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科学的だと「信じさせられて」いるのか? [血液型分類による性格類型説]

 久々更新。いろいろごたごたを積み残しているけども、自分の本業(?)にかかわる事について人の尻を叩くだけでもアレなので、ちょっと話題をそちら方向に変えてみる。

 この世には「血液型で性格が分かる」という考え方が広まっています。
 このような考え方に基づく血液型と性格を関連付ける言説を、「血液型性格判断」...と呼ぶと、「判断は占いだ」等とバカな屁理屈をこねる人がいるようなので...「血液型分類による性格類型説」と呼ぶ事にしましょう。

 で、今回のテーマは
「血液型分類による性格類型説」は科学的だと「信じさせられて」いるのか
 という、いきなり深ぁぁいお話です。
 しかもあまりに深すぎて、実は確固たる結論は出ていなかったりします。
 まぁ、とりあえず”疑問”の形でダラダラと話をすすめるので、読む人は根気良くお付き合いください。


【能見氏の主張がどこまで受け入れられているのか】

 「血液型分類による性格類型説」の元凶として能見正比古氏が上げられがち。
 まぁ、”ブームのルーツ”としてはそうなんだろうけど(でも実は古川氏かもしれないけど)、彼の著作を読むと、彼の提案する具体的な類型モデルと、実際に社会に流布されている類型モデルには齟齬が生じている感じがある。
 それは、能見正比古氏自身も著作で言及していて、例えば、社会的に流布されている「A型は神経質」という類型モデルに対し、能見氏はそれを否定し、どの血液型にも神経質な面は有り、むしろ神経質の対象に特徴が出るのだ(A型は○○に神経質、B型は××に神経質...といった感じ)と否定したりもしている。

 こんな齟齬がどうして生じているかは正直分からないケド予測してみる。

 可能性としては、能見氏自身最初は「A型は神経質」と言っていたにもかかわらず(あるいは、そう取られても仕方ない表現をしていた)、後で意見を変えた、なんて事も無いとはいえない。
 でも、その能見氏が著作で否定しても未だにその類型モデルが流布し、能見氏の提案する「神経質の方向性で評価」がスタンダードに成り得ていない点を考慮すれば、その可能性は低そう。

 少なくとも現状において「能見氏の類型モデル」がそのまま社会に流布されているとは言えないわけで、「血液型分類による性格類型」というアイディア”だけ”が拝借され、具体的な「類型モデル」は彼ら(能見氏や古川氏)の類型モデルとは別のもの、と考えた方が状況の説明はしやすい(これを「社会的類型モデル」と呼ぶ事にする)。

 それに加え、個人レベルで見ると、活用者は活用精度を上げようとして自分の実体験を元に「個人的類型モデル」としてその類型モデルを変容させがちだったりもする(このあたりは、渡邊席子氏による『血液型ステレオタイプ形成におけるプロトタイプとイグゼンブラの役割』を参照して欲しい)。

つまり
 「能見氏の類型モデル」≠「社会的類型モデル」≠「個人的類型モデル」
なわけだ


【変化する社会的類型モデル】

 さらに、「個人的類型モデル」が社会に承認されれば、それは「社会的類型モデル」にフィードバックされたりもするだろう。
 フローチャートを書けばこうなるかな。

1 「社会的類型モデル」が形成される。
2 その「社会的類型モデル」が「個人的類型モデル」の雛形となる。
3 ただし「個人的類型モデル」は雛形から独自に変化する
4 その「個人的類型モデル」が社会に提案される
5 受け入れられれば、「社会的類型モデル」がそれを反映した形に変容する
6 2に戻る
 
 このように今の今まで、常に流転してきたとすれば、「社会的類型モデル」が「能見氏の類型モデル」と乖離していても全然おかしくないわけだ。


【能見氏の類型モデルの社会的類型モデルへの影響】

 そもそも、「能見氏の類型モデル」だって、所詮能見氏の「個人的類型モデル」。
 確かに大御所として、他の「個人的類型モデル」よりかは影響力は強かっただろうけど、結局「支配」まではできなかった。

 それに、能見氏の「血液型人間学」が上梓されたのが昭和48年、「新・血液型人間学」が昭和53年だ(参照:ABOFAN)。まぁ、以降すごく版を重ねているとは思うけど、それでも30年は経過しているわけだ(ちなみに、私の地元の図書館では書庫にしまわれてしまっている)。

 だから、現在「血液型分類による性格類型」を信じている人の中でも特に若い世代は、能見正比古氏の「血液型人間学」を知っている人は非常に少ないと予測されるし、知ってはいても「読んだ事がある」人はさらに減り、「内容をキチンと覚えている」人については絶望的少なさと言ってもいいでしょう。

 だとすると、「社会的類型モデル」に対する「能見氏の類型モデル」の影響というのは、どんどん薄まっていっているんじゃないのかな(最初は濃い水割りだったとしても、それ以降ウイスキーを足さずに水を加え続ければどんどん薄くなるように)。


【社会的類型モデル形成の主犯】

 とはいえ、『「個人的類型モデル」が社会に提案されれば「社会的類型モデル」も変化する』って言ったけど、正直なところ平凡ないち個人の「個人的類型モデル」が「社会的類型モデル」を変容させる力は、かなり低いし、何より時間がかかりすぎる。

 じゃぁ、今の「社会的類型モデル」形成を担う大手はどこでしょう?
 (まぁ、答えはわかり切っているとは思いますが...)

