もしかしたら「元の文章がおかしければ、誰も正解を導けない」だけかもしれないもの。

 こういう「解釈」問題をapj氏に直接問い合わせずにやいのやいの言うのも実は不毛だけど。
 「他者が読んで解釈可能か、一つに解釈が絞れるのか」というのも確認したいところなので...

 まぁ、自分の読解力不足を棚に上げて言うけれど
 「ニセ科学批判という行為は存在しない」という主張を正当化するんだから、もう少し「そこで指す”ニセ科学批判”をapj氏はどう位置付けているのか」を読者が明確に把握できる説明をすべきだったんじゃないの?、ぐらいは言えそうな気がする。


【トンデモブラウさん】
>そんな意地の悪いこと言わずに、文章(単語)を治してあげればいいのに。
意地の悪さはデフォルト設定なので...
とはいえ、30度と40度ぐらいだったら、35度くらいに調整する事はできるんだけど
0度と180度だと、どっちのベクトルに合わせればいいか、マジでわかんないんですよ。
下手にいじると「曲解だ」と、「元の文章のねじれ」を棚に上げたクレームが来そうですし。


【disraffさん】
>個々の「批判」から「共通部分を括り出し」てそれを「ニセ科学批判」と呼んでいるのであれば
私はapj氏の文章からはそう読んだんですけどね。
ただ、気になるのは「つもりで用いられたであろう用語」という推量の形を取っている事で、もしかしたらそれはapj氏による意味付けではないかもしれません。
でも、そうなるときっと「読点」を挟んで「ニセ科学批判」という言葉の意味が変わってしまっています。

>そうではなくて、漠然と総称として使われている…というイメージなんじゃないですかね。
まぁ、漠然としか捉えていないから、意味あコロコロ変わってる、という事はありそうな気がします。


【shunsokuさん】
 いわば、共通要素としての「ニセ科学批判」について、apj氏は「そもそも存在しない」と考えている、という見方ですね。確かにそう見れば、「つもりで用いられたであろう用語」という他人行儀な表現の辻褄が合いますね(つまり、「あいつらが勝手にやった」って感じ)。
 ただ、それでも次の文(『実際にやっているのは「ニセ科学批判」の一部でしかなく「ニセ科学批判」に含まれる個別の批判のどれか、になる。』)では、「ニセ科学批判」の存在を前提にして実際の批判を説明しているので、やっぱ辻褄が合わないんですね。

>「他の人の行為の意味づけまで勝手にしないでほしい」
は、ホントそう思いますね。
「ニセ科学」という概念は、apj氏の個人的な玩具なのかと。


【bandicootさん】
 うーん、「共通する部分」だから、図としてはやっぱ重合させなきゃならないんじゃないかなぁ。
 あと、「軸を分ける」ならば、軸を分ける意味が必要でしょうケド
 横軸と縦軸にどんな意味付けをすればいいか思いつきません
(というか、元の文には「軸を分ける」根拠となるような話は出で来ませんので)

>「ニセ科学批判とは科学の議論ではなくて、社会問題」
>というコメントを別の方からいただいています。
shunsokuさんへの返信にもからみますが
まぁ、別の方は別の方、と見た方が混乱しないんでしょうね。
あくまでapjさんの個人的な「ニセ科学批判」観だ、って感じで。


【PseuDoctorさん】
>なるほど、色々な読み解きがあるものですね。
問題はそこなんですよね
>自分でも結構ややこしいと思っているので
PseuDoctorさんをして「ややこしい」事になってしまうなら
他の人はこの文章からapjさんの意図を正しく読み取る事なんてできっこないですよね。
そうすると
「(良く分からないけど)apjさんが言っているから『ニセ科学批判』という行為は存在しないのだろう」
とか、逆に
「(良く分からないから)『ニセ科学批判』という行為は存在しないなんておかしい」
といった、「良く分からない」事を前提にした賛同や批判が生まれてしまい、やっかいな水掛け論の原因になるような気がするんですね。

まぁ、「一見おかしな文章」を書き示す事自体を批判したい気持ちもある反面
私としては 「正解」を知りたいのが正直なところ。
まとめ上手なPseuDoctorさんには、すっごく期待しています。
ぜひぜひ、ご意見お聞かせください。


