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逆ブラハラに移行しよう! [血液型分類による性格類型説]

 さて、今回のシリーズも一旦シメに入ろうと思う。
 今までは(一応)“社会全体”を対象にして色々考えて述べてきたけれど、今回はもっと範囲を狭め、「自分の身の回り」を対象にしながら話を広げていく。

【「血液型の話題」で盛り上がっているのか?】

 例えばアンケートの結果や、本の売れ行き、雑誌の取り上げ状況を見る限りにおいては「血液型分類による性格類型説」的なものは今でも流行っている気がしないでもない。
 
 でも、私は「その話題で盛り上がる」状況を最近目にしなくなった気がする。

 飲み会で血液型をテーマにした話で盛り上がる事も、初対面の人に血液型を聞かれる事や教えられたりする事もほとんどない。あったとしても、「わぁ、私と同じだね~」とか「○○さんと同じだね~」ぐらいで終わる。

 言うなれば「出身地」ネタと同じような扱いだ。

 「え~見えない~」とか「あ~やっぱり~」とかそういう反応の仕方や、「じゃぁ、○○な性格なんだ」とか言い出す人はまずいない。
 
 ちなみに、私は別に日常生活で「血液型分類による性格類型説の否定」の言動は特にしていない(していたら確かに話題になりにくいだろうが)。というか、血液型の話が出ないので、わざわざ否定する必要も無い。

 なんか「血液型性格判断」というものは”盛り上がる話のネタ”から外されたどころか、”すべる話のネタ”まで格下げされているように思えるのよね。

 いや、それは自分の周りだけの話で、他はどうか分かりませんよ。
 ただ、「血液型の話で盛り上がる人達」を私が想像すると、まぁ、正直脳味噌の代わりに綿菓子が詰まっているような方々を想像しちゃうんだなぁ。

 「え、マジ、マジ、マジB型?ヤッパ自己中?マジ半端ねぇ」
 「オレ、やっぱA型っしょ、なんつーか、几帳面?みたいな」
  まぁ、分相応の話題で盛り上がってろ、って感じ?

 そいつらとは違う私の環境から「何故盛り上がらないのか」を考えてみる。


【何故盛り上がらないのか?】

 一言でいえば、私や、私の周囲の人間が、そのような話題を語る事が”恥ずかしい”と感じているからだと思う。

 ところで、まず最初に言っておくけど、これから話をするのは「実際に血液型と性格の関係があるのかないのか」というのとは全く別な話だからね。

 コミニュケーションの場、つまり社会という環境において、「血液型分類による性格類型説」という話題がどう捉えられるか、という事を話すつもり。

 例えば、あなたはAさんが「女にだらしない奴」と確信していたとする。
 そんなあなたがAさんの結婚式に呼ばれ、友人代表スピーチを頼まれたとする
 その時あなたは「Aは女にだらしない奴で...」と言うだろうか?
 ウソを言うか、そのあたりは触れないのが、社会的には正解だろう。
 逆に、その確信を正直に言う奴は、自分では満足かもしれないが、多くの人を傷付ける。
 モチロン、「他人はどうあれ、自分の信じるまま突き進む」という信念を否定しようとは思わないが、そんな事が「場を盛り上げる」わけはないし、「コミニュケーションを円滑にする」わけもないのは間違いない。

 おそらく、私の周りの人間は、そんな“KY(←もう古い?)”ではなく、「対人スキル」が高い人達であって、各人「場を盛り上げる」事や「コミュニケーションを円滑にする」事に腐心しているからこそ、それをぶち壊す話題をしてしまう事、自分に“KY”のレッテルを貼られる事を“恥ずかしい”と思うのではないのかなぁと思う。
 
 そういう観点で、「何故恥ずかしいか」3つほど述べる


【「知的水準の低い奴」、あるいは「情報に疎い奴」と思われる】

 前回述べたように現在は「科学的ではない」という情報が流布されている。また、世間的な捉え方として「学者でもないド素人が科学的に”ある”」と言っている一方で、「学者の肩書きを持っている人が科学的に”あるとは言えない”」と言っているとすれば、どちらが信用されるかは言わずもがなだ。
 その世情の中、平気で「血液型性格判断が正しい」なんて態度を取れば
 ・ 最近の情報を知らないバカ(無知)
 ・ 後者の情報を知っても適切に判断できないバカ(無分別)
 どちらかのレッテルが貼られてしまうのは自明。