 もし皆さんの実生活での知り合いに「血液型分類による性格類型」の信者がいれば、それを思い浮かべましょう。その多くは「本を精読する」ということがあまり想像できない人ではないでしょうか(個人的な偏見?)。

 まぁそうだとして、そんな人達がどこで「血液型分類による性格類型」を知ったのか?
 大多数は、「友達との会話」でしょうが、言い出しっぺを辿ったとして、その先に能見氏の「血液型人間学」があるとはどうしても思えない(特に平成の世において)。
 おそらく、辿り着く先は、そんな特定の著作者の「書籍」ではなく、「雑誌」、あるいは「バラエティ番組」、そして特に昨今においては「ネット」ぐらいが関の山。

 ということで、「ネット」はともかく、いわゆる「マスコミ」が「社会的類型モデル」形成を担う大手であることは違いないでしょう。


【マスコミの手法】

 「マスコミ」の役割というのは、広く世間に正しい事を伝える...なんて事を今更信じている人はいないですよね。

 ある意味、雑誌の記事もバラエティ番組の進行も、編集者あるいはディレクターといったごく少数の人間の「意図」を反映させるために機能させされます。しかも、その「意図」というのは、自分のポリシーの反映、と言うよりも、「いかに大衆に受けるか」に向きます。ただし、そこで言う「大衆」とは、あくまでそのごく少数の人間が「対象にしたい人達」ですし、その人達がどのような人であるかは、そのごく少数の人の憶測で判断されます。
 
 ...ああ、この辺の話は非常に複雑なんだけど、本題ではないのでさらっと「マスコミは大衆受けに主眼をおく」とだけしておきましょう。

 良い例え方をすれば、「そのままでは食べにくい素材を、万人受けする料理に仕立て上げる」腕の良い料理人みたいなものです(ついでに言えば、それを欲する人が多い限り、素材の危険性を無視して提供し続けるところもありますが)。
 
 おそらくは、能見氏の「血液型人間学」のベストセラーから、「血液型分類による性格類型」という”素材”に着目した上で、「流布のし易さ(簡潔さ)」や「受入れられ易さ(面白みの付与、デフォルメ)」という味付けをしていったんだろうなぁと思う。

 モチロン「権威」として能見氏にインタビューしたり、あるいは「監修」に入ってもらったりもするけども、それだって味付けの一部、あるいは付け合わせでしかなく、メインディッシュの「類型モデル」に関しては、”読者のため”に、より単純に、より極端に”料理”されていったことでしょう。
 
 それが社会に提供され「社会的類型モデル」にフィードバックされると共に、それが別の雑誌や別の媒体で取り上げるきっかけとして機能する。ただし、取り上げて同じ事を言ってもしょうがないわけだから各社それぞれ独自の「もっともらしい味付け」を上乗せする。それが新たな「社会的類型モデル」を生みだし...
 つまり、先に挙げた「社会的類型モデル」と「個人的類型モデル」の相互関係の流れと同じ事が起きるわけです。

 そう考えれば、「社会的類型モデル」というのは、時代がすすめばすすむほど、元の材料がなんだか分からないほど、色んなものが足され、煮崩された代物になってしまっているわけです。
 でも、そんな得体の知れないものでありながら、マスコミというプロの料理人により「食べやすく(受け入れられやすく)」なって提供されている、というのが現状ではないでしょうか。

 さらに言えば、そういった有象無象の「社会的類型モデル」を上手く個別に文章化してまとめあげたのが『X型自分の説明書』とも考えられますね。


【能見氏はA級戦犯か】
 
 ここまでで何が言いたいかと言うと、最初に
『「血液型分類による性格類型説」の元凶として能見正比古氏が上げられがち。』
 と言ったけど、公平に考えるとそれはどうなのかな、と言う事。

 別に彼をかばう義理はないけど、せいぜい言えるのは「元」までであり(それすらも、実際の「元」は古川氏や原氏まで辿れるし)、「凶」の99%は彼のせいではないのではないかと最近思うようになった。

