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裏腹なコトバ [思い付き]

リア多忙。充実どころではない、むしろリミット振り切れている。
予告していたublftboさん関連の話は、結構できているんだけど推敲が進まない。
このままだと年内更新無しになりそうな勢いなので、とりあえず別の話を簡単に書いておく。

【「自分は論理的」と言う人に限って論理的でない】

 皆さんの周りには、「自分は論理的だ」とのたまう人がいないだろうか。
 (あなたが社会で対人関係の場数を踏んでいるなら何人か思いつくでしょう)

 皆さんも既にお気づきかもしれないけれど
 このような人に限って、大抵「論理的」ではないんだよね。

 他人の話を聞かず、自分に都合が良い事だけ取り上げて自分の主張をゴリ押しし、自己満足。
 そんな上司や部下、あるいは取引相手が好んで使うフレーズ。

 さらに言えば、この手の人は「自論の根拠」しか考えないから困りもの。
 他の根拠を示されても、「それよりまずオレの根拠を否定してからだ」と息巻くし
 ではと、「自論の根拠」を否定すると、「それだけではない」と別の話をし始める。

 そういう人に限って「自分は議論ができる人間だ」と思い込む。
 そして、他人にその「議論」に付き合うことを強要する。

 実際のところ、「結論」は既にその人の中では決まっていて
 でもその「狭量な自分」を誤魔化すために「議論ごっこ」を通過させようとし
 ついでに「議論で勝つ、俺ってやっぱ論理的」という自己満足を安易に得たいんだ。

 こっちにしてみれば、そいつのためだけの無為な時間をすごす事になるから困りもの。


【理由】

 むしろ、実際に論理的な事を言うような人(言えるような人)は
 「自分は論理的だ」なんて言わないんだよ。
 (「論理的に言えば」とは言うかもしれないけれど)

 「自分は論理的ではない」と考えるからこそ慎重に"論理”を扱う。
 ”論理”を自分の外側におき、それを目指すからこそ、論理的に考える事ができるんだ。
 
 そもそも本当に論理的であれば、誰にとっても論理的に聞こえる。
 だったら、黙っていても他者も「論理的だ」と受け取ってくれるはずだ。
 ならば、「自分は論理的だ」などとワザワザ言う必要は無い。

 逆に言えば、「自分は論理的だ」なんて言うのは
 他者が「論理的」と受け取ってくれない(つまり論理的でない)から。
 そこで、一番うさんくさい「自己評価」で押し切ろうとするのがまた浅はか。


【客観的、合理的、そして誠実】

 「論理的」だけじゃなくて、「客観的」とか「合理的」でもそう。
 あるいは、「誠実」というフレーズも。

 それらはあくまで”結果として”そうなるものなんだよ。
 あるいは他者がそう認定する事に意味があるコト。
 少なくとも自分で言うもんじゃないんと思うのだけど。

 だけど、そんな事もわからんで(わからんからこそ)
 「自分がそうだ」という結論を押し付けようとする奴がいるんだよね。
 それがおかしいとも、恥ずかしいとも思わずに。

 本当に誠実な人は、自分は誠実でないから、誠実にならなくてはと努力する人。

 「自分を"誠実”だと言う奴に、本当に誠実な奴はいない」
 なんて事は、ある程度対人スキルを上げれば分かるはずだ。
 分からないとすれば、よほどのお人良しだろうけどね。

 でも...
 「自分が”誠実だ”と言えば、他人も誠実だと受け取ってくれる」
 と考えるならば、それはお人良しではなく、単なるバカだ。

 悪い意味での「イノセント」


【最後に】

 特に私が気になるのは
 「論理的・客観的・合理的」、あるいは「科学的」という『単語』を
 自分に都合よく振り回して正当化しようとする「単なるバカ」

 そんな人は「ニセ科学側」によく見られるケド
 残念な事に「ニセ科学批判側」にも結構存在するんじゃない?
 
 なんかね、その人が論理的思考や科学的思考をしているのではなく
 「それが論理的(科学的)だと、それなりの人が言っているという知識」
 を『信じて』、受け売りで語っているだけじゃなかろうか、って感じなのよね。
 
 んで、「その知識で自分が納得したから、他人も納得するはずだ」
 程度の考えしかないから、知識を披露する以上、人を納得させる術が無い。
 「同じ結論を共有する人達」の間で互いに褒めあうネタにしかならない。

 んで、すぐ「悩む」。
 だけど、「知識」はあっても、「思考方法」が身についてないから
 悩みはいつまでも解決できない。
 (実際のところ思考停止状態を「悩ましい」と言っているにすぎないのでは)
 むしろ、「悩んでいる」事が未解決の免罪符になると思っている。
 (自分の求める結論に都合がいい事以外は保留できるという免罪符)
 
 下手すると、「悩んでいる自分」も正当化に使おうとするしね。
 
 さらには、そんな自分の無思考あるいは思考停止を棚に上げ
 他者が自分の主張に賛同してくれない事を「相手の思考停止」のせいにする。
 
 ...そんなの典型的な「ニセ科学ビリーバー的思考法」でしょうに
 もしそれが「ニセ科学批判」における例外ではなく、普遍的な風潮であるならば
 (あくまで仮定。実際どうかはkikulogでも読み返して各自判断してくれ)
 「ニセ科学の蔓延防止」どころか「ニセ科学ビリーバー予備軍」の育成機関になっちゃうよ。

 念のため言っとくけど
 ニセ科学を擁護するためにニセ科学批判を批判しているんじゃないからね。
 (この辺も安易に決め付ける「陰謀論」チックな方がいるが)
 ニセ科学が望ましく無いと思うからこそ
 ニセ科学批判がニセ科学と「どっちもどっちに」なり下がって欲しくないのだ。
 だから、上で書いてあるような事が私の錯覚であればむしろ嬉しい。
 
 まぁ、このあたりは詳しく話すと長くなるので機会を改めるけど
 とにかくそんな人達を見ていると、あの諺をこう言い換えたくなる。


 『理工ぶるバカほど始末におえないものはない』




※ 理系批判ではないよ。「理工ぶるバカ」が問題なのだ。
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