 なお、昔は「血液型性格判断」の方が話題のイニシアチブを取っており、それに対し「あんなの科学的じゃないよ」と水を指す事の方が“KY”だったようだ。
 確かに、場に共有され、スムーズに進行中の話題に対し、個人のポリシーから強制的に終了させようとするとは、学問の場ではOKだけど、コミュニケーションとしての評価ではNGだ。また、その後小難しい話を延々としようものなら、「飲み会で、そんな話して楽しいの?」と言われても仕方が無い。

 それが現在では逆転し、イニシアチブは「科学的でない」の方にあるわけだ。
 もし、それを無視して「科学的である」事を延々と語りだすと、その場を盛り下げるのは必至だ(ただし、そいつがいなくなった2次会で「血液型オタク」とか「ブラハラ野郎」とか好き勝手なあだ名でネタにしてすごく盛り上がるだろうケド)。

 しかし、だからといって他のオカルティックな話をしないわけではない。
 「幽霊話」はOKなのだから、どうも「非科学」という理由は弱いようだ。
 

【「ネタの陳腐な奴」と思われる】

 おそらく、これは一番恥ずかしい理由ではないかと思っている。

 私は学生時代、後輩から非常に怖れられていた(「悪魔」と呼ばれていたのは秘密だ)。
 後輩が話すとき、話が長かったり、話がつまらない時ほど、ワザとらしく目を見開き、大げさに相槌を打つ。で、話が一通り終わったら、こう言い放っていた。
 「で...オチは?」、あるいは、「あ、それ100回聞いた」

 “対話”というのは、「自分が面白いか」ではなく「他人が面白いか」を考えなくてはならないわけで、そのためには「他人の意表を付く事、他人の知らない&他人に必要な情報を提供するのが重要」。
 それを後輩に知って欲しくて、心を鬼にして(ホントか?)苛めていた。

 私も、私の周りの人も血液型ブームを通ってきたわけだから、「血液型の話題」はひとつの持ちネタとして成立しているとは思うんですよ。
 でも、だからこそ、血液型性格判断はもう「古すぎて、使われすぎた話題」なんですよね。

 そんな今更な話題を嬉々として持ち出そうもんなら「話題に貧しいヤツ」のレッテルを貼られかねない。「話がつまらない奴」と思われるのは、対人関係において致命的。

 流行により「血液型性格判断」を受け入れた層っていうのは、ある意味「流行に敏感」なわけ。それは同時に「流行遅れにも敏感」な事になるから、そこを分からずに千年一日の如く「血液型の話はウケるだろう」なんて思っていてはいけない。
 中年男性が最近仕入れたひと昔前の若者言葉を自慢げに嬉々として使う姿を見て、皆さんどう思います?それと同じ事なんデス。


【「対人スキルの低い安直なヤツ」と思われる】

 人間関係を円滑にするには「個性の重視」。
 例えば「異性ならば誰でもいい」という人と「他の誰でもないあなたと付き合いたい」という人がいたとして、(その人の容姿・性格は別として)あなたはどちらに好感を持つだろう?
 そういう事を考えられる人は、「血液型という没個性的な視点」で相手を語ればどう思われるかが分かるわけです。
 だったら、あえてしないでしょうね。

 実際のところ「人を観察しそこから相手を推し量る力」に欠けているからこそ、「血液型性格判断」に飛びつくのだ。
 仮にそうでなくても「他人にそう見られる」事は覚悟しなきゃね。

 でさ、そんな対人スキルの低い人が「血液型性格判断は当たっている」といったところで、「何で他人の性格も見抜けない奴が当たっているって判断できるの?」と言われて終わりよね。

 人物評に「血液型性格判断」を持ち出す人は、自分の観察眼のダメさ加減を露呈するのみならず、「安易な判断に飛びつく」という自分の思考パターンの欠点までさらしてダメの上塗りをしているようなもの。

 ...って見透かされているって事も、当人は対人スキルが低いから気付かないんだけどね。


【需要と供給】

 色々言ってきましたが、今でも、『X型自分の説明書』が爆発的に売れたり、ananで性懲りもなく特集を組む所を見ると、やっぱり皆興味を持っているとは思うんだよね。
 
 でも、あまり話題に出ないってどういう事?
 私の周囲だけが特殊な環境、ってな可能性もあるけど、それも変。

 で、考えたんだけど、「血液型の話」って、今は「エロ本」みたいな位置付けになっているんじゃないのかなと思う。
 分別のある男性は「愛読するエロ本」の話を人前でしないよね(持っているのに)。

 心の中では好きなんだけど、世間的には蔑まれるから口に出せない、恥ずかしい。
 ということで、”個人的な秘密の愉しみ”におさめているのでは。

 その反動で、1人で愉しめる本は売れる。
 そういう意味では、「自分の説明書」なんてまさにニーズにドンぴしゃじゃないか。
 すごく売れているはずなのに、私のまわりでは「読んだ」、「買った」の話題は一切出ないってのは、やっぱりエロ本みたいに「読んでる事を知られたくない代物」なんんじゃないかなぁ。