 もっと言えば、彼自身マスコミに御輿として担ぎ上げられていい思いをしたかもしれないけど、その一方でマスコミは担ぎ上げてしまった上で、それぞれ思い思いの方向に引き回していた、というのが実情なのではないのかなと。

だから、「血液型分類による性格類型説」の社会流布におけるA級戦犯は実は能見氏ではなく、マスコミ、というのが私の見方。


【能見氏に「科学的」だと騙されたのか?】

 すごいまわり道をしたけれど、そろそろ本題に戻る。
 
 モチロン、能見氏自身「科学的」だと言っていただろうし、そう装おうとしていた。
 ただし、そのコトバは主に「血液型人間学」の読者に対して向けられていたわけだ。

 だから、残念ながら「活字ばかりの本、数字が沢山出てくる本」が苦手な人には届かない(めんどくさくて読まないから)。
 その一方で、「科学的であるとはどういう事か」を理解している人、あるいはそういう事は良く分からなくても、(分かったつもりで読むのではなく)キチンと文章を読解できる人が読んだら、『穴だらけ』という事がばれてしまう代物(別に高度な才能が無くても「何故そういえるのか」という疑問を持ち、その答えを他者が判断できる形でキチンと示しているか、という事に主眼を置きながら読めば、大抵の人には分かると思う)。

 つまり、彼の「科学的」だという主張の効力は、
”ある程度の高いレベルの知的好奇心と、ある程度低いレベルの理解力”
 という、かなりピンポイントな層にしか発揮できないわけだ。

 このあたりの層がABOFANクンなどのネット上で気炎を吐く肯定論者? 
 まぁ、数は少ないかもしれないけど、偏執的であり、何言われても見当外れな事をに主張し続ける点でやっかいですが...

 あ、それは置いておいて...
 そうなってくると、彼が著作で「科学的」と言った事を直接的な原因として、多くの人が科学的と信じたとは考えにくい。というか、冷静に考えてみて、科学者の肩書きも持たない彼が、いくら「科学的」と言ったとしても、どれだけの説得力を他人に与えるだろう。

 それに、おそらく「血液型分類による性格類型説」を積極的に受け入れいる人のほとんどは「血液型人間学」を読んだ事のない人であるというのが私の予想だ(いくら売れたとはいえ、予測される「信者」の総数を推測すればまだ少ないだろう)。

 そう考えると、「血液型分類による性格類型説」を能見氏が自分の力で多くの人に「科学的だ」と信じさせることができたとは、到底思えない。


【マスコミに「科学的」だと騙されたのか?】
 
 能見氏においては「自分で科学を装おうとして難しい言葉や数字を使うと、本来ひっかけやすい素人は敬遠してしまうし、逆に適切な判断力を持つ人から容易に化けの皮がはがされてしまう」という大いなるジレンマを抱えており、力不足と考える。

 では、真犯人は「血液型分類による性格類型説」の社会流布のA級戦犯である『マスコミ』だろうか。
 
 ここで、マスコミ的なアプローチ方法を考えてみよう。
 数式だ検定だという“細かい事”は読者(視聴者)は興味を持たないだろう。
 となると、わざわざ紙や電波を使うのは無駄だから割愛。
 でも、だからといって根拠無く記事を書いているとは思われたくない。
 ある程度、ソースを示すのが、「社会の公器」としての勤めだ。

 かくして、マスコミはお得意の方法を使う。
 「血液型と性格の関係を研究している能見氏は、その関係性は統計的にも科学的にも裏付けられていると述べている」

 おお、そういう風に言われれば、「科学的」な印象をうけるじゃぁないか。
 やっぱり、「科学的」問題についても、A級戦犯は『マスコミ』だった!

 ...と、マスコミ批判で納めるのは楽であるけれど、安易な気がする。
 もう少し掘り下げてみよう。

 果たしてマスコミは「科学的だ」とウソをついて騙したのだろうか。
 あるいは、よく確かめずに不確かな情報を流布したのだろうか。

 もう一度読み返して欲しい。
 マスコミは別にウソも不確かな事も言っていない。

 能見氏が血液型と性格の関係を研究しているのは自他共に認める事だろう。
 また、彼が述べる事が本当に正しいかはともかく、そのように述べている事は事実。

 つまり、マスコミは事実の情報をそのまま伝えているだけ(情報の選択に恣意的なところがあるにしても、それは彼らに許される“味付け”の範囲だと私は思う)。

 だから、「科学的だ」と騙した犯人がマスコミであると言うのも躊躇する。


【では誰が「科学的」だと騙したのか?】

 結論から言えば、犯人は「信じたいものを信じようとするその人自身」というのが妥当なセンだと思っている。

 信じる動機は「血液型で性格が分かるとすれば、私にとってなんて便利だろう」かもしれないし、あるいはバーナム効果により「自分に当てはまるのだから、間違っているはずがない」という推論かもしれない。