【タカキさん】
やっぱ、読点を境に「ニセ科学批判」の意味が変わっているんですかねぇ。

で、タカキさんとしてはどうなんでしょう
>「ニセ科学批判」の二つ考え方を持出して、
>そんなモノは存在するのかと書きたかったのでしょう。
apj氏は「どちらも存在しない」という考え方なのでしょうか。
でも、「実際にはその一部をやっている」方の「ニセ科学批判」は存在しないと一部もへったくれもないですよねぇ...。

うーむ、2つを否定する、というよりかは『存在しないと言える方の「ニセ科学批判」』と、自分の実感する「ニセ科学批判」を頭の中では分けつつ、表現上は分けていないって感じカナ?
by Judgement (2009-07-03 01:06) 

shunsoku

 繰り返しですみません。

 先のコメントで私は
apjさんが使った「括りだす」という言葉を使いました。
 が、そのために分かりにくくなっているのではないか、
と今は考えています。


 apjさんの主張を確認すると

1 「ニセ科学」と呼ぶべきものは存在するが、
 それらはあくまで「水伝」や「マイナスイオン」などの個別の問題である。

2 「ニセ科学」に対する批判も個別の問題に対して行われている。

3 もろもろの個別の批判に共通する部分を括りだすつもりで用いられたであろう用語が「ニセ科学批判」である。

 この2から3への展開が読み取りにくいわけです。

 やはり3の部分を読解しようとすると、
「つもりで用いられたであろう用語」がポイントになると思います。

 この表現は、「実際には適切でない表現」というニュアンスだと私は読みました。
 つまり
「ニセ科学批判」という枠組みを設定しようとすること自体が不適切なのである
という主張だと考えると、すんなり読めないでしょうか。

 「共通する部分などそもそも存在しないのに、
共通する部分が存在するという前提で使われている用語」
が「ニセ科学批判」だから、
「ニセ科学批判」全般を実行している人などいない。

という主張ではないでしょうか。

 (個別の)「ニセ科学」に対する批判は存在する。

 「(全体的な)ニセ科学批判」と呼べるような有効な枠組みは存在しない。

 彼女の言葉を援用すれば、
「ニセ科学」への批判に共通する要素を括りだすつもりで(「ニセ科学批判批判」派によって、不適切に)用いられたであろう「ニセ科学批判」という用語には
有効な意味はない。

という考え方だと、私は読解しました。

 「誰が括りだそうとしていると、あなたは考えて書いているのか」と
apjさんに問うことが必要だったのかもしれません。


by shunsoku (2009-07-03 01:58) 

(こ)

うーんと,私にはこんなに近い距離の文中で,しかも括弧で括った言葉の定義を変えるとはどうしてもも思えないのでとりあえず

『これらのうちの1つまたは複数に批判的な言説をすべて「ニセ科学批判」として括った』

を定義にしますね.つまり『ニセ科学批判」は個々の活動の総称したものと考えることにします.スポーツとの比喩を用いられてるようだし,それが妥当だと思われます.すると

・「ニセ科学批判」を批判するには,個々の活動に共通のものを批判するしかない.

となります.何故なら,個々の活動,例えば水伝批判にしか含まれないことを批判したのでは,それはニセ科学批判ではなく,「水伝批判」の批判だから.あるいは,野球とサッカーをやってる人をまとめて同時に論じる,あるいは,非難するためには,その二つのスポーツの共通部分を論じるか批判するしかないですよね.

その意味で

『もろもろの個別の批判に共通する部分を括りだすつもりで用いられたであろう用語が「ニセ科学批判」』(第二段落)

というのは意味が通るわけです.一つのグループにまとめる目的は共通の性質を論じるためですね.

さて,続き.ちょっと前後しますが,

・各個人がやってるのは,個々の活動である.

それはそうですよね.

・『「ニセ科学批判」を実行できる人なんかどこにもいない。実際にやっているのは「ニセ科学批判」の一部でしかなく「ニセ科学批判」に含まれる個別の批判のどれか、になる。』

言葉の使い方が微妙ですが,まぁ,読み流しましょう.
スポーツをすると言ったって,実際には野球なりテニスなりサッカーなりといった具体的なスポーツをするわけで.その意味で「スポーツをする」という表現は許さない,というわけね.