 一方、「すわ、血液型ブームの再来か」と便乗しようとして出した藤田先生の「血液型の暗号」みたいなのは、ご丁寧に表紙の感じまで似せているが、多分あまり売れないと思う。
 そういうのが求められる流れじゃないんだよ、たぶん。
 

 ちなみに、藤田先生の「血液型の暗号」を図書館で借りたけど、借りる時、別に司書の人が何か言うわけではないのに、非常に恥ずかしい気持ちになった。


【最後に:ブラハラについて】
 
  「血液型性格判断」がそれが死滅しないどころか、ベストセラーを生む事を苦々しく思っている人もいるかもしれない。でも、自分のパーソナルな属性と、自分のパーソナリティを繋げたがる人間の欲求が消失しない限り、それはまず無い。
 「姓名判断」も「星座占い」も長い間生き残っているのと同様に、「血液型性格判断」もまず死滅しない。
 また、「血液型だけで性格を知る」という態度は問題があるけど、「血液型でも性格を知りたい」、つまり“相手の事を些細な事でもいいから何でも知りたい”という欲求に基づくものは、「他者を理解するために積極的に様々な情報を収集する態度」である点で好ましいようにも思える。

 そんなこんなで、「無くならない」事を前提に考えれば、私は「自分の説明書」ブームはかえって良いと思う。
 そこで展開されているのは「似非アカデミズム」を除外した「お遊び」。

 ひと言で言えば『血液型あるある』だ。

 しかも対象は「自分」なわけだから、「対人的な害」はどんどん薄まっていると思う。
 全て削除しようとすると非常に強い抵抗を受ける場合があるけども、代わりに「骨抜き」にしたものを与えればスムーズに「無害化」が測れるのではないだろうか。
 
 「血液型差別」や「ブラッドハラスメント」をする根拠として「だって『X型自分の説明書』の内容が私に当てはまってるから」なんて言えるだろうか。
 そう言おうものなら、「何でも信じ込みやすいお前の欠点のとばっちりを私に向けるな」で終わりだ。
 
 サトウタツヤ氏の言う「ブラッドハラスメント」レベルで自分でもいや~な思いをした事があるけども、今回お話した私の周りの環境では既に「ブラッドハラスメント」どころか、「血液型性格判断が好きな人へのハラスメント」の方が優位になってきている(某大手掲示板も既にそうなっているんじゃないのかな)。


「血液型で判断すればダメな人」というハラスメントから
「血液型で判断するダメな人」というハラスメントへ移行しているということ。


 それをスタンダードにしたいなら、難しい科学論争よりも、前者の方が情けない、後者の方が面白い、という事の方をクローズアップした方が効果的だと思う。


 そんな狙いもあるのが、私の(「ABOFAN氏との論争」ではなくて)「ABOFANクン苛め」であり、また、FSMさんの一連の記事もその効果が期待できると思っている。 
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bandicoot

世代的なものもあるんではないでしょか。

まわりの同世代ではいないのですが、アルバイトの女の子(大学生くらい)からはしつこく出てきます。
「bandicootさんって、A型ですよね」
細かな点を注意したり、指導したりすると、たいがいの場合聞かれます。
勤務地が変わるたびに聞かれます。

えーと、オチとしては・・・
それも血液型を聞かれるのではなく、A型かの確認なんです・・・
「怒られた!」とか、「うざい!」とかの前に、「細かいな、この人A型?」という感じでしょうか。


by bandicoot (2009-08-30 11:42) 

Judgement

あ、ちゃんとオチを考えましたね。

>世代的なものもあるんではないでしょか。

 それは確かに。
 若い世代は、概ね同環境・同年代の閉鎖的な社会にいたわけですから、対人スキルがあまり磨けない。特に異なる年代に対する性格把握は未経験に等しいわけです。
 そうなると、どうしても手っ取り早く「血液型」に頼りたくなってしまう、と考えます。

 一方、bandicootさんの事例では「血液型で性格を知ろうとする」と言うよりも、「血液型性格判断が当たっているか」の確認ですよね。
 これは、自分が頼らざるを得ない「血液型性格判断」という糸があまりにも細い事に薄々気付いているからこそ、「当たっている事の確認」をして不安から逃げようとしているのではないかと。

えーと、オチとしては・・・
血液型で性格を知ろうとか、血液型性格判断が云々とかじゃなく
単に「遠まわしのイヤミ」なのでは?
by Judgement (2009-08-30 23:06) 

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