 で、人間は「自分が信じていればいい」とはなかなか思えない。
 「自分が信じるものは、他人も認めるものであって欲しい」と思うだろう。
 それを保障するものとして、「科学」という代物はうってつけ。

 しかし、「科学的かどうか」なんて、通常の人は判断できないし、判断の仕方もよくわからない。誰かに保障してもらうしかないわけだ。

 ところでここで、ちょっと考えてみよう。
 あなたが難病にかかったとする。あなた自身は当然治したい。
 だからあなたは病院に行く。
 そこで治してもらえれば問題は無いけど、無理と言われたらどうするだろう?
 そう、次の病院を探すだろう。そこも断られたらまた次の病院...
 と「治りますよ」と言われるまで病院をめぐり続けるはず。

 もしも、「科学的かどうか」を追及するのではなく、「科学的であって欲しい」という欲求に従うのであれば、同様の事が生じる。
 仮に99の否定的な情報が示されても、1つだけでも肯定的な情報があればそちらに飛びつくのは、ある意味自然な成り行き。

 つまり、「科学的と思うから信じる」のではなく、
「信じるから科学的だという事も信じる」んじゃないのかな、という事。

 極論を言えば、能見氏がどんなに支離滅裂な事を言っていても、末尾に「だから科学的なんです」とくっつけてさえいれば、「信じたい人」は意味が分からなくてもそれを科学的である証左として受け入れるだろうし、マスコミが99人の「非科学的だという人」と1人の「科学的だという人」を示すという不公平な扱いをしたとしても、「信じたい人」の目はその1人に熱く注がれるという事だ。

 「信じる」事は判断してからでいいはずなのに、「信じて」から判断しようとする。
 それが、「単なる情報提供」でしかないマスコミのスタンスを忘れてしまったり、能見氏の著述をろくに読まずに彼を信頼する原因になっているんじゃないのだろうか。

 刑事ドラマで追い詰められた犯人が
「オレは悪くない、社会が悪いんだぁ~」
 と言うの聞いて、
「いや、そのような社会の解釈をするアンタは十分悪いから」
 と突っ込みたくなるような気持ちだ。


【ホントに「科学的」だと信じているのか?】

 さんざん、「誰が騙したのか」という話をしておきながら、その前提をひっくり返すような展開だけど...。

 昨今の情勢として、マスコミは積極的に「科学的ではないとされる」という情報を提供し始めている(なお、あくまで「とされる」であり、マスコミが判断しているわけではないが)。
 先ほどの極論では、99対1であっても1を選ぶような事を言ったけど、その1すら示されないとなるとどうなるか、という話。

 例えば、「科学的と思うから信じる」仮説が正しいとすれば、そのような情勢から言えば「血液型分類による性格類型説」はどんどん廃れてもおかしくないハズ。
 しかし、実際には未だに廃れないどころか、どうも盛り上がりを見せている。

 そういう人達は皆(ABOFANクンのように)必死で1の「科学らしき情報」を探し出して「信じている」んだろうか?
 う~ん、雑誌ごときで「血液型分類による性格類型説」を信じる程度の大部分のユーザーが、そこまでの努力をするとはちょっと思えない。

 でも、「信じるから科学的だという事も信じる」というような「信じる」先行型の人間を仮定すれば、まぁまぁ説明は付きそう。何せ、オカルトだって信じられているのだから。
(個人的には、江原を信じる層と、血液型を信じる層はかなりかぶっている気がする)

 「科学的でない」と言われれば「科学だって完全じゃない」と思うし
 「科学的だ」と言われれば「やっぱり科学は正しい」と思うだけだろう
 「信じる」事を前提においた、科学に対するダブルスタンダードがあればいい。
 

 モチロン、「科学である」事に非常に拘って口角泡を飛ばす人もいる。
 そういう人は結構目立つし、やっかいだし、危機感を煽られる。
 だけど、そういう人って「信者」の代表値なのかな。

 実はそれは能見氏の影響によるものでも、マスコミの影響でもなく、むしろ「その人個人のポリシー」とかそういうものに突き動かされている結果じゃないかな、と思う。
 言うなれば、能見氏の言説やマスコミの記事も、その人の自己顕示のネタ元でしかなく、下手すれば形式上能見氏を神格化して扱ってはいるけども、その心の底では「自分は能見氏よりも才能がある」と思っていたりしてね。

 一方で、能見氏やマスコミの影響をバリバリ受けて「信じた」人の大多数は、正直なところ「科学的かどうか」なんて、実はさほど意味が無かったりして。
 だからこそ「○n・a○」の『ヨタ記事』や、「自分の説明書」みたいな『血液型あるある』がもてはやされてたりするんでしょ。

...というところまでが今回の結論デス。
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