以上が引用箇所の私の解釈.

引用されてるページでの彼女の論理は(言葉の使い方が変なので読みにくいんですが)

・「ニセ科学批判」に有効な批判がなかった
・それは「ニセ科学批判」として括られたものに共通する性質がなかったことを意味する
・共通項のないものを一つのグループとして括るのはおかしい.
・故に「ニセ科学批判」は実体を持たない.

とのことのようですね.各ステップの正しさはあらためて検証する必要がありますが,いずれにしても,このように結論付けるのにスポーツを例に出すのはミスリーディングですね.スポーツという概念には実体があるわけだし,実体がないと主張する「ニセ科学批判」の比喩として使うのはよろしくないように思います.
by (こ) (2009-07-03 02:19) 

タカキ

先のコメントでapjさんのタイトルから「そんなモノは存在するのか」と表現しましたが、「ニセ科学批判」という括りには意味が無いと云うか、そう括ったものを見ても何も見えないという意図かなぁと思ってます。

自分の読解は先の通りだったのですが、(こ)さん読解はそれっぽく見えたりもします。
どうやら「括りだすつもりで用いられた」の表現が私の手にあまっているのかもしれません。

by タカキ (2009-07-03 21:10) 

zorori

このエントリーを見落としていましたので、今更ながらですが。
apjさんの文章では、「ニセ科学批判」という言葉が二つの意味で用いられているのでは。

bandicoot さんの説明でいえば、Eの縦棒を前半では指して、後半ではEの全体を指しているのではないかと。
judgementさんの図では、赤い部分を前半で指して、ピンク部分を後半で指している。

apjさんの言いたいことは、現実の批判活動は例えば青の水伝批判であり、赤い部分だけ、あるいはピンク全体を批判している人などいないということでは。

それで、こういう言葉使いは厳密ではないのは確かなんですが、普通にやっていると思うんですよ。「自動車」という言葉は、個別の自動車、つまり集合要素を意味する場合もあれば、自動車の集合という抽象概念を意味する場合もあるわけで。さらに、個別の自動車には車体デザインという要素があり、その集合という概念もあります。ややこしいことにこの集合もまた自動車と言ったりします。例えば「自動車には造形的魅力がある」とか。

apjさんは、この二つの集合とそれぞれの要素を同じ言葉で表現して、どちらにしても集合の話をしている人はいなくて、集合要素なのだと仰っているんでしょう。

要するに、言語は厳密には出来ていないけど、通常は文脈などで補って意思疎通出来るわけです。ただ、apjさんの文章ではまさに通常は同じ言葉で表現されるけれど、違うものであるということを説明しているわけですから、不適切かもしれません。
by zorori (2009-07-09 20:33) 

PseuDoctor

こんばんは。お待たせしました。
(長いですよ)

まず、結論から書きますと、
「幾つかの個別の事例がある時に、それらに共通した要素を抽出する事と、それらを包括する概念を考える事とは、本質的に同一である」
となります。しかもこれは「ニセ科学批判」に限った事ではなく、もっと広く一般に成り立つと考えています。

どうでしょう。にわかには信じられませんか?
そうかもしれません。何しろ、Judgementさんが本文で書かれている内容と真っ向から対立しているのですから。

では、例題をやってみましょう。
問1-1:「正三角形、直角三角形、二等辺三角形」これらを包括する概念を示せ。
答としては「三角形」「図形」などが挙げられますね。ちょっとひねった解答をするなら「日本語の単語」とかいうのでも良いかもしれません。
それでは、
問1-2:「正三角形、直角三角形、二等辺三角形」これらに共通する要素を示せ。
どうでしょう?問1-1の答「三角形」「図形」「日本語の単語」がそのまま使えませんか?

ちょっと順番を変えて、もう1問やってみましょう。
問2-1:以下のものに共通する要素は何か。「イヌ、サル、キジ」
答は「桃太郎の家来」「動物」「カタカナで出来た単語」等が挙げられます。
一方、
問2-2:以下のものを包括する概念は何か。「イヌ、サル、キジ」
もう繰り返しませんが、同じ答が通用しますよね?

「いやいや、2問くらいじゃ信じられない」というアナタの為に、もう少し続けてみましょう。
問3-1:以下のものに共通する要素は何か。「社長、父親、校長」
答:「偉そう」「威張ってる」「オヤジ」
問3-2:以下のものを包括する概念は何か。「社長、父親、校長」
答:???ほら見ろ、問3-1の答は、どれも「包括」なんかしてないじゃん!

おやおや、困りましたね。
でも、ちょっと待って下さい。少し考えてみましょう。
本当に、問3-1の答は「共通する要素」なのですか?連想ゲームなら、その答えでも良いでしょうが。問3-2を答えようとして「威張らない社長だって居るし、女の校長だって居る」と思ったヒト、その考えは正しいです。
でもその考え方って、問3-1を答える時にだって成り立ちますよね?

つまり「共通する要素」とは「全てに共通するもの」でなければならない筈なのに、たまたま「当て嵌まる一部」だけを取り出してしまったのです。「イメージ」「スレテオタイプ」「思い込み」何と呼んでも良いですが、とにかく問3-1の答は、一見正しく見えるけれど、実は間違っていたという例です。
そしてこの事は、実は「ニセ科学批判批判」に対しても言えます。個別の批判行為の全てに共通する要素を抽出し、それを「ニセ科学批判」とすべきなのです。しかし実際には、一部の目立つ事例のみに気を取られてしまい、それらから連想されるものを共通要素だと思い込んでしまっているのではないでしょうか。
だからこそ「批判批判」を的外れだと感じる事が多いのではないかと思います。包括概念としての「ニセ科学批判」は観念上の存在ですが、だからといって「ニセ科学批判」そのものに対して批判を加える事が出来ない訳ではありません。有効な「ニセ科学批判批判」が存在し難いのは、正しく共通要素を抽出する事(=正しく包括概念を捉える事)に失敗しているからではないかと、私は考えています。
「全てに共通する要素を正しく抽出するなんて、そんなの不可能じゃないか」って思いますか?確かに、不可能とまでは言いませんが、非常に困難ですね。だからこそ、包括的な「ニセ科学批判批判」を的確に行うのは難しいのであり「個別事例を出せ」と言われてしまうのです。

とりあえず説明は以上ですが、私がこういう認識に至った背景をもう少し述べたいと思います。一言で言うと「包括」「包含」「含む」といった言葉の持つイメージに大きな原因があると思っています。どうも我々は「AがBを含む(BはAに含まれる)」という関係がある時に「含んでいるAの方が大きいのだから、Bが持ち合わせている要素は全てAも持っているだろう」とイメージしてしまいがちです。
しかしそれは間違っているのですね。

皆さん良く御存知の例を挙げましょう。
生徒「バナナはオヤツに含まれますか?」
先生「はい、バナナはオヤツに含まれます」
「バナナはオヤツに含まれる(オヤツはバナナを含む)」のですよね。この場合、バナナはオヤツである為の条件を全て満たしているから、オヤツに含まれるのです。当たり前ですね。「オヤツである為の条件を満たしていないのにオヤツに含まれる」なんて、単なる自己矛盾ですから。
従って、バナナとは「オヤツである為の条件を満たし、更に、バナナである為の条件を満たしたもの」となります。つまり「オヤツである」よりも「バナナである」の方が条件が厳しいのですね。

まだ釈然としませんか?そうかもしれません。
私は上の説明で、意図的に「必要条件」「十分条件」という言葉を使いませんでした。実はこの言葉も曲者なのです。上の例でいくと「オヤツである」事は「バナナである」事の必要条件であり、「バナナである」事は「オヤツである」事の十分条件です。
しかし普通の日本語の感覚で言うと「別にオヤツにバナナが必要だという訳でもないし、バナナさえあればオヤツに十分だという訳でもないだろう」と考えるのがむしろ自然です。

勿論、じっくり落ち着いて考えれば、矛盾無く理解出来る筈なのですが、どうしても感覚として気持ち悪い。間違っている様な気がする。どうもそのあたりが、誤解しがちな要素なのではないかと思います。
論理を使いこなすのも、本当に難しいです。
by PseuDoctor (2009-07-14 22:26) 

トンデモブラウ

「消防署の方から来た」を批判している人が、同じようなことやっちゃダメじゃないかなぁ。
by トンデモブラウ (2009-07-15 08:33) 

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